能楽の面(おもて)の取扱い方法

こんにちは。


能の面(おもて)は、4~5百年前のものが使われています。

博物館のガラスケースの中に飾られるよりも、
面(おもて)は、舞台で使われてこそ生きるもの。


【能楽の歴史】


(福知山市一宮神社の能舞台)

まず勢力を伸ばしたのが、興福寺等に属し、祭礼に奉仕した大和猿楽四座。

外山座 →宝生座
坂戸座 →金剛座
円満井座→金春座
結崎座 →観世座

これに元和年間に金剛座から分かれた喜多流を加えた「四座一流」が現在の能楽シテ方五流です。


【能楽の受難】


(福知山市一宮神社の能舞台)

猿楽を元にする能楽は、足利義満、豊臣秀吉、徳川家康など、時の権力者の庇護の下で発展し、江戸幕府において「武家の式楽」となり最盛期を迎えます。

サラリーは雇い主である大名家等から得ていた能楽師達。

大名家が所有する面(おもて)、装束等の使用を認められていました。


ここで、明治となり、全てがひっくり返ります。


お金が必要となった元大名家が所有財産を質に入れ、あるいは売却。
雇用主を失った能楽師の中にも、商売道具を売らざるを得ない家もあり。

能楽師や旦那衆等が慌てて質流れ品を買い集めるなどしましたが、時既に遅し。

面(おもて)や装束等、数多くの貴重な品がこの時、散逸します。

よって、現在も舞台で使うことができる面(おもて)は、非常に貴重で大切なものです。


【面(おもて)の取扱方】

昔はお正月には、能や舞楽などの番組で楽しみましたが、昨今はすっかり減ってしまって残念至極。

と思ってたら、さんまのまんまの新春特別番組で、野村万斎先生が。


狂言師の野村万斎先生。

手にしているのは、面(おもて)を入れる面箱。

容易に触れてはならないものです。
私は面箱を見たら走り去ります。


面箱の中で滑らないように、木綿の布で包み


面(おもて)ひとつずつを、綿入れの布で作った袋に入れてます。


さらに、面(おもて)の装飾がされた表側は別の布(面あて)をあてており、


厳重に保護しています。

面袋と面あてには、古布を用いるので、時々すんばらすぃー生地に出会うことがあります。

昔の刺繍は手縫いで丁寧で、ほつれないんですよ。


ここから、面(おもて)の持ち方。


面袋と面あてを後ろへまわして、


こう持って、面(おもて)を眺めます。

装飾が人の手の脂で痛むので、紐を通す穴の部分だけを持ちます。
決してわしづかみにしてはならず。


真田丸第27回「不信」。


使用された面は、金春家に伝わる300年前の「天下一河内作の小面」。

http://ameblo.jp/yamaitsunao/entry-12178834390.html


べちょっと持つのは厳禁。これでよし、です。


本年もよろしくお願い申し上げます。お正月に、ぼやーんっとテレビを見ていたら、野村万斎先生がご登場。うふふ。本物の面を扱うところは撮影できないので、いいもの見ました。うふふふ。さて、週末は大阪でも雪の予報です。先週は徳島の旅でうきゃうきゃしたので、今週はおうちでのんびり。というより、金がないっ。給料日はまだかーっ!?
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いつもありがとうございます。

能「翁」の面(おもて)は、顎が外れた

こんにちは。

とうとうたらりたらりらぁーっと不思議な言葉が並ぶ能「翁」。


さて、今日は面(おもて)の話。


【顎、はずれました】


真田丸第27回「不信」。


使用された面は、金春家に伝わる300年前の「天下一河内作の小面」。

http://ameblo.jp/yamaitsunao/entry-12178834390.html


とても美しい女性の面(おもて)です。


これは狂言の面。


(クラゲではござらん。下のは、あごひげです)

上記ふたつの面(おもて)のように、通常はひとつになってます。

が、翁専用に用いる白式尉(じょう)や黒式尉は、


顎が外れています。(・・・ほんとだもん)

ぽんぽん眉 ぼうぼう眉、と、アゴヒゲがある他に、

「切顎」といって、下顎が切り離されている点が大きな特徴。


(うーむ。へたぴー。)

上顎と下顎は紐で結ばれていますが、このように上下が分かれているのは、能「翁」で用いる翁の面のみ。

※特別演出(小書/こがき)の際に用いる父尉と延命冠者も切顎。


前記事で、能「翁」においては、面(おもて)そのものをご神体とする、と述べましたが、神社でも翁の面をご神体としているところもあります。

また、「尉(じょう)」とは、おじいちゃんのことを言いますが、おじいちゃんも千差万別。


ほんとは神様(『高砂』など)

若い女の人に惚れてストーカー(『恋重荷』)←すんごくねちこい


など、品格あるおじいちゃまから、庶民のじーちゃんまでいろいろいます。

そのなかで、能「翁」のおじいちゃんは、とても幸せな、うひゃっと笑顔。


京都府綾部市の阿須須岐神社(あすすきじんじゃ)の尉の面です

何だか幸せになりそうなお顔でしょ?

恐らく、ぼうぼう眉とお髭は欠損しているのかと思いますが、実際の翁の面の趣はあります。


【見えないので、目印を】



面(おもて)の内側。

これは狂言面ですが、おめめ全体があいています。

能「翁」の面も、同様。これも、翁面の特徴です。


ところが、ですな。

通常の面は、黒目のとこしかあいていません。

小指の先ほどの穴から、何が見えるか。


見えません。



ストローから覗くが如き、視界です。


だから、能舞台には、柱があります。



(福知山市一宮神社の能舞台)


