古座川流獅子舞。熊野地域で盛んな獅子舞の源と互盟社

こんにちは。


熊野地域の10月は、あちこちで獅子舞のお稽古風景を見かけます。

今日は、獅子舞のお話。

獅子舞が盛んな熊野地域ですが、その多くが古座川から伝わった「古座獅子」であるとの言い伝えが各地に残り、その範囲は、那智勝浦町・串本・紀伊大島・周参見・白浜・中辺路・大塔・芳養に至ります。

紀伊半島南部全体です。


そんな熊野地域の獅子舞の元祖「古座獅子」は現在、「古座流獅子舞」として、古座青年会(古座)、互盟社(高池下部)、古田獅子保存会(古田)の3団体が各々の流派を伝えています。


【古座の獅子舞(古座青年会)】


古座川「古座」地区の獅子舞(剣の舞)。(①)


古座獅子は、口碑によれば、享保年間(1700年代)より四代に渡って大庄屋として栄えた池の口の大庄屋・中西孫左ヱ門・勝応(かつまさ)が、伊勢参宮の時、伊勢から獅子舞の一座を招き、獅子神楽を広めたと伝えられています。(「古座流獅子舞/古座青年会」より)

獅子舞の形としては、

「しな獅子」(きめ細かい所作)、「あら獅子」(荒々しい獅子頭使い)の2つの大きな分類のなか、特に古座獅子には13曲の舞が伝承。例えば

「幣の舞(へのまい)」
御幣と鈴を割り振って四隅(東西南北)を静める最も重要な舞

「神明讃(しんめいさん)」
獅子が扇を手に優雅に舞う

「剣の舞」
剣を抜き、悪霊を断ち切る舞


面白いのが、奉納する曲は神社ごとに異なる点。

古座神社、九龍島神社、樫野の網代では、「弊の舞」「剣の舞」「乱獅子」

河内神社では、「弊の舞」「乱獅子」。×「剣の舞」

これは河内神社の河内様が「剣を嫌う」から。


【河内祭の獅子舞(互盟社)】

さて、その河内神社です。


河内島がご神体の河内神社では


「河内祭」の神事の後、各地区の祭壇や直会座で獅子舞が演じられます。(②)

御舟祭と共に国の重要無形民族文化財指定を受けているのが、この獅子舞。


互盟社による古座の獅子舞です。(③)


神戸神社近くにある「芳流館互盟社」。

竣工は昭和2年。

地域の活動拠点として建てられ、今もそろばん教室とか寄席等が行われているとか。


ポイントは、この玄関のギリシャ風の彫刻。


「コリント式」の彫刻を、木で作ってみせた棟梁、すごーい。


「互盟社」は、河内神社、神戸神社の例大祭で獅子舞を奉納。

互盟社といっても会社ではなく。

明治に創設された青年会のこと。

集落ごとに組織されたいわゆる「若衆(わかしゅ)組」で、その地区(村)での自警団的活動や消防、祭礼行事などといった仕事を分担。

夜は「若衆宿」に集まって一緒にお泊まりして、いろんな親睦を図った古くから続く習俗なのだとか。

・・・こうして、少年は大人になっていくのね、的な。


内部はまるで道場です。

ここで、青年会の面々から小学生達が獅子舞のお稽古をつけてもらい、伝統が代々続いてきたんですね。


【日置川町田野井の獅子舞】


さて、日置川町田野井地区「春日神社」の獅子舞です。

ここも「古座から伝わった」と言い伝えがあり、他地区である上富田町・岡の獅子舞の由来の中に「元治元年(1864)田の井の甚平、甚五郎がこの古座流を伝えた」と名前が残ります。


