神社は地域密着。翻弄された熊野信仰と昔話。色川神社
こんにちは。

色川神社、まだやってます。

色川神社に咲いてたお花。

知ってるお花は、桜、梅、チューリップ、ひまわり、朝顔。
【熊野と自然信仰】
色川神社は大正3年の神社合祀の為に社殿が建てられるまで、
建物はなく、対岸の岩壁を拝していました。

視界が一面、岩。

あっちこっち向いて、お詣り。
【神社合祀】
1町村1社を原則とする神社合祀令。
1906年(明治39年)の勅令によります。
明治政府は記紀神話や延喜式神名帳以外の神々を排し、
「神道の純化」を狙いました。
経済面では、合祀して神社の数を減らし経費を集中させれば、
「神社の威厳」を保つ事ができる、と。
1914年までに、全国に約20万社あった神社の7万社が取り壊されます。
特に三重県は突出しており、県下全神社のおよそ9割が廃されました。
和歌山県や愛媛県も、数として三重県に続きます。

明治初期の神仏分離令、それに続く神社合祀令は、熊野に壊滅的なダメージを与えます。
熊野信仰は、古来の自然崇拝に仏教や修験道などが混交して成り立っているため、まさに格好のターゲット。
神社合祀は、村のお社だけではなく、上皇達も熊野御幸の道中に参詣した王子社すらも対象になりました。
中辺路では、二十数社のうち八上王子と滝尻王子以外は廃社に。
廃社となった神社の森は伐採。払い下げられたり安価で売られたり。
これに立ち向かったのが、南方熊楠でした。
【色川神社の神社合祀】

【祭神】
(主祭神)伊弉諾命 伊弉冉命
(配祀神)天照大神 金山毘古神 平経盛 平盛氏
【合祀した神社】
鎮座 村社 地主神社。
大字直柱鎮座 無格社 地主荒神神社。
大字大野鎮座 無格社 金毘羅神社および境内神社維盛神社。
大字大野鎮座 無格社 大神社および境内神社稲荷神社。
大字大野鎮座 無格社 剣神社。
大字大野鎮座 無格社 風ノ宮神社。
大字大野鎮座 無格社 大塔神社。
大字田垣内鎮座 無格社 水本神社。
大字田垣内鎮座 無格社 地主神社。
大字田垣内鎮座 無格社 大神社。
大字坂足鎮座 無格社 星帝神社。
大字樫原鎮座 無格社 王子神社。
大字熊瀬川鎮座 村社 藤本神社。
※和歌山県神社庁のHPより。
※《私見》
配祀神に「平経盛」とありますが、これは平維盛だと思います。
維盛が色川に隠れ住み子孫を残し、清水氏・色川氏となった伝承と、維盛が維盛大明神として祀られた維盛神社を合祀している事から、突然平経盛が湧いて出るのは整合性がありません。
【色川神社・祭神など】
伊弉諾命・伊弉冉命・天照大神は、明治にお祀りしたのでしょう。
《金山毘古神》
鉱山の神として信仰される神様。
神産みにおいて、イザナミが火の神カグツチを産んで火傷をし病み苦しんでいるときに、その嘔吐物(たぐり)から化生。

