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新作の面

あーっというまに、前の更新から2ヶ月経過。

みなさま、おかわりなくお過ごしでしょうか?

私はおかげさまで、能楽堂のお仕事を楽しみつつ、いざお仕事となるとこりゃ大変だわねぇー、えへへー、な毎日を過ごしております。

お盆は、どこの能楽堂でも、虫干し、をされているかと思います。
所蔵の装束や、面、小道具などを蔵から出して、広げて干して、その間に蔵にバルサンをする作業を能楽師の方々がなさいますのよ。

それはそれは貴重な面を、お昼休みなどに、能楽師の先生にじっくりゆっくり解説いただけるのは、役得でございます♪

それから、夏休み恒例なのは、こども達へ向けた様々な体験教室。

うちは、新作の能を昨年作ったそうで、登場人物が月とか黒雲とか、めるへぇん♪な、物語なので、


(これは試作品。出来上がりはもっとまるっこくなって、かわいい)

イルカちゃん親子なんて、出てきちゃいます。うふふ。

今でこそ古典になった能楽ですが、成立時は、リアルタイム芸能。

きっと、当時の人たちも、うふふ♪うふふ♪としながらいろんな曲を作っていったのだろうなーと、思いました。
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関西学生能楽連盟春季大会

こんにちは。

大阪で起きた地震の折りにはご心配賜りまして、心より御礼申し上げます。おかげさまで、最後まで残っていた大阪モノレールが全通開通し、公共交通機関はこれで全て復旧したそうです。

※6月24日追記
大阪モノレール、車両点検のため本日より終日運休。再開未定になりました。

まだ、同じ北大阪でもライフラインが復旧していない地域があり、1日でも早く元の暮らしに戻るよう祈っているところでございます。

さて、地震の前日、日曜日。


大阪市中央区の山本能楽堂へおでかけしました。

この日は、関西学生能楽連盟の春季大会。


今年でなんと、65回目。つまり、65年間も続いている催しなのです。

大学の入学式の日に、うっかり能楽部ブースを覗いてしまったのが運のつき。ズブズブと底無し沼にはまり、今に至る。

ほほ。

まさかお仕事になるとはなー。


この山本能楽堂は、私が在学中、通ったとこです。

多いときは週に4日以上。お稽古はもちろん、週末は催しのお手伝い、夏休みは虫干しのお手伝い、年末は大掃除のお手伝い。


観客席(見所=けんしょ。といいます)が桟敷席で、味わい深いです。


番組とパンフレット。

現在は、関学、関大、神戸女学院大学、甲南、武庫川女子大が加盟、総勢百人弱。

私が現役の頃は、この他に、大阪市立大学、大阪歯科大学、近大、神戸大、大阪樟蔭女子大、帝塚山大学(ここのみ金春流、ほかは観世流)があり、総勢200名以上の大所帯でした。

どうしても各大学とも部員数の減少は否めず、廃部になった大学もあり、今加盟していても存亡の危機である大学はあります。

そんな部員不景気ななかでも、こうして会を続けてくれた現役さんと各大学の師匠、連盟顧問の先生方には感謝の言葉以外にありません。

まーーーーったく能楽を知らないのに、美人あるいは男前の先輩がいるとか、昼飯おごってもらえるとか、ノートがもらえるなど、ふじゅ・・・けほん、様々な理由で、ちょーマイナーな能楽部へ入ってしまった不運な子達の集まりの能楽部員ですが、実はこの学生さん達ってのは特別な存在で。

能楽部から玄人になった人は多いです。春季大会の講演でも顧問の先生がお話されてました。

玄人になったとして、食べていけるんか?社会保障面では辛いぞ、という不安がある元企業人としては、それよりも、ほんとは、玄人にならなくていいから、卒業してからもお稽古を続けてほしい子達です。

学生の4年間で、ゼロから能のシテをつとめることができるまでに成長します。

無論、その影には師匠の指導やOB.OGによる協力がありますが、

学生の4年間は一般のお社中さんの10年以上に相当する、といわれております。

どの部活でも言えることですが、学生時代、ひとつのことに熱中した経験は、基礎から叩き込まれ、ちょっとやそっとじゃ忘れないほど実はこっそり身に付いているのだと思います。

卒業したあとは他のことしたいとか、時間的な余裕、金銭的な余裕がないのは百も承知で、年に一度の自分の出身校の自演会に賛助出演するとか、ふらーっと師匠の稽古場へ遊びに行くとか、何らかの形で触れ続けてほしいです。

