春日大社を勧請した大原野神社。睡蓮きれいで業平も来た。
こんにちは。
今日は京都郊外にある大原野神社ご紹介。
大原野神社の鎮座する南春日町付近は、現地案内表示によれば、山城地方でも最も古くから開けた所で、一万年以前の有柄尖頭器などが神社の山の手の方から発見されているそうで。

784年長岡京遷都。by桓武天皇。
今の向日市・長岡京市・京都市西京区辺り。
大原野神社の社伝によれば、長岡京遷都の際に、藤原氏出身の皇后乙牟漏が、氏神である春日社への参詣が不便であるとして当地に春日明神を勧請したのが始まり。

大原野神社。一ノ鳥居。

850年、藤原冬嗣を祖父にもつ文武天皇が社殿を造営。




祭神
第一殿・建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)
第二殿・伊波比主命(いわいぬしのみこと)
第三殿・天之子八根命(あめのこやねのみこと)
第四殿・比賣(ひめ)大神

総檜皮葺の一間社春日造が4棟並ぶ本殿は、奈良の春日大社と同じ。
本殿の擬宝珠に1822年の銘があることから、この時に大規模改修がされたと考えられています。

春日大社の鹿さんは神の使い。神使(しんし)さんです。
この子も、狛鹿ではなく、神使、ね。

え。せんべがええんかいっ。

稲荷社、白髭・藤森社、八坂社。
各々造りが異なる手の込んだ境内社です。

こういうのは何て言うのかな…。

奈良の猿沢池を模して作られた池。鯉沢の池。
桓武天皇は長岡京遷都後、この大原野神社界隈で鷹狩をするのを好みました。
「大原やせがいの水の手にむすび 鳥は鳴くとも遊びてゆかん」大伴家持(718‐785年)
せがい?それは、古より清水がわいていたといわれるこれ。

清和天皇(850‐881年)産湯の瀬和井の清水。
清和天皇の皇后藤原高子。
彼女がまだ皇太子の御息所であった時、当社へ参詣。
ひょえー!っな、出来事あり。
高子のかつての恋人で、駆け落ちまでしたけれど失敗し、東国へ左遷されていた在原業平(825‐880年)。
あれから17年。彼がこの参詣に供奉していたのです。ひょー!

この時業平52才、高子35才。
忘れることのできない<叶わなかった恋>を回想して業平が詠んだ歌。
「大原や小塩の山も今日こそは 神代の事もおもひ出らめ 」在原業平
(大原野神社の氏神様も遠い昔を思い出だしておられるでしょう。私も在りし日のことを思い出しております)
この再会後、業平はここ大原野神社からほど近い小塩山十輪寺に隠居します。
そこで業平は、わざわざ、浪速から海水を運び塩を焼きました。
その目的は、高子が大原野神社に参詣する時に塩を焼き、その時に上がる煙で二人が秘かに心を通わせた、のだとか。
本当かどうかはわかりませんが、それはどうなんだ。
私が高子なら、強風の日を選んで参詣します。もうね、終わったのよ、じーさま?って。
能の「小塩」の舞台はここで、業平じーさまのこんな話で。
塩焼きの煙の風情は、妄執なのか、愛の明かしなのか。むーん。

古歌に多く詠まれる名水。他にはこんな歌も。
「大原や小塩の山の小松原 はや木高かれ千代の蔭見ん」紀貫之(?‐945年)
「夜を寒みせがいの水は氷るとも 庭燎は春のこころこそすれ」大江匡房(1041‐1111)

摂社若宮社の祭神は天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)。
古くから政治・方除・知恵の神として、また良縁を授けて下さる女の守護神としての信仰が篤いお社。

藤原氏の一族では女子が生まれると、中宮や皇后になれるようにこの社に祈願。
女子が祈願通りの地位につくと美しく行列を整えて参拝することが例となりました。
1005年3月8日。
中宮彰子が本社に行啓、父の左大臣藤原道長、紫式部以下がお供をした行列の絢爛さは、それはそれは見事なものだったとか。
「大原や小塩の山のほととぎす われに神代のことかたらなん」左大臣

平安時代の中期には藤原氏の隆盛とともにその氏神として重きを占め、天皇や皇后の崇敬も厚く、官祭である大原野祭には勅使が派遣されており、また、伊勢の斎宮や加茂の斎院にならって当社に斎女がおかれていました。

しかし、応仁の乱後は社運が次第に衰え、祭儀 絶えがちになり、社殿は荒廃。

つぶやく神使。

根性!

そうだ、負けるな!
意地っ張り睡蓮を見るなら、午前中に。咲き誇っております。
午後は次第に花弁が閉じていきます。
明治4(1871)年官幣中社に列せられ御社頭はにぎやかでしたが、第2次大戦のあと、国家からの援助は打切られ現在に至っています。


よろしくねっ。
四季折々の美しさを味わうことができる大原野神社です。
特に紅葉の頃は、全国から観光のお客様もおいでになります。
明治になって強引に造られたような神宮・神社よりも、大原野神社のように歴史はあれど今は地元の氏子の方々が必死に守っている神社の方が、ずっとずっと素敵だと思うのでした。
睡蓮、今、きれい。午前中にお越しくだされば、ぱかーっと開花してます。
いつも応援いただきありがとうございます。大原野神社は静かに京都を満喫できます。参道に味わいのあるお茶屋さんがあり、季節のお菓子をいただきながら睡蓮を鑑賞できます。紅葉の頃は、そらもう見事に視界が色とりどり。



