天河別神社古墳群。トンネル・アンダー・徳島県最古の古墳

こんにちは。


狛ちゃんに教えてもらった「スゲーもの」。


こんなもりっとしたものといえば、古墳。墳丘頂上には剣神社。


天河別神社古墳群です。

天河別神社古墳群を含む、鳴門市大津町から板野町にかけて点在する「鳴門板野古墳群」は、2016年、国史跡に指定と決まりました。
(国の文化審議会が2016年6月17日、馳浩文部科学相に答申)


「鳴門板野古墳群」(画像/徳島新聞2016/6/18記事より)

「弥生時代末期(3世紀後半)から古墳時代前期(4世紀)までに造られた歴代首長の墓で、時代ごとに変化する築造様式を通し、畿内(近畿)にあった中央政権の影響が大きくなっていく過程が分かるとして評価された。」(「徳島新聞」2016/6/18より引用)


10基以上の古墳があるうち、特に重要なものが1号から6号。

1号・2号で竪穴式石室が発見されました。


天河別神社古墳群地形測量図(鳴門市教育委員会/H21年)


【2号墳】


2号墳は、直径26mの3段築成の円墳。

古墳時代前期前半(3世紀後半~4世紀前半)のものと推定。

埋葬施設は、結晶片岩を石積した竪穴式石室(土の中)。
広口壺・二重口縁壺・短頸壺・甕胴部が出土。


画像上の方に見えるのが、礫敷きのテラス。特徴。

山城でいうところの、帯郭。


3号墳との間の谷。


1号墳は社殿築造により一部破壊されてる様子。


築造時期は、1号墳→2号墳(2011年の二次発掘調査で判明)


【1号墳】


1号墳。直径約25m、高さ3.5m、幅4mの周壕をもつ二段の円墳。

2011年の二次発掘調査により、墳丘墓の特徴を残す「県内最古の古墳」であることが判明。


二段ともに直径約30cmの砂岩礫を基底石とし葺石を施す。

東阿波型土器を供献土器として墳丘に配置。

埋葬施設は、墓壙(墓穴)+外周帯+竪穴式石室(結晶片岩《青石》を石積)+木棺。

石室は古墳の中心部に良好な状態で残っており、内側の大きさは、南北に約4.9m、東西に約1.1m、高さ約1.2m。

石室を二重構造(結晶片岩(青石)の「板石積み」+外側に結晶片岩と砂岩でできた石囲い)の側壁が全周

木棺・遺骨は、腐食し見つからず。

副葬品は、鉄剣2、鉄斧1、鉄製柄1、鏡1(直径約7cmの仿製珠文鏡の破片が出土)、朱(中国産辰砂と推定)を施した土器片。

広口壺・二重口縁壺・短頸壺・甕胴部が出土。


1号墳北側に転がる石(社殿の残骸?一部瓦あり)


1号墳は、

①石室側壁の二重構造が石室を全周
②副葬品が少ない

等から、3世紀後半に築かれたものであると推定。


1号墳北側。幅3~4mの周濠(竹の囲いのとこ)。


1号墳北西方向。


【4号墳】


4号墳。何だかようわからん形。

直径20~25mの円墳あるいは前方後円墳。


4号墳。

埋葬施設はほとんど消滅。
粘土の混ざった礫敷きの埋葬施設下部構造を確認。

神獣鏡2面を出土。


わからなんなりに、楽しい。


と、まぁ、こんな感じの古墳もりもり。


さすがに崩せず、トンネルにしました。


ブロッコリーの中には、古墳時代前期から中期の古墳群。

確かに、スゲーものがありました。


参考文献
鳴門市教育委員会2011『天河別神社古墳群発掘調査報告書』


天河別神社古墳群
《住所》徳島県鳴門市大麻町池谷


マップを航空写真の方へ切り替えた方が、地形がわかりやすいです。


いつも応援いただきありがとうございます。
残念ながら石室は土の中。発掘調査後は土をもりっとさせて保存。現地説明会等でないと見えませんが、尾根の上に点在する古墳群のもこもこを見るだけでも楽しかったです。いったいこの辺りには誰がいて、何をしてたんだろうなー。画像的には「土ばっかり」な感じですが、下手に整備された公園のような古墳より、こっちが好きです。