・・・すみません。


天狗が残した剣を手に「カジ笛」の音に乗り四方を払います(「五尺」)。


とても躍動感に溢れる素晴らしい獅子舞でした。


お、お疲れさまです。


参考サイト

「古座流獅子舞/古座青年会」
http://www.kushimoto.jp/kozajisi/index.html

「WebNanki/紀伊半島南部に伝わる祭と獅子舞」
http://www.webnanki.jp/index.html

画像①引用元:和歌山県東漁業協同組合古座川支所
画像②③引用元:み熊野ねっと「河内神社/河内祭」


いつも応援いただきありがとうございます。
10月に熊野地域をドライブしたら、あちこちで獅子舞のお稽古風景が見られました。あいにく台風前日だったので急いで帰ったのが残念。獅子舞は各地で独自の舞があり、それがとても面白いですが、熊野地域では古座川の獅子舞が源流となっているのですね。本番をハシゴして拝見したいなぁ。

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河内神社。古座川に浮かぶご神体「河内島」遥拝所

こんにちは。


はてさて、これは何かしら?


古座川のもう少し下流で見た、森や木々を祀る神戸神社 に似ておるぞ。


うーむ。


木、にしか見えません。


ち、ちょっとね、ねぇ。これじゃ清められず。

戸惑いつつ、石段を下りたらば。


清流、古座川の風景。


はい、何でしょう。

・・・河口から3キロにもなると、こんな子が住めるのかしら?


あっち?


あっちは、眩しい。

紀伊半島南部の基盤である第三紀四万十帯の上に堆積して出来た、泥岩と砂岩の互層「熊野層群泥岩層」の割れ目に、約1千4百万年前の火山活動で、マグマが上昇し、冷え固まった火成岩(熊野酸性岩)。


橋杭岩と同じ「岩」ですが、


こちらは「河内さま」「河内神社」と呼ばれる河内島。

島全体がご神体で、島と周辺の河原と背後の山が神域


ここは「宇津木の遥拝所」。


「崖っぷちに玉垣がつくられていて、参拝所めかしく仕つらえられている。
沖縄で言えば拝所(ウガンジョ)である。
沖縄では神社(御岳(うたき))は古神道どおり社殿をもたない。この熊野の河内神社もそうであった。」

(『熊野・古座街道、種子島みちほか 街道をゆく (8)』司馬遼太郎/朝日文芸文庫)



古くは「河内明神」。

「村の巳の方(南南東)、古座川の中にある。
高さ15間ばかり、周50間ばかりの岩山の小島である。

これを神として祀り、高川原村・古田村・宇津木村・月野瀬村の4ヶ村の氏神とする。
古から土地の人はこの島に登ったことがなく、島中の草木にかりそめにも手を触れることもない。

岸頭の岩、高さ30間、横の山足50間ばかりを境内とする。」


(『紀伊続風土記』「宇津木村の条」口語訳:み熊野ねっとより)
http://www.mikumano.net/meguri/seishoto.html


直接は河内島が拝めませんので、木をスルーする勢いでおまいり。


祭神は、素盞鳴尊。(和歌山県神社庁「河内神社」より)

前出『街道をゆく』の中で司馬遼太郎は

「憑代であるこの岩礁の神の名は、スサノオノミコトであるという。韓神(からがみ)である。韓神だからこの地域に朝鮮から渡来したひとびとが住んでいたというのではなく、この祭神は平安期の流行神(はやりがみ)だったからに相違ない。」

との見解を示し、古来の自然信仰・自然崇拝における「神」については

「本来、神に名などはなかった。 河の中の奇礁だから神が宿るにちがいないという古代の形而上的意識がこの岩礁を神聖視するにいたったに相違なく、この岩礁はこの宇宙に一つきりしかないから名などつける必要がなかったのである。」

と私見を述べています。

しばりょ歴史観の是非は別として、確かになぁ、神の名前なんて後付けなんだろうなぁーっと思うところはあります。


河内島を見て「スサノオ!」

よりは、

ほんわりと「神様かもぉ?」「河の内だから河内神様かもぉ?」だよねぇ。


ここで著名なのは、河内神社例大祭「河内祭」。

国の重要無形民俗文化財指定を受けています。


(和歌山県東漁業協同組合古座川支所HPより引用)

