天河別神社古墳群。トンネル・アンダー・徳島県最古の古墳
こんにちは。

狛ちゃんに教えてもらった「スゲーもの」。

こんなもりっとしたものといえば、古墳。墳丘頂上には剣神社。

天河別神社古墳群です。
天河別神社古墳群を含む、鳴門市大津町から板野町にかけて点在する「鳴門板野古墳群」は、2016年、国史跡に指定と決まりました。
(国の文化審議会が2016年6月17日、馳浩文部科学相に答申)

「鳴門板野古墳群」(画像/徳島新聞2016/6/18記事より)
「弥生時代末期(3世紀後半)から古墳時代前期(4世紀)までに造られた歴代首長の墓で、時代ごとに変化する築造様式を通し、畿内(近畿)にあった中央政権の影響が大きくなっていく過程が分かるとして評価された。」(「徳島新聞」2016/6/18より引用)

10基以上の古墳があるうち、特に重要なものが1号から6号。
1号・2号で竪穴式石室が発見されました。

天河別神社古墳群地形測量図(鳴門市教育委員会/H21年)
【2号墳】

2号墳は、直径26mの3段築成の円墳。
古墳時代前期前半(3世紀後半~4世紀前半)のものと推定。
埋葬施設は、結晶片岩を石積した竪穴式石室(土の中)。
広口壺・二重口縁壺・短頸壺・甕胴部が出土。

画像上の方に見えるのが、礫敷きのテラス。特徴。
山城でいうところの、帯郭。

3号墳との間の谷。

1号墳は社殿築造により一部破壊されてる様子。

築造時期は、1号墳→2号墳(2011年の二次発掘調査で判明)
【1号墳】

1号墳。直径約25m、高さ3.5m、幅4mの周壕をもつ二段の円墳。
2011年の二次発掘調査により、墳丘墓の特徴を残す「県内最古の古墳」であることが判明。
二段ともに直径約30cmの砂岩礫を基底石とし葺石を施す。
東阿波型土器を供献土器として墳丘に配置。
埋葬施設は、墓壙(墓穴)+外周帯+竪穴式石室(結晶片岩《青石》を石積)+木棺。
石室は古墳の中心部に良好な状態で残っており、内側の大きさは、南北に約4.9m、東西に約1.1m、高さ約1.2m。
石室を二重構造(結晶片岩(青石)の「板石積み」+外側に結晶片岩と砂岩でできた石囲い)の側壁が全周。
木棺・遺骨は、腐食し見つからず。
副葬品は、鉄剣2、鉄斧1、鉄製柄1、鏡1(直径約7cmの仿製珠文鏡の破片が出土)、朱(中国産辰砂と推定)を施した土器片。
広口壺・二重口縁壺・短頸壺・甕胴部が出土。

1号墳北側に転がる石(社殿の残骸?一部瓦あり)

1号墳は、
①石室側壁の二重構造が石室を全周
②副葬品が少ない
等から、3世紀後半に築かれたものであると推定。

1号墳北側。幅3~4mの周濠(竹の囲いのとこ)。

1号墳北西方向。
【4号墳】

4号墳。何だかようわからん形。
直径20~25mの円墳あるいは前方後円墳。

4号墳。
埋葬施設はほとんど消滅。
粘土の混ざった礫敷きの埋葬施設下部構造を確認。
神獣鏡2面を出土。

わからなんなりに、楽しい。

と、まぁ、こんな感じの古墳もりもり。

さすがに崩せず、トンネルにしました。

ブロッコリーの中には、古墳時代前期から中期の古墳群。
確かに、スゲーものがありました。
参考文献
鳴門市教育委員会2011『天河別神社古墳群発掘調査報告書』
天河別神社古墳群
《住所》徳島県鳴門市大麻町池谷
マップを航空写真の方へ切り替えた方が、地形がわかりやすいです。
いつも応援いただきありがとうございます。
残念ながら石室は土の中。発掘調査後は土をもりっとさせて保存。現地説明会等でないと見えませんが、尾根の上に点在する古墳群のもこもこを見るだけでも楽しかったです。いったいこの辺りには誰がいて、何をしてたんだろうなー。画像的には「土ばっかり」な感じですが、下手に整備された公園のような古墳より、こっちが好きです。


