福知山藩主の能舞台は創意工夫。福知山市一宮神社

こんにちは。


福知山市の一宮(いっきゅう)神社。


丹波・丹後の国境の守護神として崇敬され、天正年間、福智山城が築城されると、城中・城下の鎮守神として崇敬を集め、城主によって社殿の修復がなされ、宝物、神饌田等の奉献もありました。(境内説明板より)


まぁー、大きなおくち。


うふふ、かわいい♪

ここの目的はこちら。


境内の能舞台。

うふふふ。



安政4年(1857)、城南の小丘(現在の東岡町)にあった朝暉神社境内に藩の普請方によって建立された舞台。

明治7年(1874)に一宮神社に払い下げられ、翌年に現在地へ移築。


シテやワキが登場する道、「橋掛り」。


「土蜘蛛」では、土蜘蛛と独武者の攻防がここでも繰り広げられます。


橋掛りの奥には「鏡の間」があり、シテは自分の姿を鏡に映して集中。

通常は鏡の間と橋掛りの間は、五色の幕。

シテの「おまく(幕)」の声により、後見及び幕の担当が幕を上げます。

「おまくっ」と短く言われたら、ぱっと上げて
「おまぁく」とゆっくり言われたら、ゆっくり静かに。
幕の上がる速さで何が現れるのか、シテの位がわかります。



面白いのは、屋根の形。

上が水平。橋掛り部分の屋根の勾配により、遠近感が増すように工夫がされています。


舞台から見た橋掛り。


能の面は、視界が極端に遮られています。

いわゆる「摺り足」なのは、足の裏の感覚で舞台と橋掛り等との境目を感じとるためと言われます。

この「摺り足」ですが。

完全に着地させてずりずりしているのではなく、体重は動いてない方の足にかけており、浮かした足と板の間には、紙一枚が入る程度の隙間はあります。
でないと、長袴の時に動くことは出来ません。

それでも板目の境は、囃子方の頭と雰囲気と併せてはっきりわかります。

なので、


この木目の継ぎ目、大事です。


舞壺は、一枚板が同じ方向に。

ここへ入ればあとは柱の位置でわかります。


天井も、丁寧に作られています。


切戸は地謡や後見が出入りする場所。

油断すると頭をごっちんこ。


しかし、この舞台には地謡が座る場所がありません。


通常の能舞台。赤い装束の人の後ろに地謡がいます。


種明かしは、これ。


平時はコンパクト。


立派な舞台でした。


能舞台は飾り物ではなく、使われてこそ生きるもの。

あちこちの神社に残る能舞台でも演能されていればいいのですが、多額の費用がかかることもあり、なかなか難しいようです。

しょぼん。


いつも応援いただきありがとうございます。能楽は武家の式楽であったので、福知山藩の普請方がこの舞台を造った事は、藩主の意向によるものでしょうね。とてもしっかりとした構造の舞台だと思います。往時はこの舞台で様々な演能があったのだろうな~としんみり。神様へのご挨拶も早々に、お社そっちのけで舞台をながめ、這いつくばって舞台下を覗き込んで、ぐふふふふっ。でも、でも、自分では不審者ではないつもり~(T_T)。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

元伊勢外宮・豊受神社参道沿いの二宮神社。狛アシカ?

こんにちは。

狛犬さんに会いたい気分ですので、こまちゃん記事です。


公園の傍らに神社。

もしくは、神社の境内に公園。ブランコひとつ。

どことなく、のすたるじぃ~。

二宮神社です。


こんにちはー。

ここは福知山市内から大江山へ向かう途中。


二宮神社前は、こうなっていて。


元伊勢外宮・豊受神社の参道沿いになるのかな。


豊受神社から見ると、ここ。


豊受神社は、まさに「清々しい」お社でしたの。

でも、狛犬さん不在。とっても寂しかったので、ふらふらとこちらのお社へ参りました。


気温36度だにょー。


何するぅ?うふふー。


図工と自由研究を残して完璧です。

あー、かわいい。よーしよしよしよし。


ちびちゃんず?


おや。


ちっちゃー。

まあ、なんてかわいい、こま・・・


こまアシカ?


こまアザラシ?


