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巨木立ち並ぶ亀岡市佐伯の御霊神社

こんにちは。


京都府亀岡市、佐伯の御霊神社。


昨日の画像では、木の精がわかりにくかったようですので。


こう見えた。

見間違いにひたすら驚いたあと。


心臓ばくばくさせつつ、お詣りです。


つるべの残る手水舎。


若葉萌える季節にもう一度来たいなぁ。


もぉー。聞こえてるよー。

創祀は大同元年(806)。

貞観五年(863)に悪疫が流行り、悪疫を除くことを願って怨霊を慰め鎮めるために祈願したと伝わります。

いわゆる「御霊信仰」ですね。

「御霊」とは非業の死を遂げた怨霊に対する尊称。
怨霊の祟りを避け、慰撫し、祀り上げて守護する存在へと転換したものが御霊神社。

御所の清涼殿で祈願され、五基の御所燈籠を下賜されて始まったのが、「佐伯燈籠祭り」。


ちび狛ちゃんのいる稗田野神社もまた同じ。

御霊神社は下社、稗田野神社は上社。


ポリバケツに入っているけど、悪疫退散のお砂がありました。


願いを込めた千羽鶴がいっぱいだった理由です。

さて。御霊神社。


おつむが悪いです。


それは残念だわ。


素敵な社殿だなー。


本殿。


らくがんの優しい甘さが好きなんだなー。


御霊神社。

【祭神】

大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと)

孝元天皇(第8代天皇)とされています。
実在が疑問視されている欠史8代の一柱。

彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)
四道将軍の一人「吉備津彦命」。
孝元天皇とは異母兄弟。



よーく見ると、いろんなひとがいますのよ。


天女か、迦陵頻伽(かりょうびんが)かなー。


妻側は賑やかです。てっぺんに、屋根を支える力士みたいなひとが。


お耳が長いので、うさぴょんかしら。


あはははは。


木材そのままの鳥居。


その横に、なにかいる。


らぶらぶ灯籠。


本殿向かって右奥に、こんな石組。


水があったらきれいだろうなー。


三方を土盛りに囲まれた境内には、ムクノキの巨木が林立。


えへへ。


本殿向かって左の境内社。

お稲荷さんなのですが。

が。


めっちゃ笑ってる。


大阪でさえ聞いたことない会話ですが、何となく聞こえてきます。


これは、ムクノキ。

胸高幹周8メートル半、樹高22メートル。

亀岡の名木の中で単木としては最大で、京都府下でも最大級の巨木ですって。


本殿と比べると一目瞭然。


伝わるとよいのですが。


鎮座地は、稗田野町佐伯斉ノ神。

元は塞の神だったのでしょう。

塞の神は道祖神とも呼ばれ、邪神・悪霊や悪病神を村の入口で塞ぎ防ぐ神様。


とても素敵なお社の杜に包まれた御霊神社でした。


御霊神社

《住所》京都府亀岡市薭田野町佐伯斉ノ神41




いつも応援いただきありがとうございます。
土盛りに囲まれた境内、住宅が隣接しているとは思えない空気と光景でした。ざぶざぶと落ち葉を踏みしめながら、大きなムクノキのまわりをぐるぐる。普段は自然に触れることもないので、気持ちがよかったです。夏ならもっと青々とした葉が生い茂るんだろうなー。でも、蚊がいそうなので、来れないなー。ざんねーん。

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青い目の狛犬と佐伯灯籠祭。京都府亀岡市

こんにちは。


亀岡市の稗田野神社。


稗田阿礼社がありますが、名前が近いだけでご縁はないそうで。


お読みくだされ。


境内社のえびす社。


青い目の狛さんです。


めっちゃカメラ目線。かわいいなー。


芸達者です。



【佐伯郷燈籠祭】(国指定重要無形民俗文化財)