能の型では柱を目指して歩みを進め、決められたポイントで何かの所作をすることの繰り返し。

よって、行き先を定めるのに、柱が必要。

各柱には、名前まで付いています。


一番たくさん目指すのは、目付柱(スミ柱)。

この柱の付近を「スミ」と呼び、必ず左足で止まるとか、スミ取りという型をするとか、ここだけ舞台の板が薄れるほど多く立ち止まります。

「シテ柱」は橋掛かりから入ってきたシテが曲がるとこ。
「笛柱」はこの横に能管(笛)の先生が着座しており、
「ワキ柱」はこの横にワキ方が着座します。


能「竹生島」後シテの龍神。と、ワキの勅使。

プロの先生は歩幅や足の向きを体が覚えていますから、それほど柱は重要ではないそうですが、素人にはこれがないとどこへ行ったらいいのやら。

観賞する側からしたら邪魔な柱ですが、客席と舞台を区切る働きと共に、演じる側にはないと困るもの、それが、能舞台の柱。


【上向け、上!】



再び、面(おもて)の内側。

口があいているのは、窒息するから。

じゃなくて、無論、声がこもらないためなのと、

通気孔の役目。


演能を終え、幕に入った途端、先生が

「上向け、上!!」

と叫びます。それは、


面の内側についた水分を目や口の穴からお外に出さないため。

面を外した後のお顔は、湯上がりほこほこ。

通気孔があってもこれですから、もしなかったらえらいことに。



謡も違えば、面(おもて)も違う。

そんな能「翁」、おすすめです。


面(おもて)のいろいろは、下記をご覧ください

公益社団法人能楽協会
http://www.nohgaku.or.jp/encyclopedia/whats/omote.html

国立能楽堂の面なので、大変よろしゅうございます。


いつも応援いただきありがとうございます。能面は舞台に用いるものでも数百年前のものが多く、大変大切なものです。面をかけると、お先真っ暗というか、一寸先は闇。これに重い装束を付けるので、ほんとに「体で覚え」ていないと身動き出来ないです。どんなにやってもやり過ぎではないのが、お稽古。素人はひとつの曲を仕上げるのに半年以上かけて、何度も何度も繰り返して体で覚えるしかありません。
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いつもありがとうございます。

能「翁」とうとうたらりたらりらぁー

こんにちは。

今日は、謡のお話。


例えば、あなたはだぁれ?と尋ねられた天人の言葉

「げに御不審は、御理(おんことわり)。
今は何をか褁(つつ)むべき。
真(まこと)は我は天人なるが。花に引かれて来りたり。」
(『吉野天人』)

(意訳)

「あらやだ、変に思われても当たり前ねー。あのね、実はね、
ほんとは、わたし、天人なのー♪
お花がきれいなのでひかれて来ちゃった。」


一応、文章です。

ところが。

ひとつだけ、何がなんやらわからない言葉の並ぶ謡があります。

とうとうたらりたらりら。たらりあがりいららりどう。
ちりやたらりたらりら。たらりあがりららりどう





能では「翁(おきな)」、謡では「神歌(かみうた)」と呼ばれる曲です。

「翁」は、「能にして能に非ず」

と言われる特別な能で、

正式には「式三番(しきさんばん)」といいます。


「演劇としてのストーリーはなく、天下泰平・国土安穏を祈る祈祷の言葉が謡われ、役者が神に変身して祝福の舞を舞うという、神事芸能的な演目となっています。」(銕仙会「翁」より引用)


【能「翁」の構成】

能の上演としては、3部構成。

《シテ方》

1。千歳(せんざい)
面を付けず(直面/ひためん)舞われる若々しい舞。いわば露払い。

2。白い翁
舞台上で白い翁の面(白式尉/はくしきじょう)を着脱します。


《狂言方》

3。黒い翁
「三番三(三番叟)」と呼ばれる部分。

「揉みの段」と「鈴の段」の二部構成で、「鈴の段」では黒い翁の面(黒式尉/こくしきじょう)を付けます。


【神事としての「翁」】

能「翁」は、あくまでも神事。

楽屋(鏡の間)では「翁面」をご神体として祭壇に祀っており、
開幕前には、演者一同が御神酒と洗米を頂き、身を清めます。

次に、後見が火打ち石の切り火により舞台を清めます。

面箱を先頭に、翁(シテ)、千歳、三番三(三番叟)、囃子方等各役が順に舞台へ。


翁は、舞台中央に進み出て下座。
正面に向かって深々と礼をします。

神様へ向かっての礼で、客席にしているわけではありません。



翁(シテ)の前に面(おもて)が入った面箱(wikipediaより引用/観世流)

小鼓が三つ、また、面(おもて)を舞台の上で付ける点が特徴。

翁の面そのものがご神体であり、面を付けることで翁(シテ)が翁の神となるわけです。


【能「翁」に見る謡の面白さ】

まぁ、ご覧あそばして。


翁  とうとうたらりたらりら。たらりあがりいららりどう。
地  ちりやたらりたらりら。たらりあがりららりどう
翁  所千代までおはしませ
地  我等も千秋さむらはふ
翁  鶴と亀との齢(よわい)にて
地  幸(さいわい)心に任(まか)せたり
翁  とうどうたらりたらりら
地  ちりやたらりたらりら。たらりあがりららりどう



(謡うと、たらりぃーいあがりいーぃららぁらーりどー)


千歳 鳴るハ瀧の水。鳴るハ瀧の水日ハ照るとも
地  絶えずとうたり。ありうどうどうどう
千歳 絶えずとうたり。常にたうたり



千歳が立ち上がり、舞始めます。この間にシテが翁の面を付けます。


千歳 君の千年を經ん事も。
   天津をとめの羽衣よ。鳴るハ瀧の水日ハ照るとも
地  絶えずとうたり。ありうどうどうどう



白い翁の面を付けることで翁の神となったシテが進み出て、
両袖を広げ、天下泰平・国土安穏の祝福の言葉を唱え、舞います。


翁  総角(あげまき)やとんどや
地  ひろばかりやとんどや
翁  座して居たれども
地  まゐらふれんげりやとんどや
翁  千早振(ちはやふる)。神のひこさの昔より。久しかれとぞ祝ひ
地  そよやりちや
(略)
翁  千秋萬歳(せんしゅうばんぜい)の。喜びの舞なれば。
   一舞舞はう萬歳楽(まんざいらく)
地  萬歳楽
翁  萬歳楽
地  萬歳楽 



(画像/丹波篠山の春日神社)


