熊野カルデラ?火山と熊野層群と、紀伊半島南部観光名所

こんにちは。


魔物がかじったぼたん岩や


魔物がわんこに追い払われた一枚岩は、流紋岩質火砕岩。

マグマが冷えて固まった岩で形成される「古座川弧状岩脈」の光景です。

紀伊半島南部にはかつて巨大な火山があり、その活動によって巨大な「熊野カルデラ」が形成された、と推定されているとか。


その大きさは南北径40km、東西径20km。

串本町、古座川町、那智勝浦町、新宮市、三重県南部まですっぽり。

・・・ほんとぉ?


「熊野カルデラ」形成に伴いマグマが地表へ噴出する際の通路として、延長20km以上も連なる「古座川弧状岩脈」が形成された、と。


そういえば、あっちこっちでいろんな岩を見たなぁ。



あっちこっちへ。


【鬼ヶ城(三重県熊野市)】


獅子岩くんのそばに、


鬼ヶ城。


マグマが急に冷えて固まって出来た流紋岩の地盤が、


数度隆起しては、波や風に食われて出来ました。


ぼこぼこ。


ぞー。


色合いは、くりまんじゅう。


【橋杭岩(和歌山県串本町)】


夜明けの名所、橋杭岩。


満潮では海底になるここ、砂浜ではなくて、岩ですの。

その名は、熊野層群泥岩層(熊野層群敷屋累層)。


紀伊半島南部の基盤は、第三紀四万十帯。

その上に堆積して出来たのが、泥岩と砂岩の互層「熊野層群泥岩層」。

約1千4百万年前の火山活動で、熊野層群泥岩層の割れ目にマグマが上昇し、冷え固まったマグマは岩に。

この火成岩が、熊野酸性岩。
流紋岩、流紋岩質凝灰岩、花崗斑岩などがあります。



割れ目に入ったマグマ(橋杭岩は石英斑岩)と泥岩層の境目。


もりっと貫入したマグマと10度傾斜している泥岩層。


海水で柔らかい泥岩層が侵食され、硬い石英斑岩の岩脈が残りました。


そんな岩脈も、宝永地震時の津波によりバラッと転がり。


【熊野層群泥岩層(和歌山県太地町)】


太地町。この大きな哺乳類を捕る船の向こうには、


うみ。


ここも、熊野層群。


波に削られ、硬い岩が現れました。


ちょっと無理かなー。


橋杭岩から少し東の海岸では、平らです。


いろんな岩があるのねぇ。


【滝の拝(和歌山県古座川町)】

熊野層群は、海だけに限らず。


古座川を遡ると、


熊野層群が河床を形成している場所にたどり着きます。

ぼこぼこです。

つづく。


いつも応援いただきありがとうございます。
まあ、日本全国に火山活動により作られた地形はわんさかありますが、ぼやーんっと眺めていた岩がこんな風に出来たんだー!っと知って、面白いです。岩の専門家ではないので、細かい事は突っ込まず生ぬるい目でご覧いただければ、これ幸い。

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古座川町道の駅「古座鹿鳴館」で、郷土料理のうずみ膳

こんにちは。


岩が大好物の魔物が


岩を食い散らかしながら古座川を遡ったら


お高いけど、すんごく好物の岩があったのに


わんこに追い払われちまった、一枚岩の


道の駅「古座鹿鳴館」で


古座川平井の里の郷土料理の「うずみ膳」をいっただきぃ。

・・・決して受験勉強中のお夜食ではない。

平井は、古座川の最奥地で、ゆずの産地。


清流には、鮎。これは頭も骨もばりぼりばりぼり。


「ごますりらっきょ」と言われていた取締役を思い出しつつ、すりすり。


平井地区には平家の落人伝説があり、彼等の伝えた京の味がベースになっているとか。


古座川の北東の那智勝浦町には、


『平家物語』で平維盛愛しい者達と別れ高野山で出家し、補陀洛浄土へと旅立った海岸があり、


補陀洛山寺には補陀洛渡海に用いた船が再現されており、


補陀落渡海した数多くの聖の名前の中に、維盛の名前もあり。


一方、維盛は生き延びたという伝承も残る古座川河口付近には

平維盛子孫、高河原氏(高川原、高瓦)が居を構えたと伝わる土地がありました。


そんな、古座川。

で。

味?

