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医家神社(2)文化年間の狛犬の、しっぽ

こんにちは。


ご機嫌な狛ちゃんがお迎えしてくれるのは、


医家神社。

はいはい。狛犬さんにちゅーもくなのね。

今日は、狛犬日和。


二人のお座りがちょっと違うのが面白いです。

おーい。こまーズやー。


二人のこちら側の足の太ももにご注目。ほぼ同じ角度から見てます。


びみょーな違いです。


阿ちゃんは、きちっとお座り。


吽ちゃん、子犬のぺちょん座り。もしくは、おばちゃん座り。


体全体でお出迎えしてくれてますの。

阿ちゃんも見習って。


まんまるのお手手がたまりません。


こしょこしょこしょこしょ。

この子達は、文化年間(1804~1818)生まれ。ほぼ、にひゃくちゃい。


見事です。


ごめんよー。


これまたお見事。


ちょーーっとだけ、腹がしまってるかな。

ね、吽ちゃん。


うーん。このつぶらなお目目、どこかで見た。

あ。


吉野川を挟んで北東の、箸蔵寺鐘楼前の


この子だー!

もしかして、兄弟?


吽ちゃんの、三つ葉のクローバー+フランスパン4本、なしっぽ。


阿ちゃんは、フランスパン4本と、えーっと、何だこれ?

クローバーの上に・・・ちまき?


仲良しこよし。


医家神社

《住所》徳島県三好市池田町マチ228




いつも応援いただきありがとうございます。
狛犬さんを堪能する幸せ。えっちらおっちら走りまくって訪問した甲斐があります。ギョロ目ちゃんが多い中で、こんなつぶらなお目目の狛犬さんもいるんだなー。目は口ほどにものを言うそうですが、この子達は、目も口もとっても賑やかでした。あー、かわいい。

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医家神社(1)みかん食い競争と大きな木

こんにちは。


箸蔵寺から、


山を下り、吉野川を渡って右。

・・・南西へ。


むふん。


みかん食い競争。


おっ♪

こーまちゃーん♪


いいお返事です。


・・・にゃは。


おや?


狛犬は歯が命。ついでにお鼻も。


後ろ姿が、子犬みたいです。


大きな木。いったい何歳なのかなー。


ほぉら、おトイレと比べたらこんなにおっきい。


落ちたらたーいへんっ。


おまいりしたのは、1月の三連休。

こちらも、素敵な子達と出会うことが出来ました。

つづく。


いつも応援いただきありがとうございます。
とっても笑顔な狛犬さん。こっちも「うひゃっ」と笑ってしまいます。いい子達だなぁー。毎日、こんな笑顔で過ごせたら幸せだなぁー。村の鎮守の趣のお社には、やっぱり笑顔満載の狛犬さんがよく似合いますね。

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諏訪神社。徳島市の狛犬天国

こんにちは。


へいへいへい♪な、おっきい狛犬さん。


ミカンがキンカンに見えるぜ、どすこい♪


徳島市の諏訪神社。

眉山北麓の諏訪山に位置し「佐古のお諏訪さん」と親しまれているお社。

1585年。四国征伐の後に秀吉が蜂須賀家政に命じて徳島城を建てさせた時に徳島城の鬼門守護のお社として創祀され、以後、徳島藩主蜂須賀家代々の崇敬を受けます。


あなたがでかいのよ。


違うぜ、べいべー。

さて。お参りしたいのですが。


君子危うき道は通りません。

向かって左の坂道を、進むとですな。


こんにちは。


おめめとー。


子狛だけど、慶応2年(1866)生まれ。


さてこちらに。


ぎょ。


こっちか。


あらまあ。


きゅん。


こら。


・・・仕方ない。


お隣の祠に、先代さん。


こちらも兄弟。


にーちゃん、聞いてあげて。





ぷすぅーっと。


いつも応援いただきありがとうございます。思い出の狛犬を見ていたら、やはりこちらの諏訪神社は秀逸。どすこーい!な狛犬さんも、しょぼぼぼんっの狐兄弟も、こちら以外で会ってないです。懐かしいので、再掲しました。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

金丸八幡神社(7)ここに狛犬

こんにちは。


まだ見ぬ狛犬さんを探す、狛犬かくれんぼ。


私はあさっての方向を見ておりましたが、皆様いかがでしたでしょーか?


どこだー。


ん?


おったー!