そしてなにより。

年に一度だけでも、ほんとに素晴らしい先生の舞台を見てほしい。

先日、梅若万三郎先生と塩津哲生先生他、名手勢揃いの能「大原御幸」を拝見して改めて思いました。


様々な理由で、今、絶対に見なくてはならない舞台ってのはあります。

私は学生時代に、先代の観世銕之丞先生、片山九郎右衛門先生、大槻秀夫先生など東西問わず大勢の素晴らしい先生方の舞台を拝見したので、それがとても心に残っています。

チケット代でバイト代や仕送りが雲散霧消しましたが。

そんな番組に出会ったならば、中途半端ではなく、本気で能楽に取り組んだ能楽部面々なら舞台を見れば何かが心にずどーんっと来ると思います。

そしてこれは、能を見たことない方々にもお伝えしたいことでもあります。見たことがないからこそ、本物を見なくては、能楽ってつまらないとか、退屈、と思われかねません。

地元にこんな人来るのよ。これ、どう?等という疑問がありましたら、まず、その方について検索してみることをお勧めします。
大方、感想や批評等の記事がヒットします。

まー、そんなこんなを語った気がするけど、大部分は大爆笑してたから、楽しい話をしてたであろう、春季大会後の宴会を経て。

うん、真っ昼間の午後3時過ぎから宴会で、謎の鍋なんかをつつきあった後で。

師匠が「同じ値段ならうまいもん食おう飲もう」と言うので何人かと某国ホテルへ場所替え。



これを見た師弟の会話

「うおお!銀座のマグロはシュッとした顔してます!」
「回ってへんやろ?」
「次回はぜひ、立ち食い席行こっ」
「新大阪にあんで♪」
「うどんやん」
「うまいやん?」
「うまいけど、シュッとしてません」
「大阪やもん♪」

大阪へ来て人生半分以上を過ごしてますが、いまだに大阪人はわかりません。


ぜってぇ同じ値段ちゃうわ!と突っ込みつつ、楽しい時間を過ごしました。

ビールのあと、てんてーの貴重なほにゃらというボトルを飲み干したり、肉を食べたり肉を食べたり肉を食べたりパンケーキなんかも食べた気がします。

現役さんに、デートでカクテル飲むときは、グラスの形に注意しろとか、おばちゃん化したのはないちょ。

次世代へつなぐということ。大阪能楽養成会

こんにちは。

朝10時から夜の8時まで能楽漬けで幸せなわたくしです。

今日は、伝統芸能をつなぐということについて、ご紹介。


勤務先は能楽堂。人間国宝に名指しでド叱られる情けない事務員。

伝統芸能って、中に入ったら一層、先細る先細れば先細るとき、ってのがわかって、やばいやばいと思う日々です。

会計事務所に「零細産業」などと言われたり、します。

経営が無理ならいらんやん?淘汰されてほんまにやっていけるとこだけ続けてったらええやん?

ですが、遠い将来、そうなっても致し方ないとしても、数百年続いた伝統をうちらの世代で途絶えさせるわけにはいかん。その危機感たるや、悲壮感漂っております。

広く様々な方に能楽を鑑賞いただくこと、子供達に楽しみながら親しんでもらうこと、といった広報的なものではなく、今回は内部のお話。

人材が揃っている今こそ盛り上げないかん、伝えるべきものは伝え、若者たちが自身の研鑽に集中できる環境を作り、育てないかん!

そんな危機的な意識は、おじいちゃま世代、人間国宝クラスこそ非常に高いです。

では、具体的にどうしているか?