古式捕鯨船に似た3隻の「御舟(みふね)」に河内神社の分霊が宿る「河内大明神」の神額を掲げ、古座川河口を遡上し、河内島を巡ります。


「祭礼は毎年6月初丑日(※)。氏子のことごとくが古田村の川原から拝む。祭式は前夜に古座川より鯨舟3艘に屋形を作り、装いに美を尽くして登り、舟歌を歌い、河内明神の島を廻り、夜明けて当日の昼頃に川を下るという。

その他、種々の俳優(わざおぎ)などがある。遠近の諸客が集い来て、はなはだ賑やかである。日置浦から新宮までの間にこの祭りに次ぐ祭りはない。これを古座の河内祭という。」

(『紀伊続風土記』「宇津木村の条」口語訳:み熊野ねっとより)
http://www.mikumano.net/meguri/seishoto.html

※現在は、7月24日(宵宮)、25日(本祭)


(み熊野ねっと「河内神社/河内祭」より引用)

いいなぁ。見てみたいなぁー♪

神事の後、各地区の祭壇や直会座で演じられるのが「古座獅子」。

熊野地方の獅子舞のルーツと言われるものです。


これは和歌山県日置川町田野井、春日神社の獅子舞。

つづく。

河内神社(宇津木の遥拝所)
和歌山県東牟婁郡古座川町宇津木171


だいたいこのへん。トンネルの西口付近・・・です。


いつも応援いただきありがとうございます。
道路をちまちまと走っていたら「あ!」と見つけられる宇津木の遥拝所です。たぶん。びゅーんっと走っちゃだめです。「遥拝所」は例えば伊勢神宮だったり本宮だったり、他の神社にもありますが、ここは社殿そのものも、鳥居もない点で貴重です。灯籠や手水鉢は大正の奉納。勘ぐるならば、明治には壊されたか廃されたか、そんなとこかなぁ?

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熊野の自然崇拝。弁天島、神内神社、神戸神社や神社合祀

こんにちは。


和歌山県那智勝浦のいつものお宿。

かけ流しのほんのり硫黄の温泉で、ぬる湯とあつ湯があるので、一時間は入浴。


弁天島は、島自体がご神体。

大潮の干潮時だけ渡ることが出来ます。


この子達は、私の頭のなかでは、狛犬さん。


狛ちゃん達の視線の先に、弁天島。


潮の満ち引きを調べてから、渡りましょう。


意外と時間がかかります。


鳥居と比較したら、岩の大きさが伝わるかしら。


白蛇弁天様です。


おまいりしたらお金持ち!パワースポット!

と、テレビで放映されて、ここ数年で急に変なことに。


そんなことより、ここは島自体がご神体ってのがポイントかと。


正面が 補陀落渡海 出発の浜で、山に 那智大社阿弥陀寺


阿弥陀寺から見た那智勝浦の町と弁天島。


熊野層群 にマグマが貫入し冷え固まり出来た石英班岩。


行って、びっくり。


【花の窟神社】

三重県熊野市・ 花の窟神社 も、ご神体は巨大な岩。


違う、あなたじゃない。


こっち。


カグツチ を生んだ時の火傷によりお隠れになった、イザナミ の亡骸を納めたと伝わるところ。


【神内神社】


三重県南牟婁郡紀宝町神内の 神内(こうのうち)神社



「創始は明らかでないものの、子伝承に曰く。

『当社の義は近石と申すところに逢初森(アイソメノモリ)というのがあり、そこに伊弉諾尊(イザナギ)、伊弉冉尊(イザナギ)、天降らせ一女三男を生み給う。

この神を産土神社(ウブスナジンジャ)と崇め奉る、
よってこの村の名を神皇地(コウノチ)と称す。

いつの頃よりか神内村(コウノウチムラ)と改むと言い伝う』
(現地説明文)


神武天皇御社と佐倉宗吾宮(右側)。


前髪ぱっつんな狛ちゃんにご挨拶して、


いよいよおまいり。

別名・子安神社。よだれかけがたくさん奉納されています。

『近郷の人、子安の神、安産の神として参詣するもの多い。また豊漁の神として近隣の漁師の信仰厚い。』

【祭神】

天照大神(あまてらすおおみかみ) 
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)


