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若狭のお水送り。東大寺のお水取り10日前にお水発送

こんにちは。

3月1日より東大寺では「修二会(しゅにえ)」が執り行われています。

(以下、東大寺修二会HPより引用)

「東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、大仏開眼の年より、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)によって始められたと伝えられます。

この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われていますが、もとは旧暦の2月1日から行われていましたので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会」と呼ばれるようになりました。また二月堂の名もこのことに由来しています。

『修二会』の法要は、正しくは『十一面悔過(けか)』といい、十一面観世音菩薩を本尊とし、

『天下泰平』『五穀豊穣』『万民快楽』などを願って祈りを捧げ、人々に代わって懺悔の行を勤めるものです。前行、本行をあわせてほぼ1ヶ月、準備期間を加えれば3ヶ月にも及ぶ大きな法要となります。」

「行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)には、「お水取り」といって、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われます。また、この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、夜毎、大きな松明(たいまつ)に火がともされ、参集した人々をわかせます。このため「修二会」は「お水取り」・「お松明」とも呼ばれるようになりました。
(以上引用終わり)

その東大寺では。

752年の大仏開眼の年より綿々と続き一度も絶えたことがないといいます。

3月2日。in若狭。

お水取りの10日前の3月2日にお水送り神事が執り行われます。

(現地案内板より)

根来八幡の神人と、神宮寺の僧が執り行う神仏混合の行事です。


若狭。鵜の瀬。ここから奈良の東大寺まで水脈が続き、10日後に二月堂の若狭井へ到着。

若狭から地下を通って遥々奈良まで届けられた閼伽水。
東大寺二月堂のご本尊様にはこのお水をお供えします。

これぞ、東大寺お水取り。

若狭から見れば、お水を送るから、お水送り。


【お水送りのはじまり】

時は大仏開眼の年に始まる。

まず、行が無事に納められるよう、願います。


2月初日から「神名帳」を読み上げ日本全国の神々を招待し、行の加護と成就を願います。

しかし、皆が参列したのに、若狭遠敷明神が来ない。


2月12日午前1時ようやく参列。修二会はあと2日で終わるってのに。

何をしてたかというと、釣り。


釣りをしていて修二会行事に遅れたお詫びに毎年、二月堂の本尊の十一面観音に供える閼伽水(あかすい)を送ると約束しました。


約束したとき、二月堂の地下の井戸から白黒の鵜が飛び出てその穴から泉が湧きました。

その送る側の場所が若狭の水中洞穴。よって、東大寺二月堂の井戸は「若狭井」と名付けられました。


この岩の下。


この穴から鵜が潜っていったので、この川淵は「鵜の瀬」と呼ばれるようになりました。


【送るお水はどこの水?】




さて、どこのお水でしょうか?


はい。若狭神宮寺の閼伽井戸です。

改めまして、ここは若狭の神宮寺。
お水送りに使う閼伽水は、このお寺の閼伽井戸に涌く水なのです。


山号霊応山。天台宗。
若狭一の宮の神願寺として成立。

神願寺とは神仏習合が許されていた江戸時代以前、神社に付属しこれを管理した寺のこと。(神宮寺または別当寺と同じ意味)


寺伝によれば元正天皇の勅命により和銅7年(714)に泰澄大師の弟子沙門滑元が創建。

鎌倉初期、若狭彦神社別当寺神宮寺と改名、七堂伽藍二十五坊を誇りましたが、豊臣時代に寺領を没収されます。
さらに明治初期の廃仏毀釈によって衰微。

本堂は、室町時代末期、天文22年(1553)越前守護朝倉義景が再建。
建築様式は、和様を主体の折衷様。国の重文。


お寺の本堂に注連縄。神仏習合。


若狭彦大神の本地仏として薬師如来様がご本尊。

本地仏とは、若狭彦大神はほんとは薬師如来様でしたーってこと。

本堂の背後には広大な森がひろがります。





本堂を見下ろす罰当たり。



広い境内をお散歩していると、こちらに。





3月2日のお水送りの際は、このお水を汲みます。

汲まれた「閼伽水(あかすい)」は、修二会(薬師悔過法)により無上の「香水」に変じ、鵜の瀬から東大寺へ向けて注がれるのです。




お水送り当日夜、大護摩法要を行います。


若狭の神宮寺でした。


【お水送りの場所・鵜の瀬】


川原の聖地。鵜が潜って行ったから、鵜の瀬。











3月2日当日はこんな光景。

(現地案内板より)






