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日本のお正月とカトリック教会の四苦八苦。宣教師、悩む

こんにちは。


イエスの誕生日が、クリスマス(降誕祭)。


クリスマス(降誕祭)当日の前後にはそれぞれ「待降節」と「降誕節」があります。

1月6日の「顕現日(節)」までは降誕節なので、


クリスマスツリーは、1月6日が過ぎてから片付けても、おけー。

ということは。


元旦は降誕節のど真ん中なので、特に何をするでもなかったのですが。

カトリック教会では。

1931年。エフェソス公会議1500周年に際し。
教皇ピウス11世が、1月1日を「神の母」の祝日と制定。

これは、第2バチカン公会議(1962~1965年)で追認されます。


「エフェソス公会議」(431年)。
聖母マリアを「神の母」と称することの正当性を決議。

「聖母マリアはキリストの母と言えるが神の母とは言えない」と主張するネストリウス派が異端認定された公会議。

この決議から1500年後に、1月1日を「神の母」の祝日と制定されたのです。

気の遠くなるお話。せんごひゃくねん。



また、1月1日は12月25日の降誕祭から8日目。

ユダヤ教の律法では、生後8日目に男子に儀礼を施し(※自主規制)命名します。
よって、1月1日はイエスの誕生日から8日目を祝す日でもあるのです。


【日本におけるカトリック教会と元旦】

時は1580年代。日本にキリスト教が伝わり数十年。
ちょこちょこと困った事が出てくるお年頃。



日本のお正月の祝い方は、宣教師達からすると「迷信・偶像崇拝的」。

これを禁じると日本のカトリック信者達は堂々とお正月のお祝いが出来ません。

しかし、これでは布教に支障が。

そこで教会は、日本の行事や祝祭日を積極的に取り入れようとします。



また、当時の日本は陰暦。
太陽暦を用いる西洋の教会から一ヶ月半ほど遅れます。

すると、復活祭の46日前の水曜日(灰の水曜日)から復活祭の前日(聖土曜日)までの期間の「四旬節」が、お正月と重なってしまう年が出てきてしまいます。

四旬節とは、イエスが十字架上で死亡し復活するまでの期間。
この間は食事の節制と祝宴の自粛が行われます。

そんな時に、日本では「おめでとう」な、お正月が重なってしまうのです。

まー、たいへん。

他にも松飾りや、しめ縄、篝火、鏡餅などをどう解釈したらいいのか。



1580年。宣教師達はお正月のお祝い事について『裁決』を記し、基本方針を示します。


①日本のお正月をまず大事にしましょう。

まず信者達に基本方針を示し、安心させます。


②1月1日を「御守りのサンタ・マリアの祝日」にしまーす。

西洋のカトリック教会では祝日がてんこ盛り。
そこで日本では、キリストの祝日を中心とした祝日のみに限定し、すっきりさせていました。

「迷信や不道徳なことをさけて」という条件付きながら、1月1日を祝日とすることで、四旬節の重苦しい雰囲気を一転。

信者達も堂々とお正月のお祝いが出来るようになりました。


③ミサには、「聖母マリアの誕生」の典礼(9月8日)を採用。

聖母マリアからキリストが生まれて救いが始まる。
なので、お正月はマリア様の誕生を祝う日とすることが一番良いという結論を出しています。


④お正月の3が日は、キリスト教上の行事よりもお正月を優先。

暦が日本と西洋でずれているため、お正月の三日間が四旬節の主日になったり、水曜日・金曜日の断食の日にぶつかる事があります。

そこで改めて、お正月の3が日は断食の義務がないと決定しています。




この決定は、信者の日本人には嬉しいこと。

積極的にしめ縄や鏡餅の意味を皆で話し合って、キリスト教と関連付けていきます。

初詣だって出来ます。
数珠の代わりにロザリオを持って。

絵馬やお札だって奉納出来ます。
聖書の絵や言葉を書きます。

親戚やお友達のおうちにだって、新年のご挨拶にお出掛け出来ます。
数珠の代わりにロザリオを持って。




【『神の母聖マリア』の祝日と日本】

日本では、1990年から『元旦のミサ』は「『神の母聖マリア』を祝うミサ」へと変わりました。

これは、

1931年。エフェソス公会議1500周年に際し、教皇ピウス11世が制定し、第2バチカン公会議(1962~1965年)で追認された、「1月1日は『神の母聖マリア』の祝日」の件と絡みます。

カトリック国ではない日本に対しては、この1月1日の『神の母聖マリア』の祝日は免除されており、単に『元旦ミサ』と呼ばれていました。

しかし、1989年にローマ福音宣教省が、この特例措置をなくす手紙を日本の教会に送付。

この書簡の中で、1580年に宣教師達が日本のお正月のお祝い事についての言及があります。

「セルケイラ司教様が来日した1598年当時、日本で宣教していた司祭たちは相談し、1月1日(元日)に『御守りサンタマリア』という祭日を行うことにした。」

日本では数百年前から、1月1日にミサが行われていた事をローマ福音宣教省でも把握していた事がわかります。


こうして日本では、1990年から元旦には「『神の母聖マリア』を祝うミサ」が行われるのでした。

数年前、久々に教会へ行ったら、名前が変わっていてびっくりしたもので、ちょっと調べてみました。

うらしまたろこ、な気分で。


おしまい。


参考資料

「カトリック高田教会」
https://takadacatholic.wordpress.com/page/12/

「カトリック高松教会」
「神の母マリア祝日ミサ説教/2011年1月1日/於:桜町教会」
http://www.takamatsu.catholic.ne.jp/bishopemeritus/homily/20110101homily.html