ここでは巨大な岩がご神体。


遠望してはじめて大きさがわかります。


神内神社のご神体手前には神内神社の元宮といわれる 「古神殿」


このように、熊野旅ではあちこちで自然崇拝の姿を感じることができます。

しかし、今、こうしておまいり出来るのは、ほんのわずか。


明治に行われた和歌山県の神社合祀の基本は、一町村に残す神社は一社のみ。

「正式な神社」の条件は、境内地150坪以上、本殿3坪以上、拝殿3坪以上(または本殿拝殿兼用5坪以上)、鳥居を有する神社。

その基準に満たないものは合祀して潰す。

これにより、社殿を持たず、岩や老樹大木を祀っている神社は「合祀される」側。

なんとおろかな(自主規制)日本に八百万の神は今(自主規制)。



古座川の 神戸神社 は、森や木々を祀り、今も社殿のない神社として残る点で貴重です。


さて、こちらは何を祀っているのでしょう?


いつも応援いただきありがとうございます。
あっちへこっちへ移動した記事になってしまってすみません。熊野は神社巡りが同時に素敵な景色巡りになるので、とても楽しいです。海辺だけでなく山の方にもほんとはもっともっといにしえの姿を感じるものがあ・・・るはずですが、海が見たいので海岸線ドライブばっかし。おほほ。

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日吉神社。古座川の小山氏勧請「山王権現三社」か

こんにちは。


古座川の河口近く。


ここ。


東牟婁郡古座川町高池722番地の日吉神社。


【祭神】大山咋命

【由緒】(和歌山県神社庁「日吉神社」より引用)

一、応永元(1394)年申9月29九日 小山一族「山王宮」造立。

一、同年12月29日 紀伊国室郡潮崎庄、小山良左衛門隆春、近江国日吉神社より勧請。

一、天正10(1582)年 紀伊国室郡潮崎庄、高瓦攝津守十六善神ノ掛物1幅奉納。

一、寛永17(1640)年 高瓦市右衛門、藤原朝治他1人造営。

一、承応3(1654)年極月13日 改書物ノ中ニ山林1ヶ所施主 池ノ口村氏名不詳、田畑2段半施主不詳ノ2筆、書物アルモ何時ノ間に賣払セシカ当代無之天保5(1834)年正月改ムトアリ、嘉永元(1848)年霜月 古座の産土埜眠龍再写ス。

一、延宝元(1673)年発丑西向浦、小山弥十郎藤原隆重社殿修覆ス。

一、元禄8(1695)年極月13日 中湊村正法寺先ノ住職自覚、共ノ自作21ノ木像ヲ合祀、自覚首座トナリ供養ス。





これがどうも、『紀伊続風土記』「牟婁郡三前郷池口村の山王権現三社」にあたるようで。


「池口村/山王権現三社」

中湊村・西向浦・神川村、3ヶ村の産土神。
社は当村領にあるが、当村の産土神ではない。拝殿がある。

応永元年12月小山五郎左衛門隆春の一族の勧請の棟札がある(今、西向浦の小山氏が所持する)。

土地の人が伝えていうには、小山氏が山王を信仰して領地の内に今の社地を見立て造営し、一族ともに氏神とした社で、中湊村等3ヶ村は一族が多かったので今に至るまで3ヶ村の氏神とするのだ。

後、寛永17年高川原摂津守の末葉六右衛門尉の再建によって祭礼の座に小山の子孫を左の上座とし高川原の子孫を右の上座とする(ただし右の上座は今は出席しない)。

什物に本地仏の鏡8面、木像21体がある。


(み熊野ねっと『紀伊続風土記』口語訳より引用)
http://www.keyspot.info/fudoki/ikenokutimura.html


これだけ一致していれば、日吉神社=山王権現三社でしょうねぇ。


小山氏は、元弘元年(1331)、関東武士であった小山実隆(さねたか)が執権北条高時から熊野沿岸警備を命じられ、当時塩崎荘と呼ばれた古座川下流の地に一族郎党を引き連れて移住したのが始まりとされている一族(『紀伊続風土記』)。

古座川右岸を領有し、熊野水軍として対岸の、平維盛子孫と伝わる高川原氏と共に活躍します。



関ヶ原では豊臣方ながら、江戸時代には紀州藩士待遇の地士となり、子孫は紀伊大島の遠見番所の役人を勤めました。


で、日吉神社は。



その後、元禄から天保年間から慶応元(1867)年丑年の鳥居再建までコンスタントに社殿造営が行われており、石灯籠、拝殿、本殿、手水鉢セットが揃いますが、


明治15年、参道改修、本殿造営。

あれ?


