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田辺藩主のお好みwater。宮谷神社の吐月水。

こんにちは。


東舞鶴湾の向かい側は、大浦半島。見えるのは多禰山。


ここは、引き揚げ船が入港したところ。

この橋の「クレイン」とは「鶴」という意味らしく。
大浦半島の博奕岬に石炭火力発電所を作るため、関西電力が工事用道路の一環として作ったとか。

あほー。電気代、安くしろぉー!(←切実)


ぷりっけつ狛犬さんのお社へ行く途中の


いや、落とし物よりもっと手前の


佐波賀に鎮座する宮谷神社。


海には、蛇島・烏島。

蛇島には城跡があり、城主は下志万七郎左衛門(『田辺旧記』)。

下志万氏は、京都府の舞鶴湾を拠点に活躍した水軍。
当時の水軍は舞鶴湾沿いに根城を持っていました。

「蛇島城主光孝天皇二十九代末孫下志万七郎右衛門助景丹波国何鹿郡志万庄より当国に来る時代不知」(『丹後国加佐郡寺社町在旧起』)(wikipediaより)。後に没落。



1570/永禄13年4月29日。
信長は越前朝倉義景の討伐の兵を起こしますが、それに先駆け、丹後守護の一色義員は丹後水軍数十艘を率いて越前金ヶ崎を攻めます。
しかし、この時信長勢は後詰めの羽柴秀吉に護らせて敗退。

続いて、天正3年8月。一色義員の加佐水軍が田辺を出帆し、10月下旬、間和泉守・筑前守頼照・松浦法橋ら越前一揆勢を攻めます。

この加佐水軍の中に、矢野藤一郎光長(田辺城代)、大島但馬守長光(田中高屋城主)等と並んで、櫻井豊前守左吉郎(佐波賀城主)の名前が見られます。
この功績により、義員は信長より改めて丹後を与えられました。


山城があったらいいな、と思いつつ。

宮谷神社は、佐波賀氏の氏神だったようなのですが、詳細不明。
とりあえず、舞鶴湾には水軍がいて、そこそこ活躍した、と。

ご勘弁。


「田辺藩名水吐月水」です。

田辺城城主の牧野英成(ひでしげ)が茶堂を建てて船で通った程に惚れ込んだ名水とか。
歴代の田辺藩主にも名水として好まれ、この名水に「吐月」と命名。


今も湧水があります。


茶を煎れた程なので真水だとは思うんですが、時節柄、えんりょ。


落とすわけにはいかないですもの。


こじんまりとしたお社です。


ここの狛犬ズも、正面を向いてます。


やめといたー。


ちび狛ちゃん、ラブ♪


かーちゃん、待って待って。


ごめん。


力石にしては小さいの。


冬は雪国。


丹波・丹後地域に散見する扇形の拝み石。


本殿が味わい深くて、お気に入り。


このようなお社を見ると、神社ってでかけりゃいいってもんじゃないなーと思うんですが。


かわいい龍でも、なんか好き。


ウフフフフ。


地域の人に大切にされているのは、とても素敵なコトナノダ。


「?」王権現、と書かれた扁額を見つけてしまったー。

いやーん。何かしらー?

蔵王権現?



・・・見なかったことに。



いつも応援いただきありがとうございます。海が目の前なのに淡水が湧くので、珍しいぞっと思ったのかな。確かに見た目はきれいなお水でした。田辺城といえば、細川幽斎様の籠城ですが、江戸時代は牧野氏が藩主。地道にこつこつ。楽しみが船で対岸に渡って、「ちゃーしばこかぁー(お茶にしましょ。※大阪でも誰も言いません)」とは、なんて慎ましい。
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狛犬7組集合。舞鶴市の朝代神社でうはうはー。

こんにちは。


舞鶴市の朝代神社。

ここはなんと狛犬7組。うはーうはー。


1組目。正面を向いた狛さん。


2組目の阿呆、じゃなかった、阿ちゃん。


2組目の吽ちゃん。


おつむがとってもかわいい。むにゅっと。


赤い両部鳥居を抜けると


あらやだ。汗で壁が崩れて、素っぴんでございますわ。


左折して、参道。

突き当たりが、


お隣、です。


右の石段が朝代神社の本殿への道。


ここはまず、本殿へお詣りを。


3組目は舞鶴市内最古という狛さん。崩れて気の毒。


拝殿前にも、お待ちかね♪


4組目の「がぉ」と、5組目の「ん~ん♪」狛さん。
奥の5組目の子は、正面を向いた上に阿吽が逆。


4組目の子連れちゃんと、5組目の「枝がいやぁ~」な狛さん。


本殿と拝殿の間にはー、


6組目。おまわりさーん!変な子、いまーす!


