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舞鶴港。母は待つ、引き揚げ船のお話。

こんにちは。

終戦の日にあたり、舞鶴引き揚げ港の話を再掲。



舞鶴港。大戦中は海軍の軍事拠点として重要な場所でした。
日露戦争時の艦船は全て舞鶴港から出港。

しかし、第二次大戦後の舞鶴港は全く違う役目を負います。



昭和20年(1945年) 第二次世界大戦が終結。

旧満州(現・中国東北)や朝鮮半島をはじめ南太平洋など多くの国や地域に約660万人もの日本人が残されたまま。



これらの方々を速やかに、しかも一斉に日本へ帰国させなければなりません。
「引き揚げ」事業の開始です。



昭和20年9月、舞鶴・浦賀・呉 など全国で10港が引揚港に指定され、帰国者の受け入れを開始しました。



舞鶴は主に旧満州や朝鮮半島、シベリアからの引揚者・復員兵を迎え入れる港となります。



昭和20年(1945年)10月7日に最初の引揚船「雲仙丸」が入港。



その後順次他の港が指定港の役目を終える中、唯一、舞鶴港は最後まで引揚船の帰還を迎える役を担います。

最後の引揚船の入港は、昭和33年9月7日。「白山丸」。

13年間に渡り迎え入れた引揚者・復員兵の数は約66万人。




舞鶴市では引揚船が入港する度に、湾内の定期船を チャーターして、引揚船近くまで乗り入れ桟橋へ輸送(船が大きく着岸不可)。

引揚者の帰郷に際しては、沿道歓送、湯茶、ふかし芋の接待を行い、市民こぞって、引き揚げてきた人々を勇気づけました。


お若い方はこの歌をご存じでしょうか。

「母は来ました。今日も来た。この岸壁に今日も来た」

遥か彼方のシベリアから、息子は必ず帰ってくると待ち続けたお母さん。実在の人物をモデルとしたこの歌。

引揚船が入港する度に遠い自宅からはるばる通い続けた。
一緒に待っていた人々の姿がなくなっても、一人待ち続けた。


「届かぬ願いと知りながら」


「もしやもしやに もしやもしやに 引かされて」

息子の死亡通知書を受け取っても、「必ず帰ってくる」と亡くなるまで信じ続けたお母さん。


ナホトカは遠い。


この記憶を残し伝えるため、舞鶴引揚記念館が作られました。

パネル展示だけではなく、シベリア抑留時の記録(全て没収されたが奇跡的に残った)、実際に使っていた道具、薄っぺらい防寒具等の品々が豊富に展示されています。

※現在改装工事中


敷地内には各部隊や遺族会の記念植樹が多数あります。

最後に、引揚記念館の碑文を。

(クリックで別窓拡大します)



この記事をアップした当時に「この話は嘘だ」とのご意見があり、それについてお返事しました。
再掲にあたり、続きを読む、に掲載しています。


他の方はどうか知りませんが、今日は戦争を云々とか、政権がどうだとかを論議したくはありません。名古屋空襲や沖縄戦で他界した者も身内におりますし、家を必死に守った祖母と母のことを偲びたく存じます。
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さて。今日は、母の誕生日。

まったくもう。祝ってもらおー♪って帰ってくるみたい。

終戦の日でお盆で、しーんっとなっている日に「おめでとう」。
毎年、父のビール、わんこのおやつ、母のケーキが並びます。
お線香とろうそくと、かわいいキャンドル。もぉー。


そして、母の命日は元旦。まったく困った親でございます。

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田辺藩主のお好みwater。宮谷神社の吐月水。

こんにちは。


東舞鶴湾の向かい側は、大浦半島。見えるのは多禰山。


ここは、引き揚げ船が入港したところ。

この橋の「クレイン」とは「鶴」という意味らしく。
大浦半島の博奕岬に石炭火力発電所を作るため、関西電力が工事用道路の一環として作ったとか。

あほー。電気代、安くしろぉー!(←切実)


