天椅立神社(7)やっと最終回。境内おさんぽ

こんにちは。


天椅立神社。


【祭神】伊邪那岐命・伊邪那美命 

式内社「阿波國美馬郡/天椅立神社」論社。

明治3年。

当社神主であった近藤忠直により「式内社」と提唱され正式に現社名に改称。

今まで皆が「羽津明神」って呼んでたけど、ほんとはここは「式内社『阿波國美馬郡/天椅立神社』」っていうとこなのよーっと、ある日突然、宣言。


羽津明神の名残かや?


この奥の本殿が


高い高い基礎の上にありました。


もう洪水にならないといいね。


歌、間違えました。

今回は三好氏の追っかけはしなかったのですが、ここは三好郡東みよし町。



阿波守護・阿波小笠原氏の末裔の三好氏は、阿波三好郡を本拠地として次第に東へ東へと勢力を伸ばします。


玉垣には三好さんがいっぱい。


三好長慶の良くできた弟、安宅冬康関係かわかりませんが、個人的にうはうは。

ちなみにここの近くの阿波池田の


安宅屋羊羮はさっぱりした甘さでとても美味しいです。

※安宅屋さんは北陸の安宅関辺りから来られたので、この名前に。


氏子の方々が作ったこのお庭。


まともにお父さんなので、ちょっと照れた。


この子の後ろにある石灯籠。


めっけもんでした。


天保2年(1831)。


寛政4年(1792)。寛政期の石灯籠、私には珍しかったです。

むふふふ。

寛政4年の頃ってね。

長谷川 宣以(はせがわのぶため)が活躍していた時代ですわよっ。


んまっ。

火付盗賊改役・長谷川平蔵、『鬼平犯科帳』の鬼平じゃないかっ。

うっはうっは♪

あああ、鬼平。あああ、中村吉右衛門様♪


境内には、徳島らしいこの石が点在。


なんでこの写真を撮ったんだろう。


境内には、排水路とおぼしき溝。

わずかな溝ですが、これがあるのとないのとでは大違いなんだろうな。


さーて、帰ろう。


そうね、またね。


由緒や地域の古い古い遺跡群も狛犬さんも素敵な天椅立神社でした。


今度は田んぼが緑のときに来たいなぁ。




すまなかったねぇ。


天椅立神社
《住所》徳島県三好郡東みよし町昼間3266




いつも応援いただきありがとうございます。
天椅立神社はこれでおしまい。長々とお付きあいいただきすみません。昨年、鬼平ドラマがついに終わってしまったんで、アニメの「鬼平」見ました。小房の粂八(ドラマでは蟹江敬三)がえらい美形の若者でしたわ。そうかぁ、粂八っておじさんじゃなかったっけ。・・・寛政の石灯籠見ただけで、小躍りするお馬鹿でした。おほほほ。

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天椅立神社(6)立法寺とむかしばなし

こんにちは。


天椅立神社。


赤丸が天椅立神社、右斜め上に立法寺の小字。

ここには、かつて、立法寺という大きなお寺がありました。

この辺りでは今でも田を耕していると、布目瓦の破片が出てくるとか。

むかしむかし。

その立法寺の若いお坊さんが、近所の娘とフォーリンラブ。



しかし、僧侶は妻帯出来ないので、

二人は石のそばで、心中してしまいました。

それが、この石。



いつしかこの二つの石を夫婦石と呼び、他所へ持っていくと罰があたるといって、だれ一人さわる者がなく、ずっと田の真ん中に残されておりました。


・・・きっとあの世で二人は仲良しこよし。


徳島らしい、この大きな石は、腰掛け石。

立法寺のお坊さんが腰かけて、近所の子供たちを集めて勉強を教えた石といわれているとか。


ありがっとお♪


日本むかしばなしの世界です。


参考文献

『阿波学会研究紀要』
(「郷土研究発表会紀要第39号/『三好町の伝説』/徳島県立図書館)
http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/39/3933.html


天椅立神社
《住所》徳島県三好郡東みよし町昼間3266



いつも応援いただきありがとうございます。
境内にひときわ目立つ大きな石のベンチと、夫婦岩(裏に立法廃寺礎石の文字)があります。お寺のお坊さんが心中とは穏やかではありませんが、あの世で幸せになっているといいですね。お勉強を教えるベンチは、ほっこりです。案外低くて、座るときに、どっすんっとなりますけど、景色を眺めてのんびりするにはとてもいい石でした。

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天椅立神社(5)羽津明神が、ある日突然式内社?

