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狛犬がお迎えする疋田の日吉神社。

こんにちは。重いお話が続いたので、今日はさくっと。


好きな風景。

位置は疋壇城址の北側になる、この神社。


えっほえっほ。階段嫌い。


日吉神社。

祭神:大山咋命・菅原道眞
由緒:延暦2(783)年正月十六日勧請。
社格:村社

安政6(1859)年、大火のため、 古記録等一切焼失。
明治11(1878)年 、末社天満宮、祭神菅原道眞公を合祀。



まいど。


朝、4時半に起きてきた。


かりかりかり。


何でございましょうか?


はい。


んー?


ぎゃー!なんじゃこらー!?さよならー!


無理です。イモムシくんなら、触れますけど。体が硬いのはダメです。


ここもお城の中かと思ってしまいます。




その前に…。


おはよございますっ!


あら、素敵なお腹のくびれでございます。


びみょー。


どしたの?


うん。


おフランスの女王の如き縦ロールですねぇ。


本殿は、覆屋の中にあります。冬はどんな風になるのかな。

さて、うろちょろ。


ごろごろぉー。


こちらは、


はてな。


はてな。


過疎化がとまらないこの土地でも、地域の方々が大切にされてます。

これからも日吉神社の狛犬さんたちは時の移り変わりを見つめていくんだろうな。

疋田、いいところでした。


いつも応援いただきありがとうございます。疋田で起きた戦闘も、疋田舟川の繁盛も、黙って見てきた日吉神社。お喋りできたら楽しいのにな。ざんねん。
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信長の越前侵攻に翻弄された疋壇城址。朝倉氏の最前線。


早朝の町並をてくてくすると…


くんくん。


段々になってる石積に、うひょ!っと言ったのは誰。


石積と空堀っぽいのがあるよぉー。っと、立ち止まってみる。


まるでラピュタ。


おなかすいた。


素敵です。


上から見た。


そんなここは。


じゃん。


地域の皆様と共存中です。


落ちたらあかん。


ウシガエルがぶぉーぶぉー鳴いてて…泣きそうです。


一番高いとこ。



朝倉氏が家臣の疋田対馬守久保に文明年間(1469‐1487)に築かせた疋壇城。

柳ヶ瀬越・塩津越・海津越の主要江州路が集まる交通上の要衝である疋田は、越前朝倉氏の最南端の防衛拠点としても重要でした。

城址近辺に城(本丸跡)、小丸、中ノ切、馬場、等が字名に残る事からこの疋田周囲に拡がっていただろうと推測されてます。


北曲輪。右側の畑の下が通ってきた道と空堀。


土塁の下は、深い深い空堀。


小学校の運動場が作られ、曲輪は破壊されてます。残念。
しかし、その小学校は廃校に。過疎化が止まらない。


疋壇城はわずか100年ほどしか使われませんでした。

元亀元(1570)年。織田信長、越前侵攻。

朝倉氏の手筒山城落城、金ヶ崎城開城。
疋壇氏が籠る疋壇城もそれを受けて開城し、信長軍に破壊されます。

そこへ、浅井長政の離反。俗に言う「秀吉の殿軍」で信長軍撤退。


その隙に朝倉軍は疋壇城を修復。栂野三郎右衛門尉景仍が布陣。

姉川の戦いを挟んで、天正元(1573)年、再度の織田信長の越前侵攻。


朝倉軍は信長軍の猛攻に支えきれずに疋壇城は落城。

疋壇六郎三郎はじめ疋壇氏将兵500余人、朝倉軍3000余人がここで討死しました。

そして、信長軍により疋壇城は破却されました。

でも、お城の遺構は結構残っていて楽しかったです。
地権者の方のご厚意で見ることができる城址なので、畑に入ったりしないように注意しましょう。


こんなのも見えます。



早朝のお城はよいですねー。


いつも応援いただきありがとうございます。疋田舟川が流れる静かな町並と、朝倉氏の名残を留める疋壇城址。過疎化の進む地区ですが、心の故郷ってこんなとこを言うのかなあ…と懐かしく思いました。
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fc2のアプリ更新したら、画像が今までのようにアップできませぬ…。

閑話休題・古代三関の愛発関と清盛念願の疋田舟川

こんにちは。

前回はご活躍していただきました鬼女のお姉様方。ちょいと休憩。


ということで。今日ご紹介するのは。


すんませんすんません。


愛発関(近江国と越前国の国境・福井県敦賀市疋田)
不和関(美濃国・岐阜県不破郡関ヶ原町)
鈴鹿関(伊勢国・三重県亀山市関町と推定)