ものすごく嬉しそうに覗き見してます。

奥の赤い子が、7組目の神殿狛犬。
・・・撮り忘れましてんっ( ノД`)…アツクテネ~


6組目。叫ぶ狛さん。


おっきな口を開けて吠えてます。そして後ろが神殿狛犬。


この子達、絶対にかわいいっ(≧∇≦)

お顔が見たいなー。ぜーーったいに、かわいいのになー。

さて。先程のお隣は、というと。


真っ赤っか。


うーむ。ここは何だろう?


困った。


お手上げでーす。

なぜなら、ここをさらに進むと、


円隆寺に入ってしまうのです。


(クリックで拡大)※北は右

地図を見ると、東に細川幽斎が籠城した田辺城跡があります。

この円隆寺。一見、朝代神社の神宮寺のようですが、取り敢えずそうではない事だけお伝えしまして。

詳しいお話はまた後日。



いつも応援いただきありがとうございます。神殿狛犬さんは後で撮ろうと思ってたのに、すっかり忘れてました。でも、7組も色々な狛犬さんに会えたので、ほくほくです。やっぱり狛犬ちゃん巡りは楽しいですねー♪暑くても、へ、へ、平気だわっ。
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舞鶴市の朝代神社。不審犬発見。おまわりさーん。

こんにちは。


ここは、東舞鶴。


西舞鶴の愛宕山山麓に鎮座する朝代神社。


凛々しい狛犬さんに迎えてもらい、ほくほく。


ええ、ほんとに暑いです。こんにちは。


知らん。


二人の間を隔てる障害物です。


何かの除幕式のようで。


この狛犬さん達、とても細かい細工なのです。


手元のボール、透かし彫りで。


参道を進むと、舞鶴市内最古という狛犬さんがお出迎え。


あらやだ、狛犬ちゃんがいっぱい♪っと小躍りしながら


まぁ、素敵な装飾の本殿ねーっと拝見していたら。


怪しい犬影発見。

もし?


おまわりさーん!


変なわんこがいまーす!


不審犬です。

真剣に覗き見してます。まぁ、たいへんっ。


すみません。すみません。



いつも応援いただきありがとうございます。真正面に設置された仮設テントが邪魔で邪魔で。んもぉー。鳥居の横の狛犬さん達、テントと比べていただくと判るように、台座だけで私の背をはるかに超えてまして。ということは、お日様に向かって顔を上げないと挨拶出来ない高さに狛犬さんは、お座り。くらーっとしました。
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賢い狛犬と新日本海フェリーin舞鶴

こんにちは。


外地からの引き揚げ船が入港した舞鶴港。

さて。昨夜は贅沢して舞鶴でお泊まり。


新日本海フェリーの乗り場が見えるお宿にしました。えへえへ。

舞鶴に21時15分に入港して、0時30分には出航する新日本海フェリーは、約20時間で舞鶴と小樽を往復してます。

出航を見たかったけれど、撃沈。


早朝。カーテン開けたらまだおった。あれ?

たまたま運休だったようです。らっきー♪
夜に乗船して夜に下船するので、昼間の姿は見たことがないんです。


新日本海フェリーは、舞鶴⇔小樽と、敦賀⇔苫小牧、がありまして。

敦賀便は数年前に出来た新造船で、なんと露天風呂まであるんですよー。うはうはー。


日本海を北上するけれど、お船が大きいので快適です。


今朝は既に36度からのスタートでした。ぐへぇ。

今日のお目当ては、この子。


拝殿の屋根工事中だったので、背景は残念ですが。


テストが出来るだけのオツムではなく、ほんとに賢い子の顔をしてませんか?