大阪の能楽界には、「大阪能楽養成会」というものがあり、諸条件はあるものの、能楽師の子弟ではない一般ぴーぽーにも門戸を開放しております。

シテ方、ワキ方、狂言方、囃子方、それぞれに募集しています。

その養成会研究発表会が、今月末、催されます。


番組(プログラム)です。

一番右の能「東北」は、喜多流。祖父・高林白牛口二(こうじ)、父・高林呻二、に囲まれシテをつとめるのは、(白牛口二先生の)孫・昌司先生です。

観世流の「東岸居士」の地頭(コーラスリーダー)は、人間国宝。

これは、敢えて若者達と共に謡うことで何かを伝えたい、という深謀遠慮があろうかと拝察します。

それぞれの後継者を見守る視線はあっちぃちぃー。
ご自分の舞台のときよりも、どたばたどたばた、あたふたあたふたされてます。

養成会の若者達は、TwitterなどのSNSを使ったり、いろいろ工夫して盛り上げようとしています。

遠くて来られない方々も多いかと存じますが、若者達が頑張ろうとしていること、そして、実際に頑張ってることを頭の隅っこにでも置いていただけたらこれ幸い。

そして、大阪市中央区上町、最寄り駅は谷町四丁目もしくは六丁目の大槻能楽堂、へ、行けるよー、っという方には是非ともご足労願いたく存じます。

6月28日木曜日、午後6時開演です。

無料です。あーら、びつくり。

新しい能楽堂、西宮能楽堂へ行ってきた

こんにちは。

お仕事が能楽堂なんですが、お休みのときは出来るだけあちこちの舞台へお邪魔して、いろんな先生の舞台を拝見するようにしております。

能ってのは、謡本と型付があって、定められた規範のなかでしかできないと思われがちですが、実はふれきしぼー。

シテ(主役)の考え方、捉え方で、いろんな演出が出来るんですよ。

で。

今日はお休みいただいたんで、西宮市鳴尾に昨年末に新しくできた西宮能楽堂へお邪魔しました。


駅からほどなく、こんなもだーんな建物がありまして。


設計を担当された方がデザイン履歴にきっと載せる斬新な能楽堂。

お屋根のてっぺんの窓から自然の光が入るようになってます。


中から見るとこんな感じ。


おめめに眩しい新品ぴーん!な舞台です。


建物in建物が、能楽堂。

かつては屋外にあった能舞台。

武家の式楽から芸能へと変遷する中で、雨天でも決行できるように屋内へ入れました。公演の確保のためですね。

んで、建物in建物の形が増えました。

手前が目付柱。この柱付近を「角(スミ)」といい、目印になる柱です。

面を付けることで果てしなく限られる視界のなかではこの柱ってとっても大事。


何を叫んでるかと言うと、この金具。


歌舞伎でも有名な「道成寺」の鐘を釣るための金具なんです。

数百キロある大きな鐘を釣り上げ、シテにかぽんっと被せる、いや、シテが鐘に飛び込む道成寺は、シテ方にとって卒業証書といわれるたいへん重要な演目です。


某所の鐘のスケルトン

でっかくて重たい鐘を釣ったり落としたりするんですから、古い舞台では、天井がもたない、あるいは、舞台が抜けちゃうかも?な心配があって、道成寺を公演できる能舞台は限られているそうです。

それはさておき、新しい能楽堂。


わざと白い壁にして、プロジェクターで詞章や参考図面を写し出すことができるよーになってます。

国立文楽劇場では、舞台の上に字幕スペースがあり、詞章を字幕にして写し出しており、初心者にはわかりやすいです。(慣れると、邪魔だなぁと思う人もいます)

文楽よりも言葉が古く、まるで古文の授業のような謡本なので、これ、いいなぁー、欲しいなぁ~と思った次第。

初心者の方にわかりやすいようにと詞章をプリントすると、そっちに気をとられ舞台を見ていただけない矛盾があります。

演じる先生方には、間違えたら即座にわかっちゃうわ、いやぁん、な葛藤があるそうですが、それはそれ、これはこれ。

どうしたら初心者でも楽しめるのかなぁー?と、オペラや歌舞伎、文楽等で導入されてるのが、イヤホンガイド。



舞台の解説をしてくれるありがたいサービスですが、能の場合は数週間にかけて上演される前述の公演と異なり、たった一度限りの上演なんです。

そう、まさに「一期一会」。

イヤホンガイドでは通常、録音したものを繰り返し使用しますが、能ではそれができず、というか、一回限りなんで録音せずに生放送。

つまり、


よろしゅうおあがり~!

・・・ちゃうわー。

金食い虫。設備として既設でないと、コスト高でたいへん。

なので、文字を映し出すっていいなぁーと、思いました。

で、今日の演目は。


杜若でした。

藤原家の宝物の二条后をさらってカケオチしようとした業平が、事件発覚により咎められ、都から旅に出た(「伊勢物語」の東下り)道中、三河知立の八橋でのお話。


きつはた つつなれにし ましあらば るばるきぬる びをしぞおもふ

か、き、つ、は、た。

です。

このような言葉遊びの入ったものを「折句」「折句和歌」といいます。

で、「杜若」の主役は、杜若の精。

なんで杜若と業平が絡むのかというと。

業平は平安時代に既に「歌舞の菩薩」と称えられており、その功徳により杜若の精が成仏したというのが能「杜若」のお話。

シテのご当主は普段からとても朗らかで優しくて、大好きな先生なんです。お目目、ハートで拝見しました。うふふ。

とてもきれいなお姿で素晴らしかったです。また拝見したいです。


帰る間際にやっと気付きましたが、通常は松だけの鏡板が松竹梅になってました。

能「小塩」紹介小咄

こんにちは。

日々、つなわたり。一寸先は闇、なお仕事ぶりです。へへ。

でも、ちょっとだけ頑張ってみたので、見てくださいなー。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

能「小塩」紹介記事を数回に分けて連載しておりました。その一部です。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