こんにちは。


天椅立神社。

式内社「阿波國美馬郡/天椅立神社」論社。

徳島県三好郡東みよし町昼間に鎮座。


鎮座地(赤丸)周囲の小字名に、「宮内」「宮ノ前」。

※大字(おおあざ)昼間、小字(こあざ)宮内。

地名、特に大字&小字は、昔、その土地がどんなとこだったのかを表しており、とてもとても大切なものだと思います。


昔々は、「宮内」と呼ばれている地域全部が境内で、
当社の南100mの場所を「鳥居」と呼び、実際に鳥居の沓石があったという伝承が。(『三好郡誌』など)


方角からしたらこっち。「宮ノ前」って辺りになるのかな?


ところでこの昼間という場所。

上の小字地図の丸数字は、縄文・弥生・古墳時代の遺跡群です。


ほれほれ、こーんなにいっぱい。(クリックで拡大します)


神社北東角に、説明板が。


(クリックで拡大)

④の、京伝遺跡。


私が道を間違えきょーふのどん底に落ちた辺り。

ふっ。ケガの 巧妙 功名。


⑦は、大柿遺跡。


たぶん、こっちらへんの右側。

弥生時代前期の棚田/古墳時代後期の徳島県下最大級の集落/鎌倉時代・埋納された壺等が発掘されたとても重要な遺跡です。


微高地斜面部は、吉野川の古い後背湿地に面しており、確認された最古の水田は弥生時代前期末まで遡る。水田は後背湿地部と斜面を棚田状に開墾している。棚田は5段確認されており、幅2m以下の狭く細長い水田で、各段差は約20~50cmである。導水にあたって微高地を分断する灌漑用水路を開いていることが確認された。

徳島県立埋蔵文化財総合センター「レキシル とくしま」オフィシャルサイトより引用
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%C5%EC%A4%DF%A4%E8%A4%B7%C4%AE%2F%C2%E7%B3%C1%B0%E4%C0%D7

出土品等はこちら⇒全国遺跡報告総覧
http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/14131


すごいなぁ。棚田ですって。
弥生時代の田んぼって、のっぺらーんっとした平地にちょろん、かと思ってたら、地形を利用して段々にして、灌漑用水路まで作ってたんですね。


⑤の、立法寺には、立法廃寺跡遺跡。


天椅立神社境内にあった、これ。裏に「伝立法寺廃寺礎石」。

うーむ。動かしてしまってはもったいない。というより、意味がない。

惜しいなあ。


夫婦岩は、やはりこうでしょ。ふ。


古墳群や古式ゆかしい名称の神社が点在する吉野川沿岸。

周辺の遺跡群から見ても、ほんとに古くから人が住んでいたことが確実である昼間地区。

そこに、


延喜式制定当時「阿波國美馬郡/天椅立神社」が存在していた。

が。

今見ているここが綿々と「天椅立神社」として存在していたかというと、そうではなく。


貞治3年(1368)の雲辺寺の鰐口の銘に「阿波国田井荘、羽津宮」とあるように「羽津宮」、時代が下ると「羽津明神」と呼ばれるお社でした。



天へ通じる梯子とか橋を意味する「椅」の文字を持つ天椅立神社。


なのに、何で「羽津」やねん。


「これは肆の草書を津としたからであり、羽津即ち橋で、椅大明神である。辻の方へ渡る舟橋の椅神社から社名ができたか」(『式内社の研究』「神社取調指上帳」/明治初期)

にゃー?

