黒田神社。配祀神黒田大連は官兵衛先祖。黒田古墳もあるってさ。
こんにちは。
あちーですね。今朝は6時に起きたとき、既に31度。
シャーシャーシャー!って蝉の声で起こされました。
さて、木之本町黒田です。
木之本から余呉湖に向かう365号線の途中で軍師官兵衛のノボリがはたはたしてたので、Uターンしたら、こんなおいしい神社を発見。

ほほう。黒田神社とな。

あー?足りないのは、足の長さじゃなくて、身長なの。間違えないで。

1940年(昭和15年)に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った記念行事の流れで造ったのかな。

そりゃもちろん、ちび鳥居は這いつくばって行くしかなかろ?

遠近感がおかしくなってます。

ご心配なく。大丈夫でございます。

子供が張り付いてるのかと思ったんですが、見つからなかった。
不思議、発見。

拝殿でしょうねえ。
【黒田神社】由緒
主祭神 大己貴命(おおむなちのみこと)☆大黒様です。詳細は略。
配祀神 黒田大連
〈境内案内石板より〉
「当社は欽明天皇の540年の創始と伝えられる。
和銅年間(710年)黒田大連、この地に繁栄し、郷名を黒田郷と称し、その一族の奉祀に係り、森崎黒田大明神とあがめ、 黒田五郷の総社で延喜の制定されるや国幣の小社に列せられた名社である。」

石板によれば、祭神の黒田大連とは、和銅年間に当地を開拓した神。
当社の背後にある森崎山には、黒田古墳(円墳6基)があります。
古代に繁栄していた一族の祖神を祀ったものだとか。つまり、黒田さんち。古いなー。

式内社・黒田神社に比定されている神社です。
〈境内案内石板より〉
「当社は住昔しばしば兵火に羅り
1・承久の乱(1221年) 社殿焼失

2・元亀の頃(1560年)兵乱のため焼失
3・天正11年(1576年)賊ケ岳の戦火で余燼は神殿・社宝をも鳥有に帰した。

以降は再建の事ならず、隣郷の 大澤神社に合祀奉斎されてきたが、明治9年、氏子の永年の念願稔り元の社地に再建遷座された」

さて、ご本殿にお参りしましょ。

すみません。

だってこんな道端にいきなり「黒田官兵衛!」のノボリがあったら、びっくりするでしょ。説明書もじっくり見るでしょ。

ちび狛犬さんだけ、あいさつしてくれました。

かわいい狛犬。耳がたまりません。

はいはい、こんにちは。

お耳まで垂らしていじけんでも・・・。

〈境内案内石板より〉
「かつて近江源氏と称した佐々木源三秀義公の後胤、黒田左衛門尉大夫伴官源宗清公、当地を領し、姓を地名よりとつて黒田氏と称し七世に及ぶ間、当神社を氏神として崇敬篤く献進が寄せられた」
☆昨日のおさらい☆
「筑前・福岡52万石・黒田藩の祖先は、佐々木源氏(近江源氏)の流れをくむ黒田判官・源宗清(別名・宗満)であり、近江国伊香郡黒田村に住み、湖北の荘園の領主として、黒田判官と称した。」

「黒田判官・宗清(1278ー1357)より数えて6代目・高政の時代、1511年の山城船岡山の戦いの後、備前邑久郡福岡村に移り住むまでの約200年間、黒田氏は黒田村に居を構えていた。」
記事はこちら→→→
黒田氏発祥地?黒田観音寺。行基と最澄と鶏足寺と戸岩寺と。

ふむ。お宝、満載だったのねー。
なのに、ファイヤー!の連続。お気の毒な神社さんです。

こんな謎のものもあります。

例大祭 4月17日
特殊祭儀おこない 2月17日、6組の塔主によって厳修。
☆オコナイについては、高月観音の里資料館が詳しいです。

だよぉー!
いつも応援いただきありがとうございます。
ここは通りすがりに発見。いえーい。現地に行かなくちゃわからんことっていっぱいですね。蜂とかカナブンとか蜘蛛の巣に耐えつつ、でへへ顔で探検 お参りしました。たーのしーいなー。例え諸説あろうとも現地では見事に起承転結してるものです。
歴史ろまーんを廻る旅は「とにかく現場に行け」ですぜ、旦那。
お気に召していただけましたら、それぞれぽちゃぽちゃぽちゃ、とお願いします。



