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戦に中立はありませぬのよ…姫路の松原八幡神社

昨日の官兵衛紀行は加古川市。

大阪市内は通勤圏内。新快速でびゅーんっと。
って、どこなんだ?

こんな感じ。

地図を見ると、ぶちぶちぶちっと、ため池がいっぱいあります。

兵庫県はため池数43000箇所で、日本一。
二位の広島は20000なので、倍以上。特に東播磨・淡路島に集中(平成21年調べ・兵庫県HPより)。

2000年前の弥生時代には既にため池が作られており、稲美町の天満大池の元は675年築造の記録も。

瀬戸内海気候で雨量が少ないため、新田開発の集中した江戸時代から明治に現存のため池が作られました。


さて、大河ではいよいよ秀吉の毛利攻めが始まります。

官兵衛紀行で、多くの僧兵を抱えていた鶴林寺は、官兵衛の説得により秀吉側についたので無事でした、と紹介されました。

しかし、そんな方々ばかりではなく。


ということで、今回は「灘のけんか祭り」で有名な松原八幡神社をご紹介。御輿がごっつんこするお祭りです。

場所は…

官兵衛新居の妻鹿(めが)から東へ二つ目の駅です。


増井山は、官兵衛の叔父・休夢様が守る有明山城のあるところ。


現地ご案内。



由緒はとても古い。しかし。


三木合戦のとき、双方から応援要請。迷う。ここが思案のシドコロ。


別所、怒る。


秀吉も、怒る。

所領地没収するでよー!!

そこへこの人登場。





官兵衛、頑張った。おかげで無事だった…。

そんな松原八幡神社。


1679年建立。

















建て替え前は、官兵衛の寄進した拝殿を絵馬堂にしていたものだったそうでして。残念。


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《姫路》官兵衛パパの眠る妻鹿

妻鹿城(国府山城)址から、ほど近くの住宅街のど真ん中。


右奥に見えるのは、妻鹿城のある甲山。





パパ、職隆様の廟所。


御着城址近くでは、こちらにお参りしました。


祖父・重隆と、母・明石氏の廟所。



妻鹿も御着も、確かに官兵衛と家族が暮らしていた土地なのです。

それを忘れず、福岡藩主となって幾星霜を経てからも己のルーツである土地に廟所を建てる官兵衛子孫に、なんだか、きゅん、となったのでした。


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《姫路》どうぞどうぞ秀吉様。我々は妻鹿へ引っ越します!

姫路市飾磨(しかま)区妻鹿


姫路城と御着城の間に流れる市川の下流域にあります。

太平記の時代、妻鹿孫三郎の居城「国府山城(こうやまじょう)」のあった甲(かぶと)山。


姫路城を秀吉に譲り、官兵衛親子はここへ引っ越します。




麓にある石碑。「黒田」さんも寄贈に参加させられた




姫路南ライオンズクラブ様の意地。


石碑の横



「こうじんじゃ」

奥津彦命・奥津姫命が祭神。甲山(ここの山、ね)経塚から出土した二仏の泥塔がご神体らしく。
荒神さんは、かまどの神様、ね。

ここの右側が国府山城登山口。え、登山?えー?






満足して引き返す。
城跡まで徒歩20分らしいけど…引き返す勇気も必要よ。
(負け惜し…まないもんっ)


姫路城よりも、海まで近いので毛利水軍の動静がよく見える。

さらに。

この辺りは濃尾平野クラスの平野なので、山上からは、小豆島(南)、英賀(西)、姫路城(北)、広峯山(増井山も!)が、よぉーく見えるらしい。

休夢様のおうち、増井山と峰続きの有明山城からは市川の流れが眼下に広がり…

市川が蛇行してるのですが、妻鹿は右方向。



甥っ子からも、お山がよーく見えるのです。

市川でつながるラブラブ一家♪
実際、現地に立って、広峯山や増井山が見えてびっくりしました。



近所の丘まで山城に見える病気。



ほーっこり♪


あ。妻鹿は、黒田様命!!の、母里一族の所領でした。


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《姫路》亀山本徳寺で新撰組と本願寺さんを思うカメ

はい、本堂!