延喜式制定時には「阿波國美馬郡/天椅立神社」であったものが、羽津明神となったのか。

そこで、明治名物。


ひっくり返るのどんでん返し。

明治3年。

当社神主であった近藤忠直により「式内社」と提唱され正式に現社名に改称。

今まで皆が「羽津明神」って呼んでたけど、ほんとはここは「式内社『阿波國美馬郡/天椅立神社』」っていうとこなのよーっと、ある日突然、宣言。

「証拠は?」

由緒不明、なんですね。

古くから人がいたという揺るがしがたい物証としての遺跡群があり、そこから引き続きここらには何かがあったろうに、惜しい。

式内社といっても、いろいろあるさ。


そうだよ、ここで地元の皆が大事におまもりしてきたってのが、いいんだよ。


今でも、地域の心の拠り所となるようにお庭を作ってらして。


ほっこり。

なかなかできることじゃないですよね。


あかん。折れる。


災害を忘れないように標柱や昼間地区の遺跡群地図まで設置されているんですもの。


そうよ、お社も狛犬さんも、地元の氏子さんに愛されてなんぼ。

よそものは、はぁー、いいなぁ、このお社、気持ちいいなぁ、素敵だなぁ、ありがたいなぁと、感謝するのがいいんだと思いました。


天椅立神社
《住所》徳島県三好郡東みよし町昼間3266




いつも応援いただきありがとうございます。
この遺跡群ですが、大規模な本格的な調査はされていません。理由は、自治体にお金がないから。これはこれでいいのだと思います。歴史浪漫よりも、今、住民のためにすべきこと、優先するべきものは他にいっぱいあります。あっちこっちで新たな発見!こりゃすごいぜ!と叫ぶことができる自治体は豊かなのだということ。道路を作るとか、そんな一大イベントがない限り、この辺りの謎は謎のまま。それでも、実は豊かな土地なのです。

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ありがとうございます。夜にお熱が連続してるのでさすがにお医者さんへいってきます。

天椅立神社(4)明治の太政官布告。式内社を探せ!

こんにちは。


はい、天椅立神社ですね。

【祭神】伊邪那岐命・伊邪那美命 

式内社「阿波國美馬郡/天椅立神社」論社。


ここで、「式内社」のおさらい。


詳細→→→社格制度。平安時代から現代までの変遷
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-447.html


『式内社』(しきないしゃ)

延長5年(927)年に完成した全50巻からなる「延喜式」。

この中の「神名帳(官社を記載登録した名簿)」にその名が記載されている神社を「式内社」といいます。


特に由緒のある神社とされ、毎年の祈年祭に幣帛が供えられ、災害や全国的な疫病蔓延などに際しては公の祈願が行われました。



つまり、「式内社」とは、延喜式撰修前後に「存在していた」神社。

ここ、ポイント。



「延喜式神名帳」に、「阿波國美馬郡/天椅立神社」の名前が掲載されているので、当該神社が延喜式撰修前後に「阿波國美馬郡」に「存在していた」ことは、わかります。

しかし、名前が載っているからといって、それ以降も当該神社が綿々と続いていたとは限りません。


(画像/名草神社本殿)

927年(延長5年)延喜式完成から数百年。

延喜式神名帳に記載の「阿波國美馬郡/天椅立神社」のその後はどうなっていたのでしょう?


ほほう。

教えて、こまちゃん。


ほんとは、知らないな?


さて。ついでに。


「尊王攘夷」を理念として成立した明治政府。。
その理念の裏づけとなった思想は「水戸学や後期国学や復古神道」であり、それは慶応4年の「祭政一致」の「王政復古」として実現しました。

まず、「王政復古・祭政一致」を宣言し、「神祇官」の再興が「太政官布告」の形で示されます。

明治元年(慶応4年)3月13日。
「此度 王政復古神武創業ノ始ニ被為基、諸事御一新、祭政一致之御制度ニ御回復被遊候ニ付テ、(略)」(『太政官布告』(慶応四年三月十三日))