佐伯灯籠は亀岡市旧佐伯郷四社(稗田野神社、御霊神社、若宮神社、河阿(かわくま)神社)の五穀豊穣の神事と盆行事が集合した夏祭り。

寛喜元年(1229)朝廷より賜った五基の神燈籠と台燈籠を中心に斎行。
1700年代半ばまでは勅使を迎えて行われました。

享保二年(1717)の『諸国年中行事』では「丹波のさいきむらの灯籠まつり」と記されているとか。

特に面白いのは、間口が約180センチメートルの大きさの台灯籠を舞台に上演される、文楽完成以前の形態を残す人形浄瑠璃。


用いるのは、わずか35㎝の「串人形」。

ちっちゃー。

さて。

この灯籠祭、女性側から夜這いするお祭りだったようで。


おほほほ。


何とも日本の農村らしい風習です。

稗田野神社で神移しを行い、五穀の実生を乗せた神輿は、御霊神社へと向かいます。


佐伯郷四社のひとつ、御霊神社。

稗田野神社を上社、御霊神社を下社とも称するニコイチのお社。


巨木が林立するお社です。

木の精かー!?


わたしゃ~ほんとにびびったのです。

つづく。


いつも応援いただきありがとうございます。
稗田野神社は、狛犬さん達がかわいくてうっきうきだったのですが、御霊神社はまた趣の異なるお社でした。御霊神社の社頭の巨木の根っこ、ちびりそうなほど驚きまして。ちょっとお茶を飲んで落ち着いてから、お詣りしました。

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稗田野神社の牡丹とちび狛犬。一級品

こんにちは。


京都府亀岡市の稗田野神社。


なんかいる~なんかいる~。


きゃー♪こまちゃーーーーん!


もう一人、いた~♪


垂れ耳がツインテールみたい。

おすわりした高さ、150cmはあろうかと。


きゃ。ちびちゃん。


うんうん、おみかんだね。


おみかん、かなー?


獅子と牡丹、よね。


きゃー。


とても細かい彫りの狛犬さんです。お見事。


お?


おおお。


すみません。すみません。


眠くて不機嫌。


どこから見ても、とても丁寧な細工の狛犬さんです。


かーちゃんの足元にあるのは、こぼれてしまったお顔の一部。


大切に保存されています。


ちびちゃん、賢い。


お花見、れっつご~♪


ちび狛ちゃんの独り言。


ちょっととぼけてみたちび狛ちゃんなのでした。


稗田野神社
《住所》京都府亀岡市ひえ田野町佐伯垣内亦1


※駐在所の北です


いつも応援いただきありがとうございます。
牡丹の花びらの一枚一枚まで丁寧に彫られた見事な狛犬さん。子狛を囲む大きな狛犬さん達を見ているだけで、とてもほっこり。加工しやすい石材は、崩れやすい石材でもあり。こんなにきれいに花びらが残るのは奇跡に近いかと。これからも長生きしてほしい狛犬さんです。

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丹波国守大神朝臣狛磨造営の稗田野神社の、狛ちゃん

こんにちは。


京都府亀岡市の薭田野(ひえだの)神社。

※ひえ、は、くさかんむりに、稗



【由緒】

式内社。

「約3000年程前にこの地に住み着いた祖先の人達が現在の社殿の裏にある土盛りの処で、食物の神、野山の神を祭り、原生林を切り拓き田畑を造り、収穫した穀物を供え作物の豊作と子孫の繁栄を祈り捧げました。」


本殿奥の土盛り。

「それから時が流れ、大和朝廷の基礎が出来上がった和銅2年(709)、丹波国守大神朝臣狛磨が朝廷の指示によって土盛の前に社殿を造営。」(京都府神社庁HPより)

・・・こままろ?


こまちゃん造営のお社かー♪


モノクロ親子。


ちび狛ちゃん、それ、ボールちゃう。


どうだろう。


すみません。


ちび狛、おとなだねぇ。


手水舎に、いっぱいの折り鶴。


悪病退散を、「悪霊退散」と読み間違える。


お砂を袋に入れて玄関口に祀るそうな。

そろそろ健康面が気になるお年頃。ほほ。


柱に比べて屋根が重そう。



【祭神】(京都府神社庁HPより)

保食命 (うけもちのみこと) 
穀物の起源神であり五穀豊穣、食を司る女神。
伊勢の神宮・外宮に祀られる豊受大御神と異名同神。

大山祇命(おおやまずみのみこと)
山の守護神、延命長寿、美人の守護神。 

野椎命 (のづちのみこと) 
野の神様、田畑の作物の守り神。


通れるわよっ。


鎌倉時代のもの。


さん、たくさん。


こちらの方が一目瞭然。


んんん?