えーっと、ですな。

醤油ベースのお雑煮のお出汁にご飯をぶちこんで、ごま、ネギ、生姜、ゆず等の薬味をお好みで入れて召し上がれっ♪な、味。

うずみ、とは、お出汁にご飯をうずめる、ことから来たようで。

お豆腐も、うずまってました。

決して、ねこまんま、とか、おうちで簡単にできる、とか、そんなこと言ってはいけない。

郷土料理って、おうちで出来るから、郷土料理だと思うのですわ。


すごくお出汁が美味しかったです。


ぜったい、岩より美味しいよ。


道の駅「古座鹿鳴館」

《住所》和歌山県東牟婁郡古座川町相瀬290の2




いつも応援いただきありがとうございます。
夜ごはんは、毎度おなじみ生マグロ丼をどーんっと食べるつもりなので、控えめなランチ。うずみ膳の見た目はとても質素な汁かけごはんですが、お出汁はしっかりした味付けでとても美味しかったです。初めは薬味を入れず、まずネギ、次に自分でごますったゴマ、次にゆず、と、だんだん足してお出汁の味の変化を楽しみました。素朴なごはん、大好きです。

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古座川の一枚岩の守り犬。魔物と影

こんにちは。


場所を移して、和歌山の先っぽへ。


古座川のお話。

平維盛子孫、高河原氏(高川原、高瓦)が居を構えたと伝わる河口部の土地があり、
社殿のない神戸神社が鎮座する古座川をどんどんずんずん遡り、


大きな岩。


ちょっとオアシスをはさんで


まあ、怖い。

じゃなくて。


古座の一枚岩です。

国指定の天然記念物で、高さ100メートル、幅500メートルの一枚岩。


大きいと言っても伝わりにくいですが。こんな感じ。


「一枚岩の守り犬の伝説」

むかぁしむかし。


大きな哺乳類で有名な太地町に、(画像/捕鯨船と男前)


岩が大好物の魔物が住んでおりました。(画像/梶取岬)

魔物は岩を求めて古座川へ。


(太地町のイルカくん


そんなこと言うなよぉー。


魔物は、大好物の岩を食い散らかしながら古座川を進み


(画像/古座川町月の瀬のぼたん岩)


一枚岩にたどり着き、いただきまーすっとしようとしたとき。


とっても苦手な犬に見つかり。(画像/徳島県の金丸八幡神社


ぺーぽーぱーぽー。



お気持ちだけでも。(画像/和歌山県串本町の木葉神社


おい。(画像/和歌山県串本町の潮岬本之宮神社


こら。


あなた達、近いでしょっ。(画像/潮岬本之宮神社拝殿前


あ、そう。(画像/那智勝浦町の妙法山阿弥陀寺


わかりました。(画像/那智勝浦町の青岸渡寺

いいよ。一枚岩には、


じゃーん。守りいぬぅ~♪


わんわん吠えて魔物を追い払い、おかげで上流の岩は無事。


一方、負けた魔物は悔し涙をほろり。

今でもその跡が滝の筋となって残っているとか。

ふふふ。画像で探してみてね♪


で。

このわんこの影は、毎年4月下旬と8月下旬の午後5時前の数分間だけ現れるそうで。

岩を食う魔物と犬の話は伝承として昔からあったものの、このわんこの姿は数年前に偶然発見された現象。

関西ローカルのニュースでやってましたの。


訪問時は、子犬でした。


いつも応援いただきありがとうございます。
わんこのお話と聞けば、行かずにはいられません。久々にこの辺りの狛犬さん達も登場してもらいましたが、やはりトド体型の狛ちゃんがぬいぐるみみたいですね。この一枚岩、対岸から見ているのですが、あまりに大きすぎてカメラにおさまらないです。亡き母なら遥々来たのに「コンクリート?」とか、言いそうだなぁーっと思いつつ、壁を見つめておりました。

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社殿のないお社、神戸神社。

こんにちは。


東牟婁郡古座川町高池宮ノ下付近の古座川。


東牟婁郡古座川町高池宮ノ下に鎮座する、神戸神社。

コウベ、コウド、カンベなどの呼び名があります。

高池の地名は

「江戸時代天保年間(1830—44)に編纂された『紀伊続風土記』によると、当神戸神社の鎮座する古座川町高池宮ノ下は、三前郡高川原村にあたり、『中湊村の乾に村居相接して、古座川に添ふ、土地高き川原なり、因りて名とす、村居百年許前は山手にありしといふ』と記して村名の由来を記している。」(和歌山県神社庁「神戸神社」より引用)