【むかし男ありけり】


舞台は藤原氏の氏神である春日大社より祭神を勧請した、大原野神社。


春日大社と同じく、神使の鹿さんがいます。



この大原野神社での藤原高子と在原業平の邂逅が、『伊勢物語』第76段であり、今回の公演の主題となる和歌へとつながります。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

むかし、二条のきさきの、まだ御息所とまうしける頃、うぢがみにまうでたまひけるに、つかうまつりける近衛のつかさにさぶらひける翁を、人々の禄賜はるついでに、御車から賜はりてたてまつりける。

    「大原や 小塩の山も今日こそは
       神代のことも おもひいづらめ」

とて、こゝろにもかなしと思ひけん、しらずかし。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「二条のきさき」とは藤原高子、「翁」は業平、「うぢがみ」とは大原野神社を指しています。

『伊勢物語』第6段にて業平が高子を連れ出し、高子の兄達に連れ戻された事件より17年後のお話でございます。

このとき、業平52才、高子35才だとか。



現代ではまだまだ壮年の働き盛りですが、平安の世では業平の年齢では「翁」であったのでしょう。

忘れることのできない「叶わなかった恋」を回想して業平が詠んだ歌。


   「大原や 小塩の山も今日こそは
       神代のことも おもひいづらめ」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

この和歌は、表面上、二条の后の行啓を祝賀する歌のようですが、その裏に業平のどんな想いが秘められているのでしょう。

弊記事にて大原野神社の由緒、『伊勢物語』における在原業平と藤原高子の逢瀬&逃避行のお話を述べて参りました。

二人の重ねてきた月日を想いつつ、この和歌を今一度読み返していただけますでしょうか。

・・・。

いかがでしょう?

古文の授業で「和歌には二重の意味がある」と教えられた記憶がある方もおいでかと存じます。

この和歌は、まさにそれ。

能「小塩」ってどんな能なのかなぁ?と興味を持っていただき、弊公演までお運びいただけますれば幸甚に存じます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


という紹介話を書いてみました。

結論を述べていないのは、当日配布資料や講演があるので、そっちへ誘導。


これを見て、ちょっとでも興味を持ってくれたらいいなーと思ったのですが、身近なとこでの反応が、



大原野神社へ行ってみたい



あらまぁどうもありがとーーっ!

・・・(T▽T)





おかしいな、こんなはずじゃないのにな。


お仕事記事では、無論、鹿さんはしゃべってません。

しゃべらないからもう、進まなくて進まなくて。えへへ。




・・・ほんとにね。

おんな城主直虎・第5回。苦しみと悲しみの般若と笛の音

こんにちは。

今年の大河。今川ファミリーの芸能が楽しみです。


【高砂やぁ~】


瀬名の謎ダンス。

これは無論「仕舞」ではなく創作ダンスですが、

この背後に聞こえてきたものは、謡「高砂」。

高砂や。この浦舟に帆をかけて
この浦舟に帆をかけて
月もろともに出汐(いでしお)の
波の淡路の島影や
遠く鳴尾の沖過ぎて
はや住ノ江に着きにけり
はや住ノ江に着きにけり



祝言の席で仲人さんが謡う曲です。

友人が謡う時は、同じ「高砂」の「四海波(しかいなみ)しずかにて」の部分を謡います。


【能の面(おもて)・般若】

間違い探しです。


どこが違うでしょーか?

ヒント。


これは正解。

ち、ち、ち・・・


野村萬斎先生。


どうでしょう?

はい、そうです。瀬名の持っているものがもし能面なら、


べちょんっと持つのは、とんでもないこと。

で、この面(おもて)「般若」。

顔の上部分は苦しみと悲しみを、下は怒りを表しているとされます。


この面(おもて)を用いる代表曲は「葵上」。

シテは六条御息所。

思い知らずや 思い知れ

と、嫉妬に狂い鬼となりながらも、あさましい我が姿を恥じる複雑なおとめごころ。


ひとつの面(おもて)で相反するふたつの感情を表す点が、この般若の面以前に存在した「鬼女」と「般若」の大きな違い。

これは動くと一層鮮明に。

僧や山伏に立ち向かう時は顔を上げて「怒り」、祈り伏せられる時には顔を伏せ「悲しみ苦しむ」のです。

さらに。

能には男女の鬼が出てきますが


角が生えるのは、女の鬼のみ。


こうさせたのは、誰だ。


【笛の音は「唱歌」】


お囃子。向かって左から、大鼓(おおかわ)、小鼓、笛(能管)。

地謡があるときは言葉を聞いて動けばいいですが、時にはお囃子だけで、舞うことがあります。

ぴーひょろぴーひょろ、と聞こえる笛の音。

これは、楽譜になっています。

おひゃあらー、おひゃいひょーいひゃーりうひー

と、文字化された笛の音。「唱歌」です。


覚えないと舞えないよ。

この唱歌。

オーケストラの「楽章」に相当するのが、「段(だん)」。

第一楽章=一段目、第二楽章=二段目、な感じ。

中之舞は三段、神楽や楽(がく)は五段、というように基本的には長さが決まっています。

時には、三段+五段+五段=十三段、にする特殊演出(小書/こがき)なんてのもあり。



んでは、再放送前に。

「私はいき遅れましたが(むかー)」の台詞の直後。

はっ!