誰かがのぞいています。


こまちゃーーーーん!!

そう、ここにはあの子がいるの。

つづく。


稗田野神社
《住所》京都府亀岡市ひえ田野町佐伯垣内亦1


※駐在所の北です


いつも応援いただきありがとうございます。
亀岡市から丹波篠山、姫路へ続く国道372号(デカンショ街道)から酒蔵さんの横を入ります。こままろ造営の稗田野神社。ふっふっふ。狛犬さんがせっせとお社を造ったかと妄想してしまいます。ちび狛ちゃんがいるだけでテンション上がりっぱなし。ぼたんとちび狛。次回へつづく。

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観世流の名家「梅若家」旧跡。京都府南丹市。

こんにちは。

今日は、能のおうちのお話。



観世流の名家に、梅若家、というおうちがあります。


京都府南丹市日吉町殿田の曹源寺。丹波猿楽の梅若家の旧菩提寺。


梅若家は織田信長や徳川家康に仕えた日吉の領主であり、また、日吉を本拠に丹波猿楽の梅若座を構え、観世流に合流して観世流梅若家となった能楽の名家です。


当代の梅若玄祥先生は、今、絶対に舞台を見てほしい素晴らしい先生です。

その梅若家の旧跡のある南丹市を訪ねました。



橘諸兄の子孫の梅若家ですが、当初は山城国梅津村(京都市右京区梅津)にあり、10世「従五位下梅津兵庫頭友時」より梅津氏を名乗りました。

「梅若」の名乗りは後の事。


目の前の殿田川に架かる橋には、能のレリーフ。

若い女性の姿ですが、装束を片方脱いでいるのは「狂女」を表します。
流れる水を指しているので、能「蝉丸」の、蝉丸の姉の逆髪(さかがみ)かな?


見た通りの、じいさま。

漁翁の姿です。この髪型が、尉髪。


毎回、せっせと結うのです。


梅若家37世(梅津友時より数えて28世)の「梅若太夫波多景久」が、16歳の折に「芦刈」を御土御門天皇の御前で奉じた折に「若齢にしてその技に通ず」と右少弁藤原俊名を介し「若」の字を賜り、一門も梅津から「梅若」に改姓。



「梅若」の姓となった頃は、既に丹波国大志麻(綾部市大志麻)に本拠を移し、綾部から和知・周山・美山・殿田など丹波地域に一門が広く居住していた梅津(梅若)家。

丹波猿楽「梅若」座となった後。

上林(現在の美山町宮脇)に居住していた広長(「若」を賜った景久の子か孫かは不明)は美声で「妙音大夫」と呼ばれていました。

彼が信長より500石を与えられた土地「世木庄」が、現在、曹源寺がある場所。


ところで。中世丹波地域は、言わずと知れた山城密集地域。


曹源寺の背後の山には殿田城があります。屋根が見えるのが曹源寺。


安土で家康を饗応した際の能楽お披露目では、梅若家は共に舞台に立った幸若大夫と比べて不出来である!っと叱られました(『信長公記』)。

とにかく、舞い謡いしてるばかりでは立ち行かぬのが戦国時代。

本能寺の変。


(高野山奥の院。豊臣家墓所)


(高野山奥の院。明智光秀墓所)

梅若家の家久(もしくは広長)は、丹波攻略によりこの地域を手中に治めた光秀方に付いて山崎の合戦を戦いますが、負傷し、ご他界。
亡骸は曹源寺に葬られます。

光秀が秀吉に敗れた後、光秀に付いたため、梅若家は一時没落。


梅若九郎右衛門氏盛(隠居後に玄祥。梅若家40世)が細川幽斎の推挙によって徳川家康に仕え、世木庄の上稗生(現在の日吉町生畑上稗生)に百石を賜り、梅若中興の祖となりました。


(舞鶴市田辺城のゆうさいくん)

そんな激動の中世を生きた梅若家。


(曹源寺から見た梅若家屋敷跡方面)