とあり。

この三前郡高川原村付近、古座浦の地に住んだ高河原(高川原、高瓦)氏があり。

これが誰かは、前記事にて。

さて。


足がにょきっと生えております。

ぬりかべぇ~の親戚的な。


今回、古座川へ向かったのは、社殿のないお社が目的。

この村に「村中にあり木を神躰とす」として「神殿(カウドノ)明神森」があり、これが今の神戸神社だとか。


ご神体は、き。

そもそも、鳥居、拝殿、本殿などが整えられたのは、明治。

三重県、和歌山県では神社合祀が甚だしく、いわゆる「一(町)村一社」の号令のもと、生き残るためには「境内地百五十坪以上、本殿三坪以上、拝殿三坪以上(または本殿拝殿兼用五坪以上)、鳥居を有する神社」が必要でした。

自然信仰とは、そこにある自然に神を感じてご神体とします。

よって、ちんまりとした社殿の中に無理くり名付けた「神様」を収納する必要なんてそもそも、ない。

しかし、和歌山県の明治は、それを認めず。

お仕着せの「神社」の定義にそぐわないものは、どんどん合祀「されて」しまいます。

よって、この神戸神社のように、鳥居も社殿もない形を残す神社は貴重だと。

そゆこと。


社殿って必要かね?と考えてみる。

仰々しく整えられた大きな神社より、私は、こっちが好きです。


お好みです。


弁天島は島そのものがご神体。


三重県熊野市の花の窟神社は、岩がご神体。

ですから、


「木を神躰とす」る神社も、あり。


隅の方に見える建物を本殿と勘違いしがちですが、


中を拝見すると、お狐様。


和歌山県神社庁によれば摂社稲荷社。が、この建物の前には


金毘羅ほにゃらと読める石灯籠。奉納年代、読み切れず。

・・・ふー、あー、ゆぅ?


ここは、大きな木があるねぇ、いいねぇ、で納めましょう。



いつも応援いただきありがとうございます。
毎年のことながら、まだまだ終わらない忘年会。最終日は、大晦日。でも、なんだーかんだーと言いつつ集まってくれる友人に感謝です。こちらの神戸神社のお正月は、きっとご近所の皆様で、穏やかだけど幸せでいっぱいなのだろうなぁと思います。

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平維盛と那智勝浦。紀伊半島各地に残る生存伝説

こんにちは。

【平維盛おさらい】


平維盛は、清盛嫡男・重盛の子。清盛の直系の孫ですが、


平家軍の総大将としては、富士川の合戦や


北陸方面、倶利伽羅峠の戦いで、連敗。


父・重盛亡き後、維盛の居場所はなく、


平家都落ちの折りには家族を都へ残し、西国へ。


都の家族を想い、心ここにあらず、な維盛は、

屋島からこっそり抜け出して


滝口入道を訪ね、高野山へ。


高野山まで来てもなお、家族に一目会いたいと未練たらたらでしたが、


結局、出家。


この浜辺から


維盛は、補陀落へと旅立ったのでした。(『平家物語』)

が、その途中で維盛は、


太刀落としました。


これが太地町で拾われ、飛鳥神社の社宝、「太刀落島(通称)」(たちおとしました)となります。

大事な太刀を落としたものの、維盛は実は生存し、


無事、熊野の山奥へ身を隠しましたとさ。(太地町飛鳥神社伝承)


【那智勝浦の色川一族】

那智勝浦の色川には、維盛が隠れ住んだと伝わります。


正面にあるのが、清水氏館跡。

色川に隠れ住んだ平維盛は、氏を清水と改め子を成します。(『紀伊續風土記』)


「清水氏館跡」(那智勝浦町指定文化財)

近くには平維盛の子孫と言われている清水家の菩提寺の宝泰寺や墓地跡もあります。

維盛の子とされる「盛広」も清水姓を名乗り、
その一族がしだいに勢力をもち、その子孫は土豪として南北朝や戦国時代を通じ「色川一党」として活躍します。




【奈良県野迫川村の平(たいら)地区】


奈良県野迫川村の平(たいら)地区。

維盛は、熊野・吉野の山中を流浪の末、ここ野迫川村でその生涯を終えたと伝えられています。


維盛塚のあるこんもりした丘。


てっぺんには、維盛塚。

「平維盛歴史の丘」として整備され、資料館もありました。

このように、維盛伝説は紀伊半島各地に残ります。


【維盛の子孫と高川原】


橋食う岩 橋杭岩のある串本からちょっと北


先端は、潮岬。


東牟婁郡古座川町高池宮ノ下付近の古座川。

古座川町高池宮ノ下は、三前郡高川原村にあたり、高河原(高川原、高瓦)氏が住んだ地区です。

「三位中将平惟盛の遺孫にして代々塩崎荘に居住す」(『紀伊続風土記』)