こまちびちゃん。


あらやだ。空っぽ。


怪しい。後ろに隠したものは何。


男の子かしら。


誰だ、絶妙なところに置いたのは。


すみませんすみません。


小振りですが、なんとなく爽やかなお社。


まっさらな榊。地元の方に大切にされています。


じいー。


はい、ちょっとごめんあそばせ。


こぶこぶの木。


ほんとにねぇ。



いつも応援いただきありがとうございます。なぜか猛暑におでかけしてしまう悪い癖。暑い中も神様を護る狛犬さんは、ほんとにいじらしいですねぇ。かわいい狛犬さん達に会えて幸せでした。昨夜は結構な雨が降ったので、これで少しは空気が変わるといいのですが。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

命を生み出す「産屋」の残る大原神社。京都府福知山市。

こんばんは。



大原神社。

ここは、古くより安産・万物生産の神として各地からの参詣者が絶えず、大原神社に参詣する事を指す「大原志(おはらざし)」は、古季語になっています。


今も安産祈願の参詣者が絶えません。

社記には、公家清水谷家、北大路家、日野大納言家、宇和島藩主伊達家等の安産祈願の記録が残っています。(現地案内板より)

安産祈願の授与品として神社から頂く「子守砂(こやすのすな)」を枕の下に置いて寝ると安産する、と伝わっています。無事出産したら御礼参りで返納。

この「子守砂」とは何ぞや?


それがここ大原神社周囲に昭和まで続いていた「産屋(うぶや)」という風習のお話に繋がります。

産屋。お産をする場所。
古事記・日本書紀にも記された古くからの習俗です。


大原神社周囲には小さな集落があり、産屋はこの集落の方々の大切な場所でした。


昔はお産の度に建て替えられたため、屋根は藁葺きの簡単なものでしたが、今は茅葺きになっています。



切妻屋根が直接地面に接するこの造りを「天地根元造」といいます。
古事記に「戸無き八尋殿」と記された日本固有の一番原始的な家屋として想定されている建築様式です。

「天地根元造」を模倣したこの産屋の出入口は大原神社に向いており、神様が見守る中で安心して産めますように、という願いが込められています。


出産の折には「12把の藁(うるう年は13)」を持ち込みそれを敷物とし、出入口に魔除けの古鎌を吊るし、七日七夜籠って出産します。

大正年間までこの習俗は続き、産後三日三夜(一夜に短縮化されるも)をここで休息する習俗は昭和23年まで続きました。


産屋内部。

当時は座産なので、天井から力綱が下がってます。

産後のものは埋場の下に。大原神社のお使いの狼が処理するのでいつのまにかなくなるのだとか。

そして、御幣が立っているのが「子安砂」。

大原神社の説明書はこう言います。
「産屋を神、先祖との連続した魂の再生の場、聖なる時空の場として内部の砂は『子安砂』として安産の信仰対象になっている」



産後もすぐに働かなくてはならなかった時代において、唯一の休息の場所であったこの産屋は、もはや使用しなくなった今もこの地区の方々により大切に守られています。



お母さん、産んでくれてありがとう。


皆様の応援がありがたいです。今回は真面目にお伝えしました。
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ありがとうございます。


神秘の蛇のヒゲがある大原神社は彫刻ぶらぼー。京都府福知山市。

こんばんは。つねまるです。


大原神社。




拝殿正面の彫刻群。ごっちゃり。


ぱおーん。



さてこの大原神社に伝わる昔話。

むかしむかし、この地方を荒らしていた化け物さんを、石粉主利助が退治しました。その時に姿を現し逃げ出した竜は、なんとヒゲを落としていきましたとさ。


いもむしではござらん。


大原神社には伝説を記した巻物と共にこの「蛇のヒゲ」が残されているとのこと。(竜ではなく蛇、らしい)


竜の丸彫り。


なんでこんなにここの竜のおひげは目立つんかなーと思ったら、おひげ伝説が残されていたんですね。



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絵馬が豊かな大原神社。京都府福知山市。

こんにちは。


京都府福知山市の大原神社。





【祭神】
伊邪那美命(いざなみのみこと)
天照大日霎命(あまてらすおおひるめのみこと)
月読命(つきよみのみこと)

【由緒】
852年(仁寿2年3月23日)文徳天皇の御世、北桑田郡野々村樫原(現、南丹市)より遷座。
国司大原雅楽頭が社殿を造営、同年9月28日遷宮。

大原神社といえば、

国道を走っているとこの絵馬殿がずっしりと見えます。

絵馬いろいろ。

「隠れし神を出さんとて。八百万の神遊び。これぞ神楽の始めなる」(三輪)






これは幕末の丹波の四季折々の耕作の様子を描いています。


いろんな人の集会


敦盛だ敦盛だー

「後ろより熊谷次郎直実。逃さじと追っかけたり。敦盛も馬引き返し」(敦盛)

少年を呼び止めるおじさん、の、図。

信長の、「人間五十年。化天のうちを比ぶれば。夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか」は、幸若舞様の文言です。


静かな静かな大原神社。

しかし。

丹波でのお約束。

1573年 明智光秀が領主になる際、戦禍で焼失。

1655~1658年 復活

九鬼氏が綾部に領主に封じられて以降は九鬼氏累代の庇護を受け、現在の社殿は1796年の再建。






22時20分追記。先生と飲んだくれた。


なんということでしょう…これをいただいちまったぜい。

森伊蔵。うひょー!




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