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穴太寺。西国三十三箇所札所。ちびっこ狛犬お出迎え

こんにちは。

山越えして亀岡へ。

戻りませんよ。やっと越えたんだからね。

あの山々には、大阪府北端の能勢方面から亀岡へ抜ける国道423号線のくねくね道の法貴峠。

ここに「屏風岩」があります。
明智光秀が丹波平定に向かう途中、この巨岩に行く手をさえぎられ引き返したとか、中国攻めに向かう途中のここで本能寺に攻めるぞぉー!っと引き返したとか伝わる、別名「明智戻り岩」。

この岩の上の方に法貴山城があるんですってー。

すみません。交通量がわりと多いので、毎回「あー」っと泣きながら通り過ぎてます。


あなたの思考が「あなふしぎ」です。


今日は亀岡の光秀巡りではなく、手頃なところへ。

車内でエアコンをがんがん効かせてきたので、湿気がつらい。


お気の毒なムクノキです。命あるもの、大切にしましょう。


「穴太寺」と書いて「あのうじ」ね。他の読みもあるけど、あなぶとでら、ではないです。

仁王門。江戸時代中期再建。


きゃっほー。


こらこらこら。


そうだ、京都、行こう。(亀岡市だけど京都府だもん)


お参りしましょう。


西国三十三箇所第21番札所。西国巡りの方々で春や秋は賑わいます。観光バスの団体さんと遭遇したときは、駐車場の売店で時間をずらしましょう。


めっ。仁王門を入って左を見れば多宝塔。1804年再建。


右を見ればこちら。


確かに「水」なんですが。さっさと手を清めましょう。くちゃいです。


踏ん張る両手もかわいい龍さんです。角がすごくながーい。


ふと横を見たら、ブーメランを発見。これ、好き。


関西は梅雨明けもまだですが。


ここぞというときに、惜しい事態に陥るジンクス。


暑い。


だからね、穴太寺(あのうじ、あなおおじ等)です。


「懸仏(かけぼとけ)」様です。


少し拡大。電球じゃまー。


きれいです。


ご朱印帳を持参して廻る西国三十三箇所。
お参りするのが目的のはずが、スタンプラリーの如く「いかに1日にたくさん廻るか」が目的になってしまいがち。

2周して、ご朱印帳と掛軸を母に持たせてやったのでおしまい。


こっちがいいや。鎮守様のこまこま。

やほー。この子のお手手のむちむちさがたまりません。


ああ、かわいい。


むちむち。


よく見ると、わき〇あり?大人への階段をのぼる途中。


子犬兄弟。

だって本来の私の目線はこちら。

ちびっこ狛犬。


仁王門を入ってすぐ左。すべてがかわいい。


穴太寺
所在地: 〒621-0029 京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46

☆この穴太寺のすぐそばが、円山応挙の生誕地です。

☆光秀戻り岩は、穴太寺そばの423号線をずーっと南へたどり、七曲りのような峠の途中にあります。


いつも応援いただきありがとうございます。
こちらはお庭が有名なんですが、むっしむしな上に、蚊に刺されまくって今回はパスしました。むちむち狛犬兄弟に会えて嬉しいです。
この後丹波篠山に向かいますが、その途中、ゲリラで雷雨で豪雨に遭遇しました。


お気に召していただけましたら、それぞれぽちゃぽちゃぽちゃ、とお願いします。

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ありがとうございます。

光秀の首塚。亀岡の谷性寺で桔梗と半夏生。

こんにちは。今日は季節ものなので、急ぎ挿入です。

雑節のひとつ、半夏生(はんげしょう)、ご存じですか?
夏至から数えて11日目頃。今年は7月2日でした。


ドクダミ科ハンゲショウ属ハンゲショウ。毒草。
「半夏生」は、この植物にちなんで名付けられたとされています。

天から毒気が降る、地面が陰毒を含んで毒草が生える等の言い伝えがあり、この時季に筍・わらびなどを食べることや種を撒くことを忌む風習があったそうです。井戸にも蓋をしたそうで。

地方によっては、ハンゲという妖怪が徘徊するという伝承があり、この時期に農作業をしたらあかん、という戒めになってます。

半夏生に降る雨を「半夏雨」といい、大雨になるといわれています。
まさに、その通り。

そんな半夏生。
葉っぱが花のように緑から白に色を変えていく姿が、まるで半分化粧しているようなので「半化粧」ともいいます。


はんげしょう、でしょ。


そうやけども。


女子会旅行、翌朝の会話。

地域によってはタコを食べる習慣があるとか。
土用の丑までヒマなお魚屋さんが、「タコ食べる日」にしそうです。


さてここは実は亀岡市の桔梗のお花畑なんです。


亀岡(亀山)、桔梗、といえば、明智光秀ですよねー。


ということで、

谷性寺(こくしょうじ)。

亀岡市郊外にあるお寺で、創建、変遷の詳細は不明ですが、平安時代には創建されていたとのこと。


1582年、明智光秀没後、家臣・溝尾庄兵衛が、戦に敗れ、晒されていた光秀の首を縁のある谷性寺に持ち帰りました。


無事のお帰りを待ってたのにね、桔梗さんたち。


1582年の本能寺の変を前に光秀は、本尊の不動明王に「一殺多生の降魔の剣を授け給え」と誓願し、本懐を遂げたといいます。


1855年に首塚が建立されました。


本尊の不動明王両脇に、阿弥陀如来立像、大日如来などが安置されています。


この門は、光秀の亀山城の側の西教寺が廃寺になる際に移築したもの。


蛙股の内側に、光秀の桔梗紋。

外側には、西教寺の紋。

西教寺から移築する際に表と裏を変えたようです。

光秀縁のお寺。周りは桔梗の花畑になっています。

ぽーんって、はぜそうなつぼみ君。












へいへい。

本日のお気に入り

けろけろー(^◇^)


いつも応援いただきありがとうございます。じめじめしてて、湿気と汗で顔に塗ったもんが全て流れ落ちました。来週の大河は本能寺ですが、江口信長君にはぜひとも舞わず歌わず、そこはプロに任せて欲しいと切に願っております。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

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