舞い終えた翁は、舞台上で面を外し、翁と千歳は橋掛りより退出。
「翁帰り(おきながえり)」といいます。


次に、狂言方が務める直面(ひためん)の三番三(三番叟)が登場。

地謡との問答の後「ほぅほー、いやー、はっ」等と言いながら舞台の四方をとんとんとん、と踏み固め、激しく飛び上がる「揉(もみ)ノ段」を舞い、

次に黒式尉(こくしきじょう)の面をつけ、神事に見られる鈴(巫女が持つ鈴がいっぱいついたアレ)と扇を手にして、舞台四方を清める仕草をする「鈴ノ段」の舞を舞います。


この狂言方が行う部分は、各地の神社で見られる「三番三(三番叟)」が類似してますので、お近くで上演があるときは、ぜひ。


参考文献

観世流大成版『神歌』(訂正著作/24世観世左近、檜書店発行)

『能楽全史』(横井春野著/檜書店/昭和5)


本年もよろしくお願い申し上げます。
新春の能楽堂では、あちこちで「翁」が上演されています。カチカチと鳴る火打ち石の音に始まり、ぴーんっと張り詰めた空気は格別で、身が引き締まります。躍動的な千歳、重々しい白式尉、激しい動きで舞台を飛びはね、踏み鳴らす三番三の揉みの段など、とても面白い舞台です。

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春日大社の飛火野。能「野守」と地獄

こんにちは。


春日大社へ向かう参道の傍らに広がるのは


アレって何だ。

古くは春日野とも呼ばれた飛火野は、古代祭祀の地と言われる場所。

能「野守」の舞台です。


ワキ:出羽国羽黒山の山伏
前シテ:野守の老人
後シテ:鬼神
舞台:大和国春日野(春日大社・飛火野付近)
作者:世阿弥


修験霊場の葛城へ行く途中に、南都を観光。春日野へ来た山伏。

「春日の野守」という通りすがりのじーさまに、観光案内してもらう。


この水溜まりを「野守の鏡だよ」と、じーさま。


「野守の鏡とは」

①野守が朝夕姿を映す「鏡」。

②野を守る鬼が持つ「鏡」。

能「野守」の前半は①を、後半は②を主題にしています。


じーさまいわく。

「箸鷹の野守の鏡得てしがな思ひ思はずよそながら見ん」(新古今集/読み人知らず)

は、この池を詠んだもの。

雄略天皇が春日野に狩をした際に逃げた、鷹。

その行方を野守に追わせたところ、鷹の姿が池の水に映っているのを見て探し当てた。



それ以来、この池は「野守の鏡」と呼ばれるようになった。
(平安末期の歌論書『奥儀抄』/藤原清輔撰)

とさ。

そう語った後、


じーさま、塚の中へ姿を消す。ここまでが前半。


《後半/中入後》

山伏、考える。

じーさまは、もしかして鏡を守る鬼神ではなかろか?と。

山伏、鬼神を呼ぶため、祈る。


ワキ(山伏)「鬼神の住みける塚の前にて。肝胆を砕き祈りけり。
われ年行の功を積める。その法力の真あらば。鬼神の明鏡現して。
われに奇特を見せ給へや。南無帰依仏」

後シテ(鬼神)「ありがたや。天地を動かし鬼神を感ぜしめ」
地謡「土砂。山河草木も」
シテ「一仏成道の法味に引かれて」
地謡「鬼神に横道(おうどう)曇(くもり)なく。野守の鏡は現れたり」
ワキ「恐ろしや打火輝く鏡の面に。映る鬼神の眼(まなこ)の光。
面(おもて)を向くべきやうぞなき」



ありがたや。お前の祈りは、天地を動かす。感動したー。
地面も山河草木も仏法の力で動かされ、鬼神に邪な曇りはない。

そう言いながら、鬼神 with 野守の鏡、登場!


(大きな鏡を持つ後シテの姿)

が。

炎に輝く鏡の面に映るのは鬼神の眼の光。
こわっ。めっちゃ、こわっ。


びびる山伏を見て、鬼神は帰ろうとします。


シテ「恐れ給はば帰らんと。鬼神は塚に入らんとす」
ワキ「暫く鬼神待ち給へ。夜はまだ深き後夜の鐘」
シテ「時はとら臥す野守の鏡」
ワキ「法味にうつり給へとて」
シテ「重ねて数珠を」
ワキ「押しもんで」



山伏「待ってー。修行開始の寅の刻(朝4時)まで時間があるのよー。仏の力でまだここにいてー。お願いっ」

と、数珠をじゃらじゃらと鳴らします。


地謡「台嶺(たいれい)の雲を凌ぎ。
台嶺の雲を凌ぎ年行の。功を積むこと一千余箇日。
しばしば身命を惜まず採果(さいか)。汲水(ぎっすい)に暇を得ず。
一(いち)矜伽羅(こんがら)二(に)制多伽(せいたか)。
三に倶利伽羅(くりから)七大八大金剛童子」



山伏は、高山にかかる雲よりもさらに高い所で千日余り、命を惜しまず厳しい修行をした。めげないぞー。

鏡には、矜伽羅童子・制多伽童子・倶利伽羅龍王、八人の金剛童子等の仏法の守護神が次々に映る。


ワキ「東方」
シテ「東方。降三世(ごうざんぜ)明王もこの鏡に映り」
地謡「又は南西北方を映せば」
シテ「八面玲瓏(れいろう)と明らかに」
地謡「天を映せば」
シテ「非想(ひそう)非々想(ひいそう)天まで隈なく」


鏡を東へ向けると降三世明王(東方の守護神)が、他の方位へ向けると各々の方角の守護神が映る。

鏡に映せば四方八方は明るく澄み渡る。

天を映せば、天界のてっぺん(有頂天)までくまなく映る。


すごいぞ、野守の鏡。


地謡「さて又大地をかがみ見れば」
シテ「まづ地獄道」
地謡「まづは地獄の有様を現す。一面八丈の浄玻璃(じょうはり)の鏡となつて。

罪の軽重 罪人の呵責。打つや鉄杖の数々。
悉く見えたりさてこそ鬼神に横道(おうどう)を正す。
明鏡(みょうきょう)の宝なれ。
すはや地獄に帰るぞとて。大地をかつぱと踏み鳴らし。
大地をかつぱと踏み破つて。奈落の底にぞ。入りにける」