こんなとこにぃー。


おちりとおちりでおちりあい。

答え合わせをすると、


ここ。


ここ。

ふふふふ。


石灯籠の上には八幡様のとこの、はとぽっぽー。


下の方には、壁に耳あり


障子に目あり。


石灯籠に阿吽の狛犬さんが浮き彫りにされているのは、はじめまして。

天保5年(1834)、八幡宮、の文字が見えます。


君は光 僕は影 @ベルばら。


みぃー?


たぁー?


なぁーって、言ってくれ。


反対側の、ちびっこ。


何が聞こえるのかな。


はい?


誰からそんなお話をっ?


こら!


全身で表す狛犬の純愛。


かわいいじゃないか。


いつも応援いただきありがとうございます。
まさかこんなところに狛犬さんがいるとは思いもよらず。こんなかわいい狛犬さんもいるんですねー。ちっちゃいのに、ころんころん。張りついているのに、ころんころん。この子達に会えただけでも、はるばる徳島県へ行った甲斐があるというもの。うふふふのうはは、でした。

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いつもありがとうございます。

金丸八幡神社(6)狛ちゃんとかくれんぼ、再び

こんにちは。


貴重な磐境なる石達を堪能した、金丸八幡神社。

さぁて。


お帰りですよ。


・・・日没前にホテルへ着きたいです。


聞いてますか?

あああ、このぷりんっと、もきゅんっとして、バターロールが生えたみたいなおちりの狛ちゃんには、勝てない。


集まってきた。

もーいーかぁーい♪


おっしゃ。


三加茂駅と電車。


本殿北側に並ぶ磐境くん達。


徳島県へ行くまで知らなかった、地神塔なるもの。

地神社。蜂須賀氏が恐れた神罰と阿波国独特の地神信仰

http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-353.html


ご寄付の数々。


どこだー。


めんどくさいわー!


・・・ごめんごめん。


どこかしら?

うふふふふ。


いつも応援いただきありがとうございます。
神社の周りの石達をゆっくりゆっくり眺めて、氏子の方とたくさんお喋りして、お腹いっぱい。道の駅でお買い物もしたいし、暗いのは苦手なのでホテルへ早く着きたいし、そろそろ帰らなくちゃーと思って車へ向かったときに、狛犬さん発見。あたふたあたふた。今日の画像の中にちゃんと写りこんでおりますが、さぁて、どこにいるでしょーか?

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いつもありがとうございます。

金丸八幡神社(5)磐境の生い立ち

こんにちは。


あっと驚く金丸八幡神社。


びしっと立てられた徳島名産の結晶片岩。

磐境(いわさか)と現地案内板にありました。


【磐境(いわさか)って何だー?】

文献上では『日本書紀』。

高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の『磐境神籬(いわさかひもろぎ)の神勅』の記述(同文は『古語拾遺』にもあり)。


「私は高天原で皇孫(すめみま)命の為に天津神籬(あまつひもろぎ)、天津磐境(あまついわさか)を起樹(おこした)て、斎(いはひ)奉るので、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、天太玉命(あめのふとたまのみこと)も神籬を捧げ持って地上に降りて、皇孫命の為に斎奉れ」(『日本書紀』神代天孫降臨章第二の一)


「神籬と磐境」を設けて祭祀をしますよ、ってこと。


「天津神籬(ひもろぎ)」

青柴垣(あおふしがき/青々とした潅木の垣根)で囲んだ中に、榊などの常緑樹を立てる。
これを「神が宿る憑依物(依代)」として神の降臨を願い祭祀を行う「神籬祭祀」といいます。

『日本書紀』で「起樹(おこした)て」と記している点が面白いです。


「天津磐境(いわさか)」

巨石や岩石で周囲と区画分けし、神の降臨を願い祭祀を行う「磐境祭祀」のこと。


「その実態については古来諸説あるが、社殿発生以前に神を祭るため、臨時に設けられた小規模な石囲いの施設と考えるのが妥当である」
(『国史大辞典』・『磐座・磐境等の考古学的考察』/大場磐雄『神道考古学論攷』所収)


【金丸八幡神社の立たされ石ズ】


さて、そこで金丸八幡神社のこの石達です。


新しい玉垣で囲まれる部分(西側から南、東側)と


立ち並ぶ石の外側に新しく玉垣が設置された区画(北西)と


石達が囲む区画(北側)があります。


明治28年の神社周辺の石の並び。総数387個(判明分のみ)。


「明治に入って、畑作の邪魔になるこの石をのけようとした人々があったが、いずれも腹が痛んだり、怪我をしたりするので、未だに誰も石にさわろうとはしない。」(『三加茂町史』より)