ぷりっけつ狛犬さんのお社へ行く途中の


いや、落とし物よりもっと手前の


佐波賀に鎮座する宮谷神社。


海には、蛇島・烏島。

蛇島には城跡があり、城主は下志万七郎左衛門(『田辺旧記』)。

下志万氏は、京都府の舞鶴湾を拠点に活躍した水軍。
当時の水軍は舞鶴湾沿いに根城を持っていました。

「蛇島城主光孝天皇二十九代末孫下志万七郎右衛門助景丹波国何鹿郡志万庄より当国に来る時代不知」(『丹後国加佐郡寺社町在旧起』)(wikipediaより)。後に没落。



1570/永禄13年4月29日。
信長は越前朝倉義景の討伐の兵を起こしますが、それに先駆け、丹後守護の一色義員は丹後水軍数十艘を率いて越前金ヶ崎を攻めます。
しかし、この時信長勢は後詰めの羽柴秀吉に護らせて敗退。

続いて、天正3年8月。一色義員の加佐水軍が田辺を出帆し、10月下旬、間和泉守・筑前守頼照・松浦法橋ら越前一揆勢を攻めます。

この加佐水軍の中に、矢野藤一郎光長(田辺城代)、大島但馬守長光(田中高屋城主)等と並んで、櫻井豊前守左吉郎(佐波賀城主)の名前が見られます。
この功績により、義員は信長より改めて丹後を与えられました。


山城があったらいいな、と思いつつ。

宮谷神社は、佐波賀氏の氏神だったようなのですが、詳細不明。
とりあえず、舞鶴湾には水軍がいて、そこそこ活躍した、と。

ご勘弁。


「田辺藩名水吐月水」です。

田辺城城主の牧野英成(ひでしげ)が茶堂を建てて船で通った程に惚れ込んだ名水とか。
歴代の田辺藩主にも名水として好まれ、この名水に「吐月」と命名。


今も湧水があります。


茶を煎れた程なので真水だとは思うんですが、時節柄、えんりょ。


落とすわけにはいかないですもの。


こじんまりとしたお社です。


ここの狛犬ズも、正面を向いてます。


やめといたー。


ちび狛ちゃん、ラブ♪


かーちゃん、待って待って。


ごめん。


力石にしては小さいの。


冬は雪国。


丹波・丹後地域に散見する扇形の拝み石。


本殿が味わい深くて、お気に入り。


このようなお社を見ると、神社ってでかけりゃいいってもんじゃないなーと思うんですが。


かわいい龍でも、なんか好き。


ウフフフフ。


地域の人に大切にされているのは、とても素敵なコトナノダ。


「?」王権現、と書かれた扁額を見つけてしまったー。

いやーん。何かしらー?

蔵王権現?



・・・見なかったことに。



いつも応援いただきありがとうございます。海が目の前なのに淡水が湧くので、珍しいぞっと思ったのかな。確かに見た目はきれいなお水でした。田辺城といえば、細川幽斎様の籠城ですが、江戸時代は牧野氏が藩主。地道にこつこつ。楽しみが船で対岸に渡って、「ちゃーしばこかぁー(お茶にしましょ。※大阪でも誰も言いません)」とは、なんて慎ましい。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

狛犬7組集合。舞鶴市の朝代神社でうはうはー。

こんにちは。


舞鶴市の朝代神社。

ここはなんと狛犬7組。うはーうはー。


1組目。正面を向いた狛さん。


2組目の阿呆、じゃなかった、阿ちゃん。


2組目の吽ちゃん。


おつむがとってもかわいい。むにゅっと。


赤い両部鳥居を抜けると


あらやだ。汗で壁が崩れて、素っぴんでございますわ。


左折して、参道。

突き当たりが、


お隣、です。


右の石段が朝代神社の本殿への道。


ここはまず、本殿へお詣りを。


3組目は舞鶴市内最古という狛さん。崩れて気の毒。


拝殿前にも、お待ちかね♪


4組目の「がぉ」と、5組目の「ん~ん♪」狛さん。
奥の5組目の子は、正面を向いた上に阿吽が逆。


4組目の子連れちゃんと、5組目の「枝がいやぁ~」な狛さん。


本殿と拝殿の間にはー、


6組目。おまわりさーん!変な子、いまーす!


