讃岐国一宮・田村神社で力石にご対面

こんにちは。

古墳記事でちょいとお疲れモードなので、今日は庶民の楽しみを。


香川県高松市に鎮座する田村神社。

讃岐国一宮。式内社(名神大社)。

社記によれば和銅二年(709)に社殿が創建されたとあり。
往古より「田村大社」「定水大明神」又は「一宮大明神」とも称されました。

尚、坂上田村麻呂とは無関係。

田村は、鎮座地名。


賢いちゃんの狛犬さん。


相方は元気いっぱい。


出ておいでー。


ねーねー、出ておいでー。


やっと随神門。ここへ至るまで、狛犬3組。


社殿が全く見えません。


こんな巨大な鳥居が小さく見えるほど、長く続いた参道です。


はぁーい。あっりがとぉー( 〃▽〃)


何でしょう?


まぁ、かわいい。


おやおや?


うわぁー( 〃▽〃)

力石がいっぱぁーい。


ふむふむ。


四角かくかく。

左から「挿石/三十五〆」「三十?〆」「三十三〆」

「〆」=「貫」

1貫=3.75kg


四角かくかく。

手前左から、「力石/四十二〆」「横田/四十〆」「力石/三十八〆」

四十二〆=157.5kg。ぎゃおー。

奥にはまぁるい力石。


文字、読めず残念。


四角い力石って、これを持ち上げたのかなぁ。

玉垣の石を使っているように見えるんですが。


無理でーす。

ところでこちら。鳥居には「歳徳神」の扁額があるのですが。


歳徳神ってこれでいいんだっけ?

神様は引っ越したのかな。

うーん。

狛犬さん達は誰を守ればいいのかなぁ。


いいこ達だー(T_T)


うんうん、いいこだー(T_T)


田村神社
《住所》香川県高松市一宮町286




いつも応援いただきありがとうございます。
讃岐国一宮の風格漂う田村神社の参道では、狛犬さん達がかくれんぼ。お正月か祭礼の日かと思うほど、境内は賑わっておりました。力石って丸くてつるっとしたものかと思い込んでいたら、四角。面白いなー。

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復元された古代山城「屋島城(やしまのき)」へ行ってみた


高松の緑のテーブルといえば、屋島。

いや、屋島って言えば、屋島の合戦でしょ?

のんのん。

今、話題なのは


高さ6mの石積が構える屋島城。

やしまじょう、ではなく、「やしまのき」。


イメージ図。

いわゆる「中世山城」ではなく、古代山城(朝鮮式)

2016年3月に復元工事が終わり、一般公開されたので訪問してみました。


「日本書紀の天智天皇6年(667)11月の条に

『倭國高安城(やまとのくにたかやすのき)、讃吉國山田郡屋嶋城(さぬきのくにやまだのこおりやしまのき)、對馬國金田城(つしまのくにかなたのき)を築(つ)く』との記述が残る。」(※倭國→現在の奈良県、對馬國→現在の長崎県対馬市)



高松市HP「文化財・屋島城」より引用。
https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/4727.html


白村江の戦い(663年)で敗れた大和朝廷が、唐・新羅の連合軍による大陸からの侵攻に備えて西日本各地に築城した山城の一つです。

上記のように『日本書紀』には「天智天皇6年(667)には築城された」と記されるものの遺構が見つからず、まさに幻の城でした。


発見はごく最近。平成10年2月。


「南嶺山上部近くの西南斜面において石積みが発見されたことを契機にして、南嶺北斜面・南斜面で確認されていた土塁と関連することがわかり、東斜面でも同様の地形が確認されたことから、山上部付近の斜面に断続的ながら古代山城屋嶋城の外郭線(防御ライン)が巡っていることが判明した。」(引用は同上)



南嶺に築かれた特徴的な城門を復元。

背後は高松市の街並み。

矢印の所にあるのが、今回復元されたもの。


そう言われましてもー(^_^;)


