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浦嶋神社の穏やかわんこ。やはり狛犬はニコイチね!

こんにちは。

最近、何を見てもわんこに見えます。

丹後半島ドライブ。海はいいな。

ですが、日本海側に突き出る丹後半島なので、バリバリっと警戒中。

お山の上に、ボールみたいなレーダーサイトがふたつ。

航空自衛隊中部航空警戒管制団の第35警戒隊経ヶ岬分屯基地があります。

ずんずん走り、こんもりした経ヶ岬のお山に到着。

えらいちまっこい富士山だねぇ。

この辺りは柱状節理の岩が露出する山のため、それをお経が並んでいるようだと「経ヶ岬」の名がつきました。

経ヶ岬より、こっそり叫んでみる。


経ヶ岬灯台があります。


ヤブ蚊嫌い。遊歩道はパスしました。


海沿いドライブの途中には、こんなものもあったり。


飛び込みたくなるような青い海があります。



そして、浦嶋神社へ。

うらしまじんじゃ。それはもちろん、昔話のあれ。


ひとっつ、私にくっださいなー♪


こんにちは。


どきゅん。


お姉さん、鼻血が噴き出しそうです。


いくらでもー!


もし?


虫さんも脱帽の化けっぷりです。


ふたりが仲良くしてると、やはり、ほっとします。


うっかりなにかを開けてしわくちゃにならないようにお参りしないといけません。いざ!


・・・。


いつも応援いただきありがとうございます。阿くんの下顎のわずかな亀裂が無性に気になり、神様にお狛くんの無事をお願いしてしまう次第。やはり大型犬の穏やかさは無敵です。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

テンキテンキ祭の竹野神社。丹後の名神大社。狛犬前で落涙。

こんにちは。


間人(たいざ)の海。厩戸皇子の母・間人(はしひと)皇后が疎開してきたところ。


厩戸皇子異母弟の麻呂子(まろこ)が鬼を退治し、封じ込めた岩。
この麻呂子は斎宮神社に祀られています。


供をしてきた東漢直駒(やまとのあたえこま)の子孫が東姓を名乗り、竹野川を中心に交通運輸を司るようになり建立した水無月神社。

近隣の斎宮神社の宮司さんが7月28日の祭事を司っています。

今日はそんな斎宮神社へ。



海の近くからまっすぐにのびる参道。二の鳥居。


三の鳥居。
丹後三宮・名神大社「竹野(たかの)神社」と摂社「斎宮神社」。


どきどきします。


わんこ動物園。


大型犬は穏やかです。


悲しげな理由は、阿の狛犬くんのお顔が欠損してしまってること。


本人は気にしない。


さっきから吠えてたのはこちら。


わんこの「遊ぼ♪」のおねだりは、最強ですよねー。


とってこい遊びは、エンドレス。


あられもない姿。


わくわくしながら待っていそう。


こちらも阿くんのお顔が欠損してました。かわいそうに。


京都府指定文化財の中門。この形を「向唐門」といいます。


扁額には「斎宮神社」の文字でした。不思議。
まーるい天井にわくわくします。




倉庫かしら?


のぞいちゃった。

竹野神社の祭礼の郷土芸能「テンキテンキ祭」は、子供6人で行われる素朴なものですが、風流囃子物の古い形を伝えるものとして京都府登録文化財になってます。

海辺にある「道の駅てんきてんき丹後」は、ここから名付けられました。



閑話休題。

室町時代などのお祭り囃子の音調や詞章、踊りの形は、狂言の様々な曲の中に残されています。

お祭でお神輿を「ちょうさちょうさ」と担ぐかけ声等は、狂言「千鳥」の中で面白く謡われます。

「ちょうさやちょうさ。ちょうさやちょうさ!」と囃されれば、
「えいともなー、えいともな。えいともえいともえいともなー!」と答えます。



さあて、お参りしましょ。っと、続きます。すみません。


いつも応援いただきありがとうございます。わんこ動物園に心踊ったのですが、2対共に阿くんのお顔が欠損。初めは何か背景があるのかと思っていたところ、お尻を立てた狛犬くんのお顔がお腹の下に置いてあるのに気づき。これはイタズラかと悲しくなった次第。
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王者の棺。丹後半島は交易でがっぽり。まいどおおきに。

こんにちは。


間人の「後の浜」。

ここから陸側へ車で1分。


土地付建売住宅はいかが?