ものすごく嬉しそうに覗き見してます。

奥の赤い子が、7組目の神殿狛犬。
・・・撮り忘れましてんっ( ノД`)…アツクテネ~


6組目。叫ぶ狛さん。


おっきな口を開けて吠えてます。そして後ろが神殿狛犬。


この子達、絶対にかわいいっ(≧∇≦)

お顔が見たいなー。ぜーーったいに、かわいいのになー。

さて。先程のお隣は、というと。


真っ赤っか。


うーむ。ここは何だろう?


困った。


お手上げでーす。

なぜなら、ここをさらに進むと、


円隆寺に入ってしまうのです。


(クリックで拡大)※北は右

地図を見ると、東に細川幽斎が籠城した田辺城跡があります。

この円隆寺。一見、朝代神社の神宮寺のようですが、取り敢えずそうではない事だけお伝えしまして。

詳しいお話はまた後日。



いつも応援いただきありがとうございます。神殿狛犬さんは後で撮ろうと思ってたのに、すっかり忘れてました。でも、7組も色々な狛犬さんに会えたので、ほくほくです。やっぱり狛犬ちゃん巡りは楽しいですねー♪暑くても、へ、へ、平気だわっ。
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舞鶴市の朝代神社。不審犬発見。おまわりさーん。

こんにちは。


ここは、東舞鶴。


西舞鶴の愛宕山山麓に鎮座する朝代神社。


凛々しい狛犬さんに迎えてもらい、ほくほく。


ええ、ほんとに暑いです。こんにちは。


知らん。


二人の間を隔てる障害物です。


何かの除幕式のようで。


この狛犬さん達、とても細かい細工なのです。


手元のボール、透かし彫りで。


参道を進むと、舞鶴市内最古という狛犬さんがお出迎え。


あらやだ、狛犬ちゃんがいっぱい♪っと小躍りしながら


まぁ、素敵な装飾の本殿ねーっと拝見していたら。


怪しい犬影発見。

もし?


おまわりさーん!


変なわんこがいまーす!


不審犬です。

真剣に覗き見してます。まぁ、たいへんっ。


すみません。すみません。



いつも応援いただきありがとうございます。真正面に設置された仮設テントが邪魔で邪魔で。んもぉー。鳥居の横の狛犬さん達、テントと比べていただくと判るように、台座だけで私の背をはるかに超えてまして。ということは、お日様に向かって顔を上げないと挨拶出来ない高さに狛犬さんは、お座り。くらーっとしました。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

賢い狛犬と新日本海フェリーin舞鶴

こんにちは。


外地からの引き揚げ船が入港した舞鶴港。

さて。昨夜は贅沢して舞鶴でお泊まり。


新日本海フェリーの乗り場が見えるお宿にしました。えへえへ。

舞鶴に21時15分に入港して、0時30分には出航する新日本海フェリーは、約20時間で舞鶴と小樽を往復してます。

出航を見たかったけれど、撃沈。


早朝。カーテン開けたらまだおった。あれ?

たまたま運休だったようです。らっきー♪
夜に乗船して夜に下船するので、昼間の姿は見たことがないんです。


新日本海フェリーは、舞鶴⇔小樽と、敦賀⇔苫小牧、がありまして。

敦賀便は数年前に出来た新造船で、なんと露天風呂まであるんですよー。うはうはー。


日本海を北上するけれど、お船が大きいので快適です。


今朝は既に36度からのスタートでした。ぐへぇ。

今日のお目当ては、この子。


拝殿の屋根工事中だったので、背景は残念ですが。


テストが出来るだけのオツムではなく、ほんとに賢い子の顔をしてませんか?


鼻血が流出しそうです。

ぐあぁー、それにしても舞鶴は暑かったです。
夏の日本海側の酷暑、忘れてました。


お社の木鼻の狛さんも、こんなんなってました。


関西も、梅雨明けしまして。


今年はいつ夏休みをとろうかなー。


この二人の妖艶なおしり。

実は、灼熱の中の参拝で。頭で目玉焼きが出来そうな暑さでー。


どこぞのお寺の木鼻の龍も、カメレオンに変身するほど。




相方狛犬ちゃん。ちびってる。絶対。


す、すみません。ほんと、すみません。


いつも応援いただきありがとうございます。いやぁ、暑かったです。ご心配戴きました熊野旅行なう!の名古屋の親友ちゃんは、私が三日かけて廻るところを頑張って一日で探検してました。阿弥陀寺の帰り道で、車酔いしながら眠くなったそうで。ダル?ねぇ、ダルに取りつかれた?と。いやそれは、年をとって疲れやすくなったんだよ、とは中々言えません。ふふふ。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

ぷりっけつ狛犬ちゃんラブ。舞鶴市でうっとり

こんにちは。



おうちで腐ってるのも何なので。ちょいとドライブ。


舞鶴の小さなお社なのですが。


やっぱ、これでしょー。


えー?