とにかくお参りしなくては。


つい、お焼香をてんこ盛りしました。けほ。




この本堂は、1873年に西本願寺から移築された建物です。
西本願寺では、北集会所、として使われていました。

壬生の屯所に移るまでは、新撰組の屯所でした。

なので。


ここには…




なんやろねえ、ストレスたまってたんかねぇ。


さあて。

矢印の方へ行きます。
あ、トイレ行きたい方はつきあたり左の扉です。


今、歩いてるのはここ。

どすどすどすどす。


中庭にはこんなんが。

500年前、とある山の僧兵ご一行に強奪されたので、門徒衆が命をかけて取り戻した!そうだ。



こちらの建物は大広間とか控えの間とか食堂などがあるようで。

さ、戻りますよ。



あ。

私ってば、聖域→俗世→聖域?


本堂に戻る手前の中庭に。




そんなここは、かめ山本徳寺~(*^▽^)/★*☆♪



・・・・(ノ-_-)ノ~┻━┻


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《姫路》英賀御堂はとても重要な土地なのだ

浄土真宗の中興の人で本願寺第8世の蓮如ですが。


1515年に本願寺直営の英賀本徳寺(英賀御堂)が落慶された時は、蓮如の子「実如」の時代。

実如は、布教の根回しに播磨国守護の赤松氏へのプレゼントも忘れません(名馬を贈った)。

西の拠点として重要視。
英賀本徳寺には、実如の子、実円が下向してきます。



当時の地形は、こう。

(亀山本徳寺パンフより)


現在の地形と比較。

(亀山本徳寺パンフに加工)

囲んでいるのは、堀と土塁。


一方、英賀には鎌倉時代より砦が置かれ、播磨の守護職赤松氏一族、後、三木氏(門徒)の英賀城が既存。


当時の地形の通り、そのまんまでも要塞です。
ここにさらに自然の地形を利用した堀と土塁を築造。

播磨灘に面した絶好の港湾機能に加え、河川を利用した物流も容易。


英賀城と英賀本徳寺のもと、英賀の町は、城下町と寺内町の共存した堅固な場所として発展していきました。


英賀城の名残

土塁。

遺構。

太鼓楼。


信長は、石山本願寺との攻防に四苦八苦しながらも三河・越前・近江・伊勢長島の一向一揆を壊滅させます。

東からの陸路による援軍と補給路を断たれた石山本願寺は、西からの海路に頼ることになりました。

英賀はますます重要な地となったのです。


瀬戸内海は一向勢力が支配中。


毛利は村上水軍を中心に、石山本願寺への輸送路である木津川へ上る大阪湾で信長軍を撃破。



そのころ信長は…

しかし、九鬼水軍に鋼板武装させた信長軍が、木津川口で圧倒的勝利をおさめると、瀬戸内海の制海権は信長側に移ります。

こんな背景があって、秀吉の播磨侵攻が可能になったのです。


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《姫路》英賀御堂だった亀山本徳寺の境内

石山本願寺の西の拠点、英賀。

秀吉が来て、戦の舞台になります。

その秀吉の懐柔策により、英賀にあった「英賀本徳寺」(英賀御堂)は亀山に移され「亀山本徳寺」に。



大門。


外から中が見えないように目隠し。
ここはT字路つきあたりのため、車が突進してくる、らしい。


絶妙。





ひろーい。


ひろーい。





ここの前には

播磨には古墳が多くて、石棺再利用の手水鉢とか石仏とか、ある。
石棺を立てて、底に仏像を彫る。はい、できあがりー!
えーのか?



除夜の鐘はご自由にどうぞ。

なので、108じゃ足りないらしい。
煩悩を増やしてどうする…(T_T)


さて、前身の英賀では石山本願寺の西の拠点として信長に抵抗したこの亀山本徳寺。

戦国時代の遺構があります。


敵の襲撃を太鼓を鳴らして知らせます。
でかーい太鼓、在中。

お城の天守閣は、この太鼓楼をヒントに考案されたそうで。


素敵である。


では、本堂へ参るぞ!


