丸子船紹介と清盛も重視した琵琶湖水運の覇権。

琵琶湖水運の最も栄えた港が、塩津・大浦・菅浦。
今日は、琵琶湖ならではの形をした丸子船の話題。前回の続きです。

道の駅あぢかまの里に保存されている、勢潮丸くんです。

丸子船の特徴あれこれをご紹介します。
■船底が丸い
北前船等の海洋船は船底が鋭角に波を切るような形をしていますが、
丸子船は船底が丸いのが特徴。
琵琶湖の水深は浅いところが多く複雑であり、また、琵琶湖独特のうねりに対して鋭角な船底では水の中に潜り込んでしまうので、このように丸い船底となりました。
■おも木に丸太の半分をぺったんこ

丸太を縦に半分に割ってそのまま取り付けています。
おも木とは、船の側面の構造材をいいますが、丸子船の最大の特徴がこれ。
浮力をもたせる、強度を増す、船を安定させる等が考えられていますが未だ推論に過ぎず。丸子船最大の特徴が最大の謎、とか。
ろまーんです。

船尾から見た丸い船底と巨木を用いたおも木。

コモのかかっているところが荷室。

船って好き。
■ツラ

丸子船の舳先。
ツラ釘という巨大な釘を打ち付けて、バンパーの役目をしています。
このツラはまさにお顔。船によって様々なお顔の表情があります。

コワモテです。
■ダテカスガイ

ガムテープぺたぺた、じゃないの。黒い銅板なの。
木を継ぎ合わせて組み立てた船の場合、水は継ぎ目から染み込んできます。これを防ぐ防水処理は、「槙縄」と「銅版」。
材木として使用した槙の木の内皮を蒸してほぐした「槙縄」を竹のへらで継ぎ目に詰め込み、その上から油でといた墨を塗った「銅版」を貼り付けて防水処理。
「ダテカスガイ」は本来、接合材(鎹)としての役目を持っていたようですが、丸子船の構造が完成してくる頃には、いわゆる「伊達」となり丸子船の独特のデザインになりました。

■かさぎ
船尾に大きな鳥居の形をした「かさ木」は、帆を卸したときの受け台と舵を結ぶ役目を負っています。
このかさ木も丸子船の特徴です。(画像ないので絵で想像下さい…)
■シン

船の一番重要な部分。

船を建造する時にこのシンを取り付けることを「シンを立てる」といい、この日は建物の上棟式のようにお祝いをしました。
ちょっと休憩。

琵琶湖湖畔の休憩所の東屋が丸子船の形になってましたの。
さて。

水運を重視した平清盛は、敦賀まで運河を作り琵琶湖水運を最大限に用いることを計画しましたが断念。その時の言葉。
「後世必ず湖水の水を北海に落とせと言う者あらん、このこと人力の及ぶことに非ず」
しかし、江戸時代も今でもアタックはするけれど、諸々の事情により運河は出来ていません…。残念。
1569年頃、琵琶湖水運を織田信長が支配し始め、廻船行の継続を保証。
1573~1591年には、秀吉が湖上権を掌握。
大津七浦・坂本・堅田・木浜で「大津百艘船」を組織。
琵琶湖水運はますます輸送路として重要になります。

東海道や中山道等の主要街道(陸路)を中心に考えがちですが、いかにこの琵琶湖の水運支配が政治的・軍事的に重要であったかが明白かと。
しかし、江戸時代初期に幕命により「東・西回り航路」が開拓され、「菱垣廻船」「樽廻船」等の海洋廻船が発達し、やがて「北前船」が独立営業し始めると陸路を併用しなくてはならない琵琶湖水運は次第に衰退。
明治に開通した北陸鉄道が最終的な打撃となって、昭和40年頃には丸子船は姿を消したのです。

(参考資料「北淡海・丸子船の館」説明板より)
いつも応援いただきありがとうございます。夏の琵琶湖は海水浴客で賑わいます。海水浴…?



ぽちぽちぼっち、ありがとうございます。
おまけ
塩津街道にある道の駅あぢかまさん。

再度掲載。だって、かもにく、おいしいの。500円なのが旨さ倍増。
はーれー軍団が必ず立ち寄る道の駅。私の車よりでかい排気量なお兄さまが、ぶほんぶほん。
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