「カトリック中央協議会」
「典礼解説・四旬節」
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/tenrei/sijunsetsu.htm


いつも応援いただきありがとうございます。あれれ?お正月のお話になってしまったー。まぁ、クリスマスのお話の流れってことで。えへへ。今年もいよいよあと少し。あたふたと大掃除してます。ベランダはお布団とかマット、まな板と枕とザルが並んでおります。おほほほ。さぁて、さぁて、さ・・・どうしよう、このごみ置き場みたいなお部屋。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
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聖書に定めがないクリスマスの日付。顕現節と降誕節と冬至

こんにちは。



カトリック教会では、クリスマス(降誕祭)の4つ前の日曜日から、クリスマスを準備する期間に入ります。

この期間を「待降節」と呼んでいます。


イエスの誕生日・クリスマス(降誕祭)当日の前後にはそれぞれ「待降節」と「降誕節」があります。

待降節は、読んで字のごとし。降誕を待つ期間。

クリスマス(降誕祭)の4つ前の日曜日(日本では11月30日間近の土曜の夜から)から始まる準備期間。


【クリスマス(降誕祭)の日付特定】



しかし、12月25日がイエスの誕生日とは、聖書には書かれておらず。

「パウロ六世ホールにおける教皇ベネディクト16世の206回目の一般謁見演説」より引用すると

「実際、教会の典礼暦年は、初めからキリストの誕生から出発したのではなく、キリストの復活への信仰から発展してきました。
そのため、キリスト教のもっとも古い祭日は、降誕祭ではなく復活祭です。キリストの復活こそがキリスト教信仰の基盤であり、これが福音の告知の土台となって、教会を生み出しました。

ですから、キリスト者であるとは、復活の姿に従って生き、新しいいのちにあずかることです。この新しいいのちは、洗礼から始まり、わたしたちが罪に死んで、神とともに生きることを可能にします(ローマ6・4参照)。」



カトリックで一番重要な祭日、復活祭。

周知の通り、イエスは十字架に架けられて死亡。
3日後、父なる神によって復活します。


この復活の日を祝うのが、復活祭。

「キリストの復活こそがキリスト教信仰の基盤」なので、お誕生日よりもまずこの日を祝った、と。


イースター・エッグ、見たことありませんか?(wikipediaより)


「イエスが12月25日に生まれたとはっきり述べた最初の人は、ローマのヒッポリュトス(Hippolytos 170以前-235年)です。
ヒッポリュトスは204年頃著された『ダニエル書注解』(Commentarii in Danielem)の中でそう書いています。」
(中略)

「 キリスト教の中で降誕祭が決定的な形をとったのは4世紀です。
この頃、降誕祭はローマの『不滅の太陽(Sol invictus)』の祭に取って代わったからです。こうしてキリストの誕生は、悪と罪の闇に対するまことの光の勝利であることがはっきりと表されました。」


(同上、教皇ベネディクト16世の206回目の一般謁見演説より)


古代ローマ暦では12月25日が冬至で、これを「太陽誕生の日」、『不滅の太陽(Sol invictus)』の祭として祝っていました。
そこで、教会はこの習慣に合わせて、この日をイエスの誕生日として祝うようになったとされます(有力説)。


【降誕節と顕現節】

イエスの誕生日を祝うクリスマス(降誕祭)の後の数日間はなんだ?



東方の三人の博士は、イエスの誕生時にはまだ「ベツレヘムの星」に導かれて旅の最中。



途中でヘロデ王に「ユダヤの王はどこでせう?」と聞くおっちょこちょいな三人組。
これを聞き、自分以外の王が生まれたのかとヘロデ王があせり、ベツレヘム中の2歳以下の男子が皆殺しになってしまいます。


彼等がたどり着くまで数日。


1月6日。やっと到着。



東方の三人の博士がベツレヘムのイエスに、乳香、沈薬、黄金を捧げたときをもって「イエスが公に現れ」たとされます。

つまり「主の公現」の日。

これを記念して1月6日を「顕現日(節)」(エピファニー)といいます。


救世主が現れ、世界に救いがもたらされたことを感謝する期間「降誕祭」(12月24日日没後)から「顕現日(節)」前日までが「降誕節」です。


なので正式にはクリスマスツリーは、1月6日の「顕現日(節)」が過ぎてから片付けるそうな。


ではなぜ、聖書に日付も明記されていない誕生日を祝うのか。

前述したように、「キリストの復活こそがキリスト教信仰の基盤」。

復活するには、まず生まれてこないといけません。

人々が待ち望んでいた真の救い主「キリスト」が、ついに我々の間に生まれたことを祝う感謝の祭が「クリスマス」。


お釈迦様の誕生日もお祝いするものね(暴走)。


では、クリスマスなので「きよしこの夜」でも歌いましょ。

はい♪


Silent night, holy night!

「きよしこの夜」

All is calm, all is bright

「星はひかり」

ユダヤの王が生まれるのよ、とのお告げを受けた東方の三人の博士をベツレヘムのイエスのもとまで導く星。

Round yon Virgin, Mother and Child

「救いの御子は」

Holy infant so tender and mild

「御母の胸に」

Sleep in heavenly peace

「眠り給う」

Sleep in heavenly peace

「夢安く」

Silent night, holy night!

「きよしこの夜」

Shepherds quake at the sight

「御告げ受けし」

Glories stream from heaven afar

「牧人たちは」

イエスの降誕を天使が羊飼いにお知らせ(ルカによる福音書)。
羊飼い(イエスや聖職者)は羊(信徒)を導くもの。

Heavenly hosts sing Alleluia

「御子の御前に」

Christ the Savior is born!