大地を見ると、映ったのは六道の中で一番深い地獄の有り様。

「浄玻璃の鏡」(閻魔大王が生前の罪を見定めるのに使う)のように野守の鏡には、

罪の重さ、罪人が鉄棒で打たれ罰せられる姿。全てが映る。



山伏はその恐ろしさ故に、正しい仏の道を歩むことを鬼神に誓う。

善悪の道を正す鬼神が持つ、理非を明らかにする宝の鏡。 

こうして鏡を見せた鬼神は、大地を踏み破って、地獄の底へと帰っていったとさ。


そう。


飛火野の下には、鬼神の住む地獄がある。


でも、だいじょうぶ。



春日の神様は慈悲深い神様で、春日社に縁のあった人は、罪があっても普通の地獄には落とさず、 春日野の下に地獄を構えて、毎日罪人に水を注がれてその苦しみをやわらげられた。(『春日権現験記』)

この清流を春日大社では「お杯」と言い習わしています。(春日大社公式HPより引用)

・・・あれ?結局地獄には落ちるんだ。きゃ。


参考文献
観世流大成版『野守』(訂正著作/24世観世左近、檜書店発行)


いつも応援いただきありがとうございます。
「飛火野は地獄につながっている」。これは中世において広く知られており、能「野守」の下地となっています。「鬼」は、春日大社に付属し活躍した大和猿楽が得意とした題材。幽玄を追求した世阿弥は「鬼」の芸を遠ざけたものの晩年には「鬼」へと回帰。能「野守」はその頃に書かれたと推測されています。久しぶりの能話。お付き合いいただきありがとうございます♪楽しかったー。 

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お手数をおかけ致します。ありがとうございます。

源頼光と土蜘蛛退治。蜘蛛の糸が飛び交う能「土蜘蛛」

こんにちは。


葛城一言主神社の蜘蛛塚。

神武天皇の土蜘蛛退治はいわゆるヤマト対「まつろわぬ民」。

これを下地に本日は、能「土蜘蛛」のお話。


よろしくお付き合いください。


【能「土蜘蛛」】

作者不明

素材は『平家物語/劍の巻』

前シテ:僧
後シテ:土蜘蛛ノ精
ツレ:源頼光
ツレ:胡蝶・トモ:頼光の従者
ワキ:独武者・ワキツレ:独武者の従者


鬼退治で有名な源頼光、昼と夜の区別がつかぬほど重病。

典薬寮の長官からのお使いで薬を届けた胡蝶に「死期を待つだけなの」と情けない。

そこへ来たのが怪しい僧。


月清き。夜半(よわ)とも見えず雲切の・・・と謡いつつ登場。


僧 「いかに頼光。御心地は何と御座候ぞ。」
頼光「不思議やな誰とも知らぬ僧形の。深更に及んで我を訪ふ。
   その名は如何におぼつかな。」
僧 「愚かの仰せ候や。悩み給ふと我が背子が。来べき宵なりささがにの」
頼光「蜘蛛(くも)のふるまひかねてより。知らぬと言ふになほ近づく。
   姿は蜘蛛(ちちう)の如くなるが。」
僧 「懸くるや千筋の糸筋に。」
頼光「五躰をつづめ」
僧 「身を苦しむる」




僧は土蜘蛛の姿に変化し、蜘蛛の糸を頼光に投下。

病でへろへろの頼光ですが、枕元にあった刀「膝丸」で応戦。

土蜘蛛、手傷を負い、姿を消します。

そこへ駆け付けた頼光の家臣「独武者」。


頼光、事の次第を語って聞かせ。

ここで先程の僧が、七尺(約2.1m)の大きさの蜘蛛になったことが告げられます。

蜘蛛を追い払ったのは、ひとえに剱(つるぎ)の威徳。
「膝丸」を「蜘蛛切」と名付くべし。


膝丸は、源氏代々の宝刀。

床には、てんてんてん、っと土蜘蛛の血の跡。

独武者「この血をたんだへ。化生の者を退治仕らうずるにて候」

※「たんだへ」
探題(名詞)→尋ね探す動詞へ変換


追跡調査開始。

独武者「土も木も。我が大君の国なれば。何處(いづく)か鬼の。宿りなる」

※『太平記』巻十六。紀朝雄の歌より。


京都の北野東南で、土蜘蛛の塚を発見。


独武者の意気込み。天魔は、第六天魔王。


崩せや崩せ、と、独武者の激が飛びます。


地「下知に従ふ武士(もののふ)の。下知に従ふ武士(もののふ)の。
 塚を崩し。石を覆(かえ)せば塚の内より火焔を放ち。
 水を出すといへども大勢崩すや古塚の。
 怪しき岩間の陰よりも。鬼神の形は。現れたり。」




塚から火焔放射ふぁいやー。

それにめげずにさらに塚を崩すと、蜘蛛の巣が現れました。

中から声が聞こえてきます。



土蜘蛛ノ精「汝知らずやわれ昔。葛城山に年を経し。土蜘蛛の精魂なり。
 なほ君が代に障りをなさんと。
 頼光に近づき奉れば。却って命を断たんとや。」



神武天皇の葛城山に住む「土蜘蛛=まつろわぬ民」退治の故事から、「葛城山に年を経し」と。



蜘蛛の巣をばりばりと破り現れた土蜘蛛。

ふぁいっ。


舞台上では、糸を投げ散らす土蜘蛛(シテ)と、独武者達の打合(働・ハタラキ)が繰り広げられます。

蜘蛛の巣を投げかける土蜘蛛に対し、手足の自由を奪われた独武者達は苦戦。


独武者「然りとはいへども」

地「然りとはいへども神国王地の恵みを頼み。
 かの土蜘蛛を。中に取り籠め大勢乱れ。懸かりければ。
 剱乃光に。少し恐るる気色を便りに斬り伏せ斬り伏せ土蜘蛛の。
 首打ち落し。
 喜び勇み。都へとてこそ。帰りけれ。」