ええー!?


少しだけ隠してあげました。


はいはい。


千里眼の持ち主ぽいこの子は~


ぷりっとな。


操だなんだと言っているこの子は~


かわいいっ。


たまりません。


ここの狛犬ちゃんとこの子はセットで。

※狛犬ちゃんの落とし物ではござらん。


明日の海の日、ささやかながらお祭りなんです、と地元の方からお伺いしました。屋台が出るんですってー。

実は。


本殿が開いていてびっくりしましたの。おほほ。



いつも応援いただきありがとうございます。おうちでぷすぷすしていたら、ストレスがたまる一方。ちょいとドライブして、舞鶴のぷりっけつちゃんに会いに来ました♪あああ、やっぱりこの子達、かわい過ぎるのです。二頭身、笑顔、ぷりっけつ、最高です。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

岸壁の母は待つ。待ち続けた舞鶴引揚港。

こんにちは。


舞鶴港。大戦中は海軍の軍事拠点として重要な場所でした。
日露戦争時の艦船は全て舞鶴港から出港。

しかし、第二次大戦後の舞鶴港は全く違う役目を負います。



昭和20年(1945年) 第二次世界大戦が終結。

旧満州(現・中国東北)や朝鮮半島をはじめ南太平洋など多くの国や地域に約660万人もの日本人が残されたまま。



これらの方々を速やかに、しかも一斉に日本へ帰国させなければなりません。
「引き揚げ」事業の開始です。



昭和20年9月、舞鶴・浦賀・呉 など全国で10港が引揚港に指定され、帰国者の受け入れを開始しました。



舞鶴は主に旧満州や朝鮮半島、シベリアからの引揚者・復員兵を迎え入れる港となります。



昭和20年(1945年)10月7日に最初の引揚船「雲仙丸」が入港。



その後順次他の港が指定港の役目を終える中、唯一、舞鶴港は最後まで引揚船の帰還を迎える役を担います。

最後の引揚船の入港は、昭和33年9月7日。「白山丸」。

13年間に渡り迎え入れた引揚者・復員兵の数は約66万人。



舞鶴市では引揚船が入港する度に、湾内の定期船を チャーターして、引揚船近くまで乗り入れ桟橋へ輸送(船が大きく着岸不可)。

引揚者の帰郷に際しては、沿道歓送、湯茶、ふかし芋の接待を行い、市民こぞって、引き揚げてきた人々を勇気づけました。


お若い方はこの歌をご存じでしょうか。

「母は来ました。今日も来た。この岸壁に今日も来た」

遥か彼方のシベリアから、息子は必ず帰ってくると待ち続けたお母さん。実在の人物をモデルとしたこの歌。

引揚船が入港する度に遠い自宅からはるばる通い続けた。
一緒に待っていた人々の姿がなくなっても、一人待ち続けた。


「届かぬ願いと知りながら」


「もしやもしやに もしやもしやに 引かされて」

息子の死亡通知書を受け取っても、「必ず帰ってくる」と亡くなるまで信じ続けたお母さん。


ナホトカは遠い。ナホトカは、あっち。


ううう…。



この記憶を残し伝えるため、舞鶴引揚記念館が作られました。

パネル展示だけではなく、シベリア抑留時の記録(全て没収されたが奇跡的に残った)、実際に使っていた道具、薄っぺらい防寒具等の品々が豊富に展示されています。


敷地内には各部隊や遺族会の記念植樹が多数あります。

最後に、引揚記念館の碑文を。

(クリックで別窓拡大します)