系図でも、維盛の子孫と伝えています。


高川原氏は、熊野水軍として中世に頭角を現し、戦国時代を生き延び、紀州の領主となった浅野氏に仕えます。

その後、高川原氏の嫡流は古座に戻り、地士に命ぜられ、子孫は熊野七人士の一人として続いたものの、江戸時代の安永24年頃、高河原氏本家は断絶。

浅野氏に残った高川原氏(嫡流舎弟)は、浅野氏の安芸・備後移封にも従い、「高瓦」に改め塩田奉行を務めました。

(以上「武家家伝/高川原氏」より)
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/ki_takaga.html



そんな東牟婁郡古座川町高池宮ノ下に鎮座する、神戸神社。

コウベ、コウド、カンベなどの呼び名があるこちらのお社が、お目当ての場所。

つづく。


実は弊ブログでは昨年の夏は平家物語フィーバー。
おっちょこちょいな維盛を追っかけた旅、お笑いいただければ幸いです。

補陀落渡海
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-486.html

都落ち
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-497.html

高野山で出家
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-506.html

ちょっとまとめ
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-510.html

野迫川の維盛
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-514.html

那智勝浦の色川に残る維盛伝説
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-598.html

色川の清水氏館跡と維盛
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-600.html

維盛、神になりました。色川神社
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-602.html

維盛、太刀落としました。太地町飛鳥神社
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-601.html

それから、右枠のカテゴリーの一番下「平家物語の人々と能楽」は、平家物語がどわっと出てきます。我ながらよう描いたと思いました。へへへへ。


いつも応援いただきありがとうございます。昨年の夏は見返してみたら、平家物語フィーバー。なんちゅーお熱っぷりなのかと自分でもびっくりしました。今年は秋からたたらフィーバー。どうも何かに萌えまくったら止まらないようですねぇ、わたくしってば。その中でも特に憎めない子、維盛。名残惜しくて、彼の墓所はまだ出せないでおります。

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和歌山県南部で、岩を見る

こんにちは。


岩。


いわ。


イワ。


一枚岩。


ももっちりな形の岩。

いろんな岩を見て、でもやっぱり、


海がいいですねー。


お宿のお部屋の景色。

こんなに素敵なので、那智勝浦ではお宿でゆっくりします。えへ。


いつも応援いただきありがとうございます。いくら行き慣れているとはいえ、和歌山県の先っぽは遠いです。でも、大きな海を満喫して、気分転換になりました。といいつつ、画像は岩ばかり。運転疲れです。えへへへ。

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今年最後の連休は、まぐろ

こんにちは。


すごく早めのランチ。道の駅すさみ。


まぐろのフライって好き♪


(心霊写真ではありませぬ。ガラス越しなので店内が写っただけよ)


カレーにお味噌汁。いつお味噌汁を食べたらいいのか悩みますな。

一気飲みしちゃった。

で、今年最後の連休にどこへ向かうかというと


南国。

・・・和歌山県の先っぽへ来ました。


こっち向いて下さい。


砂浜、療養中。


橋杭(はしくい)岩です。


肝心なときに・・・(T_T)


この海は、


たくさんの人達が補陀落を目指して渡海した、出発の地。


平維盛の名前もあるのよ。


補陀落寺には


補陀落渡海に用いたお舟(復元)があります。


波打ち際には、必ず棒を立てるの。うふふ。


日本海側でも、(丹後半島の先っぽ、間人)


熊野灘でも。(三重県熊野市)


もうすぐ今年が終わります。


冬ですもの。


弁天島です。


去年はここに泊まらなかったから、おひさ。


残念。


干潮なら渡ることができます。

さーて。那智勝浦へ来たらいつものお宿で、ほんのり硫黄のかおりの温泉に入って、いつもの


生まぐろ丼どーん!