環境もよろしゅうございます。

丹後半島は「丹後王国の存在」を称する説があるほど弥生時代中・後期から古墳時代の古墳群があり、奈良市の古墳と同一の企画で築造された古墳の存在(網野銚子山古墳と佐紀陵山古墳)からは丹後半島とヤマト政権と密接な関係があったと推察されています。

古事記・日本書紀は古代天皇家と丹後との婚姻関係を記述しています。


山と海に挟まれせまい耕地しか確保出来ない丹後半島では、古墳を造るほどの財力を農耕に求めることは出来ず、国内外との交易で豪族達は富を得たのです。



「京丹後市立丹後古代の里資料館」屋外展示。

大阪市内は掘ればお茶碗が出てきます(大阪城内に当たるので)が、丹後半島は掘れば石棺が出てきそうな勢いです。


きれいな形です。


石棺かどうかは不明。


間人の「馬場の内古墳」出土の長持形石棺の蓋石。

長持形石棺は用いられる人間が限られているので、「王者の棺」と称されています。

材質は凝灰岩。隅が丸いので「隅丸長方形」。
突起は欠損部含め6個。

周辺からは鉄斧・鉄鋤先・管玉・革金具片、各々1個等が出土。


昭和44年、工事中に偶然発見された蓋石。
偶然だったもので、周囲の土は削平されており、古墳自体の形や規模は不明。惜しい。


蓋石。棺部分はありませんでした。

日本海交易も、古墳時代中期になると瀬戸内海航路が確立され、衰退。
丹後半島はヤマト政権の勢力下に組み込まれていくのでした。


他に面白いものがありました。

整理が追い付かないのかしら。


さりげなく展示されてます。


おおらかなところがとてもお好みでございます。うふふ。


京丹後市立丹後古代の里資料館
住所 京都府京丹後市丹後町宮108



いつも応援いただきありがとうございます。奈良に行けば「緑の木立は全て古墳」ってぐらい山ほどある古墳も、海の近くで見るととても新鮮。交易って儲かるんだなー。すごいなー。
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厩戸皇子母の疎開の地。丹後の間人で日本海ざぼん。

こんにちは。今日はどこでせう?


えへへへ。


日本海は、波までもが紺色です。腹の底に響く波の音。


ここは、丹後半島の西北にある「間人」の、後が浜。

間人は、たいざ、と読みます。


るるるん♪

間人と書いて、はしひと、と読むひと、だーれだ。

はい。用明天皇の后で、厩戸皇子のおかーさんの、穴穂部間人皇后です。

物部(日本古来の神派)と蘇我(仏教推進派)が互いに争った時、間人皇后がここに疎開してきました。


皇后の御領だった関係で、斑鳩の宮からはるばる疎開。


争いが終結し斑鳩へ帰るときに、とてもお世話になったから私の名前を地名にしてもよくってよ、と言います。

おそれ多いっす。

そこで、地元の人々は、間人皇后がこの地を去る→退座する→たいざ、と呼ぶようになりました。

さて。

間人皇后の疎開には、東漢直駒(やまとのあたえこま)、穂見中江磨(ほみのなかえまろ)等7名が供人として同行。

うち、東漢直駒(やまとのあたえこま)の子孫が東姓を名乗り、竹野川を中心に交通運輸を司るようになります。
(供人で来たのに、何してたのかねぇ、直駒くんは)


そして、水無月神社を建立。

現在は、近隣の斎宮神社の宮司さんが7月28日の祭事を司っているとのこと。


近づけば、柱状節理の巨大な岩です。

厩戸皇子の異母弟・麻呂子(まろこ)が、悪い鬼を退治しこの立岩に封じ込めたなんて伝説があります。


これでも京都府ですよー。


いつも応援いただきありがとうございます。間人といえば、間人ガニ。松葉ガニの中で、丹後町間人漁港で水揚げそれるカニを特にこう呼びます。捕れる量がとても少なく「幻のカニ」と言われ最高級品だとか。食べたい。でも、高い。カニカマでいいや。
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