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土御門天皇火葬塚から天河別神社へ。古墳だらけ

こんにちは。


墓地の中の 穴観音古墳 は、東林院にあり。


周囲は改変されても石室は比較的良好な状態。


その横の 宇志比古神社 から西へ少し。


阿波神社。見た通り、社殿は新しいですが、境内南西には


土御門天皇火葬塚 があります。


阿波神社。古くは、「土御門天皇社」

「土御門天皇廟 池谷村天皇山南麓に在り」(『阿波志』)、通称「天皇さん」。

明治2年(1869)藩主蜂須賀茂昭(もちあき)がこの地を御陵と決め
明治5年(1872)宮内省が再決定し御火葬塚となり
明治8年(1875)土御門天皇社は「丸山神社」と改称。

丸山神社は、昭和15年の紀元2600年記念行事として、社名を「阿波神社」に改め、火葬塚の北東に隣接する現在地に新たに社殿を造営。



「うき世にはかかれとてこそ生まれけめ ことはり知らぬわが涙かな」(土御門上皇)

土御門上皇は、 承久の乱 後に父(後鳥羽上皇)と弟(順徳上皇)が流刑になると、自ら進んで土佐へ。

寛喜3年(1231)。土御門上皇は37才の若さで阿波国において生涯を閉じました。


土御門上皇火葬塚は、火葬塚としては珍しく陪塚が二基あります。

一昨年訪問した時見逃したので次は行くと宣言しといて、

・・・また忘れた。

ちーん。


阿波神社へ入るときはこのトラップにご注意を。乗り上げないでね。

気を取り直して


天河別(あまのかわわけ)神社。

×てんかわべつじんじゃ。← by わたし


まあ、素敵なお社の杜ねー。


こまたん。


自己主張が激しいセロリは苦手です。


ほほう。何があるのかな?


よっこらえっこら。


天河別神社。


「『松童祠』池谷村に在り」(『阿波志』)

「池谷村/松童権現/別当池谷村宝憧寺」(『寛保改神社帳』)

大谷八幡神社(現在の宇志比古神社)の末社

明治3年、天河別神社に改称。

明治3年といえば 『大谷八幡神社 』は向後、宇志比古神社として奉祀候事』とされた年です。



祠っぽいもの。


スゲーものって、これか?


困りました。


横には謎のもこもこ。


背後にも、もこもこ。


もこもこもこもこもこもこも。

もうおわかりでしょーが、ここは古墳。


天河別神社古墳群。

まあ、あるわあるわ。その数、10基以上。


さすがに崩せず、トンネルに。

つづく


いつも応援いただきありがとうございます。
実際の行程は、大麻比古神社と宇志比古・宇志比売神社から県道「鳴門池田線」を東へ進み、天河別神社→阿波神社→宇志比古神社→東林院。
快適なドライブです。古墳というと教科書で見た大きな仁徳天皇陵や丸とカクカクのものなどが思い浮かびますが、実は細々としたものが無数にあるんだなーっと驚きます。大阪府堺市ではスーパーの植栽が古墳だったりするもんなー。

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東林院。四国八十八ヶ所霊場一番奥の院。穴観音古墳と種まき

こんにちは。


明治3年9月3日。大谷八幡神社は宇志比古神社へ変身し、主神の八幡大菩薩は追い出され。


大般若経典六百巻と一緒に神宮寺である東林院へお引っ越し。


大師堂。

山号は「八葉山東林院神宮寺」。高野山真言宗。


【由緒】(東林院HPより抜粋)https://torinin.jp/history/

天平5年(733)行基の開基と伝わる。
大同年間(806~810年)に弘法大師空海が四国霊場御開創の為訪問、滞在。


中世期の記録は、元禄年間(1700頃)に起きた大火で焼失。


何だろか。礎石だろか。


この付近は、石清水八幡宮の荘園「堀江荘」で、その末社 「大谷八幡神社」 が鎮座し、当寺はその神宮寺として存在。

石清水八幡宮に伝わる「石清水文書」の治承2年(1178)の記述に当寺の記述あり。

神宮寺を中心に、東林院・福重院・弥勒院などの塔頭があったものが、東林院が江戸初期には本寺の神宮寺や福重院などを吸収。

学問寺として栄えます。

江戸時代は、高野山金剛峯寺を本山とし、末寺16ヶ寺を有する「中本寺(※1)」となり、特に、阿波の国の真言宗寺院のうち有力な中本寺「阿波八門首(※2)」のうちの一つに。