水中洞窟の入口


かっちり10日後に、奈良へ到着。


霊域ですよ。川遊びは控えましょう。

鵜の瀬の横には、東大寺修二会に遅刻した若狭遠敷明神が降臨した場所である白石神社が鎮座。




覆屋の中に本殿がありました。


天保拾年。1839年生まれの狛犬。


苔むした神社の境内で、今日ものんきに過ごす狛犬さんでした。


若狭の鵜の瀬から「お水送り」し、地下を通って奈良にたどり着いた閼伽水を「お水取り」してご本尊にお供えする儀式。

それが「東大寺二月堂のお水取り」なのでした。


若狭 神宮寺
福井県小浜市神宮寺30-4


参考文献
お水送りパンフレット(小浜市商工観光課)
東大寺修二会HP http://www.todaiji.or.jp/index/hoyo/syunie-open.html

いつも応援いただきありがとうございます。お水送りを一度は拝見したいものの、夜の行事ですし、尻込みしてます。関西では、お水取りが終わると「春だねぇ」と思います。修二会は約2週間執り行われますが、ニュース等ではやはり12日のお水取りを報道するので大変な混雑です。ゆっくり見るなら前半。
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三光の御神紋光る城南宮。絵馬堂でほっこり。

こんにちは。
皆様、夏休みでしょうか?私は来月お休みをいただく予定です。がまん。


城南宮。


赤い鳥居の真ん中に・・・


これ、なーんだ。

月、日、星、を象った「三光の御神紋」です。

(星が「☆」じゃないのでわかりにくいですけど。餅大・餅小・皿でも、横向きスマイルでもござらん)

この三つ、なーんだ。


摂社・真幡寸神社。
まはたすん、でも、まはたちょっと、でもござらん。

まはたきじんじゃ。

実はこちらが式内社。
上古、神功皇后(息長帯日賣命)が、軍船にたてた御旗に八千矛神の御霊をつけて当地に納めたことから始まる神社。

その御旗の、「日月星の御紋章」が即ち城南宮の「三光の御神紋」の由来。
桓武天皇の平安京遷都に際し、国常立尊を合祀して、都の南方に鎮まり国を守護する城南宮となりました。

よって、真幡寸神社の祭神は、国之常立尊、八千矛神、息長帯日売命 。


こちらは城南宮の絵馬堂。


鴨っち。


そういえば鳥獣戯画の修復が終了し、秋から京都国立博物館で展示が始まります。

「修理完成記念 国宝 鳥獣戯画と高山寺」
会期 2014(平成26)年10月7日(火)~11月24日(月・休)
こちら→→→京都国立博物館


茂山千五郎先生のお社中が奉納狂言されたのかな。


(クリックで拡大します)
城南祭の様子。
今も10月第3日曜に開催され、重さ1.5トン近くある3基の豪華な神輿の巡行がある神幸祭。
江戸時代には、祭りに訪れた人々に貴重な餅を惜しげ無く振舞う慣わしがあり、別名の「餅祭り」は季語になっているそうで。


三光の神紋。


なんとなくありがたそうな絵馬。


貴方様が優勝です。


いつも応援いただきありがとうございます。絵馬堂を見上げているとくらくらしますが、とても楽しいです。必ず「ぷ」「なんじゃこれ」「うひー」っと笑わせてくれます。うふふ。
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狛犬と獅子。城南宮の仲良しさん。

こんにちは。

「おーい!はに丸」が13日に放送されるそうで、わくわくです。
予告ではスマホを見たはに丸君が、「はにゃー?海苔?」と、はにゃはにゃしてました。

NHK総合の19時30分から放映予定。


さて、城南宮続きます。


立派な拝殿。


大人の渋さ満点の狛犬様です。


手首と足首の装飾が乙女ですけど、なんて凛々しいお姿でしょう。


あ。いや、そんなに唇噛み締めなくても・・・。


獅子の証明、頭の上の小さな角、見えますか?