「元禄8(1695)年極月13日 中湊村正法寺先ノ住職自覚、共ノ自作21ノ木像ヲ合祀、自覚首座トナリ供養ス。」(和歌山県神社庁「日吉神社」より)の記述、「山王権現三社」(『紀伊続風土記』)の名称から推量すると、神仏ミックスであったのでしょう。


赤い鳥居の横には、石仏様。

明治定番の神仏分離が行われたのは明らかで、もしかしたら和歌山県名物の神社合祀で、一旦廃されたのかもしれません。

それで、明治15年に、本殿造営かしら?

そう思います。


何はともあれ、めでたくこうして再建。

「日吉神社」の祭神は、大山咋命。


この祠さんが、しゃべったらいいのになぁ。


あー、もういいです、ありがとう。


日吉神社

《住所》和歌山県東牟婁郡古座川町高池722




いつも応援いただきありがとうございます。
熊野古道で注目される素敵な熊野地域であろうとも、案外、神社ってのが少なく感じます。神仏分離の後に激しい神社合祀が行われたことを踏まえないと、どんなにその地域のポイントになる歴史をもつお社であろうとも「ちっちゃな祠だし新しいからスルー」してしまいます。小さな祠に何故なったのか、そこには氏子さん方の努力とプライドによる再建があったのかもしれません。熊野三山見物だけではもったいないとつくづく思った日吉神社でした。

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滝の拝の金ぴらさん

こんにちは。


川の底でごろごろ鳴ってうるさかった丸い大きな石が奉納されている、


金ぴらさん。

社殿前にあった説明板は意味不明でしたので、割愛。


覆屋の中には、とてもきれいな本殿。


由緒は定かではありませんが、


寛政8年(1796)の石灯籠があります。


片方の社殿内には、お不動さん。


滝のそばには、お不動さん。

うーん、何で金ぴらさん?ま、いっか。


目の前は一面の、岩。

足元には、


滝の最上部。とても豪快な水流が目の前に。


のぺーっとして見えますが、


落差、伝わりますかしら。ううう。


橋をはさんで下流は


穏やかです。


・・・日差しが差し込めば、とても澄んだお水が。


少し下流です。


ね、きれい。


滝の拝へ来たら、ここに座って景色を堪能してね♪


ご機嫌さんで、滝の拝を後にしました。


「道の駅 滝の拝太郎」※滝の拝には、道の駅より徒歩すぐ。

《住所》和歌山県東牟婁郡古座川町小川774




いつも応援いただきありがとうございます。
滝の拝のそばの金ぴらさん。きれいな社殿が印象的でした。実は足を滑らしたら滝へまっ逆さまな傾斜の石段上に鎮座しており、どきどきで。きれいなお水と、滝の音にすきっとして、足取り軽く車へ戻りました。来てよかったなぁー、また来たいなぁーっと思う素敵な場所でした。

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古座川の伝承「滝ノ拝太郎」。丸石と尾鷲市九木神社

こんにちは。


画像の「拝」辺りに


金ぴらさん。


今日は、にほんむかしばなし【滝の拝太郎】


滝の拝太郎は、せっせと刀で岩に穴を掘っておりました。


目指せ、千個!