※1「中本寺」本山と末寺をつなぐ中間管理職的な寺院のことで、地方の有力寺院が担った。

※2「阿波八門首」太龍寺・鶴林寺・薬王寺・荘厳院(地蔵寺)・瑞川院・神應寺・隆禅寺・東林院。


しかし。

明治期の神仏分離令に伴う廃仏毀釈運動の影響により、山門などを失うなど、ピンチ。

大谷八幡宮は宇志比古神社となり、冒頭の画像へ繋がります。



大師堂。


一刀彫じゃなかったのね。


あかんがなーっ。


面白い木組みです。頭をはたかれてるみたい。


【四国八十八ヶ所霊場の番外札所】

弘法大師はここへ滞在中、農業奨励の為、自ら鍬を取り、米麦の種を蒔き、又、疫病、旱魃の際には祈念、祈祷。

出発時に庶民の熱望に答えて等身の像を彫刻。

これが「種蒔弘法大師」


ご詠歌です。

巡礼前に「種蒔大師」に発心(発菩提心)の種を蒔いてもらい、「談義所十輪寺(前札所)」を経て「一番札所霊山寺」に向かう巡礼スタイルは古来よりあり。

一番最初に立ち寄る霊場ってことで、「一番奥之院」とも呼ばれるそうです。


一番札所霊山寺では、


パンダちゃんがお出迎え。


この子は実は東林院本堂前のパンダ滑り台。

うーむ。一番と奥之院は、パンダつながり?



【穴観音古墳と東林院古墳群】


境内の墓地手前に、穴観音古墳。


羨道部は破壊されており、玄室のみ残ります。

「埋葬施設は南東方向に開口する胴張形の無袖型横穴式石室。

石室現存長2.8m、玄室長2.36m・奥壁幅1.5m・玄室最大幅1.72m・玄門幅1.26m。」(『日本古墳大辞典』/東京堂出版)


石室石材はすべてが付近の山で産出する「和泉系砂岩」を使用。


出土遣物なし。築造時期は石室の構造から6世紀後期と推定。


天井。奥の方。


天井。手前の方(玄門の上辺り)


玄門外側。両脇は、後世の組み直し?


墓地 around 古墳。

東林院の裏山は、20基程の古墳で構成される古墳群であったと伝わります。

1998年。四国横断自動車道に伴う発掘調査で、長大型石室に該当する竪穴式石室を持つ古墳(東林院古墳/古墳時代)が調査され、円墳で小竪穴式石室を持つこと、須恵器・鉄刀・鉄鏃・刀子・玉が確認されました。
(『四国縦貫自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告』より)


まあ、何はともあれ、


かわいい狛犬さんがいるので、ぜひお運びくださいまし。

おしまい。


宇志比古神社・東林院
《住所》徳島県鳴門市大麻町大谷字山田66



いつも応援いただきありがとうございます。
何かきっかけがなければ古墳の発掘調査は行われず。先立つものが必要です。穴観音古墳は境内背後の墓地手前にあり、大きく削られてしまっているのが残念ですが、観音様が中にいることで石室は比較的良好な状態なのかなと思いました。

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宇志比古神社(3)元は石清水八幡宮荘園堀江荘の大谷八幡神社

こんにちは。


うしひこじんじゃ、第3回。

宇志比古神社は、「式内社/阿波國板野郡・宇志比古神社」論社です。

ずーっと宇志比古神社であったかというと、よくある「今日からここは式内社」らしい。


「この神社は明治3年まで八幡神社であったが、同年9月3日突如として民政局より『大谷八幡神社は向後宇志比古神社として奉祀候事』との御奉書を賜はり社名を改稱した、と神職は傳へてゐる。」

(略)氏子の半数は今日なほ「八幡様」と呼んで崇敬してゐる。

(『式内社調査報告』)

※ここでいう「民政局」は明治政府が臨時に設けた部局



「大谷八幡神社」が明治3年9月3日、「式内社宇志比古神社」に変身。

土地の履歴を見ると、「八幡神社」がなぜここに鎮座したかがわかります。


【大谷八幡神社と石清水八幡宮の荘園】


ここは、徳島県鳴門市大麻町大谷。


平安時代、石清水八幡宮の荘園「堀江荘」であった土地です。


阿波国に荘園は約60あったといわれ、一例をあげると、

《春日神社》富田荘・津田別納
《東大寺領》新島荘
《高野山領》勝浦荘
《仁和寺領》観音寺荘 

《石清水八幡領》は下記の通り。

「板野郡」萱島荘(かやしま)・萱島西荘(かやしまにし)・堀江荘

「三好郡」三野田保(みのた)