鼻血が流出しそうです。

ぐあぁー、それにしても舞鶴は暑かったです。
夏の日本海側の酷暑、忘れてました。


お社の木鼻の狛さんも、こんなんなってました。


関西も、梅雨明けしまして。


今年はいつ夏休みをとろうかなー。


この二人の妖艶なおしり。

実は、灼熱の中の参拝で。頭で目玉焼きが出来そうな暑さでー。


どこぞのお寺の木鼻の龍も、カメレオンに変身するほど。




相方狛犬ちゃん。ちびってる。絶対。


す、すみません。ほんと、すみません。


いつも応援いただきありがとうございます。いやぁ、暑かったです。ご心配戴きました熊野旅行なう!の名古屋の親友ちゃんは、私が三日かけて廻るところを頑張って一日で探検してました。阿弥陀寺の帰り道で、車酔いしながら眠くなったそうで。ダル?ねぇ、ダルに取りつかれた?と。いやそれは、年をとって疲れやすくなったんだよ、とは中々言えません。ふふふ。
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ぷりっけつ狛犬ちゃんラブ。舞鶴市でうっとり

こんにちは。



おうちで腐ってるのも何なので。ちょいとドライブ。


舞鶴の小さなお社なのですが。


やっぱ、これでしょー。


えー?


ええー!?


少しだけ隠してあげました。


はいはい。


千里眼の持ち主ぽいこの子は~


ぷりっとな。


操だなんだと言っているこの子は~


かわいいっ。


たまりません。


ここの狛犬ちゃんとこの子はセットで。

※狛犬ちゃんの落とし物ではござらん。


明日の海の日、ささやかながらお祭りなんです、と地元の方からお伺いしました。屋台が出るんですってー。

実は。


本殿が開いていてびっくりしましたの。おほほ。



いつも応援いただきありがとうございます。おうちでぷすぷすしていたら、ストレスがたまる一方。ちょいとドライブして、舞鶴のぷりっけつちゃんに会いに来ました♪あああ、やっぱりこの子達、かわい過ぎるのです。二頭身、笑顔、ぷりっけつ、最高です。
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能舞台を見に生身天満宮へ

こんにちは。


南丹市園部町の生身天満宮。

なまみ、じゃなくて、「いきみ」天満宮。
道真の存命中に生祠として祭祀したことから、生身天満宮、と。


境内に残る能舞台。


能舞台は三間四方が基本なのです。


神楽殿などと混同される中、鏡松まで描かれているのが嬉しい。


三間四方の舞壺に加え、橋掛かりもあるなんて。嬉し涙が那智の滝。


橋掛かりの元に、楽屋と思える建物。

舞台に出るシテ(主役)が己の姿を鏡に映して精神統一する控えの間の「鏡の間」もありそう。


うおーう。


ばかでっかい狛犬さんに爆笑。


出来たらどいていただければー。


雷といえば立花道雪様。

おうちでしなくちゃいけないことが山積みなのに、昼過ぎにどどどーっとおでかけしてしまったのでした。


いつも応援いただきありがとうございます。あまりの晴天に、お布団を干したままおでかけ。目的地をクリアしたら即座に帰宅。下道をとことこと走ったので渋滞知らずのGW真っ只中なドライブなのでしたー。
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株荒神。株ってなんなの?おいしいの?

こんにちは。


どこかの神社にあった干支の絵馬。今年って戌年だったのか。

え。

さて。八坂神社の前の道をそのまま走ってみたら。


いいかほりがしたので立ち寄ってみました。


てるてるぼーず~てるてるぼーずぅ~♪(違)


社名不明。


とてもきれいに清められた境内です。


手がかりは、これだけ。

お社の前の道を進むと施福寺があります。
そこの鎮守社なのかしら。


ここまで無事に来ることができました。ありがとございます。


よろしく。


ぽー。


境内を外れたところにあった石碑。

「塩尻株荒神守護之碑」と刻まれています。


株。


これじゃない。

村内の本家・分家の同族集団を、「株(カブ)」「株内(カブチ)」と
丹波一円から丹後加佐郡辺りでは呼称します。

正確には、「株」は初期本百姓(名寄帳に記された百姓)の権利諸役を示し、「株内」は中・後期の集団的な権利や関係を示します。

株は本家・分家の関係から成り立ちます。
分家は血縁分家に限らず奉公人・従属農なども含んだ「擬血縁関係」によって構成される同族集団。

「マキ」と呼ぶ地方も多いです。

村内の全戸がいずれかの株に属しており、株は各々「株山・株田」という共有の山・田を持っていました。
また、株親の近くの種池(たないけ)に株内の者が種籾をつけ、株親の家の大田に株内一同が集まって田植えを行う風習がありました。