詳細は→→→「神仏分離の実施。法令で確認」
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-444.html

「神祇官」の元となる思想は「水戸学や後期国学や復古神道」ですから、まず「神社」の存在を重要視しました。

既存の神社に対し、布告を出し、全国津々浦々の神社を社格制定の為に調べ上げます。


【太政官布告】 第七百七十九(布)太政官 (明治3年)閏10月28日 
今般国内大小神社之規則御定ニ相成候条於府藩縣左之箇条委細取調当12月限可差出事
 某国某郡某村鎮座
某社
 1.宮社間数 並大小ノ建物
 1.祭神並勧請年記 附社号改替等之事 但神仏旧号区別書入之事
 1.神位
 1.祭日 但年中数度有之候ハゝ其中大祭ヲ書□スヘシ
 1.社地間数 附地所古今沿革之事
 1.勅願所並ニ宸翰勅額之有無御撫物御玉?献上等之事
 1.社領現米高 所在之国郡村或ハ?米並神官家禄分配之別
 1.造営公私或ハ式年等之別
 1.摂社末社の事
 1.社中職名位階家筋世代 附近年社僧復飾等之別
 1.社中男女人員
 1.神官若シ他社兼勤有之ハ本社ニテハ某職他社ニテハ某職等の別
 1.一社管轄府藩縣之内数ヶ所ニ渉リ候別
 1.同管轄之庁迄距離里数


この一連の作業の中で、当然「式内社」の存在を調査。


ある意味、おいちい。(画像/名草神社本殿)

そこらのお社とは格が違うぜ、式内社。


そう、ほんと。

ということは、


そうだ、あれだよ。



いつも応援いただきありがとうございます。引っ張ります。ええ、すみません、引っ張ります。なぜなら、風邪引いてお外へ行けず、退屈だからっ。水曜日の夜中にぶわーっと大汗かいて「あれ?あれ?」。ええ、結構なお熱が出てました。びっくりしました。朝にはケロッと治りましたが、何となくあんにゅい。変なのぉー。
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ありがとうございます。皆様もご自愛くださいませね。

天椅立神社(3)丹後国風土記「天椅立」。橋と梯子と椅

こんにちは。


お客さんを待ちわびる狛犬さんがいるのは、


徳島県三好郡東みよし町の、天椅立神社。


【祭神】伊邪那岐命・伊邪那美命 

式内社「阿波國美馬郡/天椅立神社」論社。


立神社。

「椅」の漢字って、


椅子の、「い」ぐらいでしかお目にかからず。



椅子を立てた神社になっちゃう。


何で「椅」を「はし」って読むのかなぁー?


「天のはしだて」といえば、日本三景のひとつ「天橋立」。


丹後半島の付け根にありま(すみません。素通りしました)。


「天橋立」の由来の伝承は、

「『丹後国風土記』逸文」にあり。


丹後国の成立は、和同6年(713)4月。

加佐・與佐・丹波・竹野・熊野の5つの郡が、丹波国から分かれて成立。

翌月、元明天皇による「風土記」撰進の詔が発せられます。

1、郡郷の名(好き字を用いて付けなさい)
2、郡内に生ずる銀・銅・彩色草木禽獣魚虫等を記録
3、土地の肥沃の状態
4、山や川など地名の由来
5、古老が伝える古い伝承や珍しいお話

上記を言上しなさい、と。


『丹波国風土記』は『奈具社』『天椅立』『浦嶋子』の3つのみ逸文(原文は失われても他の文書の引用文として伝わる)として残ります。


『天椅立』

丹後の国の風土記に曰はく、與謝の郡。郡家の東北の隅の方に速石の里あり。

此の里の海に長く大きなる前あり。
長さは一千二百廿九丈、広さは或る所は九丈以下、或る所は十丈以上、廿丈以下なり。

先を天の椅立と名づけ、後を久志の浜と名づく。

然云ふは、国生みましし大神、伊射奈芸命、天に通ひ行でまさむとして、椅を作り立てたまひき。

故、天の椅立と云ひき。

神の御寝ませる間に仆れ伏しき。仍ち久志備ますことを恠みたまひき。故、久志備の浜と云ひき。此を中間に久志と云へり。


(秋本吉郎校注『風土記』/「日本古典文学大系2」1958/岩波書店)