うまい。


いつも応援いただきありがとうございます。ナビがいらない程度に知っていて、海があるとこへ行きたくなって、急遽お宿を予約してやって来ました。大きな池みたいな瀬戸内海じゃなくて、外海がすごく見たくなりましたの。途中で車を停めて、車の中から、ぼっけーーーーっと海を見て、もしゃもしゃとおやつを食べて。せかせかとしない旅はいいですね。

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熊野の自然信仰と神社合祀の現場を訪ねてみた

こんにちは。


熊野からこんにちは。


ぽぉーっと海を見つめるだけで、幸せ。

さて、本日は。


朝のお散歩。


八幡神社、という名前ですが、


巨大な岩がご神体なのは一目瞭然。

熊野の自然信仰が残っています。


和歌山県新宮市の渡御前神社。

神武東征の折の神武天皇の頓宮(とんぐう/仮宮)跡と伝わります。

江戸時代の文書に「古来、速玉大社末社」と記されていた古社。

明治4年、本社へ合祀。

南方熊楠『神社合祀に関する意見』

「もっとも如何(いかが)に思わるるは、皇祖神武天皇を古く奉祀せる渡御前の社をも合祀し、その跡地なる名高き滝を神官の私宅に取り込み、藪中の筍を売り、その収入を私(わたくし)すと聞く。」

明治の神社合祀の有り様がいかなるものであったのか、わかるというものです。

再建は、昭和46年。


烏止野(うどの)神社は、鵜殿氏の本拠地に鎮座。

明治に、近隣より7柱の神様を合祀。

背後の山の上の方に、本宮の大上神社。

鵜殿氏一族が祀っていたと伝わるところ。


大上神社には社殿はなく、ご神体の巨大な岩があるのみ。


おじいちゃんは、烏止野神社の狛犬さん。


うふふふ。


炭水化物&炭水化物。

顔を上げれば、


花の窟神社の社頭。

世界遺産になると、観光地化が著しく。


なんだか人が寄り添っているよに見えます。

で、視線を、ぴーっと右に向ければ


うひょひょー。


ただ眺めているだけで、至福。


いつも応援いただきありがとうございます。
雲取温泉から熊野川沿いに南下して新宮へ、海沿いをくるっと熊野市、尾鷲市へ。走行距離は少なめですが、とっても濃いーぃドライブになりました。大半は海を眺めながらエアコンの効いた車内でおやつ食べてましたけど。えへへへ。だって暑いんですもの。

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白浜から中辺路ルートで本宮へ。熊野古道と神社合祀

こんにちは。


白浜といえば、円月島。

こそっと支柱が入ってるのはないしょ。


田辺から中辺路で内陸へ入りました。


熊野参詣の道中にあった九十九王子のひとつ、滝尻王子(跡)。

当時は本地・不空羂索菩薩。

ここからいよいよ熊野の神域。

後鳥羽院の熊野参詣ではここで歌会が催され、その歌を記した懐紙を「熊野懐紙」といい、高値で取り引きされたとか。

武家に政権が移った後は荒廃。
明治の神社合祀で栗栖川村村内の11神社を合祀。
「十郷神社(とうごうじんじゃ)」(十の集落の神社)に改称。

現在の名称は、「滝尻王子宮十郷神社」

ただ、合祀された神社は戦後昭和21年に各集落が復祀。

熊野の歴史がぎゅぎゅっと詰まったところです。


あらやだ。


熊野本宮大社の石段に躊躇。

そして、熊野本宮大社の九鬼宮司の「今年の一文字平成28年」


・・・き。


お宿は雲取温泉。


今回は素泊まりなので、道の駅の鮎ごはん。


いつも応援いただきありがとうございます。
雲取温泉は初めて来ましたが、いいお宿でした。何しろ朝四時に起きて爆走したので、ねむねむ。夜は爆睡してしまいました。おほほほ。今年はじめて蚊の大群に襲われましたわ。誰もいないお社の中で、やめてやめておいしくないよーっとダンシング。ふふふ。はーずかしー。

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旅の途中

こんにちは。


ただいま、旅先です。

暑い夏は、やっぱり海ね。


今日は太平洋。

9:40。白浜の千畳敷です。

うふふふ。


12:15。中辺路・近露王子辺りは灼熱です。


いつも応援いただきありがとうございます。
いいお天気なので、ちょっと走ってきました。平日なのに、人が多いです。砂浜は若者達の場所なので、わたくしは崖の上へ。ほーっほっほ。

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つねまる

Author:つねまる
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