きゃー。


ギリギリ舗装。


さてここで、もう一度金丸八幡神社の由緒に戻ります。

金丸八幡神社は萬治3年(1660)に「八幡宮」として新しく建てられたもの。

「社記によると、往古『建石神社』と称し大己貴命を祀った。中古、金丸山腹に鎮座していた八幡神社を合祀して金丸八幡神社(当時は八幡宮か/by私)と呼ばれた」(『式内社調査報告』)


かつて「建石」と呼ばれる石の列があることは知られていたようですが、これを「磐境」と表記し始めるのは明治以降。

『記・紀』などの古典研究が進み、江戸後期以降に復古神道や国学が流行し、やがて明治新政府へと突っ走る中で、磐座や磐境等の古語が復活。


「この列石は霊域を標榜したもので一種の磐境であるといわれていた。」「国鉄徳島本線三加茂駅に接する八幡神社の境域をめぐり、二重に板石を建てめぐらしていることは古くから知られ、かつて、これを古代の神籬石というような古いものでなく、境域を限り、神域を郭する二重の列石に過ぎないことを確めた。」(『三加茂町史』現地案内板表記引用)


「ここから神域」を示す境目として何かしたいな、お?緑泥片岩がいっぱい♪立てて玉垣にしちゃおー♪っと並べていた建石ですが、


磐境と呼んでって石が言うから今日からこれは磐境くん。

つまり、「神域を示す無名の石達」に、古い呼称を新たに用いて「磐境」と呼び始めたということ。



古い古いほんとの磐境なのか、おニューな磐境なのか、一口に「磐境」といってもいろいろあるんだな、ってお話。



しかし、古代祭祀跡ではないとはいえ、このように巨大な平石を立てて築造した列石は珍しいもの。

大切にしないといけませんね。


道路拡張の時なんかは、要注意。

継続して監視し続ける必要があると思います。


いつも応援いただきありがとうございます。
いわさか、かんなび、かむくら、等と聞くとわくわくしますが、それがほんとに古代祭祀跡なのか、古い言葉を当てはめたものなのか、は、注意することも必要なのでしょうね。金丸八幡神社の石達は、石垣ではなく、立てているところが珍しいです。よほど大きな石がざっくざくだったんですね。

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いつもありがとうございます。

金丸八幡神社(4)石つながりで、磐境神明神社

こんにちは。


金丸八幡神社の立たされ石ズ(違)。


磐境(いわさか)との案内板がありました。

徳島県で、磐境、といえば。


高さ100m程の明神山。


うさぎさん灯籠の白人神社の横です。


木々が倒れ山が崩れ鳥居が倒壊した恐怖に泣く狛犬さんの奥に

心臓と肺がぺろーんっとお口から出そうな、急な石段。


こちらにあるのが、


「磐境神明神社」


「『白人大明神由来書』(1779)によると、白人神社より約1町(109m)上の段の『明神山』という古社床といわれる所で、寛保年間(1741~1743)に芝刈の際に以下の石垣が発見されたという。

記された内容は、

長さ八間余(約15m)、横幅四間余(約7.5m)。
東南方向に入口2ヵ所、内側は長さ六間(約11m)幅約一間(1.8m)

とあり、現状とは異なる。」


(美馬市「市指定文化財/神明神社」より引用)
http://www.city.mima.lg.jp/kankou/bunka/shishitei1/0011.html


現地説明板によれば、この『白人大明神由来書』(1779)が文献での初見。



独特な雰囲気。


開口部が3つ。

現況、南北約7m、東西約22mの石垣による長方形の囲状(現地説明板より)。

往時より細長くなったのかな?


露出しているのは、一面のみ。


盛り土によって、石積は埋もれています。なんでかな?