ありがとうございます。ちゅ。って、ちび狛犬が。
あちーですね。今朝は6時に起きたとき、既に31度。
シャーシャーシャー!って蝉の声で起こされました。
さて、木之本町黒田です。
木之本から余呉湖に向かう365号線の途中で軍師官兵衛のノボリがはたはたしてたので、Uターンしたら、こんなおいしい神社を発見。

ほほう。黒田神社とな。

あー?足りないのは、足の長さじゃなくて、身長なの。間違えないで。

1940年(昭和15年)に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った記念行事の流れで造ったのかな。

そりゃもちろん、ちび鳥居は這いつくばって行くしかなかろ?

遠近感がおかしくなってます。

ご心配なく。大丈夫でございます。

子供が張り付いてるのかと思ったんですが、見つからなかった。
不思議、発見。

拝殿でしょうねえ。
【黒田神社】由緒
主祭神 大己貴命(おおむなちのみこと)☆大黒様です。詳細は略。
配祀神 黒田大連
〈境内案内石板より〉
「当社は欽明天皇の540年の創始と伝えられる。
和銅年間(710年)黒田大連、この地に繁栄し、郷名を黒田郷と称し、その一族の奉祀に係り、森崎黒田大明神とあがめ、 黒田五郷の総社で延喜の制定されるや国幣の小社に列せられた名社である。」

石板によれば、祭神の黒田大連とは、和銅年間に当地を開拓した神。
当社の背後にある森崎山には、黒田古墳(円墳6基)があります。
古代に繁栄していた一族の祖神を祀ったものだとか。つまり、黒田さんち。古いなー。

式内社・黒田神社に比定されている神社です。
〈境内案内石板より〉
「当社は住昔しばしば兵火に羅り
1・承久の乱(1221年) 社殿焼失

2・元亀の頃(1560年)兵乱のため焼失
3・天正11年(1576年)賊ケ岳の戦火で余燼は神殿・社宝をも鳥有に帰した。

以降は再建の事ならず、隣郷の 大澤神社に合祀奉斎されてきたが、明治9年、氏子の永年の念願稔り元の社地に再建遷座された」

さて、ご本殿にお参りしましょ。

すみません。

だってこんな道端にいきなり「黒田官兵衛!」のノボリがあったら、びっくりするでしょ。説明書もじっくり見るでしょ。

ちび狛犬さんだけ、あいさつしてくれました。

かわいい狛犬。耳がたまりません。

はいはい、こんにちは。

お耳まで垂らしていじけんでも・・・。

〈境内案内石板より〉
「かつて近江源氏と称した佐々木源三秀義公の後胤、黒田左衛門尉大夫伴官源宗清公、当地を領し、姓を地名よりとつて黒田氏と称し七世に及ぶ間、当神社を氏神として崇敬篤く献進が寄せられた」
☆昨日のおさらい☆
「筑前・福岡52万石・黒田藩の祖先は、佐々木源氏(近江源氏)の流れをくむ黒田判官・源宗清(別名・宗満)であり、近江国伊香郡黒田村に住み、湖北の荘園の領主として、黒田判官と称した。」

「黒田判官・宗清(1278ー1357)より数えて6代目・高政の時代、1511年の山城船岡山の戦いの後、備前邑久郡福岡村に移り住むまでの約200年間、黒田氏は黒田村に居を構えていた。」
記事はこちら→→→
黒田氏発祥地?黒田観音寺。行基と最澄と鶏足寺と戸岩寺と。

ふむ。お宝、満載だったのねー。
なのに、ファイヤー!の連続。お気の毒な神社さんです。

こんな謎のものもあります。

例大祭 4月17日
特殊祭儀おこない 2月17日、6組の塔主によって厳修。
☆オコナイについては、高月観音の里資料館が詳しいです。

だよぉー!
いつも応援いただきありがとうございます。
ここは通りすがりに発見。いえーい。現地に行かなくちゃわからんことっていっぱいですね。蜂とかカナブンとか蜘蛛の巣に耐えつつ、でへへ顔で
歴史ろまーんを廻る旅は「とにかく現場に行け」ですぜ、旦那。
お気に召していただけましたら、それぞれぽちゃぽちゃぽちゃ、とお願いします。



ありがとうございます。ちゅ。って、ちび狛犬が。
スポンサーサイト