坂田金時がいるぞ!内緒の彼もいた。内容濃い濃い満願寺。

1293年、源氏一族の女法尼妙阿が両親の極楽往生を祈念して造立。
江戸時代に住職が法華経を書いて石塔の下に埋めたので法華塔とも呼ばれるそうで。(現地案内板より)

最下段には、梵字。これはなーに?

向かって右から、源国房、光国、明国、仲政、国直、行国、国基の供養塔です。頼光の長男の国房以下、代々。頼光の血をひく男たち。
そして、うふふーっな、源行国くん。
宇佐左大臣・藤原頼長様のご依頼で、殺人犯の興福寺の僧を多田荘に匿うなど、頼長様の腹心として働いていた様子。
几帳面な頼長様の「台記」に1152年、登場。きゃ。
年月日まではっきり書かれている(『台記』久安4年1月5日条)源義賢君(木曽義仲の父)とは、ライバルだったのか、雲泥の差だったのか…( ̄▽ ̄)=3
※お前、わけわからんわ!な方は「台記」を検索してください。

本堂軒下の龍。


なにが正解なのかわかりません。
で、ここで会いたかったもうひとつは。

源頼光の四天王の一人、坂田金時のお墓。
伝説の人かもしれませんが、ここに坂田金時を供養する印を建てた気持ちが嬉しいなあ。


違います。
それから、これ。


葉っぱでかけりゃ実もでかい。

記事作成中の心の叫び。
ブログランキングというものに参加してみました。
ポチ、して下さったら「台記」を一晩中語ります


にほんブログ村
ありがとうございます。
スポンサーサイト