神国であり天皇の統治する国土であるから、神や君の御加護を頼んで、土蜘蛛に斬りかかる独武者達。

頼光の剱に斬られて苦しんでいた土蜘蛛は、独武者の剱の光を恐れる気配を示します。


独武者達は、ついに土蜘蛛の首を落とし。

意気揚々と都へ帰っていったのでした。

ちゃんちゃん。


《こぼれる話》

能「土蜘蛛」では土蜘蛛退治に向かうのは単に「独武者」とその従者達で、名前がありません。

『平家物語/劍の巻』では、頼光の元へ四天王が駆け付け、土蜘蛛退治に向かいます。
捕らえられた土蜘蛛は、頼光の命令で鉄の串に刺され、河原に立てて曝される羽目に。



うまく描けなかった土蜘蛛のおうち。
蜘蛛の巣は、毎回破るので和紙で手作り。

投げる蜘蛛の糸は、幅5mm程の紙テープを横に並べた土蜘蛛専用の小道具。

お稽古の時は、高価な本物を投げるわけにはいかず、包帯で代用。

投げては巻き、投げては巻き。


保健委員会のうた@忍たま乱太郎


ちなみに、投げられた糸は謡っている方にも容赦なく巻き付いて。


くすぐったくて死にそうです。


おしまい。


参考文献
観世流大成版「観世流初心謡本/『土蜘蛛』(訂正著作/24世観世左近、檜書店発行)


いつも応援いただきありがとうございます。能「土蜘蛛」は、ぽんぽんぽんっと場面が変わり動きが多く、後の場面は舞台狭しと繰り広げられる土蜘蛛と武者達の争い。ぷわーっと広がる蜘蛛の糸の派手さもあって、楽しい能です。「幽玄」からは程遠いのでツウの人には軽視されがちな舞台ですが、「能の発展過程に於いて本曲のような趣向も求められた事は疑いようがなく」(観世流大成版「観世流初心謡本/『土蜘蛛』より)、現在も頻繁に上演される人気曲です。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

恥ずかしがりやの葛城の神、大和舞を舞う。能「葛城」

こんにちは。

能「葛城」の前段では。


葛城山は雪の中。山伏一行を自宅に案内した里の女。

山伏一行が夜の勤行を始めようとすると、
私も加持祈祷して欲しいと望みます。

何故なら「三熱の苦しみ」と「五衰の苦しみ」を身に受けて苦しみが絶えないのだ、と。

神のみが負う二つの苦しみを述べる事で、我が身は人ではないことを暗示し、

女「恥ずかしながら古の。法の岩橋架けざりし。
 その咎めとて明王の。索にて身を縛しめて。
 今に苦しみ絶えぬ身なり。」


役小角説話を持ち出して、一言主神を連想させて姿を消しました。(中入)


前後段の間に、間狂言(里のもの)から役小角と葛城の神の話を聞いた山伏一行は、あの里女こそ葛城の神の化身だと気付きます。


【能「葛城」・後(ノチ)】

山伏一行が「一心敬禮(いっしんきょうらい)」と仏を禮拝すると、
女神の姿をしたシテが現れます。

仏教の言葉で神様が顕れる。
何とも不思議な現象ですが、能が作られた時代には、不思議とも変とも思わなかったのですね。



頭上に天冠、大口(袴)、長絹or舞衣の装束は、女神の出で立ち。

前シテの地味な里女から一変。神々しい姿です。
しかし、他と違うのは、容貌が美しくないこと。


シテ「われ葛城の夜もすがら。和光の影に現れて。
 五衰の眠りを無上正覚の月に覚まし。
 法性真如の寳(たから)の山に。
 法味に引かれて来たりたり。よくよく勤めおはしませ。」


寳山とは、葛城山の別名。

仏教の手向に引かれて、神仏が衆生を救う光や悟りの月がぴかぴかする中、葛城山に来たのよ。よくよく勤行して下さいな。

と、「気高くスラリ」と謡いあげます。

しかしその姿は、美しい玉飾りをつけているのに身体には蔦葛が這い纏わる哀れな姿。


ぷれいではありません。


役小角の命で葛城山と大峰山に岩橋を架ける時、己の醜い姿を恥じて昼間は隠れた葛城の神・一言主神は


役小角の怒りに触れ、葛で縛られ谷底へ放置。

この時の葛が不動明王の索のように葛城の神の身を縛っているのです。


地「葛城山の岩橋の。夜なれど月雪の。
 さもいちじるき神體(しんたい)の。
 見苦しき顔ばせの神姿は恥ずかしや。
 よしや吉野の山葛。かけて通へや岩橋乃。高天の原はこれなれや。
 神楽歌始めて大和舞いざや奏でん。」

シテ「降る雪の。楚樹(しもと)木綿花(いうばな)の。
 白和幣(しらにぎて)」



夜なのに月や雪の明るさに露になる神の姿。
醜いお顔の葛城の神の姿は、恥ずかしいわ。
えーい、天岩戸の神話の舞台となったこの山で、
その時の神遊びの舞「大和舞」を、山伏たちに見せちゃるわー。

楚樹に降り積もった雪がまるで木綿花をつけた御幣みたいねー(*^^*)



そして、シテの葛城の神は「大和舞」に見立てた序之舞を舞います。

ここがこの曲の主題。ゆったりとした調べ。


ゆったりゆったり・・・ZZZ

ゆったりと舞った後は、さらっと明るく。

地「高天の原の岩戸の舞。高天の原の岩戸の舞。
 天乃香久山も向いに見えたり。
 月白く雪白く。
 いづれも白妙の 景色なれども。
 名に負ふ葛城の。神の顔がたち面(おも)なや面(おも)はゆや。
 はづかしや浅ましや。
 あさまにもなりぬべし。
 明けぬ前(さき)にと葛城の。
 明けぬ前(さき)にと葛城の夜の。
 岩戸にぞ入り給ふ岩戸の内に入り給ふ。」



ここでも葛城の神は、自分の容貌を恥じ、夜が明ける前に閉じ込められた葛城山の岩戸へと入っていくのでした。



《メモ》

小書(特別演出)の「大和舞」では、序之舞は「神楽」に変わり、
天岩戸の前で舞われた「大和舞」の趣が強くなります。

能管(笛)の対比

序之舞
オヒャーラー・オヒャイヒョォーイヒャーリウヒー

神楽
オヒャーラー・リーイヤーララー・リーイヤーラァラァラァァララー




謡曲「葛城」が作られた時代、天岩戸は大和国葛城山にあると考えられていました。

天岩戸に閉じ籠った天照大神に出てもらおうと天鈿女命が岩戸の前で舞った「大和舞」が神楽の初めであり、日本の芸能のはじまりだとされています。


以上、能「葛城」でした。

かづらき、ね。住所は、かつらぎ。


おしまい。


参考文献
観世流大成版『葛城』(訂正著作/24世観世左近、檜書店発行)