三重県熊野市の熊野灘。獅子岩から、程近くの

産田神社。イザナミがカグツチを生んだ場所。
日本書紀に曰く。

「 一書曰伊弉冉尊、火神を生み給う時に灼かれて神退去(さり)ましぬ」

「故(か)れ紀伊国 熊野の有馬村に葬(かく)しまつる」

「花窟神社は古来社殿なく、石巌壁立高さ45米。」
イザナミを「葬しまつる」所が、熊野市の花の窟神社。
鉱山の神、金山毘古神が色川に祀られているのは、

妙法鉱山に連なる円満地鉱山があったこの地域ですから、納得です。
《大字樫原鎮座 無格社 王子神社》
熊野の伝説的な英雄、狩場刑部左衛門の屋敷跡に鎮座しておりました。
『紀伊続風土記』にも由来の記述があります。
昔「ひとつだたら」という盗賊が熊野三山の宝物を盗むなどの悪行を働くも、誰もこれを捕らえることができず。
色川の樫原にすむ狩場刑部左衛門という勇猛な男に頼み、ようやく討伐に成功。
刑部左衛門は那智山から寺領の山林三千町歩(約3000ha)を恩賞として受けますが、自分のものとせず、色川郷18カ村に譲り、長く郷民の助けとしました。
刑部左衛門の死後、郷民はその徳をたたえ、屋敷跡を整備して王子権現と称し、地域の氏神として祀ったのでした。
(「和歌山県ふるさとアーカイブ」より)
ひとつだたら、或いは、ひとつ目タタラ(書きにくいから検索してね)。鉱山との繋がりが深いものです。
永享7年(1435年)。室町時代の出来事で、刑部は平家の一族と言い伝えられています
《平経盛 平盛氏》※平経盛は平維盛の前提
維盛と子孫の平盛氏が、共に祀られています。

色川に隠れ住んだ平維盛。
氏を清水と改め郷士となり、子を成しました。
その子孫を色川一族といい、建武の頃、色川左兵衛尉平盛氏が南朝に奉仕して軍功をあげたのでした。

色川神社・境内の石

色川神社・境内の石

色川神社・境内の祠。右側はお稲荷さんかな。

明治19年の刻印と、正面にこの形の彫りがありました。

色川神社・境内の祠
さて。色川神社を漫喫したので、そろそろ帰ろう。

じゃーねー、狛ちゃん。

ザ・熊野って感じの

清々しいお社でした。

色川神社、来てよかったなー。
熊野へお越しの際は、ぜひ。
参考文献
和歌山県ふるさとアーカイブ「ひとつだたら」
http://wave.pref.wakayama.lg.jp/bunka-archive/minwa/44.html
和歌山県神社庁・色川神社
http://www.wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=8018
いつも応援いただきありがとうございます。色川神社、いろいろな伝承、歴史の流れ等がぎゅーぎゅーに詰まった面白いお社でした。前夜の雨で全体がしっとりしているのも、いい雰囲気。狛犬さんはかわいいし、満足ほこほこ。この日は色川の探索に終始し、あとはホテルで温泉三昧、生マグロ三昧、お酒でへろへろ、しました。熊野の旅はゆっくりがいいです。



ぽちぽちぽち、ありがとうございます。

色川神社、まだやってます。

色川神社に咲いてたお花。

知ってるお花は、桜、梅、チューリップ、ひまわり、朝顔。
【熊野と自然信仰】
色川神社は大正3年の神社合祀の為に社殿が建てられるまで、
建物はなく、対岸の岩壁を拝していました。

視界が一面、岩。

あっちこっち向いて、お詣り。
【神社合祀】
1町村1社を原則とする神社合祀令。
1906年(明治39年)の勅令によります。
明治政府は記紀神話や延喜式神名帳以外の神々を排し、
「神道の純化」を狙いました。
経済面では、合祀して神社の数を減らし経費を集中させれば、
「神社の威厳」を保つ事ができる、と。
1914年までに、全国に約20万社あった神社の7万社が取り壊されます。
特に三重県は突出しており、県下全神社のおよそ9割が廃されました。
和歌山県や愛媛県も、数として三重県に続きます。

明治初期の神仏分離令、それに続く神社合祀令は、熊野に壊滅的なダメージを与えます。
熊野信仰は、古来の自然崇拝に仏教や修験道などが混交して成り立っているため、まさに格好のターゲット。
神社合祀は、村のお社だけではなく、上皇達も熊野御幸の道中に参詣した王子社すらも対象になりました。
中辺路では、二十数社のうち八上王子と滝尻王子以外は廃社に。
廃社となった神社の森は伐採。払い下げられたり安価で売られたり。
これに立ち向かったのが、南方熊楠でした。
【色川神社の神社合祀】

