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天女の息子は誰だ?余呉湖羽衣伝説もうひとつ

こんばんは…昨夜は、こてん、っと沈没したお子ちゃまです。
さて、余呉湖天女の羽衣伝説の第二段。

「近江国風土記」の羽衣伝説では、まんまと(こら)天女と子供をなした伊香刀美ですが、羽衣を取り返した天女は一目散に天へご帰宅。

最後には「伊香刀美、独り空床(からのとこ)を守り、嘆詠すること断まざりき。」な結末になりました。


和歌は皆様ご存じの小倉百人一首ですが。


余呉湖のある伊香地域には、もうひとつの羽衣伝説があります。
これは昔話として伝承されてきたお話です。


ある日、余呉湖湖辺の村、川並の桐畠太夫が漁をしていると、どこからともなくいい香りがしてきました。



香りに惹かれて歩いていると、一本の柳に色鮮やかな薄物がかかっています。


振り返れば美しい天女が。



天女は「私は天に住む者。余呉の美景に憧れて年に一度、水浴びしてます。羽衣がないと帰れないの。返してくださいっ。」と、懇願します。
しかし、桐畠太夫は羽衣を隠して返しません。


争った果てに、天女は諦めて桐畠太夫の妻となります。


天女は毎日天上界の事を思い泣き暮らします。やがて、一人の男の子を産みました。(あら不思議)

ある日、「おまえの母は天女様 お星の国の天女様 おまえの母の羽衣は 千束千把の藁の下」と子守が歌うのを聞いてしまいます。



天女、裏庭の藁の下を探します。


もしもし、そこは茶畑ですが。


ありました!世紀の大発見です!羽衣、ありました!


ごもっとも。

天女は天へご帰宅あそばしました。
残された男の子は母親が恋しくて泣き続けます。

その声、法華経の如し。



それ故、余呉三山のひとつ、菅山寺の僧・尊元阿闍梨職がその子を引き取ります。

後に菅山寺に参詣した菅原是善卿が、その子に惚れ込み養子として引き取り育てました。

その子こそ、かの菅原道真でした。



これが、道真誕生伝説として『日本地誌大系』に記載のあるお話です。

成長した道真は勅使として再び川並の土地に来て、生い立ちを語ります。それにより、余呉の川並に道真の像を祀りました。それが史跡として残る北野神社なのです。
(もとは余呉町字川並砂新田にありましたが、現在は移転し稲荷神社を合祀されて長浜市余呉町川並にあります。)



【天女まめまめ知識】

天女が現れるときには、前触れがあります。
まず、虚空に音楽が聞こえてきます。それを奏でるのは迦陵頻伽。

音楽に続いていい香りがして、お花が飛び交う中、天女が現れます。

★能楽「吉野天人」の一節★
迦陵頻伽の音楽だけ残して立ち去った少女(おとめ)を待つ僧(ワキ)が謡います。

『不思議や虚空に音楽聞こえ。異香薫じて花降れり』

はい。空想してください。そこへ、シテの吉野天人が登場。


★能楽「羽衣」の一節★
白龍という漁夫が羽衣発見の場面。白龍(ワキ)が謡います。

『我三保の松原に上り。浦の景色を眺むる処に。虚空に花降り音楽聞こえ。霊香四方に薫ず。これ常事と思はぬ處に。これなる松に美しき衣掛かれり。寄りて見れば色香妙にして常の衣にあらず』

おおおー!見つけちゃったー!大変だー!

です。




いつも応援いただきありがとうございます。「近江国風土記」よりも人間くさい天女が母とは、菅原道真、恐るべし!ここは素直に驚いておくのが大人ってもんです。はははー。
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近江国風土記の子沢山な羽衣伝説・余呉湖