先名天椅立/後名久志濱/然云者/國生大神伊射奈藝命/天爲通行/而椅作立/故云天椅立/神御寢坐間仆伏/仍恠久志備坐(『釋日本紀卷五』)


『丹後国風土記/逸文』によれば、天椅立とは、


国生みの伊射奈芸(いざなぎ)命が天に通うために椅(はし)を作った。


これが『天椅立』の名の起こりだと。


「椅」は結局何かといえば。

天に通うために作り立てたという文脈から「橋」や「梯子」のこと


ちなみにその椅は、伊射奈芸(いざなぎ)命が寝てる間に倒れ伏してしまい、「こりゃ不思議(クシビ/久志備)だ」と言った。だから後に久志(クシ)の浜という。


天橋立は、倒れた梯子ってことか?(画像/wikipediaより)


そんな、古い古い『天椅立』の名を冠するのが、丹後国から遠く離れた阿波国の


です。

えーっと。天へ通じる橋や梯子の神社?


すごいじゃないかっ。


丹後の天橋立については、柳田国男が現況と一致しないと異論を唱えています。

ハシダテと云へば梯を立てたやうな嶮しき岩山を云ふのが常のことで、其梯が倒れて後に之を橋立と云ふのは不自然なるのみならず、風土記に大石前(おほいそざき)とあるのが今と合はぬ。

此は寧ろ湾の外側の岩山のことであったのを、名称と口碑とが何時か湾内の砂嘴に移って来たものと見られる。」
(『定本柳田国男集』筑摩書房 /新装版)


うーむ。


けわしい岩山どこ?


式内社天椅立神社(論社)って、不思議だなー。

次回、


どんでん返し。


天椅立神社
《住所》徳島県三好郡東みよし町昼間3266




いつも応援いただきありがとうございます。
丹後半島ドライブで、つい面倒くさくてスルッとスルーしてしまう天橋立。おほほほほ。だって混んでるんですものー。しかしまぁ、天へ通じる橋だの梯子だのとはこれまた壮大なお話です。遠いんだろうなー、天って。きっとたどり着く前におばあちゃんになっちゃうのだわっ。

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天椅立神社(2)今日は狛犬日和

こんにちは。


昭和29年のジューン台風の浸水位置を示す鋲があるのは、


天椅立神社。


狛犬、ぴーんち。

おーい、こーまちゃーん。


まあ、ちっちゃな犬歯ですこと。


かわいいかわいい。

今日は、狛犬日和。


子犬な狛犬さんが、お出迎え。


ほっぺた、ぷにぷにしちゃおー。

・・・かたいわ。


すみません。


背中はすっきり、尻尾がぼんぼんぼん、な素敵な後ろ姿です。


でも、ちびちゃん。


吽ちゃんも、体の半分以上が、おちり。

あ。

阿ちゃーん、おいしそうなものあるよー。


すごく前のめり。


ほら。吽ちゃんのしっぽ。


言い過ぎです。


吽ちゃん、ごめんね。ちゃりんちゃりんなの。


それなら、お賽銭って言いましょう。

吽ちゃん、どうしたらいいと思う?


まーつわ♪いつまでもまーつーわ♪(古)

ほっぺた、ぷにぷに。


念じる狛犬。誰か来るといいねぇ。


うーん。(矢印は吉野川氾濫時の最高水位)


吽ちゃん、頑張ってるのにねぇ。


ちっちゃなツノだわぁ。かわいいわぁ。


いつも応援いただきありがとうございます。
全体的にとても若々しく感じる、というより、ほぼ子犬な狛犬さん。背中に骨が浮いたように見えるので、江戸時代の子達かなぁ?とにかくギリギリまで吉野川のお水が来ていたことを思うと、よく無事でいてくれたねーって抱きしめたくなります。

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2月15日追記。お熱出まして、失礼してます。

天椅立神社(1)ジューン台風被害と鎮座地

こんにちは。


派手に道を間違え、


行くは地獄、戻るのはもっと地獄。

突き進め!