「勝浦郡」生夷荘(いくな)

「那賀郡」櫛淵荘(くしぶち)


【石清水八幡宮の荘園「堀江荘」】

讃岐山脈東端近く、北は山地、南は吉野川下流の沖積平野(鳴門市大麻町と推定)。(『治承2年院庁下文』、『石清水別当慶清領掌/保延4成』)

堀江荘の存在は、石清水八幡宮に伝わる「『石清水文書』治承二年(1178)」の記述が初見。


【領家・本家】 石清水八幡宮領・八幡宮寺別当領・小塔長日勤行供料所
【初見年】治承二年(1178)
【出 典】石清水文書・石清水宮寺録事鈔・石清水八幡宮末社記(続群書類従)

弘安元年(1278)「石清水八幡宮小塔長日勤行供料」に宛てられる。
南北朝から室町期に成立した『石清水八幡宮末社記』にも「堀江荘」の名があり。

国立歴史民俗博物館/データベースれきはく「日本荘園データベース」より引用(荘園コード5909020)
https://www.rekihaku.ac.jp/doc/t-db-index.html



あ、滑り台だったんだ。


石清水八幡宮の荘園「堀江荘」にその末社「大谷八幡神社」があり、別当寺として、


「八葉山東林院神宮寺」がありました。

石清水八幡宮『石清水文書』治承2年(1178)の記述にその存在が記されているお寺です。


「神宮寺を中心に東林院・福重院・弥勒院など塔頭があり、その中でも東林院は戦国大名三好氏の祈願寺として12貫を領し、江戸初期には東林院が神宮寺や福重院などを吸収したものと考えられています。」
(「東林院HP」より引用)https://torinin.jp/history/



さあ、やって来ます。明治の神仏分離が。


【神仏分離と八幡宮】

八幡宮が祀るのは「八幡大菩薩」。


源氏の氏神として全国各地に鎮座。(画像/鷲峯神社)

氏神だけど、菩薩の名前。神仏ミックス。

このため、明治の神仏分離及びそれに伴う廃仏毀釈運動の影響を強く受けます。

荘園の主であった石清水八幡宮は「石清水八幡宮寺」、最高責任者は「別当」という僧侶でしたが、かつて仁和寺の法師が間違えるほど山の麓まで繁栄した石清水八幡宮の姿もこの時失われました。


【大谷八幡神社の神仏分離】


主神である「八幡大菩薩」は、社殿から追い出され、


「大般若経典六百巻」と共にどこへ行くのか。


狛犬さんにお別れして、



神仏分離令に伴う廃仏毀釈運動により経営基盤に大きな痛手を受け、山門などを失いながらもかろうじて残った「八葉山東林院神宮寺」へ。


狛ちゃん、だいじょーぶ。


八幡大菩薩様は、社殿を出て石段を下りて、右折しただけだから。


こらこらこら。

でもやはり、ずーっとそこにいた神様が追い出され、いきなり上から「今日から宇志比古神社!」と押し付けられてもねぇ。



「氏子の半数は今日なほ『八幡様』と呼んで崇敬してゐる。」(『式内社調査報告』)って、そりゃそうでしょう。


宇志比古神社
《住所》徳島県鳴門市大麻町大谷字山田66



いつも応援いただきありがとうございます。
いきなりパンダで失礼しました。東林院にあったパンダ君は実は滑り台。うふふ。今は宇志比古神社、昔は大谷八幡神社。由緒を追うときにいつも思うのですが、「式内社」の称号ってのもなんとまあ不確定で不安定で怪しげなものかと。狛犬さんも大混乱しますよねぇ。