近世後期には株ごとに「株講」「先祖講」等の共同祭祀を行い、相互扶助(土地売買・借米・借銀・村内出入・農事・家作・婚葬)を中心とする集団となります。


株の共同祭祀としては、共通の荒神さんの小祠や、ソーバカ(詣り墓)を有し、定期的に寄り合いをして「株講」「先祖講」を営んでいます。
講は荒神の掛軸を順番に送ってそれを祀り、会食を行ったといいます。


「塩尻株荒神守護之碑」

これは、その株名と荒神さんを記した石碑。


近道でござるわ。


どこだー。


多分この辺かな、の場所です。




参考文献
『綾部市史』(綾部市史編纂委員会編・綾部市役所)

いつも応援いただきありがとうございます。お社の名前すらわからなくてすみません。株荒神の石碑にパラッパ~っと小躍りしたのでお許しを。この辺りから離合困難な道幅になったので、Uターン。目的地へは遠回りになるけれど広い道を走りました。「大型車通行不可」の標識が出たら、回避が一番。
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火事が続出。さあ皆で秋葉神社の万年講。八坂神社

こんにちは。もんもん。


京都府綾部市上杉町の八坂神社。


ぺったんぺったんぺったんぺったんぺったんぺったん。


これが何なのかは宿題に。


磐かしら。


「お鼻をポチしたら、狛犬さんが質問に答えます」

そんな狛犬さんに私は会いたい。


発生練習に励む阿ちゃん。大型犬です。


ねぇ、見えないの。あなた、私よりでっかいんだから。


摂社・秋葉神社。

関西では愛宕さんの方が多いので、珍しいなーと思って。

祭神は火之迦具土大神。


熊野の産田神社で生まれたカグツチ様です。


ここ、秋葉神社では「正一位秋葉神社の万年講」が行われます。

「明治20年代にここ上杉町等で火災が続出。

住民の間に不安が広まり、東八田・西八田地区や舞鶴などの30余ヶ村が『丹波丹後秋葉神社万年講』を結成。

遠州(静岡県)の秋葉神社の分霊を受け、明治25年に第1回の大祭を催行したのが始まりとされています。

当日は『火伏せの儀』などを営み、火災除けなどを祈願します。」(綾部市観光ガイド・現地説明板より)

※祭礼の様子は「綾部の文化財日誌」様のレポート記事があります。
こちらをご覧下さい。
→→→遠州から来た秋葉神社を祭る「丹波丹後秋葉神社万年講」

大雪の中の火伏せ神事、寒そうです。



1252(建長4)年。
藤原北家勧修寺流藤原重房が第6代将軍の宗尊親王に従い鎌倉へ下向した功により所領を得たのが、ここ「丹波国何鹿郡上杉荘」。


「上杉重房」を称す鎌倉御家人となり、上杉氏が誕生。


そんな上杉町に鎮座する八坂神社。


大型犬の狛犬さんがお待ちしてます。


八坂神社
《住所》京都府綾部市上杉町小島迫1



参考文献
『綾部市史』(綾部市史編纂委員会編・綾部市役所)

いつも応援いただきありがとうございます。上杉町の八坂神社は今回で最終回。実はお社からすぐの所に上杉弾正屋敷跡がありますの。狛犬さんに夢中ですっかり忘れておりました。へへへ。上杉荘は現在の上杉町と安国寺町付近。上杉氏や足利氏関連の史跡が点在する面白いところです。
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情報求む。なぜ杵が本殿を飾るの?綾部市の八坂神社

こんにちは。


京都府綾部市上杉町に鎮座する八坂神社。


いつもの挨拶。吽ちゃんをフォローする阿ちゃん。

お社のお役に立つほどのお賽銭ではありませんがよろしくて?