死に物狂いでたどり着いた、天椅立神社。南側。


北側。

吉野川北岸の河岸段丘に鎮座するお社です。


調べたらどうも「ジェーン」じゃなくて「ジューン」、日付は正しくは、9月14日。

せっかくの標柱なのに、惜しいなぁ。


《ジューン台風》

昭和29年台風第12号 。
1954年(昭和29年)9月5日に発生した台風。
国際名は「June(ジューン)」。
鹿児島県薩摩半島に上陸。(wikipediaより)

昭和29年(1954)9月13日、台風12号(ジューン台風)により、岩津での洪水流量は15,000立米/秒を記録、治水計画の再検討となった。

岩津上流部の三好・美馬・麻植郡の各地区では家屋の全壊・流失・浸水が続出。

この出水により、死傷者17人、被害者20,230人の被害が出たほか、本川堤防も各所で破堤寸前の危機に瀕し、漏水の規模も最大であった。


(四国災害アーカイブス「昭和29年のジューン台風」より引用)
https://www.shikoku-saigai.com/archives/35280


石段の12段目。


貴重な災害の記録です。

「吉野川の最高水位/1954.9.14/台風12号」


すごかったんだなぁ。


左奥が天椅立神社鎮座地付近。

利根川・筑後川と共に日本三大暴れ川のひとつ「四国三郎」といわれる吉野川ですが、上流域でこの被害とは。


徳島自動車道の向こうが吉野川。

目の前全てが水の中になったんだよー。


ねーねー、狛ちゃんっ。


すごかったんだね。怖かったね。


うんうん。


お水は怖いね。ぜんぶ持ってくからね。


私の生産地、名古屋では伊勢湾台風。

リアルタイムで体験した母は、転居先を決める時に「ここは水に浸かったからやだ」と言い張り、もう今じゃそれはないだろ?と言っても頑として譲りませんでした。

涙目で嫌がられると抵抗など出来るわけもなく、引っ越し先は高台に。

後年、名古屋市内で浸水があった時に、確かに母の言った地域は被害が発生。

昔の人の体験談や土地に残された記録は、無下にせず、ちゃんと聞かないといけないなぁと思いました。

それと、これは関西に来て実感しているのですが、古い神社の鎮座地や、古都の場所ってのは、やはり強い気がします。



狛犬さんが無事だったことから、いろいろ考えさせられた天椅立神社です。


天椅立神社
《住所》徳島県三好郡東みよし町昼間3266




いつも応援いただきありがとうございます。
天橋立神社、ではなく、「天椅立神社」と書くようです。地図で見ると吉野川がすぐそばと言うほどでもないのに、この水位。ほんとに自然災害ってのは怖いです。いつまでも残るように打たれた鋲。しっかり覚えておくことが必要なんだと思いました。

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お手数をおかけ致します。ありがとうございます。

医家神社(4)倭大国玉神大国敷神社二座論社。不思議な美馬郡

こんにちは。


医家神社。

「医家は『イケ』とよみ、祭神が薬神であるためこのように称されたといふ」(『式内社調査報告』抜粋)

あるいは、医家は「池」のことであり、池田町の名の起こりとも(『阿波誌』など)。

イゲ、とも呼ばれているそうです。


違うって。


【祭神】大国主神・少彦名神

【由緒】

寛政年間の火災により社伝等一切を焼失。

式内社「美馬郡・倭大国玉神大国敷神社二座」論社。

元々の祭神は「倭大國玉神と大國敷神」らしいです。

えーっと。

倭大國玉神?

だれ?