今も南丹市日吉町殿田には屋敷跡と墓所が残ります。



この上に


「丹波猿楽梅若家屋敷跡」の旧墓所。

梅若九郎右衛門氏盛(隠居後に玄祥。梅若家40世)以後、梅若家は代々上稗生を領していましたが、維新後は東京に移住しました。



明治20年、梅若実(55世梅若六郎)が、梅若の始祖「梅津兵庫頭友時」の千年祭を行ない、梅若屋敷跡の旧墓所に「従五位下梅津兵庫頭橘友時碑」を建立。



昭和50年10月には「丹波猿楽梅若家旧墓所」の碑を55世梅若六郎が建立しています。



とにかく舞台が素晴らしい梅若玄祥先生ですが、とても面白い方で、
漫画「ガラスの仮面」の劇中劇『紅天女』を能にしたり、様々な舞台に挑戦しておいでです。


テレビであれ、公演であれ、どんな形でもいいので、ぜひ一度。



いつも応援いただきありがとうございます。自慢ひとつ。学生時代に、能楽堂の虫干しのお手伝いをしていたら、梅若玄祥先生がケーキを差し入れてくれましたの~(≧∇≦)ウハウハ♪優しい先生なのですー。
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能舞台を見に生身天満宮へ

こんにちは。


南丹市園部町の生身天満宮。

なまみ、じゃなくて、「いきみ」天満宮。
道真の存命中に生祠として祭祀したことから、生身天満宮、と。


境内に残る能舞台。


能舞台は三間四方が基本なのです。


神楽殿などと混同される中、鏡松まで描かれているのが嬉しい。


三間四方の舞壺に加え、橋掛かりもあるなんて。嬉し涙が那智の滝。


橋掛かりの元に、楽屋と思える建物。

舞台に出るシテ(主役)が己の姿を鏡に映して精神統一する控えの間の「鏡の間」もありそう。


うおーう。


ばかでっかい狛犬さんに爆笑。


出来たらどいていただければー。


雷といえば立花道雪様。

おうちでしなくちゃいけないことが山積みなのに、昼過ぎにどどどーっとおでかけしてしまったのでした。


いつも応援いただきありがとうございます。あまりの晴天に、お布団を干したままおでかけ。目的地をクリアしたら即座に帰宅。下道をとことこと走ったので渋滞知らずのGW真っ只中なドライブなのでしたー。
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丹波佐吉作は彫りが深い男前。流麗な髪と尾の狛犬「吽」の巻。

こんにちは。


摩気神社。


素敵だなー。いいなー。


神社でもお寺でも、門から最初に見えるこの景色が好きです。



さて、本日も本題はこっち。


丹波佐吉の狛犬様。

「阿」様はこちら→→→
丹波佐吉。日本一の称号を持つ石工。摩気神社「阿」の巻。


そうやぁー、ええ天気やぁー。




「軽く」踏み出してる感じがぜつみょー。


考えとく。


ご機嫌さんでなにより。


尻尾の立体感、触りたくなります。つんつん。




角、かわいー。


ざんねん。



「日本一」の称号を持つ丹波佐吉の狛犬さんでした。



いつも応援いただきありがとうございます。体の肉付きがとても素敵で、なでなでしたくなるお狛様です。丹波佐吉デビューして、惚れてしまいました。
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丹波佐吉。日本一の称号を持つ石工。摩気神社「阿」の巻。

こんにちは。

車の一年点検を済ませて、おとなしくしてました。

な、わけはなく。あまりに好天なので、狛犬さん業界で名工と称されている方のわんこ達を見たくて、いけいけどんどんドライブへ。


京都府南丹市園部町にある、摩気神社。




すぽんっと。


地図を見てるのに真反対へ歩いたお馬鹿さん、ここにあり。


延喜式式内社、名神大社の摩気神社。


お?