黙って怒るのは、一番ずるいぞ。


ほーんでーんでんでん♪と歌ってごまかす。


彫刻がいっぱい。


双眼鏡(船乗りさんかよ)は車に常備です。


すごいなー。面白いなー。


この龍、ペロペロキャンディーみたいに棒の先に付いてます。


そうよ、キャンディーじゃないよ。ペロペロキャンディーだよ。


反対側も彫刻が豊かです。


雲がもくもく。

そして。


この杵のようなもの。これがわかりません。

すみません。

どーーーーーっしても、わかりませんっ。

綾部市上野町の若宮神社には大サケ退治の伝説をもつ「杵ノ宮」があります。
昔、この神社の近くにあった池の大鮭が人々を苦しめていたので魚の行商人が杵で打ってサケを退治し、その杵を祀ったことから「杵ノ宮」ができたとか。

しかし、前回記事のように八坂神社の由緒と伝承では鮭は出てこないから、杵、使わないし。

祭神は、素戔鳴尊・大己貴尊・少彦名命・受持之神。

可能性があるのは、祭神の受持之神。
保食神なので、稲に係わりがある。

また、八坂神社はかつて「飯宮(はんのみや)大明神」と称していました。

これかしら?・・・メシ、かしら?

しかし、私の推測なので論拠がありません。困った。



うああああ。夢にも出てきそうだー。

わざわざここに差す事が出来るように木が組まれているのかなー。


おもちゃ箱に慌てて突っ込んだ感じなのだわ。これが尚更不思議だわ。

・・・えーん。これ、なぁにー?


ほんとは知らないでしょ。そうでしょ。



八坂神社
《住所》京都府綾部市上杉町小島迫1



参考文献
『綾部市史』(綾部市史編纂委員会編・綾部市役所)

いつも応援いただきありがとうございます。この杵にしか見えないものを見つけた時には、筍や茗荷のように神社の由緒や祭礼に係わりのあるものなのだろうと気楽に考えていました。しかし、社伝にも見当たらず。これは、ご祭神から判断するしかないのかな。あー、もやもやするぅー(ノ_<。)
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四道将軍丹波道主命の玖賀耳討伐。毒を治癒の八坂神社

こんにちは。


京都府綾部市の八坂神社。昔は飯宮(はんのみや)大明神と称したお社。

「『永久五酉稔(1117年)三月総社麻多波牟宮神』の銘のある神鏡が伝わっていたので、平安時代には八田郷の総社であったと思われる」(『綾部市史』)。

【祭神】
素戔鳴尊・大己貴尊・少彦名命・受持之神



社伝によると

崇神天皇の十年秋、丹波国青葉山に「玖賀耳」という強賊がいて良民を苦しめるので、勅命を受けた日子坐王・丹波道主命が軍を率いて丹波へ入ります。


開化天皇の子、日子坐王。日子坐王の子が丹波道主命。親子で遠征。


ところが、丹波国麻多之東において毒蛇にかまれ進むことができなくなってしまいます。

ぴーんち!

そこへ、天より声が。


素戔鳴尊ほか三神を祀ったところ験があって病が治り、首尾よく賊を平げることが出来ました。


そして、帰途、この地に素戔鳴尊と諸神を祀ったのが八坂神社に伝わる由緒なのでした。

この社伝は『丹後風土記』の記事と符合するお話。



丹波の地域が大和政権にいかに服属するようになったのかは、記紀に記事があります。


【『古事記』】

「日子坐の王をば 旦波(たにはの)国に遣して 玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)を殺さしめたまひき」(崇神天皇の条)


【『日本書紀』】

「大彦命を以て北陸に遣し 武渟川別(たけぬなかわわけ)を東海に遣し 吉備津彦を西海に遣し 丹波道主命を丹波に遺したまふ 因りて詔して日く 若し教(のり)を受けざる者あらば 乃ち兵を挙げて伐て」(崇神天皇十年九月)