ところがあとひとつってとこで


刀落としました。


滝の拝太郎は、刀を求めて川の中へ。


落とした刀と、丸い大きな石をお土産にもらって、帰宅。


この辺りではずーっとごろごろと鳴る音がしていましたが、


ぴたっと止まりました。

どうやらその大きな丸い石は、


ポットホール(甌穴)を形成したこの石。


さぞかしやかましかったことでしょう。


滝の拝太郎が持ち帰った石は、金ぴらさんへ納められましたとさ。

めでたしめでたし。


・・・しかしこの大きな丸い石。


どこだったかなぁ。

あ。


そうだ、あそこだー。


三重県尾鷲市の九鬼漁港の先端に鎮座する九木神社。

永和年中(1375~1378)藤原隆治により、九鬼城内の祠に天満天神を祀ったのを創祀とし、後寛文2年(1662)には現在の鎮座地に遷座。
(三重県神社庁HPより引用)


見えてるよ。


ねー、おんなじ感じでしょー。


これは大漁祈願のため奉納されたもののようでした。

熊野地域は、丸石や玉石がお好きなようです。


三重県尾鷲市の飛鳥神社。


三重県熊野市の花の窟神社。まんまるでっかい石。


和歌山県那智勝浦町の熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわやしろ)境内にある神武天皇頓宮碑前の、玉石。

説明板によると元は古代の玉石信仰「丸石神」といわれ、それが「玉石と号し力だめしの石二つあり」(『紀南郷□記』/元禄期)となったようで。


見事にみんな、まんまるちゃんです。不思議。


参考サイト

み熊野ねっと「滝の拝」
http://www.mikumano.net/meguri/takihai.html


いつも応援いただきありがとうございます。
熊野地域は、古代よりの丸石・玉石信仰とか「丸石神」信仰があるそうでして。古座川と熊野市は70キロ以上離れていますが、同じものを見て、面白いなーっとぼやーんっと思いました。「滝ノ拝太郎」の昔話の成立はいつ頃かわかりませんが、ポットホール(甌穴)の形成過程を少しはわかってたんでしょうねぇ。でないとお話が出来ないもんなぁー。

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ポットホール(甌穴)と熊野層群下里累層。古座川の滝の拝

こんにちは。


泥岩と砂岩の互層「熊野層群泥岩層」。



約1千4百万年前の火山活動で、熊野層群泥岩層の割れ目にマグマが上昇し、冷え固まったマグマは石英班岩となり、波に泥岩層が侵食されて出来たのが


橋杭岩。

ここのポイントはその石英班岩が連なる光景もさりながら、干潮で現れる海底一面が熊野層群の岩という面白さ。

さて、今日は


古座川の、滝の拝。


表面がぼっこぼこの、岩です。

・・・うわぁ。ぞわぞわー。


現在の川の水面との高低差は10メートルほどかしら。

あ、階段。

あそこ、行こ~。


岩がごーろごろ、ではなく、一面が岩です。

これが、約1千6万年前に堆積した熊野層群下里累層の砂岩。

今、表面に表れている一面の岩は、遥か昔は河床でした。


うまい具合にお水がたまって、穴が見やすいです。


実際に立つと、穴の深さにびっくりなあなぼこ群。

ポットホール(甌穴)といいます。

よいしょよいしょっと作ったのが、こちら。


穴にはまった小石ちゃんです。

いや、小石っても、直径20センチはあります。

この子達が、川底で水流にもまれてカラコロカラコロと転がって、穴はますます深くなり、


ポットホール(甌穴)が出来ます。


滝の拝のポットホール(甌穴)が面白いのは、小石がそのまま残っているとこ。


うふふふふ。

やがて水流は


低いとこへ集まり、岩を削り、更に水が集中して


現在の滝の拝の、豊かな流れとなります。


滝の拝の下流側。


平べったく流れていた水が一ヶ所に集まりそこだけがどんどん侵食されて、河床が露出。

つまり滝の拝は、


一面の熊野層群とポットホールとトレンチを満喫できる素晴らしい所なんですよー♪


いつも応援いただきありがとうございます。
ポットホール(甌穴)が見られる川岸は全国に点在していますが、滝の拝では非常に広範囲に顕著に見られる点が全国屈指だそうです。また、川幅一面に広がる熊野層群が実感でき、往時の河床を容易に想像できること、また、あなぼこを形成した小石も残存していること、など、とても素晴らしいと思いました。