「昭和30年頃、財宝(源為朝)を捜索して大規模に掘削。

特に東方では約15mほど掘り下げたといわれ、これにより崩壊寸前になったため、昭和57年一部修復している。」


(美馬市「市指定文化財/神明神社」より引用)
http://www.city.mima.lg.jp/kankou/bunka/shishitei1/0011.html


・・・源為朝は、白人神社の伝承にあり。
為朝の放った矢が毘沙門山に当たって跳ね返り、白人神社へ落ちたと。

では、露出している東側から拝見。


ここから中は、神域です!な、感じ。


開口部の上には、薄い薄い一枚岩。


上から見ると、こう。


内部には祠。(北東から南東方向)


祠の上部左右を一枚岩が囲み、壁面を支えるように組まれた基段の石組。


「社地は石堤をもってこれを囲み東西十二間南北四間にわたり方形をなせり、石堤は磐境(いわさか)なるべしすこぶる古色を帯部なり」(『阿波名勝案内』)

「白人神社の奥社と言われ、頂上付近の石堤は古代の磐境(いわさか)とされる。」

(徳島県立図書館/郷土研究発表会紀要第45号「白人神社祭礼について」より)
http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/45/4528.html


磐境(いわさか)なるものの論考はまずは置いといて、
何事もまずは「目ん玉」かっぽじって(痛い)よぉく見ましょー。



金丸八幡神社は、起立。


磐境神明神社は、石積。

何かを囲んでる、そんな感じ。



南東から北西方向。

「築造年代の詳細は不明だが、石積技法や『白人大明神由来書』の記述から、少なくとも現在の姿については近世以降のものである。

成立年代は比較的新しいが、神社遺構として他に類例がなく、貴重な資料である。」


(美馬市「市指定文化財/神明神社」より引用)


文献や技法からの考察では、古代祭祀遺跡とは断定してないですね。



祠は五座。

何とも不思議なものですが、

イスラエル国元駐日大使エリ・エリアフ・コーヘンが招かれてこの地を訪れた際に「自然の石を積み上げた祭壇は、ユダヤ教の神殿とこの神社以外では見られない」などと言ったそうで。

この辺りの方言とイスラエル語の共通点や、祭事の日程が同じとか、様々な論考が見られますが

・・・学術的に解明される日を待ちましょう。



真相はどうあれ、森の中でこの雰囲気は、神域なのねぇと思うに充分。

そーっと静かにしておかなくてはならないものだと感じました。


静かにしてください。


白人神社
《住所》徳島県美馬市穴吹町口山字宮内2番地


神明神社は白人神社の南西100mほど。


いつも応援いただきありがとうございます。
磐境つながりで、磐境神明神社を再びご紹介。元大使のほにゃ発言やパワーほにゃブームに踊ることなく、客観的に静観し解説している美馬市の姿勢はいいなぁと思います。決して石だけが大切なのではないです。石達が一生懸命守っている辺り一帯の雰囲気も含めて、これからも大切に守るべきものがここにはあると思います。

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いつもありがとうございます。

金丸八幡神社(3)ずらぁり並ぶ石の行列

こんにちは。


金丸八幡神社。


いいんだよ。八幡さんといえば、はとぽっぽーなんだよ。

八幡さんの祭神「応神天皇」の神霊が金色の鳩に変じたとか、「宇佐八幡 から石清水八幡に分霊する際に金鳩が出現した」 とか。

いや、それより、君は誰。


よーしよしよしして、狛ちゃんの後ろから一旦神社を出ますと。


石がずらぁり in 玉垣。


磐境(いわさか)とは、

堅固な神域または祭壇。

「天つ神籬(ひもろき)及び天つ磐境を起し樹(た)てて」(『日本書紀/神代下訓』)(三省堂『大辞林』/「コトバンク」より)


えーっと、とっても神聖なとこの境界?

まあ、今日は難しいことはおいといて、見とくんなはれ。


これは神社の南西角。石の行列は、神社の北西から北側。


意図的に並べられたのは、確実です。


自然の戯れ。


北側。国道に沿ってずらぁり。


延々と続きます。


石の大きさには統一感はあまりなく。


道路拡張のため、歩道が迫りますが、


ものの見事に並んでいます。


徳島県名産の、きれいな結晶片岩です。


少し小さくなりつつも


小さいなりにきちっと並んでいます。


・・・ちょいと黙ってくれんかね。

不思議ですねー、神秘的ですねー、って言いたいのにっ。


そうそう。

で、これは何かというと。


壁に耳あり、


障子に目あり。

あらやだ。言えないわっ。

・・・ごまかして、つづく。


いつも応援いただきありがとうございます。まずはずらぁりと並ぶ石の不思議な感じがお伝えできれば。石の反対側は、車がびゅんびゅん通る国道ですが、この石の行列により境内は何とも静かで「じんじゃー!!」な雰囲気になっている気がしました。人の手により意図的に並べられていることは、一目瞭然。石が勝手に並んだらそれはホラー。ただいま大いに悩み中。
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いつもありがとうございます。