ぷ。


ごめんごめん。






仲良きことは美しき哉。


いつも応援いただきありがとうございます。ようやく頭に角のある獅子様に会えました。しかし、狛犬様の方が勇ましいようで。
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城南宮の菊水。お水送りの中継地。若狭お水送り六

こんにちは。

台風11号に翻弄された週末。

わりと狂暴でしたの。

台風は過ぎ去りましたが、関西あちこちではとても被害が大きく、心が痛みます。

さて。お水送りとは。

若狭神宮寺の


閼伽井戸から汲まれた閼伽水を


悔過行法により「香水」に変えて


鵜の瀬から注いで


謎の地下水中洞窟を通り


東大寺二月堂の若狭井にたどり着きます。


地図を見ると、若狭の鵜の瀬からまっすぐ南下しています。

うそーん、っというあなた。

途中にこの若狭からのお水を古来より延命水だと称えたところがあります。


夏越の祓の画像。車両もおけーな、神社。


京都の城南宮です。

平安遷都の際に、国土の安泰と都の守護を願って、王城(都)の南に祀られたお宮であることから、城南宮と。


主祭神は、息長帯日売命(神功皇后)、八千歳神(大国主神)、国常立尊。


城南宮が鎮まる鳥羽の地は、平安京の表玄関に当たる交通の要衝。
また鴨川と桂川に臨む景勝地。

やがて貴族の別荘が建てられ、平安時代の末には白河上皇が壮大な離宮(城南離宮、鳥羽離宮)を造営して院政を開始。

上皇の御所や御堂、また貴族の御殿などの建物が建ち並び、人々が行き交う様子は「都遷りのようである」とその賑わいが例えられています。
こうして白河・鳥羽・後白河・後鳥羽上皇と4代150年にわたり政治・文化の中心となり副都心の賑わいを見せたのでした。(城南宮HPより)


その、城南宮。


江戸時代半ばの随筆に曰く

「城南宮の菊水の井の水を飲むと、あらゆる病が治るというので、毎日参詣人が絶えない。法皇の歯痛も治った」と。

病気平癒の霊験あらたかで、お百度を踏んで水を持ち帰り病人に授ける習慣がありました。

この菊水(若水・延命水ともいう)の正体は。


若狭の鵜の瀬から


謎の地下水中洞窟を通り東大寺二月堂へ届けられる香水。

それが、ここ城南宮の菊水だというのです。

確かに若狭の鵜の瀬からまっすぐ南下し東大寺へたどり着く途中に城南宮があります。

面白いです。


ぴーぴーは困るので、お口だけこぽこぽしました。


横取りしてるわけではないと思うのですが…。


ぜひ地図でご覧ください。

城南宮
住所 京都市伏見区中島鳥羽離宮町7




いつも応援いただきありがとうございます。城南宮は、名神高速京都南ICすぐです。駐車場はとても広い上に無料です(時期によるかもしれません)。京都市内で無料、まさに、ネ申です。明日からまた猛暑かな。体調管理に気をつけて楽しくいきましょー。
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東大寺大仏様、お身拭い。一年分の埃をきれーきれーしましょ。

こんにちは。

今日は年に1度の東大寺大仏様のお身拭いでした。

まず、120人程の僧侶や関係者が、早朝より二月堂の湯屋で身を清め、白装束に藁草履姿で大仏殿に集合します。


身を清める湯屋のある二月堂といえば。


若狭の鵜の瀬から流された香水が


二月堂の若狭井に届く。お水取りするところ。


朝7時より撥遣作法(大仏様の魂を抜く法要)が行われた後、全員でお経を唱え、年に一度の大仏様の『お身拭い』を始めます。



およそ150人が天井から吊るされたゴンドラに乗ったり、大仏様のお膝や頭に上って作業します。高さ16mだから大変だー。


寒い時季を避け、お盆前に、大仏様に溜まった一年分の埃を払います。


以前は東大寺の住職の任期中に一度行われる程度。その上、大仏殿の参道が砂利道であったため、大仏殿内にはいってくる砂埃の量も多く、掃除ではかなりの量の埃が集められたという。
「お身拭い」が8月7日に日を定めて毎年実施されるようになったのは昭和39年から。その後参道も石畳で舗装され砂埃も減ったので、現在では埃の量そのものは以前よりずいぶん少なくなっている。(東大寺HP「お身拭い」ポイントより)