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熊野カルデラ?火山と熊野層群と、紀伊半島南部観光名所

こんにちは。


魔物がかじったぼたん岩や


魔物がわんこに追い払われた一枚岩は、流紋岩質火砕岩。

マグマが冷えて固まった岩で形成される「古座川弧状岩脈」の光景です。

紀伊半島南部にはかつて巨大な火山があり、その活動によって巨大な「熊野カルデラ」が形成された、と推定されているとか。


その大きさは南北径40km、東西径20km。

串本町、古座川町、那智勝浦町、新宮市、三重県南部まですっぽり。

・・・ほんとぉ?


「熊野カルデラ」形成に伴いマグマが地表へ噴出する際の通路として、延長20km以上も連なる「古座川弧状岩脈」が形成された、と。


そういえば、あっちこっちでいろんな岩を見たなぁ。



あっちこっちへ。


【鬼ヶ城(三重県熊野市)】


獅子岩くんのそばに、


鬼ヶ城。


マグマが急に冷えて固まって出来た流紋岩の地盤が、


数度隆起しては、波や風に食われて出来ました。


ぼこぼこ。


ぞー。


色合いは、くりまんじゅう。


【橋杭岩(和歌山県串本町)】


夜明けの名所、橋杭岩。


満潮では海底になるここ、砂浜ではなくて、岩ですの。

その名は、熊野層群泥岩層(熊野層群敷屋累層)。


紀伊半島南部の基盤は、第三紀四万十帯。

その上に堆積して出来たのが、泥岩と砂岩の互層「熊野層群泥岩層」。

約1千4百万年前の火山活動で、熊野層群泥岩層の割れ目にマグマが上昇し、冷え固まったマグマは岩に。

この火成岩が、熊野酸性岩。
流紋岩、流紋岩質凝灰岩、花崗斑岩などがあります。



割れ目に入ったマグマ(橋杭岩は石英斑岩)と泥岩層の境目。


もりっと貫入したマグマと10度傾斜している泥岩層。


海水で柔らかい泥岩層が侵食され、硬い石英斑岩の岩脈が残りました。


そんな岩脈も、宝永地震時の津波によりバラッと転がり。


【熊野層群泥岩層(和歌山県太地町)】


太地町。この大きな哺乳類を捕る船の向こうには、


うみ。


ここも、熊野層群。


波に削られ、硬い岩が現れました。


ちょっと無理かなー。


橋杭岩から少し東の海岸では、平らです。


いろんな岩があるのねぇ。


【滝の拝(和歌山県古座川町)】

熊野層群は、海だけに限らず。


古座川を遡ると、


熊野層群が河床を形成している場所にたどり着きます。

ぼこぼこです。

つづく。


いつも応援いただきありがとうございます。
まあ、日本全国に火山活動により作られた地形はわんさかありますが、ぼやーんっと眺めていた岩がこんな風に出来たんだー!っと知って、面白いです。岩の専門家ではないので、細かい事は突っ込まず生ぬるい目でご覧いただければ、これ幸い。

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古座川町道の駅「古座鹿鳴館」で、郷土料理のうずみ膳

こんにちは。


岩が大好物の魔物が


岩を食い散らかしながら古座川を遡ったら


お高いけど、すんごく好物の岩があったのに


わんこに追い払われちまった、一枚岩の


道の駅「古座鹿鳴館」で


古座川平井の里の郷土料理の「うずみ膳」をいっただきぃ。

・・・決して受験勉強中のお夜食ではない。

平井は、古座川の最奥地で、ゆずの産地。


清流には、鮎。これは頭も骨もばりぼりばりぼり。


「ごますりらっきょ」と言われていた取締役を思い出しつつ、すりすり。


平井地区には平家の落人伝説があり、彼等の伝えた京の味がベースになっているとか。


古座川の北東の那智勝浦町には、


『平家物語』で平維盛愛しい者達と別れ高野山で出家し、補陀洛浄土へと旅立った海岸があり、


補陀洛山寺には補陀洛渡海に用いた船が再現されており、


補陀落渡海した数多くの聖の名前の中に、維盛の名前もあり。


一方、維盛は生き延びたという伝承も残る古座川河口付近には

平維盛子孫、高河原氏(高川原、高瓦)が居を構えたと伝わる土地がありました。


そんな、古座川。

で。

味?