金丸八幡神社(2)八幡大菩薩と式内社

こんにちは。


狛犬かくれんぼの金丸八幡神社。



【祭神】應神天皇・武内宿禰・神功皇后

【由緒】(境内説明板より引用)

式内社「阿波國美馬郡・田寸神社」論社

萬治3年(1660)に「八幡宮」として新しく建てられ、その後何回となく再興・修理 が加えられ維持されてきた。

明治4年「神仏分離」後、八幡神社と改称し神殿を造営
明治13年。弊殿・拝殿を新造し現在の神社となる。
明治42年。地域の小宮を集めて境内神社として社殿を作った。

平成8年。社殿全体の老朽化に伴い、氏子の発意で大規模改修工事。



【神仏分離と八幡宮】

八幡宮が祀るのは「八幡大菩薩」。


源氏の氏神として全国各地に鎮座。(画像/鷲峯神社)

氏神だけど、菩薩の名前。

八幡宮は神仏習合がわかりやすく表れており、例えば京都の石清水八幡宮は「石清水八幡宮寺」といい、最高責任者は「別当」という僧侶。

このため、明治の神仏分離及びそれに伴う廃仏毀釈運動の影響を強く受けます。

仁和寺の法師が間違えるほど山の麓まで繁栄した石清水八幡宮の姿は、失われました。

金丸八幡神社もまた、「明治4年『神仏分離』後、八幡神社と改称し神殿を造営」とありますから、同じ。

地方でも几帳面に神仏分離が行われたんだなーっと、思います。


・・・まぁ、難しい事はさておこう。


吽ちゃんは見当たらず。


寂しげな、ぼーんっのおちり。


さてこの金丸八幡神社。

式内社「阿波國美馬郡・田寸神社」論社のようで。

延喜式は平安時代に定められたもの。

金丸八幡神社は萬治3年(1660)に「八幡宮」として新しく建てられたもの。


誰がおばちゃん、だ。


「社記によると、往古『建石神社』と称し大己貴命を祀った。中古、金丸山腹に鎮座していた八幡神社を合祀して金丸八幡神社(当時は八幡宮か/by私)と呼ばれた」(『式内社調査報告』)


元々あった「建石神社」が田寸神社の論社。



後から合祀された八幡神社ですが、名前はこっちを優先されたので、少しややこしい。


神様のシェアハウス。

「明治42年に地域の小宮を集めて社殿を作った」とは、要は、神社合祀ですな。


落っこちそうです。


えーっと。いらないかなー。


よーしよしよしよしよし。


なぜもう少し大きな台座にしてあげないのかしら。

でもこのぎりぎりな感じも、この子達の特徴。どきどき。


いつも応援いただきありがとうございます。徳島県らしい狛犬さん達。どの子もとっても笑顔で、よーしよしよしよしよしってしたくなります。神社の現在の祭神だけにこだわると、その神社の歴史そのものを見失うというか、明治の政策後の誘導に乗っかるような気がして、かなりイラッとします。
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いつもありがとうございます。

金丸八幡神社(1)飴ちゃん狛犬家族と狛犬かくれんぼ

こんにちは。


JR四国徳島線の三加茂駅。単線で無人駅です。

時刻表を見たら1日に14~15本ほど停まるようです。


え。


違います。


金丸八幡神社です。


はい、何でしょう。


大きなお手手とあんよと、とりさん顔。徳島でよく会う狛ちゃん。


石材が四角だったんだろうか。


あぶなーいっ。

飴ちゃんは最後までぺろぺろしましょう。


境内は広いのに、なぜか吽ちゃんの周りに百度石などが集中。


きゃー。ちびこまー!


きゅっとしがみつくお手手がたまりません。


かーちゃん、凛々しい。


ちびちゃん、後ろ足がフルオープン。


狛犬家族のために、おまいりせねばっ。


まぁ。ご親切に。


あれは神輿庫かし・・・何かいる。


きゃー。


とっても笑顔の狛犬さんです。


わっ。


おおおっ。車両がひとつっ。


毎日見てても楽しいね。


いつも応援いただきありがとうございます。三加茂駅前に鎮座する金丸八幡神社。一見するとどこにでもある村の鎮守の神様のぉ~♪ですが、私はここで1時間過ごしました。そー。見所いっぱいな不思議なお社でしたのよ。
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いつもありがとうございます。
プロフィール

つねまる

Author:つねまる
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古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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