「『日本書紀』の崇神天皇6年の条に登場する神で、宮中に天照大神と倭大国魂の二神を祭っていたが、天皇は二神の神威の強さを畏れ、宮の外で祀ることにした」(wikipedia抜粋)ため、二神はお外で祀られることになったそうな。

おん出された形の神様が改めて祀られたのが、大和神社(奈良県天理市)。

式内社「大和国山辺郡・大和坐大国魂神社 三座」で、祭神は「日本大国魂大神」。


やまと、といっても「倭」と「大和」の違いがあるようで。


難しいから、これはここまで。


さて。この「倭大国玉神大国敷神社二座」論社のもうひとつの神社には、以前訪れたことがあります。


倭大國魂神社。「倭大国魂」を冠する式内社
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-807.html



鎌倉時代末期、小笠原長親が構えた重清城のそば。


「重清城」(1)「重清城」(2)「重清城」(3)「重清城」(4)「重清城」(5)

重清八幡神社・倭大國魂神社
《住所》徳島県美馬市美馬町八幡15


医家神社から吉野川を下った美馬市に鎮座。


お耳ぴーんの狛犬さんの言う、すごいお社が、


倭大國魂神社(やまとおおくにたまじんじゃ)



「由緒は不詳。

平安時代の『延喜式』神名帳の美馬郡条にある『倭大国玉神大国敷神社二座』に比定される古社で、大国魂命・大己貴命を主祭神とする。

その御神像は、高さ一尺ほどの剣を杖きて立つ神人の木像で、厨子の背後には、『大島郷倭大国魂神社』の墨書があると言う。」
(現地説明板より)



この中に「高さ一尺ほどの剣を杖きて立つ神人の木像」があるのかな。


『日本書紀』の第10代崇神天皇紀6年に『天照大神・倭大国魂、二神を天皇の大殿の内にお祀りした』とあるが、『延喜式』で『倭大国魂』を冠する神社は他になく、『倭大国魂』との強い関係性が窺える。(現地説明板より)


「『延喜式』で『倭大国魂』を冠する神社は他になく」との言葉が、重いです。

祭神については、

「延喜式亦小祀と爲す重清村谷口里に在り。即ち廢城の東麓なり。
神代紀の註に一書に云ふ大國主神又の名は大物主神、又は國作大己貴命と號す又は葦原醜男と曰ふ又は八千戈神と曰ふ又は大國玉神と曰ふ又は顯國玉神と曰ふ、其祠舊大祭料十ビン、城主小笠原氏割く所、兵燹に罹り小祀と爲る」
(『阿波誌』)


鎮座するのは、河岸段丘の上。


境内には、古墳時代後期(6世紀)の3基からなる大国魂古墳群が築かれ、開口する横穴式石室(全長4.6m、高さ2.2m)をもつ1基が「大国魂古墳」で、段の塚穴型石室の中でも最も古い特徴をもつと考えられている。
神社北側の吉水には「吉水遺跡」があり、弥生後期の住居7軒と東西9間・南北3間の掘立柱建物跡等が発掘されている。

今後の周辺域の発掘によって、「倭大国魂神社」を成立させた集団の様子が明らかになってくるであろう。
(現地説明板より)



付近配置図。

古墳がいっぱい=古くから古墳を作る集団あり。


段の塚穴式石室は、重清八幡神社から東へ。

距離はありますがこの付近を代表する大きな古墳。


立って入れます。


高いドーム型の天井が特徴。

横穴式古墳で、徳島県名産の緑泥片岩、ドーム状玄室、最奥の棚等がとても美しい古墳です。

野村八幡古墳

段の塚穴古墳/太鼓塚古墳

段の塚穴古墳/棚塚古墳

さて。

阿波国式内社は、大社3座3社・小社47座43社。

計50座46社内訳。

板野郡4座(鳴門市・板野郡)
阿波郡2座(阿波市)
美馬郡12座(三好市・三好郡・美馬市)
麻植郡8座(おえぐん/吉野川市)
名方郡9座(徳島市・名西郡・名東郡)
勝浦郡8座(徳島市・小松島市)
那賀郡7座(那加郡・阿南市)