いつも応援いただきありがとうございます。『古事記』『日本書紀』では雄略天皇と同じ容貌の男神だった葛城の神・一言主神。能「葛城」に見られるように、中世には女神だと考えられるようになります。これは「自らの容貌を恥じ」夜だけ顕れた事から来たようです。うーむ。微妙に失礼な。役小角説話と天岩戸伝説の舞台である葛城山。能「葛城」はこの二つをひとつの曲に仕上げたものなのでした。
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能「葛城(かづらき)」。神が受ける苦しみと古歌

こんにちは。


『古事記』では、雄略天皇に瓜二つな雄々しい姿の男神。

平安時代には、役小角に石橋を作らされ、


容貌が醜いのを恥じて昼しか働けなかったのに、怠慢な奴だー!っと呪縛され谷底へ放置されるはめに。

お気の毒な神様。


恥ずかしがり屋の一言主神。

しかし、一言主神の姿は、謡曲の世界でさらに変化します。

男神から、女神へ。

えー。


【能「葛城」】

地名では「かつらぎ」ですが、能の葛城は「からき」と読みます。

これが初めは頭がこんがらかり。

かつらぎ、かづらき、かづらぎ(違)、どれ?


師匠稽古でごまかし叱られる。


作者は世阿弥元清。
題材は『日本霊異記』『源平盛衰記』などの葛城山伝説。
季節は、冬。


葛城山。一面真っ白な雪景色に脳内変換。


葛城山へ来た羽黒山の山伏の一行。
吹雪に見舞われ難渋していると、近所の女が通りかかり。


お気の毒に、と、自宅に山伏一行を一夜泊めてあげることに。

彼女が手にしているのは、楚樹(しもと)。


葛城山で拾い集めた小枝を葛(かづら)で括ってまとめたもの。


その楚樹(しもと)を火にくべ、一行は古歌について語り合います。


「しもと結ふ葛城山に降る雪の 間なく時なく思ほゆるかな」
(読み人知らず・古今和歌集)


楚樹(しもと)を結う葛(かづら)は、同音の葛城山に寄せて枕詞としました。
それは、この「古い大和舞(やまとまい)の歌」にも詠まれているのだと、女は山伏一行に教えます。

※大和舞とは、大嘗祭や鎮魂祭で舞われる舞のひとつ。

やがて夜になり、山伏一行が夜の勤行を始めようとすると
女が勤行のついでに私も祈祷して助けてほしいと願います。


女「さなきだに女は五障の罪深きに。
 法(のり)の咎めの咒詛を負ひ。
 この山の名にし負ふ蔦葛(つたかづら)にて身を縛(いまし)めて。
 なほ三熱の苦しみあり。」

山伏「そも神ならで三熱の。苦しみと云ふ事あるべきか。」

女「恥ずかしながら古の。法の岩橋架けざりし。
 その咎めとて明王の。索にて身を縛しめて。
 今に苦しみ絶えぬ身なり。」

(中略)

地「明くるわびしき葛城の。
 神に五衰の苦しみあり 祈り加持して賜(た)び給へと。
 岩橋の末絶えて。神隠れにぞなりにける。神隠れにぞなりにける。」



※三熱の苦しみ

仏教では、龍に三熱の苦しみあり、と説きます。

熱風・熱砂に身を焼かれること、悪風が吹きすさんで住居・衣服を奪われること、金翅鳥 ( こんじちょう) に食われること。


恐ろしやー。


※五衰の苦しみ

最期を迎える天人に現れる五つの衰え。

衣裳垢膩・頭上華萎・身体臭穢・腋下汗出・不楽本座。(経により諸説あり)


字面から推量してあげて下さい。


これら二つを神にも転用しており、山伏は「神だけが負う苦しみを人間の貴女が負うことなんてないでしょ」と突っ込んだのです。

女の言葉には、役小角説話における一言主神の姿が、あちこちに伏線として語られていますが、回収出来るのでしょうか。

後半につづく。

参考文献
観世流大成版『葛城』(訂正著作/24世観世左近、檜書店発行)


いつも応援いただきありがとうございます。謡曲で「かづらき」と読むのは、楚樹(しもと)を結う葛(かづら)から来るのかな、いや、葛は「かつら」とも言うし。かづらき!っと念を押しても、師匠稽古では本を見ずに謡うのが基本だったので、緊張すると、すっかーっと忘れてー。おほほほ。
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能「菊慈童」と菊の葉の水

こんにちは。

本日は、謡曲「菊慈童」のお話。

菊の季節によく上演される曲です。

素材は、『太平記』巻十三「竜馬進奏事」などの慈童説話。


金剛寺。菊慈童の屏風。


酈縣山(れっけんざん)の麓から薬の水がわき出たので、
魏の文帝の命により臣下が酈縣山の奥へ調査に。

なんと山奥には、菊の花。
そこで、周の穆王(ぼくおう)の寵愛を受けていた慈童と名乗る少年と出会います。

穆王がいたのは、七百年も昔。こは如何に?