【祭神】
(主祭神)伊弉諾命 伊弉冉命
(配祀神)天照大神 金山毘古神 平経盛 平盛氏
【合祀した神社】
鎮座 村社 地主神社。
大字直柱鎮座 無格社 地主荒神神社。
大字大野鎮座 無格社 金毘羅神社および境内神社維盛神社。
大字大野鎮座 無格社 大神社および境内神社稲荷神社。
大字大野鎮座 無格社 剣神社。
大字大野鎮座 無格社 風ノ宮神社。
大字大野鎮座 無格社 大塔神社。
大字田垣内鎮座 無格社 水本神社。
大字田垣内鎮座 無格社 地主神社。
大字田垣内鎮座 無格社 大神社。
大字坂足鎮座 無格社 星帝神社。
大字樫原鎮座 無格社 王子神社。
大字熊瀬川鎮座 村社 藤本神社。
※和歌山県神社庁のHPより。
※《私見》
配祀神に「平経盛」とありますが、これは平維盛だと思います。
維盛が色川に隠れ住み子孫を残し、清水氏・色川氏となった伝承と、維盛が維盛大明神として祀られた維盛神社を合祀している事から、突然平経盛が湧いて出るのは整合性がありません。
【色川神社・祭神など】
伊弉諾命・伊弉冉命・天照大神は、明治にお祀りしたのでしょう。
《金山毘古神》
鉱山の神として信仰される神様。
神産みにおいて、イザナミが火の神カグツチを産んで火傷をし病み苦しんでいるときに、その嘔吐物(たぐり)から化生。

三重県熊野市の熊野灘。獅子岩から、程近くの

産田神社。イザナミがカグツチを生んだ場所。
日本書紀に曰く。

「 一書曰伊弉冉尊、火神を生み給う時に灼かれて神退去(さり)ましぬ」

「故(か)れ紀伊国 熊野の有馬村に葬(かく)しまつる」

「花窟神社は古来社殿なく、石巌壁立高さ45米。」
イザナミを「葬しまつる」所が、熊野市の花の窟神社。
鉱山の神、金山毘古神が色川に祀られているのは、

妙法鉱山に連なる円満地鉱山があったこの地域ですから、納得です。
《大字樫原鎮座 無格社 王子神社》
熊野の伝説的な英雄、狩場刑部左衛門の屋敷跡に鎮座しておりました。
『紀伊続風土記』にも由来の記述があります。
昔「ひとつだたら」という盗賊が熊野三山の宝物を盗むなどの悪行を働くも、誰もこれを捕らえることができず。
色川の樫原にすむ狩場刑部左衛門という勇猛な男に頼み、ようやく討伐に成功。
刑部左衛門は那智山から寺領の山林三千町歩(約3000ha)を恩賞として受けますが、自分のものとせず、色川郷18カ村に譲り、長く郷民の助けとしました。
刑部左衛門の死後、郷民はその徳をたたえ、屋敷跡を整備して王子権現と称し、地域の氏神として祀ったのでした。
(「和歌山県ふるさとアーカイブ」より)
ひとつだたら、或いは、ひとつ目タタラ(書きにくいから検索してね)。鉱山との繋がりが深いものです。
永享7年(1435年)。室町時代の出来事で、刑部は平家の一族と言い伝えられています
《平経盛 平盛氏》※平経盛は平維盛の前提
維盛と子孫の平盛氏が、共に祀られています。

色川に隠れ住んだ平維盛。
氏を清水と改め郷士となり、子を成しました。
その子孫を色川一族といい、建武の頃、色川左兵衛尉平盛氏が南朝に奉仕して軍功をあげたのでした。

色川神社・境内の石

色川神社・境内の石

色川神社・境内の祠。右側はお稲荷さんかな。

明治19年の刻印と、正面にこの形の彫りがありました。

色川神社・境内の祠
さて。色川神社を漫喫したので、そろそろ帰ろう。

じゃーねー、狛ちゃん。

ザ・熊野って感じの

清々しいお社でした。

色川神社、来てよかったなー。
熊野へお越しの際は、ぜひ。
参考文献
和歌山県ふるさとアーカイブ「ひとつだたら」
http://wave.pref.wakayama.lg.jp/bunka-archive/minwa/44.html
和歌山県神社庁・色川神社
http://www.wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=8018
いつも応援いただきありがとうございます。色川神社、いろいろな伝承、歴史の流れ等がぎゅーぎゅーに詰まった面白いお社でした。前夜の雨で全体がしっとりしているのも、いい雰囲気。狛犬さんはかわいいし、満足ほこほこ。この日は色川の探索に終始し、あとはホテルで温泉三昧、生マグロ三昧、お酒でへろへろ、しました。熊野の旅はゆっくりがいいです。



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