いつも応援いただきありがとうございます。帰省の度に自宅で私を待っていた母の姿が脳裏に浮かび、柄にもなくメソメソ君になってしまった舞鶴港の景色でした。皆様、お母さんを大切にねー。あ、お父さんもね。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

最後にひとこと。ソ連嫌い。もうないけど。

ぷりっちり狛犬在住の大丹生。舞鶴の夜はフェリーと乾杯。

こんにちは。


丹後半島の浦嶋神社からちょいと走り


伊根に到着。


船屋て何かといいますと、


1階がお船のガレージで、2階がお住まいの、この伊根独特のおうち。


船屋を一般公開しているお宅や、カフェもあります。
狭い集落なので、車は指定の駐車場に置いて、てくてくと見学しましょう。

さあて。
丹後半島付け根の宮津の天橋立は駐車場の客引きが激しいので国道を勢いよくぶっちぎり。


西舞鶴の田辺城も通りすぎ


すんませんすんません。


まったり過ごす東舞鶴の夜。見たかった景色です。


新日本海フェリー。小樽と舞鶴を往復してます。

着岸時間わずか2時間あまりで、膨大な荷物(トレーラーの荷台だけ積載)の上げ下ろしと客室の清掃をします。

きっとあの中は戦場でありましょう。


小樽に着くのは、明日の夜。ああ、乗ってしまいたい。

そんな事をぶつくさ言いつつ、酒をかっくらって就寝。

朝。


舞鶴は海軍の街。海上自衛隊の街。
対岸に見えるのは、舞鶴湾を挟み陸続きの大浦半島。


やどかりかりかりの車止め。


船の中にプラネタリウムがあります。こんなすっとぼけた施設があるのは。


関西電力舞鶴火力発電所があるからで。


関電からの贈り物達(怒)。

さて、ここから少し海沿いに移動すると。


そう。山王やし、です。か?


石製両部鳥居、といいます。山王やし・・・?


「山王宮」かな、ねえねえ。


神社本庁への届け出名は山王宮ではなく「大丹生神社」。
この辺りの地名は、大丹生。

【祭神】大山咋命(日吉大神)
【由緒・創建】不明
江戸時代までは山王権現と呼ばれていましたが、明治時代以降、何時の頃か現社名に改称されたようです。


境内社:大川神社、八坂神社、稲荷神社、塩竃神社、招魂社、乙女神社、淡海神社


このかわいい建物の中に本殿。


くぅー。かわいいっ。


ちょっと愛でさせて。


ぷりてぃーなおちり、で、ぷりちー。


なんとツボを心得た後ろ足の内股っぷりでしょう。鼻血が洪水です。


他の人に頼んで下さい。


いじけた姿で言わないで。鼻血が。


海でボール遊び、いいねいいね。


目の前は海ですものー!


あれ?男の子だ。


ごめんごめん。

お姉さん、ちょいとやってみたいことがあります。せーの。





すっきり。今でも踊れるピンクレディー世代。


御協力ありがとうございました。



いつも応援いただきありがとうございます。舞鶴は、田辺城や寺社が建ち並ぶ細川幽斉様の西舞鶴と、赤レンガの建物が並ぶ海軍の街の東舞鶴に分かれています。ぷりっけつの狛犬に鼻血が止まりません。体の模様の細工が細かく愛情がいっぱい込められた二人です。あー、ほっこり。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