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宇志比古神社(2)大谷焼と重要文化財の本殿

こんにちは。


「足の間のお父さんが大きいので、隠しました」な狛犬さんの、


宇志比古神社です。


かわいい狛犬さんがいた 宇志比古・宇志比売神社 と共に

「式内社/阿波國板野郡・宇志比古神社」論社です。


誰がおばちゃんなのかしら?つん。


石段しか見えません。ぎょー。


はーあーーーー。よっこらしょ。


ここ、鳴門市大麻町大谷付近は「大谷焼」が有名とか。


阿波徳島藩第12代藩主・蜂須賀治昭が九州より職人を多く雇い入れて天明元年(1781)大谷村に藩営の窯(藩窯)を築きます。
これが阿波初の染付磁器。

しかし、原材料を九州から仕入れたため、不採算。3年で頓挫。

天明4年(1784)、藍商人の賀屋文五郎(笠井惣左衛門)が、江州(現滋賀県)信楽焼の職人を呼び、陶土と釉薬は地元の萩原と姫田から調達して、登り窯「連房式登窯」を民窯として生産開始。

これが「大谷焼」の始まりとされます。

(公益社団法人徳島県物産協会「阿波の手仕事・大谷焼」より)
http://tokushima-bussan.com/crafts/otaniyaki/



かつては数十あった窯元は、今は7件。その窯元からの奉納。


拝殿。


ボケてますが木組が素敵だったので強引に掲載。ほほ。


左から、拝殿、幣殿、本殿。


本殿は、重要文化財。

「建立年代は、棟札・細部の様式及び技法から、慶長4年(1599)と考えられる」本殿は、

「徳島県下の神社建築本殿として最古例と考えられる重要な遺構である。」


構造は、三間社流造、銅板葺。

「庇を板敷として両側面の切目縁に連ね、縁に段差を付けるなど、変化に富んだ特徴的な形式になる。」



「装飾が少なく全体として簡素なつくりだが、蟇股や手挟、木鼻など彫刻の細部は洗練された意匠をもつ。

内外とも素木であるが、外陣内部内法長押に唐草文様を描き、内外陣境板扉には松を描く。」
(←この説明部分は見えません)

(以上、緑文字「」内は文化遺産オンライン「宇志比古神社本殿」より引用)
http://bunka.nii.ac.jp/index.php


どうも「今、お寺にいるの」な気分だったようです、私。


神社に鳥居、オカシクナイ。(画像/宇志比古・宇志比売神社

なぜ頭が混乱したかというと、


宇志比古神社に向かって左には、


「八葉山東林院神宮寺」がありまして。

そう、今は「宇志比古神社」であるこの神社のかつての神宮寺です。

つづく。


宇志比古神社
《住所》徳島県鳴門市大麻町大谷字山田66



いつも応援いただきありがとうございます。
大谷焼で、信楽から職人を連れてきたのが藍商人で、大谷焼で作るのが水甕や藍甕。あー、そうだった、徳島県吉野川流域は藍の産地だったと思い出しました。信楽焼といっても、タヌキじゃないんだなー。大谷焼祭りは毎年、宇志比古神社前や隣の東林院で行われるそうです。

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宇志比古神社(1)むちむち狛犬と危険な狛犬

こんにちは。

今日は狛犬日和。


ごきげん狛ちゃん。


くねくねする狛ちゃん。

徳島県へ来てはじめて会った狛犬さんがこの子達。


ええ、私も笑ったのなんの。

笑いすぎて笑いすぎて、


おまいりするのをすっかり忘れ、そのまま立ち去ってしまったのでした。


てことで、リベンジ・宇志比古神社。


ご親切に、どーも。

長い長い参道を進んで


おおおっ。ここにも狛犬ズ♪


あらやだ、ほんと、危険。

・・・狛ちゃんの、アレが、きけん。


むふふふ。こっちは安全。


隠さんとな。狛ちゃんのお父さんが大きくてリアルでですな。


阿吽どちらもくねっとひねって、参道を来る参拝者をお迎えしてくれます。


本心はこちら。


おおおおお。


何とも艶かしい狛犬さんの後ろ姿。


小顔なんですな。


ぼん、きゅっ、ぼーんの吽ちゃんが語る理由は


こんな危険なところにいるからですの。安全運転よろしくですね。


何となく阿ちゃんの方がたくましく感じますが、

いろんな意味で危険な狛犬さんです。ふふ。


宇志比古神社
《住所》徳島県鳴門市大麻町大谷字山田66



いつも応援いただきありがとうございます。
社頭の狛犬ズは、こちらの狛犬さんを模したのかな。それにしても、まー、ほんとに愉快で笑顔まんたんの狛犬さん達です。見ているこちらも、うひゃーっと笑いだしてしまいます。あー、かわいい。むちむちっとしてるとこも全部かわいい♪