私もテーブル形の別の峰の先端から警戒中。


道の両端は、崖。


屋島城。もん。


様々な資料から復元してみた排水口。

特徴は、曲線。


面白い形です。

幅5mの城門の入口に、高さ2.5mの段差を設けて敵の侵入を防ぐ朝鮮の築城技術「懸門」だそうです。


城門を、敵が攻めてきた時に対する防御。


日本の後々の城の中でよく見られる「枡形門」。


曲線です。


発掘調査が進むのが楽しみです。

さて。


とーちゃんにぱんちゅを履いて欲しい、子たぬたぬ。

親子がいるのは、屋島城と同じ南嶺にある屋島寺。

四国八十八箇所第84番札所。


麗しい本堂。

鎌倉時代の造営。


修復を重ねているので、彩色が残っています。


こちらは、蓑山大明神。

四国狸の総大将「太三郎狸」と呼ばれる土地の氏神様ですポン。


麓には屋島神社。

1804年に第八代高松藩主・松平頼儀が、徳川家康を祀る社殿の造営に着手。
左甚五郎の六世、五代目の左利平忠能が棟梁となり1815年に完成。
別名、讃岐東照宮。


屋島ドライブウェイに向かう道中に鎮座。


短いあんよの狛犬さんの台座には、葵の紋です。

残念ながら火災により神門以外を焼失。

ナントイウコトデショウ。


神門の狛犬さんがお待ちしてます。

ぜひ。


いつも応援いただきありがとうございます。
屋島城、屋島寺のあるのは、南嶺部分。ぐるりとお散歩できる道が整備されており、あちこちから眼下を展望できますよー。源平の屋島の合戦場も、全体を眺めることができるので楽しいです。何だかんだと見学して、ここで半日を過ごしてしまいました。えへへ。

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十河城跡。十河の殿お手製のクリームソーダ

こんにちは。

わたくし、いん、香川県です。連休を我慢したのはこのためなり。


にゃんこ。

ちゃう。


アメデオ@母をたずねて三千里。

ちゃう。


ロボコン。

ちゃうちゃう。


十河存保の、花押ですのよ、奥さん!!

鼻血が、洪水。


三好長慶の弟が十河家に入り、十河一保を名乗り。
同じく長慶の弟・実休の子が一保の跡を継ぎ、十河存保となります。

時代は信長、長宗我部元親がやって来る頃合い。


十河存保と実兄・三好長治、頑張る。


こんな素晴らしいものを、撮影フリーで見せて下さるのが、


十河様。

※お店の住所です。

最近はネットのおかげで全国から来てくれるの。
ぜひ、紹介してね、との仰せにて。


十河好きにはたまらない、殿の営むオアシス♪

長男は墓守りせよとの家訓にて、定年の数年前からここで趣味のお店を開くべくコツコツと準備されたんですってー。

そらもう、物腰柔らかな紳士でございましたのよ。
あちこちのイベントに積極的に参加されている有名人ですの。


殿の営むお店なりぃ。全体が昭和おもひで館。

建物に向かって左には


十河親子の墓所。


ね。

ここの前に歴史館があり、存保のお手紙等、実に様々なものが展示されています。


遺構のど真ん中です。


テラス席の向こうは、長宗我部と十河軍の戦いでえらいこっちゃになった、堀と土橋。

その皆様の供養のためにお地蔵さんがいます。


あああ、懐かしい緑の液体。

小さい頃、女の子だからピンクにしてあげたよ♪っと、
同じクリームソーダでも緑じゃないのんが出てきまして。

ピンクのんは、風邪薬のシロップの味で嫌だったんだなー。


アイスと液体のハザマの、緑色のしゃくしゃくが好き。

テラス席で遺構を眺めながらいただくクリームソーダは、
底抜けに美味しかったです。

そして、今夜は。

お部屋のお風呂も温泉という、ありがたいお宿で


飲み干した。

間違えました。

ほこほこになりました。


どうやって使うか、わからない子もいるんだろうな。


私はこれがわからなかった。




いつも応援いただきありがとうございます。
十河氏の末裔というご縁で、阿波の天敵・長宗我部さんや、十河存保が戦死した戸次川の戦いの相手の島津さんやらとイベントで仲良し。が、「宿怨は消えた!」と新聞に掲載され、十河さんは笑ってました。日曜日には勝瑞城館跡祭りの武者行列に参陣したり、何かとご多忙な十河さん。
ついつい長居してしまいました。あああ、久々に素敵なおじさまとお喋りしたわぁ。が、資料館にスマホを忘れて、ぎゃー!!っとなって真っ赤な顔して戻ってー。ああ、穴を掘って入り込みたい心地です。