慈童はある日、穆王の枕をまたいでしまい・・・



その罪で酈縣山(れっけんざん)に捨てられることに。

慈童は穆王から仏徳を讃える偈(げ)を記した枕を賜り、
それを忘れないように菊の葉に書き写しました。



具一切功徳慈眼視衆生(ぐいっさいくどくじげんじしゅじょう)
福聚海無量是故應頂禮(ふくじゅかいむりょうぜこおうちょうらい)

観音経(法華経普門品)の最後の部分。
観音経は、観世音菩薩の慈悲の心を信じて名前を唱えれば必ず救ってくれると説いたもの。


すると、この菊の葉の上に集まった露が薬水に。

その薬水を飲んで、慈童は不老不死になり、七百の齢を数えているのでした。

咲き乱れる菊の花の中、慈童は、御代を寿いで「楽(がく)」の舞を、時に菊の花に戯れるように軽快に舞います。

慈童が舞う楽は、太鼓が入り、笛は異国風の調べで、足拍子が多く華やか。



詞章(楽の舞のあと)

即ちこの文菊の葉に。即ちこの文菊の葉に。
悉く顕る。さればにや。
雫も芳ばしく滴りも匂ひ。
淵ともなるや谷陰乃水の。
所は酈縣(れっけん)の山の滴り菊水の流れ。



「淵ともなるや」
「我が宿の菊の白露今日ごとに 幾よ積つもりて淵となるらん」
清少納言の父である清原元輔の歌(『拾遺集』)。

菊の葉に書いた経文の功徳は、菊の葉に移り、
その雫からは菊の香りがただよい、やがて水がたまって渕となり、
谷陰から流れ落ち、酈縣山の菊水の流れとなっていたのでした。




泉は元より酒なれば。
汲みては勧め掬ひ(すくい)ては施し。
我が身も飲むなり飲むなりや。
月は宵の間その身も醉ひに。
引かれてよろよろよろよろと。
ただよひ寄りて枕を取り上げ戴き奉り。
げにもありがたき君の聖徳と岩根の菊を。
手折り伏せ手折り伏せ。敷妙の袖枕。
花を筵(むしろ)に臥したりけり。




シテ:元より薬の酒なれば。


残念なお知らせです。薬の酒は酔いつぶれません。


元より薬の酒なれば。醉ひにも侵されずその身も変わらぬ。
七百歳を保ちぬるも。この御枕乃故なれば。
いかにも久しき千秋の帝。萬歳乃我が君と。
祈る慈童が七百歳を。我が君に授け置き。
所は酈縣の山路の菊水。
汲めや掬(むす)べや飲むとも飲むとも。
盡きせじや盡きせじと。
菊かき分けて山路の仙家に。
そのまま慈童は。入りにけり。



観世流以外ではこの「菊慈童」を「枕慈童」と呼びます。

菊の薬水によって長寿と御代を寿ぐ内容で、格段難しいお話もなく、
慈童の舞を堪能する華やかな曲です。


おまけ。

謎の枕。


参考文献
観世流大成版『菊慈童』(訂正著作/24世観世左近、檜書店発行)


いつも応援いただきありがとうございます。菊といえば、菊慈童。しずくぅもぉ~こぉばしくぅ~♪っとぶつぶつ謡いながら散策する怪しい人です。ふふふ。お話の内容にこだわらず、さくっと楽しむことが出来るので、人気曲です。9月9日の重陽の節句前後に演能が多いです。
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軍師官兵衛第29話。清水宗治渾身の「誓願寺 クセ」

こんにちは。


出しそびれた紫陽花。梅雨明けて、灼熱地獄の大阪の夜。

さて。軍師官兵衛 第29回「天下の秘策」。
腹黒田官兵衛、素敵でした。これからも楽しめそうだなー。

で、清水宗治の宇梶さんが船上にて白装束で謡った言葉。


宇梶さん必死のお稽古の賜物。

能「誓願寺」の「クセ」という部分でした。

宗治は、この「誓願寺クセ」をひとさし舞い、切腹。
辞世「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」


「誓願寺クセ」の詞章(赤文字が大河で謡われた部分)

☆☆☆☆☆☆☆☆
笙歌。遥に聞ゆ。孤雲の上なれや。
聖衆来迎す。落日の前とかや。
昔在霊山の御名は法華一仏。今西方の弥陀如来。
慈眼視衆生現れて。娑婆示現観世音。
三世利益同一体有難や我等がための悲願なり。

シテ「若我成仏の。光を受くる世の人の。」

我が力には行き難き。
御法の御舟の水馴棹ささでも渡る彼の岸に。
至り至りて楽を極むる国の道なれや。

十悪八邪の迷の雲も空晴れ。真如の月の西方も。
こゝを去ること遠からず。唯心の浄土とは此誓願寺を拝むなり。
☆☆☆☆☆☆☆☆


「誓願寺」
ワキ 一遍上人
シテ (前)里女・(後)和泉式部の霊

内容はほぼ「洛陽誓願寺縁起」の通り。

熊野本宮證誠殿に七日七夜参籠し、「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」の札を広めよという霊夢を見た一遍上人。

誓願寺に参籠して人々に札を配っていると、里女が尋ねます。

符に「六十萬人決定往生」とあるが、六十萬人以外の衆生は往生に洩れるの?と。


いますね、めんどくさい子。

一遍上人が答えます。符の文は、神託の四句の文の頭の字をとったもので、

字名號一遍法
界依正一遍體
行離念一遍證
中上々妙好華

南無阿弥陀仏とさえ唱えれば誰もが必ず往生できるよ、と説きます。



里女は感涙にむせびつつ、「誓願寺」の額を、上人が書いた六字の名號「南無阿彌陀仏」の額にしてくださいな。これは本尊阿弥陀如来の御告です、と言い残して和泉式部の石塔に姿を消しました。



一遍上人が『南無阿弥陀仏』の名号を書いて本堂に掲げたところ、阿弥陀如来と二十五菩薩と共に、歌舞の菩薩となった和泉式部が現れます。



誓願寺が天智天皇の勅願によって創建された縁起、阿弥陀如来が西方浄土より誓願寺に来迎した様子などをうたい、舞います。

最後に、菩薩聖衆一同は、本堂の六字の額に合掌礼拝し、おしまい。


記事中の和泉式部の石塔は、書写山円教寺の奥の院のものです。
書写山と和泉式部についてはこちら→→→
書写山と和泉式部と鵺

「誓願寺」と同じく和泉式部がシテの「東北」についてはこちら→→→
能楽「東北(とうぼく)」って?
こちらはあっさりとした曲です。


いつも応援ありがとうございます。なぜ「誓願寺」だったのかはわかりません。往生できるよう願ったのでしょうか。ちなみにこの能楽「誓願寺」は、仏教用語がわんさかと出てきて、謡本を見ていても難しいです。位も重くて、たーーーっぷりと能楽って芸術を堪能できます。よ。きっと。私、いいです。遠慮しまっす。
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信長の「敦盛」。幸若舞と能。軍師官兵衛第28話本能寺の変

こんにちは。
「軍師官兵衛」第28話『本能寺の変』

おおおー!謡わず舞わず、語ってくれました信長様!ぐっじょぶ!