だるま落としみたいに、こーん、っと直せんのやろか。こーん、っと。


そうです。ここには、丹波佐吉の狛犬さんがいるのです。



丹波佐吉
1816(文化13)年、朝来郡和田山町竹田生まれ。

幼少時に両親を亡くし、製糸業を営んでいた「若松屋」に預けられ、
1820(文政3)年、ワタリの石工(旅稼ぎの石工職人)としてこの地を訪れていた初代難波金兵衛の養子になります。


1822(文政5)年「丹波大新屋」に居をかまえた金兵衛と共に、幼いながらも石工の道に精進。

しかし、1837(天保8)年。金兵衛に長男義継が誕生。


翌年。佐吉23歳。金兵衛の反対を押し切り自らワタリの石工となります。


実子に遠慮したのでしょうか。


やがて10年の時を経て。

大阪の「石為」に滞在していた佐吉は、同業の間で技比べをすることになります。


なんと、「石の尺八」を作って見せました。


その見事な出来っぷりに時の孝明天皇から「日本一」との賞賛を賜ります。


大和に移った佐吉は3年かけて奈良県菟田野町平井の「大師山霊場」を完成。


1856(安政3)年。金兵衛の死を知って「丹波大新屋」を訪れた佐吉。


子供の頃、読み書きを習った上山孝之進の依頼で自宅の稲荷社の狐像一対を製作。柏原(かいばら)八幡神社の狛犬一対を製作。


その後、再び佐吉は丹波を去ります。


数年後に再び戻って来ましたが、1866(慶応2)年。佐吉は一体の不動明王像を完成させ、ひっそりと丹波の地を去りました。


不治の病に侵されていたという佐吉のその後の行方は定かではありません。


あうち。吽さん、またの機会に。

なんか、泣き声が。

おっと。

生きとし生けるもの、愛嬌者がいいよー。

いつも応援いただきありがとうございます。丹波佐吉。名工といわれる方の狛犬さんが見たくて、どぴゅんっと走ってきました。深い彫刻、流れる尻尾と髪の曲線。細かい装飾。なるほどー。すごーいです。
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覚行法親王御陵所の九品寺と船阪八幡宮。真夏の寺社探索は苦行だわ。

こんにちは。


九品寺の大門。


いやーな予感がするけれど、なんとなく心惹かれて中へずんずん進みます。気温38度。思考力崩壊中。


前回の続きです。九品寺の大門から参道を少し歩きました。


お寺の門がありました。


「弘法大師開基(弘仁元年 ※810年)」「鴫尾山 九品寺」


「白河天皇勅願道場」「白河天皇御廟塔所」「覚行法親王御陵所」

白河天皇が皇后賢子の安産を祈願し、御堂を建立。土地を寄進。

皇后賢子は無事に皇子を出産、白河天皇は、阿弥陀堂・鐘楼堂・五重塔・経蔵・護摩堂・仁王門を建立。

第二皇子の覚行法親王(1075-1105)を中興開山として入寺させ門跡寺院として復興。



参道の左側には観音様。


九品寺の別名は、船阪観音。丹波三十三観音霊場の第二十番札所。


いろんな虫がぶんぶんぶん。


参道の両側には昔の寺院跡とおぼしき平地と石組が散見されます。

参道の突き当たりには、こちら。




白河天皇第二皇子の覚行法親王の御陵です。

幼い頃に仁和寺に入り出家した覚行は、父の白河天皇の寵愛厚く、出家の身でありながら親王宣下を受けて最初の法親王となった人物です。

出家した皇子が親王宣下を受けるとは前例がない!との反対意見に対し白河天皇は「内親王といふこともあれば、法親王もなどかなからむ」と言って強行しました。(『今鏡』326段)

仁和寺が歴代治天の君の保護を受け、その子が法親王として御室を継承する慣例を作った二人です。




宮内庁が管理している宝篋印塔。ふたつ。はて?
左が1.4m、右が1.3m。製作年代は不明。

一旦下りて、参道に戻ります。


ここをのぼれば何かある!くんくん。

その前に汗くっさいお手手を洗いましょ。

埋もれすぎ。


やっとここまで来ました。


山寺の趣です。


本堂は観音堂となってます。


白河天皇と覚行法親王により復興した九品寺。
しかし、南北朝から戦国の戦乱によって、本堂と仁王門を残して焼失、衰微。

元和9(1623)年、園部藩主小出吉次が再建しましたが、ほとんどの末寺が地域の神宮寺であったために神仏分離以後は衰退。
さらに第二次世界大戦後には大門(仁王門)を残して荒廃。