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誉田八幡宮から勧請の誉田神社。お寺と神社は仲良しこよし

こんにちは。


誉田神社。


「誉田神社は応神天皇御斎祀申し上げており当神社の歴史は古く、承和五年(838)虚空蔵院の守護神として仁海院主が河内の国の誉田神社より御分霊を戴き山上に創祀され、明徳三年(1392)に御神託を受け増吽院主により現御在所に御遷宮されたものである。」(境内石碑より)



「讃岐国名勝図絵(巻之一)」に由緒等の記述がありました。


「誉田八幡宮

横内村にあり。 社人二人、社僧松林寺。 祭礼八月十五日
本地堂 阿弥陀如来、安阿弥作
狛犬二疋 増吽作

社記云く、当社は弘法大師勧請して虚空蔵院の鎮守とす。
ある説に、承和年中河内国より高僧来り、同寺に住して、我氏神誉田八幡宮を勧請すといふ。 この地を呼んで誉田といへり。
明徳三年(1392)、八幡大神増吽僧正に託宣あり。 よつてこれを虚空蔵院鬼門に移し奉る。 この神蝮をきらひたまふがゆゑ来らず。 もし洪水の時など他村より流れ来る時はたちまちに死すといへり。


現在の祭神誉田別尊(応神天皇)・気長足姫命(神功皇后)・仲姫命

本地阿弥陀如来」



本殿と摂社。

【祭神】誉田別尊(応神天皇)・気長足姫命(神功皇后)・仲姫命

【由緒】(ざっくりまとめると)

虚空蔵院の鎮守として、河内国(大阪府羽曳野市)の誉田八幡宮を勧請。

明徳三年(1392)、八幡大神の託宣により虚空蔵院の僧・増吽が虚空蔵院の鬼門である現在地へ移した、と。


《松林寺》

誉田神社は、讃岐国名勝図絵の時代には、神宮寺の松林寺があり、本地堂に阿弥陀如来を祀っていたようです。

また、同図絵に松林寺の記載もあります。

「虚空蔵院」の末寺であり、弘仁年間の創建、増吽僧正による再建。
本尊は阿弥陀如来。


こちら、松林寺の名残なのかなー。


図絵の中の「狛犬二疋 増吽作」がものすごーく気になりますが、


この狛犬さんは明治の子。台座と狛犬の石が異なります。

先代さんはどこへ。


・・・ま、いっか。かわいいし。


《由緒、補足》

① 河内の誉田神社ってなんだー。

河内の国の誉田神社」は、大阪府羽曳野市の誉田八幡宮で、応神天皇陵の南に隣接。


応神天皇陵。円墳部が南側。

社伝によると、欽明天皇20年(559)欽明天皇により応神天皇陵前に神廟が設置されたことを創建とし、これにより「最古の八幡宮」を称しています。

ちなみに。
大阪夏の陣の際の真田信繁と伊達政宗が対峙した「道明寺・誉田の戦い」の舞台。


古墳を挟んで対峙。こらこらこらこら。(wikipediaより引用)


② 虚空蔵院ってなんだー。

「四国八十八箇所総奥の院」の名で知られる與田寺(よだじ)。

山号は醫王山、院号は虚空蔵院。真言宗善通寺派別格本山。

天平11年(739)開山は行基。後に空海が宗派を真言宗、寺号を神宮寺に改めます。

13世紀後期、増吽により中興。
後小松天皇より「虚空蔵院」の院号を下賜され、1000を越す末寺を有する讃岐国屈指の大寺院に。


ふふふ。


讃岐の木鼻の龍は、元気だなー。


お顔のような気がするの。


瓦の文字、何だろう。與田寺(よだじ)の「與」?


かわいい・・・( 〃▽〃)





ずらーり。


こちら方面で知った地神さん。

地神信仰については、こちら
→→→「地神信仰と地神塔」
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-353.html




どのおうちがいいかしらー?