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《姫路》亀山本徳寺っていうとこがロケ地だったので

播磨ドライブ。ぶんぶん。


大河第10話にて


特に「英賀御堂 毛利の本陣」の文字のところ。
最新の技術はすごいなあ。横が正面になってた。


左から宗勝がドスドスと歩いてきて、どーんっと座った。


ここなら大勢の収容オケー。



大河第9話にて


門徒衆が熱心に祈ってた。


奥から顕如様がご登場。

実はつきあたり左に見える扉はトイレなのだ…。



同じ場所では、昔はこんなのも



なぜならここは、




次へ続く。


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英賀神社の絵馬さんたちが愉快なので



面白かったので、少し紹介。








加藤清正君の虎退治


右上端が御所で、何かの祭礼図。「太閤」の文字も。なんだろう?


源平合戦かなあ


源平合戦で入水した建礼門院を掬い上げるところ。


天の岩戸。


英賀神社祭礼の図


二見の夫婦岩に行ったらしい。


亀。

絵馬、愉快。


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英賀城土塁の残る英賀神社

大河第10回「毛利襲来」の地、そして官兵衛紀行で紹介された英賀。

鎌倉時代には砦が作られ、室町時代は播磨の赤松氏一族が守り、三木氏が城主となり発展しました。








1667年の銘がある手水鉢。








絵馬だらけ。





さて、ここへ何を見に来たかといえば・・・

テレビに出た英賀城土塁です。










英賀の町全体にはこのような石碑や、堀の名残があるそうです。


近くに、英賀の湊の跡。

今は海なんて遥か彼方です。

ぜひ地図を検索してみてください。


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御着城址と黒田家廟所



御着城跡は、公園に整備されてます。

しかし、埋文センターの人が「あのう…ほんとにちっちゃい公園ですから…」と、みょーに恐縮されてた御着城跡公園。

…どんぐり広場!?


(現地案内図より)

御着城は、自然の川を何重にも堀に利用したお城でした。

(同)

中では町内会の人がお揃いの服着て、小学生さんが説明してくれます。
途中で話しかけたら「…あれ?」っとなっちゃいます。
ご、ごめん(^o^;)






黒田家の家紋(黒田藤巴紋)は、官兵衛が有岡城に幽閉されてた時に心の慰めになった、藤の形だそうで。

下がり藤とかもあるのに、なぜクルクル回したのか。
官兵衛、すてき。


「朱漆塗合子形兜 黒糸威五枚胴具足 小具足付」
兵庫のゆるキャラ、はばタン風にしてみた。


本物は福岡市博物館にあります。具足は中身の人と異動したのですな。

ただし、兜は、官兵衛臨終時に栗山利安(善助くん♪)に贈られ、黒田騒動で息子の利章(栗山大膳)が盛岡に追放になった後、盛岡城主に献上されたので、もりおか歴史文化館にあります。

すぐそばに、黒田家廟所。


向かって左がじいさま(黒田重隆)
向かって右が母上様(明石氏)

何故にじいさまと母上だけが並んで…?
いけない恋ですか…?

実は、この近くに家老屋敷があったので、じいさまはそこで亡くなったそうです。(すっきりした~!)
一時は廃れていたのを、1801年に福岡藩藩主の黒田斉清により福岡から運んだ石で再建されました。

廟所の門には、黒田家家紋の藤がくるんくるん、が二つ。その、真ん中に、なーんにも模様のないただの、丸、が、ひとつ。

これは、竹中半兵衛の家紋「黒餅」です。
弊社謹製鏡餅

とある戦で弓に貫かれた半兵衛。しかーし、懐に持っていた餅のおかげで無事でした!!な、とこから、半兵衛んちの家紋がこの餅…「黒餅」になったとさ、なのです。

ネタバレるので詳細は省きますが、半兵衛に恩義と友情いっぱいな官兵衛は、黒田のくるんくるん藤紋とこの黒餅紋を使うように定めました。

廟所の門は、紋が立体になっていたのでまさにこんな感じ。



義理堅い話。


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