はい、あれは皆様ご存じ、幸若舞「敦盛」の詞章です。

『思へばこの世は常の住み家にあらず
 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
 金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
 南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
 人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
 一度生をうけ、滅せぬもののあるべきか

 これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ』


【敦盛って?】
平清盛の弟、経盛の子。兄に琵琶の名手、経正。
敦盛は笛の名手。祖父平忠盛が鳥羽院より賜った笛『小枝(or青葉)』を譲り受け、一ノ谷合戦場まで持参して毎夜笛の音で皆を慰めました。


そして、熊谷次郎直実により一ノ谷で討死。まだ16才でした。



【幸若舞「敦盛」】
わずか16才で討死した敦盛が「人間五十年」と謡うわけはなく。
これは、敦盛を討った熊谷次郎直実の言葉なのです。

幸若舞「敦盛」はほとんど熊谷直実の視点から描かれています。
一度は敦盛を助けようとした直実も、味方の手前、無残にも若き首を落とさなければならず、世の無常を感じ、その後は出家して敦盛の菩提を弔います。

そんな熊谷直実が言った言葉が冒頭の詞章です。


「人間五十年 下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり
 一度生を得て 滅せぬもののあるべきか」


「人の世の50年の歳月は、下天(仏世界のひとつ化楽天)の一日。下天に比べると、夢幻のようにあまりにも儚いものだ。一度生を授かっても、この短い命、誰もがやがては消滅してしまうものだ」

若き命を奪ったその償い、いずれは自分も滅びてゆく人生のはかない摂理、そんな思いを含んだ一節。

信長とはまったく異なった見解ですねー。


ちょっとここで、幸若舞のご紹介を。


【幸若舞】
幸若舞の演じ方は能とはまったく異なり、大夫、シテ、ワキの三人の立ち方が一列に並び、後ろに鼓が一人のみ。
舞は歩き回る程度で、たまに足拍子を踏むだけ。
立ち方3人もきっちり役分担するのではなく、適当に詞章を分担。
装束は3人とも上下直垂に烏帽子を付け、帯刀。

語って聞かせることに重点が置かれて、舞はごく形式的なもので、この簡潔さが戦国武将に人気を得た要因かもしれません。

幸若舞は戦国武将に大変好まれ、彼らのたしなみであったといわれています。
いざ出陣する時に幸若舞を舞い軍の気勢を昂揚させたそうです。

徳川家康も幸若舞を能と同じく幕府の式楽として取り入れ、年賀拝賀の順位は能楽者よりも上席だったようです。

残念ながら、諸々の事情が重なり衰退。今では唯一九州の福岡県・大江に地元に人たちによって伝承されています。



【能楽「敦盛」】
信長の「人間五十年」が「敦盛」だよー、とかじって能「敦盛」を見ると、五十年どころか十代半ばで一ノ谷合戦においてご他界。
わっくわくしてたのに、えええー!?っと泣くのは、誰もが通る悲劇。

シテ・・(前)草刈男 (後)平敦盛
ワキ・・蓮生法師(出家した熊谷次郎直実)

源平の合戦で平敦盛を討ち取った後、世の無常を感じ、出家して蓮生法師となっていた熊谷次郎直実が、敦盛を弔うため合戦が行われた須磨の一の谷に赴くと、風雅な笛を吹く草刈男(実は敦盛の霊)が現れます。その夜弔いを行うと、蓮生の夢に平敦盛の霊が現れます。


敦盛は負けた側の武将ですから、こちらの負修羅扇を用います。


後シテの敦盛の霊が物語る合戦の有り様も見所ですが、「敦盛」の切なさは平家の盛衰を謡う詞章。

「クセ」という箇所。

「然るに平家。世を取って二十余年。
 まことに一昔の。過ぐるは夢の中なれや。」



「籠鳥の雲を恋ひ。帰雁列を乱るなる。
 空定めなき旅衣。日も重なりて年月の。
 立ち帰る春の頃この一ノ谷に籠りてしばしはここに須磨の浦。」



「シテ『後ろの山風吹き落ちて』

 野も冴え返る海際に。船の夜となく昼となき。
 千鳥の声も我が袖も。波に萎るる磯枕。
 海士の苫屋に共寝して。須磨人にのみ磯馴松の。
 立つるや夕煙 柴と云ふもの折り敷きて。」



「思ひを須磨の山里の。かかる所に住まひして。
 須磨人になり果つる一門の果てぞ悲しき。」


やがて合戦が始まり一門の武将が相次いで討死する中、敦盛は、沖へ逃げる平家一門の船に乗り遅れ、馬で追いかけます。


一ノ谷合戦の有り様を敦盛は舞います。「キリ」の部分です。

シテ『せん方波に駒を控へ。呆れ果てたる。有様なり。』




「シテ『かかりける處に。』
 後ろより。熊谷の次郎直実。のがさじと。追っかけたり敦盛も。
 馬引き返し。波の打物抜いて。
 二打三打(ふたうちみうち)は打つぞと見えしが馬の上にて。
 引っ組んで。波打ち際に。落ち重なって。」



「終いに(ついに)。討たれて失せし身の。
 因果は廻り逢ひたり敵はこれぞと討たんとするに。」



「仇をば恩にて。法事の念仏して弔はるれば。
 終には共に。生まるべき同じ蓮(はちす)の蓮生法師。
 敵にてはなかりけり跡弔ひて。賜び給へ跡弔ひて賜び給へ。」
 
仇の熊谷次郎直実を討とうと迫りますが、あ、そうだ、今は僕の為に念仏を唱えてくれてるんだった…と気づき、跡を弔って下さいなと言い残して姿を消します。

おしまい。

参考文献
謡詞章「観世流独吟集『敦盛クセ』『敦盛キリ』」檜書店刊
幸若舞詞章「wikipedia『幸若舞』」

いつも応援ありがとうございます。
長々と読んでいただきありがとうございました。ふぅー。疲れたのでお風呂入って寝ます。

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古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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