石の祠にも、いろんな形がありますのね。


うーん・・・。


なぜならば。


これが 落ちてた 置いてあったから。



ふらりと立ち寄った誉田神社ですが、由緒を調べたらとても興味深いお社でした。


狛犬さん達も、すごく元気。

誉田神社、おしまい。


誉田神社

《住所》香川県東かがわ市横内307




いつも応援いただきありがとうございます。
記事を書きながら、そうだ、羽曳野の誉田八幡宮へ行こう♪の気分。今年も歴女の皆様がウキウキしながら来てるのかなー?ふらりと立ち寄った誉田神社は、四国八十八箇所巡りのお寺と密接に関わっていたのですね。四国の神社、面白いなー。狛犬さんはかわいいし。ふふふ。

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誉田神社の狛犬さん。東かがわ市。

こんにちは。


津田石清水神社から白鳥神社に向かう道中にあった神社。

ここへ至るまで


津田の松原で散々腑抜けになって


途中の道端でも、海を見つめて腑抜けになって。

青い海は私をダメダメにするのだわ。ほほほ。


こっちが正面。


河内の誉田八幡宮と繋がってるのかなー?


狛犬天国♪


かもねぎとは失礼なっ。


お賽銭でご勘弁。


いやぁん、かわいい~( 〃▽〃)


ぺったんこなお顔でも、かわいい。


吽ちゃん、お顔が線書きです。ぷ。


尻尾に石工さんは集中したらしい。

かわいいなー。


トド・・・。


ひゃくごまんえん。

おおお。


狛犬さんは神社のために頑張っています。

このあと私は由緒書きを探して右往左往。


つづく


誉田神社

《住所》香川県東かがわ市横内307



地図で見ると全然移動してない。へへへ。


いつも応援いただきありがとうございます。
通りすがりに立ち寄ったので、どの辺りだったのかさっぱりわからず。地図で探しましたわ。おほほほ。近年、社殿の改修でも行ったのか、奉納金額と氏名を記す石柱が真新しく立派です。大勢の氏子さんがおいでなんだなー、きっと。大切にされているお社、いいなー。

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津田石清水神社。社殿の彩飾と黒神馬

こんにちは。


狛おおかみのいる津田石清水神社。


「道の駅津田の松原」の駐車場から入ると、この鳥居。

こちらは「津田八幡宮」の名前になっています。


ここにも、お鏡餅。

手水が小学校の蛇口みたいなこれ、好き。清潔。


お詣り。


こんにちケロ。


縁の下の力持ちケロ。


かわいい狛おおかみさんとご挨拶して


でっかいんだよなー。この辺りの木鼻の龍くん。


腰から上がにょきーっと出てるんですもの。

龍の腰?どこ?→→→ふぃーりんぐです。


外見からして木目だけの社殿かと思っていたら


何やらにぎやかしい。


天井の絵。

牛?きりん?上は獅子と狛犬かなー。


天井の梁の装飾。

お花など、細かい模様が残っています。


壁面には三十六歌仙と四十七士。

高松藩主・松平頼重が和歌好きだったからかしら。
(頼重の建てた白鳥神社の宝物の一つに三十六歌仙の絵あり。)


名勝図絵と同じ配置。


社殿の背後に鎮座する、裏山社。

「ご神体である裏山の護り神」(現地説明表示)を祀るお社。


讃岐国名勝図絵(嘉永7 《1854》年刊)の津田八幡宮。

安富氏の雨滝城の鬼門守護のため、雨滝山麓に鎮座していた津田八幡宮です。


小さな石の祠たち。


私が傾いているのか、祠が傾いているのか。


小さな小さな石仏様。


どちら様かしら。こんにちは。

讃岐国名勝図絵に描かれながらも、明治に廃された神宮寺である常勝寺の名残かなぁ。


なんだこりゃ。


自主規制発動っ。


誰。牛か?