「ぬかづきぬ」

Christ the Savior is born

「かしこみて」


小難しいことはさておき。


めりぃくりすますぅ~(*^▽^)/★*☆♪


参考文献

「2009.12.23/パウロ六世ホール/教皇ベネディクト16世の206回目の一般謁見演説」
(カトリック中央協議会 司教協議会秘書室研究企画訳/2009.12.24)

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message469.htm


いつも応援いただきありがとうございます。今年はえらく生ぬるい気温のクリスマスイブになりました。ダウンが暑かったです。これからはこんな気温が普通になっていくのかなぁ。クリスマスの日付の特定については諸説あるようですが、教皇ベネディクト16世の言葉を引用して、有力説とされる冬至起源をご紹介しました。冬至が太陽が誕生する日と見るなんて、面白いです。さぁて、今日こそは美味しいケーキを食べるぞぉー!
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

イエス降誕物語と日本最初のクリスマスミサ。はじめて物語

こんにちは。

今日はクリスマスイブ。


めりぃもあと一週間。一年はやいなぁ。


クリスマスとは、イエス・キリストの降誕祭。
いわば全世界規模のお誕生日会。



イエスが固有名詞、キリストは「救い主」。
よって、「イエス・キリスト」で「救い主イエス」。


【イエス・キリスト降誕物語】

イエスの降誕は新訳聖書の『マタイによる福音書』と『ルカによる福音書』のみに記述がありますが、「12月25日」とは記されておりません。

古くからの冬至祭の日を誕生日としたというのが有力説。

母はヨゼフの婚約者マリア。
生まれた場所は、ユダヤの町、ベツレヘム。

処女のまま懐妊したマリア。

ヨゼフ、パニック・・・には、ならず。

そこはちゃんと天使ガブリエルが事前に告知しています。


様々な洋画家が描く「受胎告知」はこの場面。
処女マリアは、♂によらず、聖霊により身籠ったのです。

「マリアとヨゼフの子であるイエスは神から遣わされた救い主、キリスト」ということで。


生まれた子、イエスは飼い葉桶に寝かされます。(正確にはこの時、馬は不在)

これは、ヨゼフとマリアが旅の途中で、宿が満室だったので家畜小屋に宿泊していたため。


イエスの降誕を天使が羊飼いにお知らせ(『ルカによる福音書』)。

イエスは自分を「私は善き羊飼いである」と語っています。
羊飼い(イエスや聖職者)は羊(信徒)を導くもの。



よって、羊飼いの持つ杖は、困難な状況にある信徒を助けるシンボルとして、司教様が持つ司教杖に取り入れられています。



東方の三人の博士は、ぺかーっと輝く星により「ユダヤの王が生まれた」と知り、星に導かれて旅をします(『マタイによる福音書』)。

途中でユダヤのヘロデ王に「ユダヤ人達の王はどこで生まれたの?」と尋ねます。

ヘロデ王にしてみれば、「俺以外の王って誰や!?」

王は三人の博士に、その居所が判明次第教えるよう指示。

そんな事があった後も、博士達は星に向かっててくてくてく。

ようやく立ち止まった星。

その真下が、イエスの居場所。

東方の三博士は、イエスに「乳香(にゅうこう)、没薬(もつやく)、黄金」を贈り物として捧げます。

そして、ヘロデ王には夢のお告げにより、何も知らせず帰国。

後になってヘロデ王は自分の王座を脅かす者を探し出すためベツレヘム周囲の2歳以下の男子を皆殺しに。ひゃー。

ヨゼフ達は天使のお告げにより事前にエジプトへ脱出しており、助かったのでした。


クリスマスツリーのてっぺんの星が、東方の三人の博士を導いた星。「ベツレヘムの星」といいます。

ツリーの飾りつけは自由に楽しんでも、てっぺんの星は忘れないでね。

東方の三博士がイエスに捧げた「乳香(にゅうこう)、没薬(もつやく)、黄金」。

乳香は、神に捧げるお香。
イエスの時代の前、紀元前のエジプトの墳墓からも埋葬品として出土。

没薬は、お香の他に、殺菌作用があるため鎮静薬、鎮痛薬としても使用。
ミイラ作成時には遺体の防腐処理のために使用されています。
聖書では聖なる所を清めるために使用するなど、頻出。

黄金は、ゴールド。

以上の登場人物達を人形で表現したものが、クリスマスの時期にはカトリック教会等で飾られています。


(wikipediaより)

中央にヨゼフとマリア、飼葉桶の中のイエス。
三人の博士with乳香・没薬・黄金や、羊飼いの姿、天使。




【日本最初のクリスマスミサ】

日本の最初のクリスマスは、天文21年(1552)。

周防国山口で、カトリックのイエズス会司祭コスメ・デ・トーレス等が、日本人信徒を招いて行った降誕祭のミサ。


フロイス著『日本史』第一部八章に記述が残ります。

「山口において(日本で)初めて降誕祭の祝いが催されたが、その報せに接したキリシタンたちは、これを大いに喜んだ」


『弥蘇会士日本通信』「天文23年(1554)イルマン・ペロ・ダルカセバがゴアよりポルトガルの耶蘇会のイルマン等に贈りし書翰」には、

「1552年の降誕祭の日に弥撤(ミサ)を歌い、良い声ではないけれどキリシタンの人たちはこれを聞いておおいに喜んだ。その日は一晩じゅう基督一代記を語り、6回弥撤を行い、これを行う理由を説明した。」
(弥蘇会士日本通信/『山口県史史料編中世1』山口県/1996)