無数の寺宝が流出してしまいました。
不動明王像と十一面観音像は、メトロポリタン美術館。

ご本尊の千手観音様は京都の正法寺。


ね。
 

本堂の左横にあった「雷除ヶ石」。かつては雷除けの祈願が行われていました。

戦後、近隣数ヵ所に同時に落雷があったとき、九品寺をお祀りせず荒廃させてしまったから天罰が下ったのだー!と言われたほど霊験あらたかな雷神だとか。

そのわりには…もごもご。

本堂に向かって右を見るとこちら。



泣きそう。正面の建物は舞殿らしき風情。


いろんなもんが足元でばっさばっさと飛んでました。


船阪八幡宮です。


覆屋の中を覗いてみました。失礼しております。


ちらり。


船阪八幡宮の標識に従って小道を入ると、こんなすごい道を車で通ることになるので、九品寺の駐車場からてくてくするのがおすすめです。


気ままなドライブで、素敵なところに立ち寄ることが出来ました。


おまけ

これはヤバイと思って、車に常備の山寺散策セットで完全武装。


参考文献
園部町教育委員会『園部の歴史~郷土の資料~』
Wikipedia「覚行法親王」
九品寺現地説明板(南丹市教育委員会)

九品寺・船阪八幡宮
住所・京都府南丹市船阪大門47-1



いつも応援いただきありがとうございます。日本一の大天狗様になる前の白河天皇って、どんな人物だったのかなー。この辺りはお城もわんさかあるのですが、今回は消えそうなお寺の探訪。神仏分離と廃仏毀釈。む。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

九品寺。白河天皇が皇后の安産祈願し息子を法親王にした寺。

こんにちは。

週末は南丹市のお寺に立ち寄りました。


のぉどかーなーのぉどかなぁ、さーとの猛暑ぉー♪


のんきにドライブしていると、唐突にこんな大きなものが現れます。


車から出たらそこはサウナだった…。


檜皮葺の大門。鎌倉時代後期に建立。国重文。



鴫尾山九品寺。真言宗御室派。

縁起によると、弘仁元(810)年、弘法大師の開基と伝えます。

寺伝によると、さらに承暦3(1079)年。

白河天皇が皇后藤原賢子の安産を義範という僧に祈祷させた。
西の方向に金色の霊光があり、山上に三面千手観音菩薩の尊像が出現するのをみて、天皇は霊地(当地)に伽藍を建てて本尊とされた。

船井郡十一郷に及ぶ広大な寺田を寄進し、御堂建立。

皇后賢子は無事に皇子を出産、白河天皇は、阿弥陀堂・鐘楼堂・五重塔・経蔵・護摩堂・仁王門を建立。

第二皇子の覚行親王を中興開山として入寺させ門跡寺院として復興。

別名船坂観音。
丹波三十三観音霊場の第二十番札所。


柱の間が3つなので「三間」、通り抜ける戸に該当する所が真ん中の1つなので「一戸」


現物確認。これは向かって左側。
右側にも同じものがあるので、控柱は4本×2=8本。よって、「八脚」


合わせて「三間一戸八脚門」です。



パーのお手手の仁王様左。しゃらんらー♪


成敗!だめ!


お目目ぎょろんの仁王様右。


脱力。

このお二人の仁王様は、南丹市の指定文化財。


うー。迷うところです。
大門の背後に続く鬱蒼とした参道らしき道。


少しだけ歩いてみたら、こんな建物。


どうしようかな。すごくいいものがある予感がするんだけどな。
大門とは雲泥の差のこの参道はいかなることか。


まあ、かわいい。よし、怖いけど進んでみよう!


もぉーいや。帰るぅー!


くじけそうな夏のお寺散策。ヤブ蚊と格闘しつつ、次回に続く!


九品寺
住所・京都府南丹市船阪大門47-1



いつも応援いただきありがとうございます。京都府南丹市の郊外をのんびり走っていると、突然見えてくる巨大な赤い楼門。たまにはナビなしで気ままにドライブ。気になるところにふらぁーっと立ち寄ってうろうろするのが楽しいです。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
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Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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