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宇志比古・宇志比売神社(2)式内社宇志比古神社論社。寒い狛犬

こんにちは。


宇志比古・宇志比売神社。

うしひこ・うしひめ神社。


わんぱく狛犬さんがお出迎え。

鎮座地は、徳島県鳴門市大麻町板東牛ノ宮東。

「牛ノ宮」の地名がお社の名前と音が同じですね。


謎の石。


すみません。


拝殿。倉庫じゃない。


大麻比古神社 の境外摂社です。

「式内社/阿波國板野郡・宇志比古神社」論社。


拝殿の背後に、二つの本殿。

現在の祭神は、大己貴命・少彦名命

ですが、地名・神社のお名前からみれば、祭神は「宇志比古・宇志比売」であっただろうと考えるのが自然かと思います。

さらに、宇志比古(ウシヒコ)は天忍日命(オシヒト)と音が近いので、祭神は天忍日命かと推定されています。

「寛政九年ノ頃思ヒシハ、天忍日命ナラムカト考證ニモ書イレタリ。今案、天忍人命ナラム歟。此神ハ淡路國三原郡掃守村ニモ祭レリ。ウシヒコ、オシヒト、音近シ」(『阿波國式社略考』)


宇志比古様と宇志比売様はどこへ?


狛ちゃん…(T_T)


まことに「祭神」というのは不安定なもので。


がんばれ、こま!

さて、本殿(むかって右)


おや?米俵とちゅーちゅー?


大麻比古神社末社、 西宮社 の子にそっくりです。


ご、ごめん、持ってない。


ごめんよごめんよ。


かわいい・・・。


本殿(むかって左)。


お高いわっ。

現在の祭神は大己貴命・少彦名命なのでやはり米俵?


・・・かっぱ?


ごめんよ。でもね、 大麻比古神社の狛犬さん達 がおしゃれ過ぎるのよ。


狛犬、心からの叫び。


宇志比古・宇志比売神社
《住所》徳島県鳴門市大麻町板東牛ノ宮東18



いつも応援いただきありがとうございます。
住宅街の中に鎮座する小さなお社。玉垣はなくてもそれがかえって周りに溶け込んだ優しい感じになっていました。朝のお散歩などの時に気楽におまいりできるのも、「私の町の神社」のいいところだと思います。格式高いお社も近所の公園のようなお社も、どちらも同じ神社。きれいに掃き清められた境内はとても気持ちが良かったです。

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宇志比古・宇志比売神社(1)わんぱく狛犬日和

こんにちは。

今日は狛犬日和。


そんな公園ではありません。神社です。


みかん神社。

ちゃう。

宇志比古・宇志比売神社です。


ちっちゃいけど、狛犬さんがいます。


何して遊ぶ?


隠れるところがございません。


昔の子供かっ。

ブランコ、滑り台。暖かくなったら近所の子達が遊ぶのかな。


狛犬登りとか、されそうね。


彫りは浅いですが、わんぱくな子犬みたいにかわいいです。


うーむ。かぶっとるな。


かわいそうに。


吽ちゃん、優しい言葉をかけてみる。


単純である。おや、おひげは縦ロール。


鼻ぺちゃ、なんて♪気にっしないっわ~♪(古)

そしてここにも、


米俵とちゅーちゅー?な、子がいました。


宇志比古・宇志比売神社
《住所》徳島県鳴門市大麻町板東牛ノ宮東18



いつも応援いただきありがとうございます。
大麻比古神社から南へ少し。JR高徳線が境内の南を走り、板東駅はすぐそこ。住宅街の中に鎮座するお社です。何はともあれ、今日はかわいい狛犬さんを愛でてみました。わんぱく小僧なお顔をした阿ちゃんと、静かに微笑む吽ちゃん。小さな公園・・・いや、小さなお社によく似合うちびっこな狛犬ズです。

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大麻比古神社末社、西宮社。手編みマフラーな狛犬さん

こんにちは。


毎年お着替えしてる 大麻比古神社 の狛犬さん。


吽ちゃんの、一昨年 (平成27年/2015)1月。


昨年 (平成28年/2016)3月の吽ちゃん。


今年 (平成29年/2017)の吽ちゃん。


拝殿前の、昨年(平成28年/2016)3月の 狛犬さん

宝暦12年(1762)生まれ。


今年(平成29年/2017)。ふりふりひらひら紅白。


いじける神馬さんにご挨拶して、


こんなものすごい道を通り臨時駐車場へ行く途中。


末社・西宮社に遭遇。


はじめまして。


お、何かいる。


米俵と・・・ちゅーちゅー?