それでも一年分の埃は、すごかろう。

皆の努力で9時半頃には終了。そのあと、大仏殿の消防設備の放水訓練などが行われます。火災大敵。


鵜の瀬。10日前のこと。

細やかなお気遣いの白黒の鵜。


愛を込めて秘密の水中洞窟から投入。


10日後の本日、二月堂の若狭井に到着。くすくすくす。


しかし昨今の猛暑を体感すると、寒い時季の方が楽なんじゃないかと、素朴に思います。


お身拭いが済んだ大仏様、今なら一年で一番黒光りしております。
さっぱりして、お盆をお迎えです。


一仕事終えた白黒。

あー、あちー。きれいな川で泳ぎたいです。


いつも応援いただきありがとうございます。言うまでもなく白黒鵜の差し入れはフィクションです。大仏様のお身拭いの映像を見ると改めて、あー、大きいなー、と思います。比較する対象がないと大きさってわかりにくいです。
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閼伽水の涌くとこ神仏習合の神宮寺。若狭お水送り五

こんにちは。


(鵜の瀬現地案内板より)



この水どこの水?


ご親切にどーも。


どこの。


はい。若狭神宮寺の閼伽井戸です。

改めまして、ここは若狭の神宮寺。
お水送りに使う閼伽水は、このお寺の閼伽井戸に涌く水なのです。


山号霊応山。天台宗。
若狭一の宮の神願寺として成立。

神願寺とは神仏習合が許されていた江戸時代以前、神社に付属しこれを管理した寺のこと。(神宮寺または別当寺と同じ意味)


寺伝によれば元正天皇の勅命により和銅7年(714)に泰澄大師の弟子沙門滑元が創建。

鎌倉初期、若狭彦神社別当寺神宮寺と改名、七堂伽藍二十五坊を誇りましたが、豊臣時代に寺領を没収されます。
さらに明治初期の廃仏毀釈によって衰微。

本堂は、室町時代末期、天文22年(1553)越前守護朝倉義景が再建。
建築様式は、和様を主体の折衷様。国の重文。


お寺の本堂に注連縄。神仏習合。


若狭彦大神の本地仏として薬師如来様がご本尊。

本地仏とは、若狭彦大神はほんとは薬師如来様でしたーってこと。

叱られますよ。

本堂の背後には広大な森がひろがります。





本堂を見下ろす罰当たり。



広い境内をお散歩していると、こちらに。





3月2日のお水送りの際は、このお水を汲みます。

汲まれた「閼伽水(あかすい)」は、修二会(薬師悔過法)により無上の「香水」に変じ、鵜の瀬から東大寺へ向けて注がれるのです。





お水送り当日夜、大護摩法要を行います。


若狭の神宮寺でした。


若狭 神宮寺
福井県小浜市神宮寺30-4


参考文献
お水送りパンフレット(小浜市商工観光課)
小浜市役所HP


いつも応援いただきありがとうございます。のんびり見学していたら、団体さんが春の波頭の如き荒々しさで来て閼伽水を一気飲みして去っていきました。「〇□さーん、おとぎすいだで、飲んでみやぁー!」と叫んでいました。残念。あかすい、なのだった。
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お水送るから許してね。from鵜の瀬to東大寺二月堂 若狭お水送り四

こんにちは。


東大寺の大仏開眼供養の大事な修二会に。


釣りをしていて遅刻した若狭遠敷明神君。


お詫びのしるしに、ご本尊十一面観音様にお供えする閼伽水を送ると約束。


こちら、若狭。






なんと東大寺二月堂の地下の井戸より若狭のお水が!白黒の鵜と一緒に!

若狭から地下を通って遥々奈良まで届けられた閼伽水。
東大寺二月堂のご本尊様にはこのお水をお供えします。

これぞ、東大寺お水取りの始めとかや。

若狭から見れば、お水を送るから、お水送り。

現在もお水取りの10日前の3月2日にお水送り神事が執り行われます。

(現地案内板より)

根来八幡の神人と、神宮寺の僧が執り行う神仏混合の行事です。


川原の聖地。鵜が潜って行ったから、鵜の瀬。
















水中洞窟の入口


かっちり10日後に、奈良へ到着。


霊域ですよ。川遊びは控えましょう。




さて、どこのお水でしょうか?