ぽちぽちぼっち、ありがとうございます。
今日は京都郊外にある大原野神社ご紹介。
大原野神社の鎮座する南春日町付近は、現地案内表示によれば、山城地方でも最も古くから開けた所で、一万年以前の有柄尖頭器などが神社の山の手の方から発見されているそうで。

784年長岡京遷都。by桓武天皇。
今の向日市・長岡京市・京都市西京区辺り。
大原野神社の社伝によれば、長岡京遷都の際に、藤原氏出身の皇后乙牟漏が、氏神である春日社への参詣が不便であるとして当地に春日明神を勧請したのが始まり。

大原野神社。一ノ鳥居。

850年、藤原冬嗣を祖父にもつ文武天皇が社殿を造営。




祭神
第一殿・建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)
第二殿・伊波比主命(いわいぬしのみこと)
第三殿・天之子八根命(あめのこやねのみこと)
第四殿・比賣(ひめ)大神

総檜皮葺の一間社春日造が4棟並ぶ本殿は、奈良の春日大社と同じ。
本殿の擬宝珠に1822年の銘があることから、この時に大規模改修がされたと考えられています。

春日大社の鹿さんは神の使い。神使(しんし)さんです。
この子も、狛鹿ではなく、神使、ね。

え。せんべがええんかいっ。

稲荷社、白髭・藤森社、八坂社。
各々造りが異なる手の込んだ境内社です。

こういうのは何て言うのかな…。

奈良の猿沢池を模して作られた池。鯉沢の池。
桓武天皇は長岡京遷都後、この大原野神社界隈で鷹狩をするのを好みました。
「大原やせがいの水の手にむすび 鳥は鳴くとも遊びてゆかん」大伴家持(718‐785年)
せがい?それは、古より清水がわいていたといわれるこれ。

清和天皇(850‐881年)産湯の瀬和井の清水。
清和天皇の皇后藤原高子。
彼女がまだ皇太子の御息所であった時、当社へ参詣。
ひょえー!っな、出来事あり。
高子のかつての恋人で、駆け落ちまでしたけれど失敗し、東国へ左遷されていた在原業平(825‐880年)。
あれから17年。彼がこの参詣に供奉していたのです。ひょー!

この時業平52才、高子35才。
忘れることのできない<叶わなかった恋>を回想して業平が詠んだ歌。
「大原や小塩の山も今日こそは 神代の事もおもひ出らめ 」在原業平
(大原野神社の氏神様も遠い昔を思い出だしておられるでしょう。私も在りし日のことを思い出しております)
この再会後、業平はここ大原野神社からほど近い小塩山十輪寺に隠居します。
そこで業平は、わざわざ、浪速から海水を運び塩を焼きました。
その目的は、高子が大原野神社に参詣する時に塩を焼き、その時に上がる煙で二人が秘かに心を通わせた、のだとか。
本当かどうかはわかりませんが、それはどうなんだ。
私が高子なら、強風の日を選んで参詣します。もうね、終わったのよ、じーさま?って。
能の「小塩」の舞台はここで、業平じーさまのこんな話で。
塩焼きの煙の風情は、妄執なのか、愛の明かしなのか。むーん。

古歌に多く詠まれる名水。他にはこんな歌も。
「大原や小塩の山の小松原 はや木高かれ千代の蔭見ん」紀貫之(?‐945年)
「夜を寒みせがいの水は氷るとも 庭燎は春のこころこそすれ」大江匡房(1041‐1111)

摂社若宮社の祭神は天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)。
古くから政治・方除・知恵の神として、また良縁を授けて下さる女の守護神としての信仰が篤いお社。

藤原氏の一族では女子が生まれると、中宮や皇后になれるようにこの社に祈願。
女子が祈願通りの地位につくと美しく行列を整えて参拝することが例となりました。
1005年3月8日。
中宮彰子が本社に行啓、父の左大臣藤原道長、紫式部以下がお供をした行列の絢爛さは、それはそれは見事なものだったとか。
「大原や小塩の山のほととぎす われに神代のことかたらなん」左大臣

平安時代の中期には藤原氏の隆盛とともにその氏神として重きを占め、天皇や皇后の崇敬も厚く、官祭である大原野祭には勅使が派遣されており、また、伊勢の斎宮や加茂の斎院にならって当社に斎女がおかれていました。

しかし、応仁の乱後は社運が次第に衰え、祭儀 絶えがちになり、社殿は荒廃。

つぶやく神使。

根性!

そうだ、負けるな!
意地っ張り睡蓮を見るなら、午前中に。咲き誇っております。
午後は次第に花弁が閉じていきます。
明治4(1871)年官幣中社に列せられ御社頭はにぎやかでしたが、第2次大戦のあと、国家からの援助は打切られ現在に至っています。


よろしくねっ。
四季折々の美しさを味わうことができる大原野神社です。
特に紅葉の頃は、全国から観光のお客様もおいでになります。
明治になって強引に造られたような神宮・神社よりも、大原野神社のように歴史はあれど今は地元の氏子の方々が必死に守っている神社の方が、ずっとずっと素敵だと思うのでした。
睡蓮、今、きれい。午前中にお越しくだされば、ぱかーっと開花してます。
いつも応援いただきありがとうございます。大原野神社は静かに京都を満喫できます。参道に味わいのあるお茶屋さんがあり、季節のお菓子をいただきながら睡蓮を鑑賞できます。紅葉の頃は、そらもう見事に視界が色とりどり。



ぽちぽちぼっち、ありがとうございます。
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