えーっ。


この子達、マフラーしてます。


すごいなぁー。手編みのマフラーだなんて、青春だなぁ。


ほんとにここの狛犬さん達は愛情いっぱい受けて幸せね♪


照れんでも。


お互い様かと。


あー、米俵じゃなくて、ストーブとか火鉢かしら?

平和な一日で何よりです。


いつも応援いただきありがとうございます。
米俵に手を添えたネズミさんかと思いましたが、尻尾などを見ると、狛犬のような?手編みのマフラー、しかもふさふさまでついたオリジナルのなんて、素敵ねぇ。ほんとにこの大麻比古神社の子達は大切にされてるなぁーっと、心がほこほこしました。

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蜂須賀家家老稲田氏を救った神使はうさぎ。白人神社のうさぎ灯籠

こんにちは。


なんだこりゃ?


はて。


おやぁー?


白人神社 の、うさぎさん灯籠です。


何でしょう?


元治元年(1864)。池田屋事件が起きた年。

それと、「神威放光燈」。


・・・はいはい。ぴかー。


尾州生まれの私は当社の別当「浄□寺」の職に任ぜられ、明神の冥恩に報いる為にこの石燈籠を奉納します・・・っぽい。

浄土寺かなぁ?ちょっと読みにくい。


白人神社は古来、広大な社領を有した「白人大明神」と称するお社で、忌部(いんべ)族の子孫とも言われる 「75人の宮人(みょうど)」 が、白人神社の祭祀の中心を担い、また、武装して防衛に当たっておりました。

藩政時代に入り、脇町へ蜂須賀家家老の 稲田氏 が入ると、宮人の武装は解除されます。

宮人(みょうど)達は自らの姿を木像に刻し、神前に侍らせました。
今も神様と共にいます(75体の神像が社殿内に奉祀)。(『穴吹町誌』1071頁)。



うさぎさん灯籠その2。やっほー。

阿波徳島藩筆頭家老・稲田修理亮示植(しげたね)は、大阪冬の陣で負傷して倒れ。

示植の耳をくわえて引き起こしてくれたのが、


白人神社の神使、うさぴょん。

白人神社は、慶長年間(1596~1614)初め、この稲田修理亮示植による再興といわれ、以降、稲田氏代々の崇敬を集めます。


寛文元年(1661)稲田主税助植春奉納、彗雲鉄啀の書。

彗雲鉄啀は浅井長政の曽孫といわれる禅宗の僧。書画に通じ楊柳観音図が著名。

こんな白人神社(白人大明神)ですから、別当寺もあったのでしょう。


石燈籠1基でとても勉強になりました。どうもありがとう。

さて。


拝殿右横の縁側に


ぶんぶく?


あらやだっ。わんわん発見!


わんこ・・・だよね?


金丸八幡神社 のこの子に似た顔。


境内の隅っこで見つけた。御幣かしら。素敵な瓦です。


ひよこは飛ばないけど、飛んでるひよこ?


平成27年に強風による倒木で壊れた鳥居は、平成28年5月に氏子さん方の尽力により再建


危険なので境内の木々が一部伐採されましたが、


うさぴょん灯籠や狛犬さんを守るため、苦渋の決断だったと思います。


お隣の 磐境(いわさか)神明神社 の鳥居はまだ再建ならず。


こちらは少し崖崩れもしたのかな?


お正月のお飾り付けた狛ちゃんが、いじらしくて、もう…(T_T)

まー、この日はどしゃ降りで寒くて寒くて。


お世話になりました。


すっきりしたのは、境内です。


いつも応援いただきありがとうございます。
昨年訪れた時に白人神社の由緒等を記事にしましたので、今回は境内お散歩。リアルうさぴょん灯籠に刻まれた文字は一部読みにくかったですが、別当ほにゃら、ってのがわかっただけでも大きな収穫。鉄の鍋みたいなものの取っ手(?)に、わんこ。徳島県はほんとにわんこ好きなのね♪

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