この時のミサの歌が、「日本で披露されたヨーロッパの声楽としては最古のもの」といわれるそうです。
(『クリスマス』 クラウス・クラハト、克美・タテノ=クラハト著/角川書店/1999)

・・・「良い声ではないけれど」が余分だわ。お気の毒に。



また翌1553年の降誕祭では「聖書史話(聖書のなかの物語)」が朗読され、「日本におけるキリシタンの演劇活動は、この聖書史話を交誦したときにはじまるといわれる」とか。(同上)


この時は「聖書史話」の朗読だったようですが、クリスマスにイエスの降誕のお話を短い劇に仕立てて上演するのは、今でも教会の日曜学校等で行われています。

幼稚園の頃は、お兄さんお姉さんが演じてくれる劇が楽しかったです。


さて、山口で降誕祭のミサを司ったコスメ・デ・トーレス。
フランシスコ・ザビエルと共に天文18年(1549)日本へやって来ました。

2年後、山口の守護大名の大内義隆から布教の許可を得ており、このミサの時期はまさに布教の最中。

ザビエル等が山口へ来る前に滞在した鹿児島や平戸でも、重要な「降誕祭のミサ」は行われたはずですが、あいにくと裏付ける記録がなく。

神のみぞ知る。

コスメ・デ・トーレスはザビエルの離日後も日本に残り、ザビエルと同じように日本文化を尊重(「適応主義」)し、畿内・山口・豊後・肥前などを転々としつつ布教。

1570年、天草志岐(熊本県天草郡)で死去。


《キリスト教禁止令下の降誕祭と解禁》

慶長17年(1612)キリスト教禁止令。

公にはクリスマスのミサは行われませんでしたが、鎖国中も降誕祭のミサに相当するものは存在。

①長崎の浦上などで隠れキリシタンによるクリスマス・ミサ「御メーサン」。
 
②長崎の出島において、オランダ人が祝った「オランダ正月」。


次に日本において、公に「クリスマス」の名前が現れるのは、万延元年(1860)、芝赤羽のプロイセン王国行使邸宅でのクリスマスパーティーの開催。

これは、パーティーなのでちょっと違うかな。


明治6年(1873)。キリシタン放還令公布。

これにより、禁じられていた「クリスマス」が解禁となりました。



(カトリック高槻教会の高山右近像。じゅてーむ風)


普段からの信徒でなくても、教会は誰でもウエルカム。
静かにミサに参加するのもいいものですよー。


※一部、過去記事を利用しました。


参考文献

『日本史 6』 ルイス・フロイス著(松田毅一訳/中央公論社 1)

『弥蘇会士日本通信』/『山口県史史料編中世1』(山口県/1996)より
※原著は『弥蘇会士日本通信 上』( 村上直次郎訳・柳谷武夫編/雄松堂/1968)

『クリスマス』 クラウス・クラハト/克美・タテノ=クラハト著/角川書店/1999


いつも応援いただきありがとうございます。ミサに参加すると、皆様とてもきれいなお声で聖歌を歌うので、自分もお歌が上手になった錯覚がして気持ちいいです。特に信仰があるわけではありませんが、たまーに気が向いたら参加。神社で狛犬ちゃんと戯れ、お寺で仏様に感動し、教会でお歌をうたう。支離滅裂ですがそれぞれが個々に楽しいのでいいんです。へへへ。
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クリスマスツリーはいつ片付ける?顕現節まで待つの。

こんにちは。


素朴な疑問。クリスマスツリーはいつ片付けるのか。


だって季節のものにはそれぞれのお片付け時が。

そこで少しキリスト教の節句について。

イエスの誕生日・クリスマス(降誕祭)当日の前後にはそれぞれ待降節と降誕節があります。

待降節は、降誕祭前の4週間(日本では11月30日間近の土曜の夜から)。

特別なカレンダー(アドベントカレンダー。ビンゴのように一日ずつ穴をあける形が多く、お菓子が潜ませてあったりする楽しいもの)で指折り数えます。

日曜毎にアドベントリースに飾ったろうそくを灯します。

4本全てに灯したら、降誕祭。


イエスの誕生日。



東方の三人の博士は、イエスの誕生時にはまだ「ベツレヘムの星」に導かれて旅の最中。



途中でヘロデ王に「ユダヤの王はどこでせう?」と聞くおっちょこちょいな三人組。
自分以外の王が生まれたのかとヘロデ王があせり、ベツレヘム中の2歳以下の男子が皆殺しになるオチ。