すんません。神馬さんでしたか。

おほほほ。

神馬舎の前には、この子。


うんうん。またね。またね。


賑やかな屋根だなー。


逆立ち狛ちゃん。


この門の屋根でした。帰りに気付いたの。へへ。


海まで真っ直ぐに続く参道。

夏至の日の出が正面に来るそうです。


津田の松原を横断する参道の先端は


ここ。


お旅所です。

夏至の日の出、ここから昇るんだろうなー。


青い空、青い海を見ると腑抜けになって


ふりだしに戻る。

津田石清水神社、おしまい。



津田石清水神社

《住所》香川県さぬき市津田町津田106


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広大な松原の中に鎮座しているので、とても広々として気持ちのいい神社でした。このあと道の駅のうどん屋さんで、讃岐うどーん。安くて早くて、ちゃかぽこした旅にはうってつけ。思いがけず狛おおかみさんに会えたし、拝殿の内部は見事だったし、満足満足。

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津田石清水神社の狛おおかみ

こんにちは。


津田の松原の中を真っ直ぐに通る参道。


段差のないお詣りしやすいお社です。


とっても男の子な阿ちゃんと


見事な歯並びの吽ちゃん。


ここは、津田八幡宮。現在、津田石清水神社。

本日はただひたすら、狛犬さんを愛でてくだされ。


あらやだ。かわいい阿ちゃん。

こんにち・・・


はい、何でしょう、吽ちゃん。


うんうん、よかったね。

阿ちゃんとお話するから、マテ。


おおかみ?

狛おおかみといえば


但馬の養父神社で会いました。


勇ましいお顔と格好でしたが。


かわいい・・・。


二人のあんよが違いますね。

この子はぶっといあんよです。


え、狩るの?狩っちゃうの?


まさに、わんこ。


素敵♪


確かに確かに。


惚れるわ~( 〃▽〃)


こらこら。叱られるよ。


え。


・・・食べたいんかい。

見事な巻き尾です。くるりん。


こちらは、立尾。

で、誰が焼くの?




吽ちゃん、ふぁーいとっ。




津田石清水神社

《住所》香川県さぬき市津田町津田106


いつも応援いただきありがとうございます。
THE・和犬。かと思ったら、日本おおかみさんでした。丸いお顔の狛犬さんが多い中で、凛々しいお顔の狛狼さんに惚れ惚れです。海辺の神社になぜおおかみ。暑い日には泳ぎに来るとか、魚を捕りに来るとか、何か関連があるのかなぁ?

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津田石清水神社の由緒。雨滝城と干ばつ

こんにちは。


津田石清水(八幡)神社。古くは津田八幡宮。


讃岐国名勝図絵(嘉永7 《1854》年刊)

山の上には、古城。

これは、雨滝城。

「築城年代は定かではないが長禄年間(1457年~1460年)安富盛長によって築かれたと云われる。 安富氏は播磨国三ケ月郷を領していたが応安年間(1368年~1375年)頃に細川頼之に従って讃岐国にきた。

元亀3年(1572年)安富盛定の時、三好長治の家臣篠原弾正入道紫雲の女を娶り三好と誼を結んだ。 元亀3年(1572年)東讃に勢力のあった寒川氏は三好氏によって虎丸城を追われ、昼寝城に退くと、虎丸城には盛定が移り雨滝城には家臣六車城主六車宗湛が移った。」

(「城郭放浪記」様より引用。)
http://www.hb.pei.jp/shiro/sanuki/ametaki-jyo/




広い広い境内です。

図絵によると、津田八幡宮の右横に神宮寺である常楽寺。



ちびちゃん、常楽寺はどこにあるのかしら?



明治の神仏分離の折りに廃されて、現在は小学校になっています。



ものすごく前のめりなおねだりです。

いやん、かわいい。



はいはい。かわいいかわいい。



創建は不詳。

諸説あり。
・承平6年(936)8月、多和郷の産土神として神野の地に創祀。
・天暦4年(950)3月、山城国石清水八幡宮の分霊を勧請。
・承和元年(834)、宇佐八幡より奉遷勧請。など。

現地説明書では、この通り。


(クリックで拡大)

雨滝城の鬼門守護のため、安富氏が石清水八幡を勧請し、雨滝山麓に鎮座していた、と。

雨滝城の主が安富氏から三好氏等へ代わっても、八幡さまは崇敬を集め大切にされていました。

が。

四国と言えば、長宗我部ファイヤー。



社殿焼失。

文禄元年(1592)8月再建。

文禄4年(1595)。生駒親正が讃岐国へ17万1,800石で入封。

(この頃、各地で大地震が頻発するなど不安定)

慶長年間(1596~1615)干ばつが相次ぎ、里人は灌漑水に窮して生駒親正に溜池の新設を願い出ます。

溜池の候補地になったのが旧八幡社の境内。

境内の周囲の池を合わせて新池を築いて「御座田池」とし、八幡社は、慶長5年(1600)に現在地に遷座。



明治4年。津田八幡宮から津田石清水神社に改称。



きゃー!誰ー!