早朝の余呉湖。別名・鏡湖。


羽衣伝説あります。

全国に伝わる天人の羽衣伝説。有名なのは三保の松原。

皆様よくご存じ。


さて今日は「近江国風土記」の羽衣伝説をご紹介します。
各地の羽衣伝説の中で最古のものです。

【風土記とは】
元明天皇の詔により各地で編纂させた地誌。官令発布は713年。
初めて国内を統一した朝廷が統治するために諸国事情を把握する必要があった。

【近江国風土記】
逸文(原本が失われた)のため、内容は「帝王編年記」等の二次資料による。「古老伝に曰く」で始まるのが特徴。


【近江国風土記の羽衣伝説】
「古老伝に曰く、近江国伊香郡与胡郷の伊香小江(いかごのおえ)は、郷の南にあり。天の八女(やおとめ)、ともに白鳥となり、天より降りて、江の南の津で浴す。」


(アヒルさんですが、おかまいなく。)


「伊香刀美(いかとみ)西山に有りて、遥かに白鳥を見る。その形奇異なるによりて、もしやこれは神人かと疑いて、住き是を見るに、実に神人なり。是に於いて、伊香刀美即ちに感愛を生じ、環去するを得ず。」



「窃(ひそか)に白犬をやり、天衣を盗み取り、弟(いうと)の衣を隠し得たり。」


(広峰神社の小次郎くんですが、おかまいなく。)


「天女これを知り、その兄(あね)七人、飛びて天上に去る。」



「その弟一人飛び去るを得ず。天路永く塞がり、即ち地民となる。天女の浴(ゆあみ)せし浦を、今神浦という。」



「伊香刀美、天女の弟女と、ともに室家をつくり、此れに居て、遂に男女を生む。男二人、女二人にして、兄の名を恵美志留(オミシル)、弟の名を那志等美(ナシトミ)、女の名を伊是理比咩(イセリヒメ)、次女の名を奈是理比咩(ナセリヒメ)という。これ此の伊香連等の先祖なり。」



「後に母、天の羽衣を捜し取り、着て天に昇る。」



「伊香刀美、独り空床(からのとこ)を守り、嘆詠すること断まざりき。」



おしまい。


余呉湖一帯の伊香地域を開発し治めた伊香氏。自身の祖を神話(母方は天女)にあるとしたのは、他との差別化をはかるためとか。
近江国においては伊香氏のみの格付けです。


伊香具神社。祭神は、伊香津臣命。伊香刀美と同一とされます。


また、余呉湖の羽衣伝説では、天女の羽衣は松ではなく、柳にかけられます。


柳の枝に衣がかけられるんかいなー?っと思ってたら、これ。
マルバヤナギ、もしくはアカメヤナギという柳の一種です。




(参考文献は「日本古典文学体系『風土記』」岩波書店刊)


いつも応援いただきありがとうございます。意地でも羽衣を探しだした天女さんの根性が素敵なお話でした。
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賤ヶ岳の戦いと羽衣伝説の余呉湖でのんびり


琵琶湖にいたクサガメくんです。こんばんは。

さて。琵琶湖の北東角っこにある余呉湖。

琵琶湖との間にあるのが、賤ヶ岳。


ええとこです。

ここらといえば、「賤ヶ岳の戦い」ですね。

余呉湖案内板が賤ヶ岳の戦いの配置図になってます。(拡大)

この辺りを中心とした広範囲の丘陵に各武将が陣をすえました。
秀吉が本陣を移した場所は「猿ヶ馬場」…うわー。

岩崎山に高山右近、大岩山に中川清秀。
特に中川清秀は、この戦いで討死。お墓が大岩山にあります。


賤ヶ岳の戦い、といってもお山で「ふぁいっ!」っとしたわけはなく。

余呉湖を背にした風景。

さて。もともとの柴田勝家さんちは東名高速名古屋インター近く、名東郵便局辺りだよ、っというぷちぷちネタを最後に賤ヶ岳の戦い話は終わり。

余呉湖。

あー、こっちのが右近陣地かしら?と、思いながら。


風が左右から吹いている不思議な像。これは…


全国各地に伝わる羽衣伝説。有名なのは三保の松原。(画像は淡路島に加工…)

この天人の羽衣伝説の最古のものが1200年以上前に『近江国風土記』に記されたお話なのです。

次回からこの羽衣伝説についてご紹介します。


いつも応援いただきありがとうございます。余呉湖は鏡湖とも呼ばれた静かなところ。冬はワカサギ釣りで賑わいます。寒いってことですね…。
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