えーっと、ですな。

醤油ベースのお雑煮のお出汁にご飯をぶちこんで、ごま、ネギ、生姜、ゆず等の薬味をお好みで入れて召し上がれっ♪な、味。

うずみ、とは、お出汁にご飯をうずめる、ことから来たようで。

お豆腐も、うずまってました。

決して、ねこまんま、とか、おうちで簡単にできる、とか、そんなこと言ってはいけない。

郷土料理って、おうちで出来るから、郷土料理だと思うのですわ。


すごくお出汁が美味しかったです。


ぜったい、岩より美味しいよ。


道の駅「古座鹿鳴館」

《住所》和歌山県東牟婁郡古座川町相瀬290の2




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夜ごはんは、毎度おなじみ生マグロ丼をどーんっと食べるつもりなので、控えめなランチ。うずみ膳の見た目はとても質素な汁かけごはんですが、お出汁はしっかりした味付けでとても美味しかったです。初めは薬味を入れず、まずネギ、次に自分でごますったゴマ、次にゆず、と、だんだん足してお出汁の味の変化を楽しみました。素朴なごはん、大好きです。

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古座川の一枚岩の守り犬。魔物と影

こんにちは。


場所を移して、和歌山の先っぽへ。


古座川のお話。

平維盛子孫、高河原氏(高川原、高瓦)が居を構えたと伝わる河口部の土地があり、
社殿のない神戸神社が鎮座する古座川をどんどんずんずん遡り、


大きな岩。


ちょっとオアシスをはさんで


まあ、怖い。

じゃなくて。


古座の一枚岩です。

国指定の天然記念物で、高さ100メートル、幅500メートルの一枚岩。


大きいと言っても伝わりにくいですが。こんな感じ。


「一枚岩の守り犬の伝説」

むかぁしむかし。


大きな哺乳類で有名な太地町に、(画像/捕鯨船と男前)


岩が大好物の魔物が住んでおりました。(画像/梶取岬)

魔物は岩を求めて古座川へ。


(太地町のイルカくん


そんなこと言うなよぉー。


魔物は、大好物の岩を食い散らかしながら古座川を進み


(画像/古座川町月の瀬のぼたん岩)


一枚岩にたどり着き、いただきまーすっとしようとしたとき。


とっても苦手な犬に見つかり。(画像/徳島県の金丸八幡神社


ぺーぽーぱーぽー。



お気持ちだけでも。(画像/和歌山県串本町の木葉神社


おい。(画像/和歌山県串本町の潮岬本之宮神社


こら。


あなた達、近いでしょっ。(画像/潮岬本之宮神社拝殿前


あ、そう。(画像/那智勝浦町の妙法山阿弥陀寺


わかりました。(画像/那智勝浦町の青岸渡寺

いいよ。一枚岩には、


じゃーん。守りいぬぅ~♪


わんわん吠えて魔物を追い払い、おかげで上流の岩は無事。


一方、負けた魔物は悔し涙をほろり。

今でもその跡が滝の筋となって残っているとか。

ふふふ。画像で探してみてね♪


で。

このわんこの影は、毎年4月下旬と8月下旬の午後5時前の数分間だけ現れるそうで。

岩を食う魔物と犬の話は伝承として昔からあったものの、このわんこの姿は数年前に偶然発見された現象。

関西ローカルのニュースでやってましたの。


訪問時は、子犬でした。


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わんこのお話と聞けば、行かずにはいられません。久々にこの辺りの狛犬さん達も登場してもらいましたが、やはりトド体型の狛ちゃんがぬいぐるみみたいですね。この一枚岩、対岸から見ているのですが、あまりに大きすぎてカメラにおさまらないです。亡き母なら遥々来たのに「コンクリート?」とか、言いそうだなぁーっと思いつつ、壁を見つめておりました。

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