浦嶋子と月讀命と小野篁。西の左甚五郎中井権治が飾ります。

こんにちは。


祭神・うらしまこ様の浦嶋神社。

相殿神・月讀命と祓戸大神。


延喜式神名帳には「宇良神社」と記載される古いお社。


浦嶋子は、日下部首等の祖先にあたり、開化天皇の後胤氏族でした。
さらに遡れば、月讀命の子孫だとか。

ただの鼻の下のびたろうさんではなかったのですねー。ははー。


イザナミにさよならして、黄泉の国のケガレを清めたイザナギ。
その右目を洗って、おぎゃん、っと生まれた月讀命。

なるほど、だから相殿に月讀命が鎮座してるのかな。



浦嶋子が美人に誘われ常世の国に行ったのは、487年、雄略天皇の時。


帰ってきたのは、825(天長2)年、淳和天皇の時。

その間実に347年間。

淳和天皇はこの話を聞いて、同年、小野篁(たかむら)を勅使に遣わし、浦嶋子を筒川大明神と名付け、宮殿を造営。

それをもって、浦嶋神社の創祀年としています。

丹波国風土記の逸書に残る浦嶋子の物語が最古の浦島太郎のお話。
万葉集や日本書紀にも記述が残っています。


浦嶋神社拝殿。


亀の館。


みので編んだかめかめ。


奉納絵馬。弁慶と牛若の運命の出会い。
ぶつくさ言ってるのは、能楽「橋弁慶」の一節。


日本最古の浦島太郎物語が残る浦嶋神社。


開放的というか、あっけらかーんというか、風がよく通る社殿です。

拝殿に戻り、じーっくり見ます。

うふふふ。彫刻らぶ。

丹波・丹後・播磨の寺社をうろちょろすると、社殿の華麗な彫刻に「丹波柏原町住人中井権治」の彫名板を発見することが度々あります。


それこそ、江戸時代から昭和にかけて活躍した兵庫県丹波市柏原(かいばら)の彫刻師、「中井権次(ごんじ)」一党。

初代中井正清は宮大工の棟梁として中井一党を率いて柏原八幡社の造営等に携わり、徳川家康に仕え、江戸幕府の京都大工頭の地位にあった名工です。

法隆寺の修理 ・江戸城・日光東照宮・大坂城の築城等にも関わりました。


初代から3代目までは大工職でしたが、4代目からは彫刻師を名乗ります。


彫刻師として活動したのは1700年代中頃から昭和初めの4~9代目。

主に中井権次(言次)を名乗り、丹波・但馬・丹後などの寺社の山門や本殿の破風に、迫力ある龍など霊獣の飾り彫刻を残しました。

「西の左甚五郎」と賞賛される見事な彫刻。

6代目中井喜一郎のとき丹後宮津に移転しますが、丹波柏原の彫刻師「中井権次(言次)」の作品は数々の寺社を飾り続けました。

柏原(かいばら)といえば、美形狛犬(だけじゃないけど)の石工、丹波佐吉が居たところでもあります。


浦嶋神社の拝殿は四方ぐるりと中井権次の彫刻が施されていて、見ていて飽きません。おすすめです。


丹後半島は遠いわー、という方には京都府福知山市の大原神社。

産屋で知られる「おはらざし」の神社。

過去記事はこちら→→→

絵馬が豊かな大原神社。京都府福知山市。
神秘の蛇のヒゲがある大原神社は彫刻ぶらぼー。京都府福知山市。
命を生み出す「産屋」の残る大原神社。京都府福知山市。




拝殿の彫刻が、中井権次一党の作。素晴らしい龍が・・・


これじゃない。


退治されかけて逃亡中におひげを落っことした龍。(大原神社)


盛り盛りです。(大原神社)

福知山市なら、近いでしょー?
え。関ヶ原後に水軍なのに海なし領地へ引越しさせられた九鬼くんが再建した大原神社だよーっと言っても、ダメかしら。


さぁて。そろそろ移動しよっかなー。


まだ丹後半島の先っぽだもん。先を急ぐの。ごめんね。


いらん!!ばいばい!!


危ないとこでした。


参考資料
浦嶋神社社境内案内板


いつも応援いただきありがとうございます。うらしまこを大明神にする淳和天皇の発想が楽しいです。くすくす。毎晩井戸を通って地獄に降りて、閻魔大王の裁判の補佐をしてたという小野篁が勅使ってのもツボりました。裁判もおつかいもこなす篁。できる男です。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

祭神うらしまこ。浦嶋神社で丹波風土記の浦島太郎小咄。

こんにちは。


丹後半島の浦嶋神社。

延喜式神名帳に「丹後國與謝郡 宇良神社」と記載される古いお社です。社格は旧郷社。


【祭神】浦嶋子(うらしまこ)
【配祀】月讀命・祓戸大神



今日は、丹波国風土記の浦島太郎さんのお話。

浦島太郎の昔話は皆様ご存じの通り。
助けた亀に連れられて竜宮城に行って、鼻の下を伸ばしてドンチャン騒ぎして、土産の玉手箱をうっかり開けたら老け込みました、ですねー。

怪談じゃございませんことー!?
老け込むなんて、恐ろしいことこの上なくってよー!!いやー!