彼等がたどり着くまで数日。


東方の三人の博士がベツレヘムのイエスのもとにたどり着き、イエスの誕生を祝った1月6日を記念して「顕現節」(エピファニー)といいます。


三人組が乳香、沈薬、黄金を捧げたときをもって「イエスが公に現れた」、つまり「主の公現」の日。キリスト教においては節目の日。

救世主が現れ、世界に救いがもたらされたことを感謝する期間「降誕祭」(12月24日日没後)から「顕現節」(エピファニー)前日までが「降誕節」です。


従って、1月6日「顕現節」が過ぎてからクリスマスツリーを片付けるのです。

しかし、師走には大掃除をして新年を迎える準備をする日本においては。

お正月に親戚が集まったりお客様が来たりしたときにクリスマスツリーがあるのはちょっと恥ずかしい。


年越し蕎麦食べて、紅白見る頃にはうっすらと酔ってるし。


除夜の鐘の頃には酔い潰れてるし。

鐘がひとつ、鐘がふたぁつ・・・Zzz


同行者に「奈良漬が歩いてる」と言われようとも根性振り絞って初詣。お神酒で迎え酒。

お寺や公共放送や神社やと、ちょいと多忙である日本ではどうするのか。

ちゃっちゃと片付ければそれでいいですよ、日本には日本の文化があるのですもの、って神父様が言ってました。


いつも応援いただきありがとうございます。神父様のお言葉は元も子もないお話になってしまいますが、年末年始の日本の習慣から考えれば至極ごもっとも。キリスト教には本来クリスマスツリーを飾る規定はなく、ドイツの樹木信仰を取り入れた習慣が19世紀以降に北ヨーロッパに広まったものですから、そこは臨機応変ってことでしょう。
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リクエスト戴いた画像の説明は続きで。

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きよしこの夜、もろびとこぞる。

こんにちは。

メリークリスマスです。


今日は「きよしこの夜」を英語と日本語で。

(注)必ずしも直訳になっていないので、英語と日本語の意味が異なる部分がありますので注意。

では。細かいこと言わずに、はいっ♪

Silent night, holy night!

「きよしこの夜」

All is calm, all is bright

「星はひかり」
ユダヤの王が生まれるのよ、とのお告げを受けた東方の三人の博士をベツレヘムのイエスのもとまで導く星。

Round yon Virgin, Mother and Child

「救いの御子は」

Holy infant so tender and mild

「御母の胸に」

Sleep in heavenly peace

「眠り給う」

Sleep in heavenly peace

「夢安く」

Silent night, holy night!

「きよしこの夜」

Shepherds quake at the sight

「御告げ受けし」

Glories stream from heaven afar

「牧人たちは」
イエスの降誕を天使が羊飼いにお知らせ(ルカによる福音書)。
イエスは自分を「私は善き羊飼いである」だと。羊飼い(イエスや聖職者)は羊(信徒)を導くもの。

Heavenly hosts sing Alleluia

「御子の御前に」

Christ the Savior is born!

「ぬかづきぬ」

Christ the Savior is born

「かしこみて」
東方の三人の博士は乳香・没薬・黄金を捧げます。





次にクリスマスに流れる賛美歌「もろびとこぞりて」。
ずっと待っていた救い主の誕生を喜ぶ歌です。









「もろびとこぞりて」(賛美歌第112番。聖歌654番)

諸人こぞりて 迎え奉(まつ)れ
久しく待ちにし 主は来ませり
主は来ませり 主は主は来ませり


賛美歌は主にプロテスタント。カトリックは聖歌。

ちょっとマニアック。


いつも応援いただきありがとうございます。皆様の手元にサンタさんへお願いしたモノは届きましたでしょうか?私は現金をお願いしたら、今月の給与明細が入っておりました。なんかちがーう。るるるるー(T_T)
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イエス・キリスト誕生物語と日本初のクリスマス

こんにちは。

今日はクリスマスイブ。


そして明日はクリスマス。ふ。

クリスマスとは、イエス・キリストの降誕祭。
いわば全世界規模のお誕生日会。



イエスが固有名詞、キリストは「救い主」。
よって、「イエス・キリスト」で「救い主イエス」。

イエスの降誕は新訳聖書の『マタイによる福音書』と『ルカによる福音書』のみに記述がありますが、「12月25日」とは記されておりません。古くからの冬至祭の日を誕生日としたというのが有力説。

母はヨゼフの婚約者マリア。
生まれた場所は、ユダヤの町、ベツレヘム。

処女のまま懐妊したマリア。ヨゼフ、パニック・・・には、ならず。

そこはちゃんと天使ガブリエルが事前に告知しています。


様々な洋画家が描く「受胎告知」はこの場面。
処女マリアは、♂によらず、聖霊により身籠ったのです。

「マリアとヨゼフの子であるイエスは神から遣わされた救い主、キリスト」ということで。


生まれた子、イエスは飼い葉桶に寝かされます。(正確にはこの時、馬は不在)

これは、ヨゼフとマリアが旅の途中で、宿が満室だったので家畜小屋に宿泊していたため。


イエスの降誕を天使が羊飼いにお知らせ(ルカによる福音書)。

イエスは自分を「私は善き羊飼いである」と語っています。
羊飼い(イエスや聖職者)は羊(信徒)を導くもの。

よって、羊飼いの持つ杖は、困難な状況にある信徒を助けるシンボルとして、司教様が持つ司教杖に取り入れられています。



東方の三人の博士は、ぺかーっと輝く星により「ユダヤの王が生まれた」と知り、星に導かれて旅をします(マタイによる福音書)。

途中でユダヤのヘロデ王に「ユダヤ人達の王はどこで生まれたの?」と尋ねます。

ヘロデ王にしてみれば、「俺以外の王って誰や!?」
三人の博士に、その居所が判明次第教えるよう指示。

そんな事があった後も、星に向かっててくてくてく。
ようやく立ち止まった星。その真下が、イエスの居場所。

東方の三博士は、イエスに「乳香(にゅうこう)、没薬(もつやく)、黄金」を贈り物として捧げます。

そして、ヘロデ王には夢のお告げにより、何も知らせず帰国。
後になってヘロデ王は自分の王座を脅かす者を探し出すためベツレヘム周囲の2歳以下の男子を皆殺しに。ひゃー。