つづく。

いつも応援いただきありがとうございます。若狭の鵜の瀬、ぴきーんとした空気のところです。敦賀と小浜間の高速が開通したので、東から北陸道経由で行きやすくなりました。ぜひ。
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椿群生林と狛犬物語in白石神社 若狭「お水送り」その参

こんにちは。


東大寺修二会に遅刻した若狭遠敷明神君の、降臨した場所。白石神社。


境内をお散歩。








白石神社の境内は、大小様々な大きさの椿が群生。
口伝によると樹齢1,000年以上という根廻り4.3m・高さ12.3mの巨大な枝張りのものを筆頭に、1m以上8本、50㎝以上5本、50㎝以下のものに至っては30本をこえます。

「白石神社の椿群生林」として小浜市指定文化財です。


覆屋の中に本殿がありました。(倉庫ではござらん。)


何でしょう。力石でしょか。はてな。


こら。




天保拾年。1839年生まれの狛犬。


















苔むした神社の境内で、今日も仲良く過ごす狛犬さん達でした。



いつも応援いただきありがとうございます。椿の野生の群生ってどこだー!?っと、椿の林の中で探したアホーです。よもやこんな巨木になっていようとは。社殿の前には崩れた石がいっぱい。昔は何かあったのかな。狛犬さんと話せたら楽しいのになー。
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おまけ

もののぉーけぇーたちぃーだけえー♪

若狭彦様ご降臨。若狭「お水送り」その弐。

こんにちは。


若狭の鵜の瀬から、奈良東大寺へ続くという地下の水の道。


東大寺修二会に遅刻した若狭遠敷明神。
お詫びのしるしに、ご本尊十一面観音様にお供えする閼伽水を送ると約束したお茶目さん。

若狭「お水送り」・東大寺「お水取り」の事始め。

で。若狭遠敷明神、だーれ?



714年、鵜に案内されて降臨した地が、「白石」。

降臨時は、若狭彦神と若狭姫神の二人。


ここに仮宮を営み、永久鎮座の場を求めて若狭国内を巡り、715年に若狭彦神社、6年後の721年に若狭姫神社が鎮座。

各々が若狭一の宮、延喜式内の「若狭比子神社二座明神大」の一座です。


若狭彦神社祭神降臨・創祀の地として、白石の土地には白石神社(若狭彦神社境外末社・若狭彦神社奥宮)が建てられています。

祭神は若狭彦神・若狭姫神を白石大神、または、鵜乃瀬大神と称えて奉祀。



周囲には、鵜の瀬。


次回、白石神社の巻に続きます。



おまけ
本日、私用にて伊丹空港近くに来ましてん。

おら、都会に来ただー。


いつも応援いただきありがとうございます。若狭といえば、海!ですが、こちらの山あいも涼しげでよいですよー。
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若狭遠敷明神、遅刻したー!若狭小浜「お水送り」その壱。

こんにちは。



Do you know、良弁和尚?

689年、ここ若狭・小浜下根来で生まれ。


鷲にさらわれ、

奈良金鐘寺(東大寺の前身)で育てられました。

義淵に法相宗を学び、新羅の僧・審祥を招いて華厳経講を開き、華厳宗を広め、東大寺建立に尽力。

時は聖武天皇在位の752年春。


東大寺の大仏開眼供養が盛大に催されました。

良弁は、東大寺初代別当(開祖)となります。
そして、773年84歳で亡くなりました。


一方、若狭の神宮寺にインドから渡ってきた実忠。
東大寺に移り、良弁の弟子になり、二月堂を建立します。


大仏開眼2ヶ月前の2月初日から、天下世界の安穏を願い、14日間の「祈りの行法」を始めます。

これが「修二会」。つまり、実忠は修二会を始めた人なのです。


2月初日から「神名帳」を読み上げ日本全国の神々を招待し、行の加護と成就を願います。

しかし、皆が参列したのに、若狭遠敷明神が来ない。


2月12日午前1時ようやく参列。修二会はあと2日で終わるってのに。


何をしてたかというと、釣り。


釣りをしていて修二会行事に遅れたお詫びに毎年、二月堂の本尊の十一面観音に供える閼伽水(あかすい)を送ると約束しました。


約束したとき、二月堂の地下の井戸から白黒の鵜が飛び出てその穴から泉が湧きました。

その水源が若狭の水中洞穴。よって、東大寺二月堂の井戸は「若狭井」と名付けられました。


こんなところの


この岩の下。


この穴から鵜が潜っていったので、この川淵は「鵜の瀬」と呼ばれるようになりました。


若狭の鵜の瀬から「お水送り」し、地下を通って奈良にたどり着いた閼伽水を「お水取り」してご本尊にお供えする儀式。それこそ

「東大寺二月堂のお水取り」なのです。


いつも応援いただきありがとうございます。若狭の鵜の瀬から東大寺二月堂までは、きっちり10日間で到着するといわれてます。誰か試してみないかい?
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