のあと。

笛の音、文字にしてみました。

おひゃらーり、ひういやらぁーり、
ひうーるーいひゃーりうひ、
おひゃーらーいほうほうひー、
おひゃいひょいひゃりうひ、
おひゃらりひういやらーり、ひうるーい・・・
ひー!

と、聞こえてくるのですわ。

すんごい早口で。


そう言わずに、れっつとらい。



いつも応援いただきありがとうございます。
ドラマ音痴なもので、瀬名を演じてるのが誰かも知らず。不思議な創作ダンスと地団駄でしたが、彼女の感情を表したんでしょね。唱歌は能に限りませんし、どの曲かもわかりませんが、一度聞いてみていただけたらと思います。

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おんな城主直虎・第3回。能「巴」汝は女なり。義仲との別れ

こんにちは。

「おんな城主直虎」第3回冒頭、能「巴」つづき。

曲の情緒を味わうのには、謡の原文(緑色の文字)をたどっていただけたらと存じます。



近江国粟津ヶ原。


小さな祠の前で泣いていた若い女は、実は巴の幽霊。

木曽出身の僧達が弔いのお経をあげていると


「落花(らっか)空(むな)しきを知る。
流水心無うして自づから。澄める心はたらちねの」


と謡いながら、長刀を手にした巴の幽霊が現れます。


巴が語るのは、ありし日の木曽義仲の姿。


治承4年(1180)。以仁王の下した平氏追討の令旨により、挙兵した木曽義仲。


地謡「さても義仲の。
信濃を出でさせ給ひしは、五万余騎の御勢くつばみを並べ攻め上る。
砺波山(となみやま)や倶利伽羅、志保の合戦に於いても。
分捕高名(ぶんどりこうみょう)のその数。
誰に面を越され、誰に劣る振舞の。
なき世語(よがたり)に、名ををし思ふ心かな」




出立時は五万余騎の大軍。諸々の合戦で勝利し都へ入った義仲。


シテ「されども時刻の到来」

地謡「運つき弓の引く方も、渚に寄する粟津野の。
草の露霜と消え給ふ。

所はここぞお僧たち。
同所の人なれば、順縁に弔はせ給へや。



しかし、時の運は残酷。
運尽き果てた義仲は戦に敗れ、琵琶湖湖畔の粟津ヶ原のこの場所(女が泣いていた祠)で、草の露と消えたのです。

僧よ、同じ木曽の出身なのだから、懇ろに弔って下さい。


そう願う巴。いよいよ義仲の最期の戦いを語り始めます。


地謡「さてこの原の合戦にて、討たれ給ひし義仲の。
最後を語りおはしませ」

シテ「頃は睦月の空なれば」

地謡「雪はむら消えに残るを。
ただ通ひ路と汀(みぎわ)をさして。
駒をしるべに落ち給ふが。

薄氷(うすごおり)の深田(ふかた)に駆け込み、
弓手(ゆんで)も馬手(めて)も、鐙(あぶみ)は沈んで。
下り立たん便りもなくて。
手綱にすがって鞭を打てども。
退く方も渚の浜なり、前後を忘じて控へ給へり。
こはいかに浅ましや。」