ヨゼフ達は天使のお告げにより事前にエジプトへ脱出しており、助かったのでした。


クリスマスツリーのてっぺんの星が、東方の三人の博士を導いた星。「ベツレヘムの星」といいます。
飾りつけは自由に楽しんでも、てっぺんの星は忘れないでね。

東方の三博士がイエスに捧げた「乳香(にゅうこう)、没薬(もつやく)、黄金」。

乳香は、神に捧げるお香。
イエスの時代の前、紀元前のエジプトの墳墓からも埋葬品として出土。

没薬は、お香の他に、殺菌作用があるため鎮静薬、鎮痛薬としても使用。
ミイラ作成時には遺体の防腐処理のために使用されています。
聖書では聖なる所を清めるために使用するなど、頻出。

黄金は、ゴールド。

以上の登場人物達を人形で表現したものが、クリスマスの時期にはカトリック教会等で飾られています。


(wikipediaより)

中央にヨゼフとマリア、飼葉桶の中のイエス。
三人の博士with乳香・没薬・黄金や、羊飼いの姿、天使。



日本の最初のクリスマスは、1552(天文21)年。
周防国山口で、イエズス会宣教師コスメ・デ・トーレス等が、日本人信徒を招いて行った降誕祭のミサ。

トーレスはフランシスコ・ザビエルと共に日本に来ました。
ザビエルの離日後も日本に残り、ザビエルと同じように日本文化を尊重しつつ畿内・山口・豊後・肥前などを転々としつつ布教。

1570年、天草志岐(熊本県天草郡)で死去。

しかし、その後はキリスト教が禁じられたため、隠れキリシタン以外では明治の初頭になるまで全くクリスマスのミサは行われませんでした。

明治以降は、クリスマス商戦にまっしぐら。現在に至る、です。


(カトリック高槻教会の高山右近像。じゅてーむ風)

クリスマスミサは誰でも参加出来る教会が多いので、一度体験されてはいかがでしょう?

あ、私はクリスチャンではございません。宗教への勧誘は致しません。


いつも応援いただきありがとうございます。教会のミサに参加して迎えるクリスマス。初詣みたいなものでしょうか。今年のサンタさんは何をくれるのかしら。楽しみですわっ。おほほほ(涙)
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

工兵第四連隊もいた高槻城跡。狛犬まとめて何匹?野見神社。

こんにちは。


高槻城と言えば、高山右近ですが。

右近が治めるずーーっと前から、高槻城界隈は京都と難波を結ぶ重要拠点。

高槻城の歴史は古く。

990(正暦元)年、近藤忠範が平地にあった小さな丘・久米路山を根拠地としたのが始まりと伝えられます。

ふ、ふふふふ、古いです。

古けりゃいろいろあるわけで。

久米路山(粂治山)付近の瀧ヶ淵の主、大蛇。(背景は高槻城土塁)

大昔の干ばつの際にご神託により久米路山に涌き出る清水を使ったら田畑が実ったので、大蛇を龍神として祀り社殿を建てました。


右近父子による寺社破壊から時を経て、元和年間に高槻藩主となった松平紀伊守家信が堀の中に社祠を建てて奉祀。

堀の中って、あなた。
水に纏わる神様は、水の中に?それとも空堀だったのかしら?


1908(明治41)年、社領を陸軍に寄進し野見神社境内へ遷座。


野見神社境内の小島神社。

【祭神】市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)・大己貴命(オホナムチノミコト)・磐長姫命(イワナガヒメノミコト)・天児屋根命(アメノコヤネノミコト)の四柱


大正3年、真上村山辻の春日神社を合祀。


例祭は10月2週目の日曜日に執り行われ式典終了後湯神楽を奉納。

さて、高槻城下。

永井の殿様がやってきて平穏な200年が流れておりましたが、明治維新。


明治元年の神仏分離令で、元々の祭神「牛頭天王」を「須佐之男命」と名を変え、更に野見宿禰命を合祀し「野見神社」と改称。

これで激動の時は終わったのかしら。

いやいや、平和になる前に、もうひと波乱。


1874(明治7)年、高槻城は取り壊され、工兵第四連隊の駐屯地となります。
工兵第四連隊(淀4079部隊・中部第29部隊)は、1888(明治21)年6月、工兵第四大隊として創設されました。


1909(明治42)年3月22日から兵営(兵隊さんの宿舎)と練兵場が置かれ、地域の防災に貢献すると共に、西南戦争、支那事変、大東亜戦争に従軍します。


高槻天主堂教会跡地(発掘結果を知っている今から思えばキリスト教墓地)に、憲兵分隊が置かれました。


おや?まだ、境内にはちびっこがいました。


高槻恵比寿神社。

初代高槻市長故磯村弥右ヱ門等が高槻市発展に必須な街の賑わい創造の為、えべっさんの総本社・西宮神社(十日戎の福男選びのかけっこで有名)から分神してもらい、高槻戎神社として鎮座。昭和31年創建。


こちらのえびす祭は、十日戎(1月10日)。
高槻市は企業が多く、えびす祭の当日の境内では福笹の授与を始め、甘酒無料配布や福引きなどで大にぎわい。


ほーれほれ。


ちびっこはおちりもかわいい。


兄ちゃん、しっかりしてあげてー!