そうね!誤魔化せるわね!

閑話休題。

丹後国風土記。逸書であるため、内容は 『釋日本紀』 などの引用。


「以下のことは以前の国守,伊預部馬養連(いよべのうまかいのむらじ)が書き表したことと同じ」

与謝郡日置(丹後半島北東辺り)に筒川村(現在の伊根町筒川)あり。
雄略天皇の時代、ここに日下部首(くさかべのおびと)等の先祖で名を筒川嶋子(つつかわしまこ)という容姿端麗な者がいた。


嶋子は一人大海に小船を浮かべて釣りをしていた。
しかし,三日三晩経っても一匹も釣れず。


1匹の五色の亀が釣れたので、とりあえず船上に上げ、寝た。

目が覚めたら、亀が美人な乙女に変身。乙女曰く。
「貴方とお話したくて、天上の神仙の国から来ちゃった。うふふ」

嶋子は鼻の下をブラジルまで伸ばし、乙女の指差す「蓬山(とこよ)の国」へ舳先を向けた。

やがてたどり着いた「玉石を散りばめたような地面」で,「綺麗な宮殿があり楼閣は光輝いている」ような所。

案内された門前でこんな歓待を受け、乙女の両親兄弟姉妹にオモテナシされた。


たんたーかたーん♪(浦嶋神社・とこよの庭)


嶋子は神仙の世界で楽しい時を過ごし,現世を忘れ、いつしか3年過ぎたが、さすがに両親や故郷を思うようになる。

食も細くなった嶋子に乙女は理由を問う。
嶋子は答える。

「人は故郷を懐かしむもの。狐は故郷の山に頭を向けて死ぬと言う。」

(淡路島・洲本八幡のお狐様)

「そんなん嘘やん、と思ってたけど、最近それはほんとやなぁと思うようになったの」と。

少しでいいから、実家に帰らせてくださいな、と願う嶋子。


乙女は泣く泣く承諾。別れ際に玉櫛筍(玉手箱)を嶋子に渡す。


嶋子の知らない世界。

村を離れたのは3年ではなく、300年も経っていたと村人へのキキコミで知った嶋子。

あうち。


いくら悲しくても、動揺しても、開けたらあかん。

あかんっての。

あ。あーあ。


箱を開けきらないうちに中から芳(かぐわ)しいにおいが天に流れ。

「芳欄之体 率于風雲 翩飛蒼天」

嶋子はここで我に返る。が、時既に遅し。

涙にむせび泣く嶋子。

彼は歌う。

「常世べに雲たちわたる水の江の 浦嶋の子が言持ちわたる」(嶋子の言葉を伝えてくれる雲は常世にまで流れている)

神の乙女が雲の間を飛びながら歌った。

「大和べに風吹きあげて雲放れ 退き居りともよ吾を忘らすな」(大和の国の方に風が吹いて雲を吹き飛ばした。離れていても私を忘れないでね)

嶋子は乙女への想いを断ちがたく,再び歌う。

「子らに恋いひ朝戸を開き吾が居れば 常世の浜の 波の音聞こゆ」(乙女を思って戸を開け外を眺める。常世の浜の波の音が聞こえてくる)

丹波国風土記では、切ない歌を交わして終わり。
玉手箱を開けなかったら乙女にまた会えたのに。お馬鹿さん。

玉手箱。

昔話のように玉手箱を開けてしわくちゃになった嶋子が、そのしわくちゃの皺をぶん投げて、代わりにシワだらけになった樹木というものが、丹後半島にあります。

ぶん投げれるもんなら、投げたいですわ。


参考資料・丹後国風土記
『丹後国風土記』日本古典文学全集 植垣節成 小学館

いつも応援いただきありがとうございます。昔話の浦島太郎と違い、鼻の下びよーんっと伸ばした浦嶋子くん。見たら駄目だからねー!!っと言われたら見ずにはおれないのが悲しいオスの性なんでしょうかねぇ。酒池魚林しといて言うのもあはは、ですが。おほほほほほほ。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
プロフィール

つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

◎画像の著作権は放棄しておりません。
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