義仲の乗った馬が薄氷を踏み破り、両足を沼田に取られ絶体絶命。

なんてこったー!っと、巴は駆け寄りますが、

義仲は重傷。



地謡「かかりし所にみづから、駆け寄せて見奉れば。
重手(おもで)は負ひ給ひぬ、乗替に召させ参らせ。
この松原に御供し。
はや御自害候へ。巴も供と申せば。」



重傷を負った義仲に自害を勧め、私も供をすると言う巴。
しかし、義仲はそれを許しません。


地謡「その時義仲の仰せには。

汝は女なり。忍ぶ便りもあるべし。
是なる守(まもり)小袖を。木曽に届けよこの旨を。
背かば主従、三世の契り絶え果て。永く不興とのたまへば。

巴はともかくも、涙にむせぶばかりなり」




義仲の命は、生き延びて形見の刀と小袖を木曽へ届けよ、と。


かくて巴は義仲の前を辞し、


向かってくる大勢の敵に長刀で


ひとり、戦います。

巴の奮戦
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-1174.html


見事敵を追い払った巴。

されど今はこれまで、と、

義仲の元へ戻った巴が目にしたものは


自害した義仲の姿。

巴の手から音を立てて落ちる長刀。


シテ「今はこれまでなりと」

地謡「立ち帰り我が君を。見奉ればいたはしや。
はや御自害候ひて。
この松が根に伏し給ひ、御枕のほどに御小袖。
肌の守りを置き給ふを。

巴泣く泣く給はりて。死骸に御暇申しつつ。
行けども悲しや行きやらぬ。君の名残をいかにせん。
とは思へどもくれぐれの。御遺言の悲しさに。
粟津の、汀に立ち寄り。
上帯切り物の具、心静かに脱ぎ置き。
梨子打烏帽子同じく。かしこに脱ぎ捨て。」





ここで、シテは自ら烏帽子の紐をほどき、ほろり、と落とします。


指先に残る紐の端が、印象的な場面です。


地謡「御小袖を引きかづき。
その際までの佩添(はきぞえ)の。小太刀を衣に引き隠し。

所はここぞ近江なる。
信楽(しがらき)笠を木曽の里に。
涙と巴はただ一人、落ち行きし後ろめたさの、
執心を弔ひてたび給へ、執心を弔ひてたび給へ」




義仲の形見の小太刀と小袖を胸に、巴はひとり、木曽へ落ちたのでした。

最期の供を許されなかった執心をどうか弔ってください、と言い残し、巴の幽霊は姿を消し、舞台は終わります。


参考文献

観世流大成版『巴』(訂正著作/24世観世左近、檜書店発行)


いつも応援いただきありがとうございます。
木曽義仲の乳兄弟で最期まで側にいた中原兼遠の子・今井兼平と巴。能「兼平」では、壮絶な兼平の最期が描かれます。供が許されなかった巴の悲しみを勇ましい姿を挿入することでさらに強く印象付ける能「巴」。素人でも情景を表しやすい曲ですが、名手の方の舞台はひとつひとつの型と謡が心に痛いほど突き刺さってきます。

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おんな城主直虎・第3回冒頭の能は「巴」

こんにちは。

恋バナな「おんな城主直虎」を見るかどうか迷い中な私。

録画をためておくのも何なので、見ました。

あらやだ。


第3回どしょっぱな、今川さんちのこれで鼻血ぷん。


(敵は)得たりと、切ってかかれば長刀柄長くおっ取り延べてっ♪

これは、これは、

巴じゃないかー!!

うひょー♪

現行曲二百番ほどの中で唯一、女性が長刀をぶんぶんする曲です。

能楽監修は誰かと探しても名前がなくて、あれ?と思ってたら


出演者のとこにお名前が。いや、確かにそうだけども。

(敬称略でごめんなさい)

坂真太郎・角当直隆(観世流シテ方)。藤田貴寛(森田流笛方)、田邊恭資(大倉流小鼓方)、柿原孝則(高安流大鼓方)。

いずれも若手でご活躍の先生方です。


【能「巴」あらすじ】


ところは、近江国粟津ヶ原(滋賀県大津市、琵琶湖のほとり)。

ここで木曽出身の僧達が出会ったのは、めそめそ泣く一人の女。


彼女は「これは木曽義仲を祀ってるの」と言い残し、姿を消します。

そう。

近江国粟津ヶ原は、木曽義仲最期の地。

土地の者からその女は巴だよ、と聞いた僧達が弔いのお経をあげていると


鎧兜を身につけた、巴の幽霊が現れ。

そして僧達に


義仲の自害のこと、そして、

汝は女なり。忍ぶ便りもあるべし。
この小袖を木曽へ届けよ、背かば主従、三世の契りは絶え果てるからな
、っと、義仲に言われて、義仲の最期の供を許されなかったことを、語ります。

それが、自らの執心となっている巴。

そして、同じ木曽の出身の僧達に


義仲の側での最後の戦いとなる「粟津ヶ原での合戦」の様子を再現します。

それが、大河ドラマ「おんな城主直虎」第3回冒頭の場面。

巴ちゃんが、うおりゃー!と長刀をぶんぶんして、敵を追っ払います。


かくて御前を立ち上がり。
見れば敵の大勢。あれは巴か女武者。
余すな漏らすなと。敵手繁くかかれば。
今は引くとものがるまじ。いで一軍嬉しやと。
巴少しも騒がず、わざと敵を近くなさんと。
長刀ひきそばめ。少し恐るる気色なれば。
敵は得たりと切ってかかれば。
長刀柄長くおっ取り延べて。
四方を払ふ八方払い。一所に当たるを木の葉返し。
嵐も落つるや花の滝波。枕をたたんで戦ひければ。
皆一方に切り立てられて。
跡も遥かに見えざりけり、跡も遥かに見えざりけり