の3つは「古代三関」として天武天皇の時代(672年or673年)に設置。

この三関から東が「東国」。
天皇崩御や争乱があった時に閉められました。

関の役目は東国から畿内を守ること。または、謀反人の逃亡を阻止すること。


西近江路と東近江路(後に塩津街道)が合流する疋田(ひきた)が愛発関の有力此定地。

この愛発関が歴史に残るのは、この方の時。


あるいは



淳仁天皇の後ろ楯となっていた藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱。


背景はこれ。

敗色濃厚となり、琵琶湖を北上し息子が治める越前国へ逃げようとした仲麻呂は、先回りした上皇側により愛発関が閉じられているのを知り、断念します。


やむなく湖西の高島まで来たところで捕まり斬首されました。
淳仁天皇は天皇の地位を追われ淡路島に流され「淡路廃帝」などと言われてしまいました。

愛発関、大活躍の巻。

淳仁天皇についてはこちら→→→
淡路廃帝淳仁天皇と母当麻氏を探してたまねぎ畑へ
淡路廃帝は須賀神社の舟型御陵に眠るのか。湖北の菅浦。
淡路廃帝淳仁天皇をお祀りし弔い続ける菅浦の地。


桓武天皇の時に三関は停止されますが、完全撤廃はされず、天皇崩御・摂関の死去時に関を閉じる行為(固関)自体が儀式化され(「貞観儀式」)、天保年間まで続きました。
(途中から愛発関は京都と滋賀の県境の逢坂関に代わります)


そんな疋田。


視線が下過ぎますよ。


江戸時代に西廻り航路が確立するまでの物流ルート。


北国⇔敦賀 日本海側の海路
敦賀⇔塩津 塩津街道で陸路
塩津⇔堅田・大津 琵琶湖を航路
堅田・大津⇔京都・大阪 陸路



琵琶湖水運についてはこちら→→→

錨を上げろ、商売商売。船と琵琶湖と菅浦と。
丸子船紹介と清盛も重視した琵琶湖水運の覇権。


琵琶湖の水運に着目した平清盛を初めとして、大谷吉継なども敦賀と塩津の間に運河を作ろうとしますが断念。運河開削計画のみが残りました。


清盛の言葉。

「後世必ず湖水の水を北海に落とせと言う者あらん、このこと人力の及ぶことに非ず」


時は流れ、1815(文化12)年。

日本海側に異国船がちょこちょこと現れ始め、西廻り航路が危険に。

京都への糧道確保が急務となり、小浜藩と幕府が協議。小浜藩家老三浦勘解由左衛門を普請奉行として、運河工事を開始。


1817(文化14)年。敦賀と疋田の間に運河が完成。
川幅9尺(2.7m)、総延長6.5km。

疋田から湖北の大浦は牛車で運搬。


これが使用された舟です。

この舟川は水の流れが速いため水位が上がらず、積み荷を満載すると舟底がつかえるため、川底に松の丸太(胴木)を敷設して舟が滑るように工夫しました。

胴木寸法は、太さ5寸(15cm)長さ11尺(3.3m)。
3尺(90.9cm)毎に敷設。

それがここ舟川の特徴。


上りは人力。よいしょよいしょ。
道から離れたところは、竿で押しました。よっこいしょおー!


清盛以来の悲願であったこの舟川。
しかし、1834年に幕府と小浜藩により廃止されてしまいます。
稼働年数、わずか17年ほど。


長年陸路で稼いでいた人達の猛烈な反対運動のため。

なんやー?既得権益ってやつぅー?
いやいや、こちらも日々の生活がかかっています。


1857年、再び掘り起こされて利用開始。
1866年、大洪水により破壊される。


後に、福井県の県営用水環境整備事業により整備されます。

農業用水として滋賀県県境を水源とする五井川から取水し、疋田集落を流下し、この地域の農地を灌漑する「疋田舟川用水」として働いています。


泣くなよー。皆のお役にたってるんだよー。


ほんとほんと。


お水は怒ると暴れるからねー。


鳥居のある風景。八百万の神。

平成9年から16年に老朽化した護岸の整備をされてますが、片方の石積は当時のまま。


現在の疋田舟川用水が潤す農地は8ha。
同時に疋田地区の防火用水、生活洗浄用水としても利用されているのです。


ほんとほんと。(水はめんどくさいなぁ…)


で。このように、物流・交通の要所である疋田の地は軍事上も要衝であったわけでして。

はーい。



疋壇城です。


いつも応援いただきありがとうございます。疋田舟川用水、ちょいとお手手を浸すたけで、腕がもっていかれそうな勢いです。あひゃあひょうひょーっとあわてふためく阿呆に、呆気に取られる疋田の方々をご想像下さいませ。
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