お社は一番新しいのに、狛犬わんこは一番古参な気がします。


そういう意味じゃなくて、やねぇ。


車の点検帰りに立ち寄った高槻市の野見神社。
ぱっぱらぱっぱーなご報告は以上です。

クイズです。


狛犬わんわんは、いったい何匹いたでしょう?うふふふふ。


さて。高槻市の高槻城ちょろちょろ見学の最後に。


営門跡の「工兵第四連隊の碑」の碑文を添えます。



「門出せる昔を偲びここに立つ 永久の平和をともに祈らん」


いつも応援いただきありがとうございます。城跡には、勝者の証のつもりか役場と兵隊さんの駐屯地等が鎮座されますこと多く。その是非の問いはどーでもよろし。だって私に出来るのは、再び血が流れるようなことがないようにお祈りすることだけ。碑文の言葉の重さを背負いつつ高槻を後にしたのでした。
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ご主人様を待ってた狛犬。池田輝政が吐息した永井さんちの高槻藩

こんにちは。


高山右近の苛烈な布教に揺れた高槻城下。


式内社も遠慮なし。どんどん没収、どんどん破壊。


高槻を治める藩主がどんどん交代。

1619(元和5)年に高槻藩に入った松平家信は、城内の安全を祈願して牛頭天王社を新造するとともに、社領を寄進。しかし、松平家もよそへ転封。


ご主人様をずっと待ち続ける狛犬わんこが残されました。

1649(慶安2)年。運命の人が高槻藩に着任します。

それが、永井直清。本日紹介する永井神社の祭神様です。

誰。


父は、永井直勝。三河国碧海郡大浜郷(現在の碧南市音羽町)の人。

誰。

三河といえば徳川家康。
初めに仕えた信康自害後一時徳川を離れるも、家康に呼ばれて帰参し、小牧・長久手の戦いで、とある手柄を立て、こんなこと言われた人。

おわかりになりまして?

小牧・長久手の戦いで、討ち取った相手は、池田恒興。
そりゃもう、家康や織田信雄から賞賛されました。

池田恒興次男の輝政が家康次女を娶る時、輝政の求めに応じて長久手の戦いで恒興を討ち取った時の事を話した永井直勝。

この時直勝は5,000石。
輝政は父を討ち取った功績の価値が5,000石しかないのかと嘆息。

さすが家康。口では賞賛してもシワシワのケチケチです。

こんなエピソードを持つ直勝の次男が、高槻藩藩主となった永井直清。


わんこは一生愛してくれるご主人様を待っていました。


直清の兄・尚政は秀忠に仕え、宇都宮城釣天井事件で本多正純が改易された後、老中となりました。


1633(寛永10)年老中を解任後、山城国淀藩10万石へ入ります。


1649(慶安2)年、直清がここ、摂津国高槻藩藩主となります。


二人が京都に近い領地に配されたのは、兄弟共に有能であり幕府の信任が厚かったからでしょうか。


(唐門裏側の彫刻、おっとせい)

事実、兄の尚政は京都所司代と協力して京都や大坂の治安を担い、島原の乱が起こったときは、京都の守備を命じられます。


(あれ?おっとせいじゃなかった)

一方、直清は、京都所司代代理・大坂城代代理を歴任。
禁裏造営の奉行や大坂城普請を務めるなど、幕府からの信任が厚かったことがよくわかります。


三代将軍家光より拝領。高槻永井家専用紋の「永井鉄線」。


直清は藩政においても、城下町の整備や拡大、治水工事に努めて実高6,000石を増加させるなど、藩政の基礎を固めました。

直清は81歳で逝去。ご長寿でした。


待ってた甲斐があったね。よかったね。
狛犬わんこが笑顔だと、私も笑顔。


待ちくたびれて痩せちゃった?


カード使えますか?


丸っこいわんこもかわいいけど、柳腰もよいねぇ。


兄弟仲良し。平和がいいねー。

拝殿の彫刻祭。


高槻藩は、永井直清以降、明治維新まで永井家が治めます。


永井神社は、1793(寛政5)年、9代藩主直進(ちょくしん、じゃないよ。なおのぶ、だよ。京都火消役をしたんだよ)が藩祖の永井直清の霊神を祀り創建。

鳥居に、京都卜部家より「直清霊神」の号を受けたことが記されています。


高槻城内三の丸にあった野見神社境内の本殿東側に隣接。
当初は「直清神社」と称しました。


1848(嘉永元)年。
直清入城200年を記念して第11代直輝が社殿を修復し、新たにそり曲がった曲線状の破風の唐門と拝殿を造営。


後ろ足がたまりません。

仲良きことは美しき哉。


幕末には「直清権現」と呼ばれ、当時の藩士は親しみをこめて「権現様」と参拝していました。

やがて明治維新となり、高槻城は解体され、石垣や木材は国鉄の線路の敷石へと使われ跡形も無くなりました。


明治21年。旧藩士領民達がその遺徳を讃え東側に石碑を建立。
永井の殿様がいかに慕われていたかを思うと、泣けてきてしまいます。


今も野見神社と永井神社境内はご近所さんの憩いの場になっています。


参考資料
野見神社・永井神社由緒。現地説明板による。

野見神社・永井神社
住所・大阪府高槻市野見町6-6



いつも応援いただきありがとうございます。各地を廻ると、お殿様がどう思われていたのかが自然と伝わってしまいますよね。高槻は高山右近ばかりがフューチャーされますが、池田輝政のがっかり話ネタの(美形との噂の)永井パパと、京都と大阪を抑える「仲良しこよし」永井兄弟にも着目いただければこれ幸い。小躍りしてブランデーを飲みまくります。うきゃきゃ。
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僧侶だってキリシタン。右近城下野見神社の受難。

こんにちは。


高山じゅすと右近様の高槻城界隈。


野見神社のご紹介。


【祭神】須佐之男命、野見宿禰命

【創祀】9世紀後半第59代宇多天皇の御宇。この地方に悪病が流行し、死者多数の折、ご神託あり。


牛頭天王は、災厄・疫病を追い払うと言われていたことから、早速お祀りしたところ、悪病はたちまち終息。

皆、大いに喜び、ここに社殿を造り、牛頭天王社として祀りました。これが野見神社の創祀。

ちなみに牛頭天王総本宮は、

黒田官兵衛縁の広峯神社。じい様の目薬に広峯神社のお札を付けて御師達が売りさばき、がっぽり。

京都の八坂神社も広峯神社と同様に牛頭天王を祀ります。祇園祭は疫病退散のお礼のお祭り。


さて、お参りしましょ。

え。


入るかー!