この謡の部分は、巴が長刀を使う面白さから、曲の一部を切り取って舞う「仕舞」になっています。

びっくりするとこは、「四方を払ふ八方払い。一所に当たるを木の葉返し」

「飛び返り」直後に立ち上がって四つ拍子、します。

飛び返り、とは、飛び上がって一周(正確には半周)する型。


ふんっと踏み切る時に体をひねっておいて


足を踏み出し


踏み切って


飛んでます。


飛びながら回ってます。


着地。

すぐに立ち上がって構えて


足拍子(地団駄をご想像ください)を、とん、とん、ととんっと四つ。

お稽古し過ぎると、太股の上がぱんぱんになります。


また、長刀は軽そうに見えて、実はとんでもなく重いので


普段は扇しか持たない私には地獄。(鬘扇/女性が持つもの)


さて、この「巴」。

ビジュアル的な面白さもさることながら、ほんとにいいのは、この前後。

涙ほろほろ、悲しい巴の姿が謡われます。

つづく。と思う。


参考文献

観世流大成版『巴』(訂正著作/24世観世左近、檜書店発行)

『能楽全史』(横井春野著/檜書店/昭和5)


いつも応援いただきありがとうございます。
なんで今川ご一行様が「巴」を鑑賞してたのかは不明ですが、能ならなーんでも嬉しいぃぃぃー♪やはりちょろちょろと能の場面が出るなら、見ます。井伊直政を支えながらも、彦根の直孝ではなく直継に付けられた「井伊谷以来の家臣達」も気になります。

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能楽の面(おもて)の取扱い方法

こんにちは。


能の面(おもて)は、4~5百年前のものが使われています。

博物館のガラスケースの中に飾られるよりも、
面(おもて)は、舞台で使われてこそ生きるもの。


【能楽の歴史】


(福知山市一宮神社の能舞台)

まず勢力を伸ばしたのが、興福寺等に属し、祭礼に奉仕した大和猿楽四座。

外山座 →宝生座
坂戸座 →金剛座
円満井座→金春座
結崎座 →観世座

これに元和年間に金剛座から分かれた喜多流を加えた「四座一流」が現在の能楽シテ方五流です。


【能楽の受難】


(福知山市一宮神社の能舞台)

猿楽を元にする能楽は、足利義満、豊臣秀吉、徳川家康など、時の権力者の庇護の下で発展し、江戸幕府において「武家の式楽」となり最盛期を迎えます。

サラリーは雇い主である大名家等から得ていた能楽師達。

大名家が所有する面(おもて)、装束等の使用を認められていました。


ここで、明治となり、全てがひっくり返ります。


お金が必要となった元大名家が所有財産を質に入れ、あるいは売却。
雇用主を失った能楽師の中にも、商売道具を売らざるを得ない家もあり。

能楽師や旦那衆等が慌てて質流れ品を買い集めるなどしましたが、時既に遅し。

面(おもて)や装束等、数多くの貴重な品がこの時、散逸します。

よって、現在も舞台で使うことができる面(おもて)は、非常に貴重で大切なものです。


【面(おもて)の取扱方】

昔はお正月には、能や舞楽などの番組で楽しみましたが、昨今はすっかり減ってしまって残念至極。

と思ってたら、さんまのまんまの新春特別番組で、野村万斎先生が。


狂言師の野村万斎先生。

手にしているのは、面(おもて)を入れる面箱。

容易に触れてはならないものです。
私は面箱を見たら走り去ります。


面箱の中で滑らないように、木綿の布で包み


面(おもて)ひとつずつを、綿入れの布で作った袋に入れてます。


さらに、面(おもて)の装飾がされた表側は別の布(面あて)をあてており、


厳重に保護しています。

面袋と面あてには、古布を用いるので、時々すんばらすぃー生地に出会うことがあります。

昔の刺繍は手縫いで丁寧で、ほつれないんですよ。


ここから、面(おもて)の持ち方。


面袋と面あてを後ろへまわして、


こう持って、面(おもて)を眺めます。

装飾が人の手の脂で痛むので、紐を通す穴の部分だけを持ちます。
決してわしづかみにしてはならず。


真田丸第27回「不信」。


使用された面は、金春家に伝わる300年前の「天下一河内作の小面」。

http://ameblo.jp/yamaitsunao/entry-12178834390.html


べちょっと持つのは厳禁。これでよし、です。


本年もよろしくお願い申し上げます。お正月に、ぼやーんっとテレビを見ていたら、野村万斎先生がご登場。うふふ。本物の面を扱うところは撮影できないので、いいもの見ました。うふふふ。さて、週末は大阪でも雪の予報です。先週は徳島の旅でうきゃうきゃしたので、今週はおうちでのんびり。というより、金がないっ。給料日はまだかーっ!?
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能「翁」の面(おもて)は、顎が外れた