いわゆる「四道将軍」の派遣記事です。

記紀で丹波へ遣わされた人名が異なりますが、日子坐王と丹波道主命は親子。父子並んで丹波方面の征服にあたったものと考えられています。


新しい狛犬さん。

玖賀耳之御笠がどんな人物でどこに居たのか。

『日本書紀』の仁徳天皇の条に「桑田の玖賀媛」の説話があることから、桑田郡に住んでいた説。

他に、『丹後風土記残欠本』によれば

「古老伝曰 当リ于御間城入彦五十瓊殖天皇(祟神天皇)之御代当国青葉山中 有リ土蜘(つちぐも) 曰陸(くが)耳御笠一者而其状賊(そこなう)人民 故日子坐王奉勅而伐之」

(昔々。祟神天皇の頃、丹波国青葉山に民を襲う土蜘蛛と呼ばれる陸耳の御笠って奴がいた。勅命によって日子坐がやっつけた)

と、青葉山に住んでいた説。


若様。

いずれにせよ、文献から判ることは、丹波地方には「玖賀耳之御笠」を代表とする大和朝廷に服従しない首長がいて、大和朝廷は日子坐王・丹波道主命を派遣して平定したという事。


八坂神社拝殿。

日子坐王・丹波道主命に関係のある伝承をもつ神社は綾部市に二社。
ひとつはここ八坂神社。もうひとつは、伊也神社。

山家藩陣屋隣地にある甲ヶ峯城址。

の、登り口に鎮座。


伊也神社。丹波国何鹿郡の式内社のひとつ。


祭神は、大日靈賣尊(おおひるめのみこと・天照大神) 、月夜見尊 、素盞嗚尊。

崇神天皇十年、丹波道主命が何鹿郡に来て甲ケ峯の麓に宮殿を造営し、三神を祀ったのが始め。丹波道主命の死後、伊也神社を勧請(社伝より)。

二つのお社の伝承から、この地方では古くから丹波道主命父子による丹波の平定が信じられていた事が推察されます。


笑い話ではなくて、昔話ね。


丹波平定後、日子坐王と丹波道主命父子はこの地に土着したようです。



兵庫県(丹波)篠山市の宮内庁の雲部陵墓参考地。
考古学名は雲部車塚古墳。

丹波道主命が被葬候補者に想定されている丹波地方最大の前方後円墳。


八坂神社の拝殿。


記紀には、日子坐王を祖とする「丹波氏族」は大和朝廷と深い姻戚関係をもち、丹波で勢力を伸ばしていたことが記録されています。


■第九代開化天皇の妃竹野(たかの)媛は、丹波の大県主(あがたぬし)由碁理(ゆごり)の女(むすめ)(※皇妃を出すのは大和の県主と丹波の大県主であった)

■日子坐王は開化天皇と竹野(たかの)媛の子。その妃の息長水依比売(おきながみすよりひめ)は但馬の出石君家の出

■日子坐王の子・丹波道主命の妃は丹波の河上摩須郎女(かわかみのますいらつめ)

■日子坐王の女狭穂比売(さほひめ)は垂仁天皇の皇后

■丹波道主命の女日葉酢(ひはす)姫は狭穂比売の遺言により垂仁天皇の皇后となり、景行天皇を生んでいる

『三代実録』に出てくる何鹿郡の人、刑部首(おびと)夏継も丹波氏族。


なんとなく、いいかほりがするの。


いえーい♪

しかし、本殿を見上げて、私はものすごく悩むこととなるのであります。


なんでこんな所に、お餅ぺったんするアレがあるのか。

アレ。えーっと。

あ、杵だ。しかも。


こんなにいっぱい。

うーん。うーん。



八坂神社
《住所》京都府綾部市上杉町小島迫1



参考文献
『綾部市史』(綾部市史編纂委員会編・綾部市役所)

いつも応援いただきありがとうございます。「四道将軍」の一人、丹波道主命の名前は見たことがあるものの伝説の中の人。人間関係を見ても「命」とか「媛」がいっぱい登場してさっぱりわからなかったのですが、丹波篠山へ行く際に毎回通る雲部車塚古墳とも結び付いて、なんとなーくお顔が見えた気がします。史跡を巡る醍醐味ですねぇ。うろちょろした甲斐があるってもんです。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
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つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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