きつーく叱って下さい。


え、そこ?


野見神社は、享禄・天文年間には高槻城主入江駿河守、和田伊賀守などの崇敬を集め、社領の寄進などもあり平和に時が流れていました。

しかし、高槻城に高山じゅすと右近父子が入って激動の時代へ。


高槻城城内に鎮座していた式内社の野見神社は、右近の父・友照により社殿破壊の上、社領没収。同地に高槻天主堂教会を建てます。


時の神職はご神体を石清水八幡宮にお引っ越し。

高山右近の布教の腕は天下一品。でもこんな苛烈なことするから・・・

ねえねえ奥さん、畿内なのに高槻市内には神社やお寺が皆無なんですってねー!なんて言われるのよ。(そんなことないです。あります。)


ただひたすら一途に神を信じた高山右近。

右近が船上城(明石)へ転封となった後の高槻城下は秀吉の直轄領となり、やがて新庄直頼が治めるも関ヶ原で西軍に付き改易。

1615(元和元)年、内藤信正が入り高槻藩が立藩。高槻城を改修、増築。
以降、土岐定義・松平家信・岡部宣勝・松平康信(家信次男)等、高槻藩藩主は目まぐるしく変わります。


その中で、1619(元和5)年に高槻藩に入った松平家信は、城内の安全を祈願して牛頭天王社を新造するとともに、社領を寄進。


1649(慶安2)年に新たな藩主となった永井直清。


更に社殿を修築し、社領を寄進して例祭日を10月14日と定め、臣下・領民とともに盛大な祭礼を行うようになりました。


高槻藩永井家初代・永井直清を祀る永井神社。

この永井家は明治維新まで高槻藩を治めます。

江戸時代には城内随一の神社として「高槻城絵図」に記される野見神社に、再び激動の時が到来するのは、明治元年。

神仏分離令により、牛頭天王は「須佐之男命」と名を変え、更に野見宿禰命を合祀して、「野見神社」と改称。

延喜式内社として郷社に列し、神饌幣帛料進社に指定されました。

やれやれ。

むいー?


そろそろ秋の花粉症のオンシーズンです。


参考資料
野見神社由緒。現地説明板による。

野見神社
住所・大阪府高槻市野見町6-6



いつも応援いただきありがとうございます。高山右近。その苛烈っぷりに惚れ直します。やるときゃやる男です。野見神社近隣はキリシタン墓地。ロザリオを胸に抱いた信者の遺骨が出土。とても不思議な所です。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

「戦国大阪の城」展。高槻しろあと観光案内。

こんにちは。

車の点検でおでかけしたついでにこちらへ。

特別展示「戦国 大阪の城」を見てきました。

ありがたいなーと思ったのは、大阪府内の城が時系列で紹介され、南北朝の屋敷から中世城郭に変遷していく中での土のもこもこ山城を中心に展示があったこと。

パネル展示でも、とても興味津々。

他には発掘調査で出た武具(普通は捨てないから出ない)、茶碗等々。

面白かったのは、瓦を使い回していたこと。3回は軽く使ってた形跡があるとか。

それと、瓦の金箔の違い。


信長は凹に金箔、秀吉は凸に金箔。
何故かは不明ですが、こんな違いもあるんだと初めて知りました。

また、高槻市立しろあと歴史館所蔵の川口コレクションの中から、黒田官兵衛のおうちの家紋であるお餅紋とぐるぐる藤紋が細工された長刀が展示されてました。

得した気分です。


高槻市立しろあと歴史館のある場所はその名前のまんま、高槻城跡地。

高槻城といえば、

高山じゅすと右近様のおうち。


キリシタンの高山右近が父と高槻に入った際に、父の友照が「もと神の堂ありし処」(宣教師ルイス・フロイス『日本史』)に建てた高槻天主教会堂の推定地となっています。今は商工会議所ビルと野見神社。


商工会議所の前には高槻城の石が転がってます。

横には

右近の父に没収された野見神社が江戸時代に復活。ほんとは式内社。
高槻城の城内に唯一建てられた神社。


境内には、江戸時代から明治維新まで高槻を治めた永井氏の永井神社。


かつて教会に隣接していたという「キリシタン墓地」が、江戸時代の厚さ2メートルに及ぶ盛土の下から発見されたのが野見神社と商工会議所ビル辺り。

棺の蓋板に墨書された二支十字(干、の形に似た十字)や死者に添えられた木製のロザリオは、発掘資料としては日本最古。

宣教師フロイスの記録の正しさを示す貴重な資料ともなっています。
高槻市立しろあと歴史館の常設展示で見ることができます。


野見神社から徒歩10秒。野見神社の隣の隣はこちら。

高槻カトリック教会の敷地内には


じゅてーむ高山右近様がお待ちしてます。


機会があればぜひ、高槻へお越しくださいませ。


いつも応援いただきありがとうございます。お城は現地でうろちょろするのが楽しいですね。整備されたところからぼちぼち行こうと狙っております。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
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つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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