大和国の式内社は、286座216社ですから畿内などと比べるのは無粋。
しかし、同じ阿波国内でこの分布は面白いです。

昔々のこの美馬郡には、いったい何があったのかなー?と気になる配置ではあります。

何たって、大和じゃなくて、倭、だしなー。


それはさておき、医家神社。

社伝焼失により詳細は不明。長生き狛犬さんに尋ねたいところですが


いいよ、無理しなくて。


狛ちゃんが


お茶目さんで


彫刻狛さんも楽しくて


男前のポチがいて


おトイレより大きな木々がある素敵なお社です。


医家神社

《住所》徳島県三好市池田町マチ228




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明治の「何すんねん」時代に注目すると祭神というものが果たして「ほんまにここの祭神なんか?」という疑問を持ちます。式内社もまた、延喜式制定(神社は選定)当時の政権の意向が反映されており、本来重要な意味を持つはずのお社でさえ「式外社」となったかもしれません。歴史は勝者の側の記録によるものであることが否定出来ない以上、美馬郡にはもっともっと勝者に都合の悪い何かがあったのかもしれません。この地域、今後ますます注目されると思います。

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医家神社(3)メガネコアラとザ・和犬

こんにちは。


狛ちゃんしかいないのね。


医家神社拝殿。


これまた勇ましい方々が。

あれ?


あら、かわいい。子狛、もしくは


いや、まさか。


うふふふふ。


左にも、いる。


気になって仕方がない。


大事そうに抱っこしてるみたーい。


鳩胸なんだろうとは思いますが、きゃっきゃうふふ♪です。


本殿。

・・・いたー!!


とても素敵な狛犬さん。


いっぱいいました。

賑やかだなー。


きゃー!!

ポチくーん!!


この子、いいなぁー。

ザ・和犬。


確かに、いい狛犬さんが揃ってました。

うふふ。


医家神社

《住所》徳島県三好市池田町マチ228




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寛政年間に火災で焼失後、再建された医家神社。平成20年に拝殿が改築されたとのこと。氏子の皆さんの力だけで改築するというのは、近年、とても大変なことと思います。おおらかで勇ましい木鼻の狛犬さん達の彫刻、素敵でした。本殿の狛犬さん達は、そりゃもう鼻血が土石流です。

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医家神社(2)文化年間の狛犬の、しっぽ

こんにちは。


ご機嫌な狛ちゃんがお迎えしてくれるのは、


医家神社。

はいはい。狛犬さんにちゅーもくなのね。

今日は、狛犬日和。


二人のお座りがちょっと違うのが面白いです。

おーい。こまーズやー。


二人のこちら側の足の太ももにご注目。ほぼ同じ角度から見てます。


びみょーな違いです。


阿ちゃんは、きちっとお座り。


吽ちゃん、子犬のぺちょん座り。もしくは、おばちゃん座り。


体全体でお出迎えしてくれてますの。

阿ちゃんも見習って。


まんまるのお手手がたまりません。


こしょこしょこしょこしょ。

この子達は、文化年間(1804~1818)生まれ。ほぼ、にひゃくちゃい。


見事です。


ごめんよー。


これまたお見事。


ちょーーっとだけ、腹がしまってるかな。

ね、吽ちゃん。


うーん。このつぶらなお目目、どこかで見た。

あ。


吉野川を挟んで北東の、箸蔵寺鐘楼前の


この子だー!

もしかして、兄弟?


吽ちゃんの、三つ葉のクローバー+フランスパン4本、なしっぽ。


阿ちゃんは、フランスパン4本と、えーっと、何だこれ?

クローバーの上に・・・ちまき?


仲良しこよし。


医家神社

《住所》徳島県三好市池田町マチ228




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狛犬さんを堪能する幸せ。えっちらおっちら走りまくって訪問した甲斐があります。ギョロ目ちゃんが多い中で、こんなつぶらなお目目の狛犬さんもいるんだなー。目は口ほどにものを言うそうですが、この子達は、目も口もとっても賑やかでした。あー、かわいい。

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