こんにちは。

とうとうたらりたらりらぁーっと不思議な言葉が並ぶ能「翁」。


さて、今日は面(おもて)の話。


【顎、はずれました】


真田丸第27回「不信」。


使用された面は、金春家に伝わる300年前の「天下一河内作の小面」。

http://ameblo.jp/yamaitsunao/entry-12178834390.html


とても美しい女性の面(おもて)です。


これは狂言の面。


(クラゲではござらん。下のは、あごひげです)

上記ふたつの面(おもて)のように、通常はひとつになってます。

が、翁専用に用いる白式尉(じょう)や黒式尉は、


顎が外れています。(・・・ほんとだもん)

ぽんぽん眉 ぼうぼう眉、と、アゴヒゲがある他に、

「切顎」といって、下顎が切り離されている点が大きな特徴。


(うーむ。へたぴー。)

上顎と下顎は紐で結ばれていますが、このように上下が分かれているのは、能「翁」で用いる翁の面のみ。

※特別演出(小書/こがき)の際に用いる父尉と延命冠者も切顎。


前記事で、能「翁」においては、面(おもて)そのものをご神体とする、と述べましたが、神社でも翁の面をご神体としているところもあります。

また、「尉(じょう)」とは、おじいちゃんのことを言いますが、おじいちゃんも千差万別。


ほんとは神様(『高砂』など)

若い女の人に惚れてストーカー(『恋重荷』)←すんごくねちこい


など、品格あるおじいちゃまから、庶民のじーちゃんまでいろいろいます。

そのなかで、能「翁」のおじいちゃんは、とても幸せな、うひゃっと笑顔。


京都府綾部市の阿須須岐神社(あすすきじんじゃ)の尉の面です

何だか幸せになりそうなお顔でしょ?

恐らく、ぼうぼう眉とお髭は欠損しているのかと思いますが、実際の翁の面の趣はあります。


【見えないので、目印を】



面(おもて)の内側。

これは狂言面ですが、おめめ全体があいています。

能「翁」の面も、同様。これも、翁面の特徴です。


ところが、ですな。

通常の面は、黒目のとこしかあいていません。

小指の先ほどの穴から、何が見えるか。


見えません。



ストローから覗くが如き、視界です。


だから、能舞台には、柱があります。



(福知山市一宮神社の能舞台)


能の型では柱を目指して歩みを進め、決められたポイントで何かの所作をすることの繰り返し。

よって、行き先を定めるのに、柱が必要。

各柱には、名前まで付いています。


一番たくさん目指すのは、目付柱(スミ柱)。

この柱の付近を「スミ」と呼び、必ず左足で止まるとか、スミ取りという型をするとか、ここだけ舞台の板が薄れるほど多く立ち止まります。

「シテ柱」は橋掛かりから入ってきたシテが曲がるとこ。
「笛柱」はこの横に能管(笛)の先生が着座しており、
「ワキ柱」はこの横にワキ方が着座します。


能「竹生島」後シテの龍神。と、ワキの勅使。

プロの先生は歩幅や足の向きを体が覚えていますから、それほど柱は重要ではないそうですが、素人にはこれがないとどこへ行ったらいいのやら。

観賞する側からしたら邪魔な柱ですが、客席と舞台を区切る働きと共に、演じる側にはないと困るもの、それが、能舞台の柱。


【上向け、上!】



再び、面(おもて)の内側。

口があいているのは、窒息するから。

じゃなくて、無論、声がこもらないためなのと、

通気孔の役目。


演能を終え、幕に入った途端、先生が

「上向け、上!!」

と叫びます。それは、


面の内側についた水分を目や口の穴からお外に出さないため。

面を外した後のお顔は、湯上がりほこほこ。

通気孔があってもこれですから、もしなかったらえらいことに。



謡も違えば、面(おもて)も違う。

そんな能「翁」、おすすめです。


面(おもて)のいろいろは、下記をご覧ください

公益社団法人能楽協会
http://www.nohgaku.or.jp/encyclopedia/whats/omote.html

国立能楽堂の面なので、大変よろしゅうございます。


いつも応援いただきありがとうございます。能面は舞台に用いるものでも数百年前のものが多く、大変大切なものです。面をかけると、お先真っ暗というか、一寸先は闇。これに重い装束を付けるので、ほんとに「体で覚え」ていないと身動き出来ないです。どんなにやってもやり過ぎではないのが、お稽古。素人はひとつの曲を仕上げるのに半年以上かけて、何度も何度も繰り返して体で覚えるしかありません。
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