お手数をおかけ致します。ありがとうございます。

狛ちゃんに教えてもらった「スゲーもの」。

こんなもりっとしたものといえば、古墳。墳丘頂上には剣神社。

天河別神社古墳群です。
天河別神社古墳群を含む、鳴門市大津町から板野町にかけて点在する「鳴門板野古墳群」は、2016年、国史跡に指定と決まりました。
(国の文化審議会が2016年6月17日、馳浩文部科学相に答申)

「鳴門板野古墳群」(画像/徳島新聞2016/6/18記事より)
「弥生時代末期(3世紀後半)から古墳時代前期(4世紀)までに造られた歴代首長の墓で、時代ごとに変化する築造様式を通し、畿内(近畿)にあった中央政権の影響が大きくなっていく過程が分かるとして評価された。」(「徳島新聞」2016/6/18より引用)

10基以上の古墳があるうち、特に重要なものが1号から6号。
1号・2号で竪穴式石室が発見されました。

天河別神社古墳群地形測量図(鳴門市教育委員会/H21年)
【2号墳】

2号墳は、直径26mの3段築成の円墳。
古墳時代前期前半(3世紀後半~4世紀前半)のものと推定。
埋葬施設は、結晶片岩を石積した竪穴式石室(土の中)。
広口壺・二重口縁壺・短頸壺・甕胴部が出土。

画像上の方に見えるのが、礫敷きのテラス。特徴。
山城でいうところの、帯郭。

3号墳との間の谷。

1号墳は社殿築造により一部破壊されてる様子。

築造時期は、1号墳→2号墳(2011年の二次発掘調査で判明)
【1号墳】

1号墳。直径約25m、高さ3.5m、幅4mの周壕をもつ二段の円墳。
2011年の二次発掘調査により、墳丘墓の特徴を残す「県内最古の古墳」であることが判明。
二段ともに直径約30cmの砂岩礫を基底石とし葺石を施す。
東阿波型土器を供献土器として墳丘に配置。
埋葬施設は、墓壙(墓穴)+外周帯+竪穴式石室(結晶片岩《青石》を石積)+木棺。
石室は古墳の中心部に良好な状態で残っており、内側の大きさは、南北に約4.9m、東西に約1.1m、高さ約1.2m。
石室を二重構造(結晶片岩(青石)の「板石積み」+外側に結晶片岩と砂岩でできた石囲い)の側壁が全周。
木棺・遺骨は、腐食し見つからず。
副葬品は、鉄剣2、鉄斧1、鉄製柄1、鏡1(直径約7cmの仿製珠文鏡の破片が出土)、朱(中国産辰砂と推定)を施した土器片。
広口壺・二重口縁壺・短頸壺・甕胴部が出土。

1号墳北側に転がる石(社殿の残骸?一部瓦あり)

1号墳は、
①石室側壁の二重構造が石室を全周
②副葬品が少ない
等から、3世紀後半に築かれたものであると推定。

1号墳北側。幅3~4mの周濠(竹の囲いのとこ)。

1号墳北西方向。
【4号墳】

4号墳。何だかようわからん形。
直径20~25mの円墳あるいは前方後円墳。

4号墳。
埋葬施設はほとんど消滅。
粘土の混ざった礫敷きの埋葬施設下部構造を確認。
神獣鏡2面を出土。

わからなんなりに、楽しい。

と、まぁ、こんな感じの古墳もりもり。

さすがに崩せず、トンネルにしました。

ブロッコリーの中には、古墳時代前期から中期の古墳群。
確かに、スゲーものがありました。
参考文献
鳴門市教育委員会2011『天河別神社古墳群発掘調査報告書』
天河別神社古墳群
《住所》徳島県鳴門市大麻町池谷
マップを航空写真の方へ切り替えた方が、地形がわかりやすいです。
いつも応援いただきありがとうございます。
残念ながら石室は土の中。発掘調査後は土をもりっとさせて保存。現地説明会等でないと見えませんが、尾根の上に点在する古墳群のもこもこを見るだけでも楽しかったです。いったいこの辺りには誰がいて、何をしてたんだろうなー。画像的には「土ばっかり」な感じですが、下手に整備された公園のような古墳より、こっちが好きです。


お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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