美形、キターーーーー!( 〃▽〃)!


つづく。


津田石清水神社

《住所》香川県さぬき市津田町津田106

神社の南西に雨滝山。


参考文献
『再訂 津田町史』 (津田町/1986)



いつも応援いただきありがとうございます。
雨滝城とセットであった津田八幡宮。讃岐国名勝図絵の時代には、雨滝城は「古城」と描かれ、津田八幡宮は神宮寺と共に広大な松原の中に鎮座する様が見開きで描かれ。なんとも興味深い場面だなぁと思いました。さて、次は、美形さんの出番。うふふ。

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津田八幡宮(石清水八幡神社)門前の狛犬、すごく雄

こんにちは。


青い海から


津田の松原の中をまっすぐ延びる参道。


ここはまだ中間点。


津田八幡宮、現在は津田石清水八幡神社。


元気な狛ちゃん。


とっても男の子。


手作りのかわいいお鏡餅。

訪問日は1月9日。


スリーサイズは、100・100・100かしら。

ぼんぼんぼーん♪の、癒し体型です。うふふ。


ちっちゃい尻尾~(*^^*)


いー?


あれれ?お顔がよく見えません。


頭にちっちゃい角。


う、うおっ。

ばばんばばんばんばーん♪歯ぁ磨けよ~♪


自分で磨けよー。


よかったね。嬉しいね。


ぼんぼんぼーん。


ニョロニョロとか、バナナとか。

そんな感じの尻尾。


散歩する狛犬もまた一興。


讃岐国名勝図絵(嘉永7 《1854》年刊)

すごいなー。松原の中に埋もれてるよー。

さて、中へ。


はいはい。

つづく。


いつも応援いただきありがとうございます。
たまーに、立派な男の子の狛犬さんがいますよね。ちょっと照れちゃう。吽ちゃんの、くしゃん、っとした鼻先。壁に激突したのでしょうか。うふふふ。かわいいお鏡餅は他にも手水舎や拝殿前の狛犬さんの前にもありました。ひとつひとつ手作り。とても大切にされているんだなーっと、ほっこりしました。

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津田の松原と津田石清水八幡神社。狛犬豊作。

こんにちは。


海が好き。


ただいま、ふぬけになっております。

ぽー。


おや。溺れてるのかと思いました。


一心不乱。


うふふふ。

ここは、


まさに白砂青松。るるん♪


お散歩するのに最適です。


古い松には七福神の名前が付けられています。


樹齢600年以上ですって。


はて?

ぐりっと180度向きを変えてみると


ふむ。

てくてくてくてくてくてくてくてく。


「石清水八幡宮」ですって。

てくてくてくてくてくて。


おっ。狛ちゃん♪


男の子。

てくてくてく。


ちびちゃん♪


うんうん、おっきいね。

てくてくてくてく。


まだいたー♪


ぽっ。


あれ?

狛犬さんが豊作なこちらは、



古くは津田八幡宮、現在は津田石清水八幡神社と呼ばれるお社です。



往古には津田から白鳥に至る道端の松並木程度であったこちら。

常楽寺の住僧が、燃料用または防風林としてあちこちに植林。

さらに。

生駒親正の時代、慶長5年(1600)3月に津田八幡宮が常楽寺の隣接地に遷座した時に、氏子たちにより大規模な植栽が行われたのが始まりといわれています。



尚、津田八幡宮の神宮寺の常楽寺は明治2年、神仏分離のため廃寺に。



愉快な津田八幡宮、スタートです。


いつも応援いただきありがとうございます。
うーみは広いな、おーきーぃなー♪
ぽかぽかお日様の下で青い空と青い海を眺めていると、ふぬけになってしまいます。早起きして一気に讃岐まで走ったので、ここで眠気が。海が見たくて仕方がなかったので、満足満足なのでした。

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プロフィール

つねまる

Author:つねまる
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