真田丸第27回「不信」(4)武士となった大和猿楽四座
こんにちは。
興福寺等に属し、祭礼に奉仕した大和猿楽四座。
外山座 →宝生座
坂戸座 →金剛座
円満井座→金春座
結崎座 →観世座
これに元和年間に金剛座から分かれた喜多流を加えた「四座一流」が現在の能楽シテ方五流。

金春安照に師事した秀吉の贔屓は、金春座。
金春流は、豊臣政権公認の流儀として各地の武将たちが追随。
秀吉が能に没頭したのは晩年の10年程ですが、猿楽の歴史においてこの時期は、まさに、革命期。
①外国との貿易による「新しい織物」の登場→装束の変化
②常設の能舞台の設置
③猿楽4座への扶持米支給
③猿楽4座への扶持米支給
秀吉は、大和猿楽四座(観世・宝生・金春・金剛)の役者達に給与(配当のお米)を与え、保護。

秀吉朱印状『観世座支配之事』(観世文庫所蔵)
能役者の給与(配当米)は金春座以外、各大名が分担して出費。
これは観世座の分で、家康が500石分負担するなど決められています。
秀吉ご贔屓の金春座は秀吉に直接保護され、領地も与えられています。
その領地は江戸時代も存続。

金春札(法政大学能楽研究所所蔵)
領内で有効なお札「金春札」が発行されていました。

このように能役者の生活は公的に保護されるようになった点が、秀吉前との大きな違い。
その反面、金春・観世・金剛・宝生の大和猿楽四座は、それまでの自由な身分から武家に従属する形に。
【江戸時代の保護政策】
猿楽四座への保護政策は家康の江戸幕府にも受け継がれます。
このおかげで能は今日まで続くことができたともいえます。
家康もはじめは金春大夫安照をご贔屓。
見るのは好きでしたが、秀吉ほど猿楽にのめりこむことはなく。
家康は金春座ではなく、観世座を用います。
秀忠は金剛座から喜多流を独立させる程の喜多贔屓。
続く家光も、喜多好き。
これに倣って各大名は喜多流を重んじるようになり、発祥は新しくとも全国に一気に広まります。

舞台正面
また、能が幕府の公式行事で演じられる「式楽」として定着したのは、三代・家光、四代・家綱の時代。
(※各座の大夫は、家康の時代に江戸へ移されています。)

猿楽座大夫の身分は、武士。
幕府や大名より俸禄を与えられて生活は安定。
しかし、老中や若年寄といった官僚制度の下で、能役者は上演演目が管理され、政治的な影響を強く受けるようになってしまいました。

秀吉前には大和猿楽以外にも丹波猿楽や山城猿楽も活動していました。
が、秀吉と江戸幕府の大和猿楽への保護政策により、大和猿楽以外の猿楽は解体・吸収され。
《大和猿楽四座以外のその後》

例えば、丹波猿楽「梅若」座。

菩提寺である曹源寺。

(高野山奥の院。明智光秀墓所)
梅若家の家久(もしくは広長)は、丹波攻略によりこの地域を手中に治めていた明智光秀方に付いて山崎の合戦を戦い、戦傷がもとで他界。
光秀に付いた梅若家は、一時没落。
梅若九郎右衛門氏盛(隠居後に玄祥。梅若家40世)が細川幽斎の推挙によって徳川家康に仕え、世木庄の上稗生(現在の日吉町生畑上稗生)に百石を賜り、梅若中興の祖となりました。

「丹波猿楽梅若家屋敷跡」の旧墓所。
日吉の領主となった梅若家は、日吉を本拠に丹波猿楽の梅若座を構えます。
後に観世流に合流して「観世流梅若家」となり、名手を輩出しています。
◎まとめ◎

幕府の中に武家として組み込まれたことで、自由な創造は制限されますが反面、既存の曲目は成熟化。
また。
大和四座の中に組み込まれなかった地域密着で地域色の強いものは、各地に残る「神事能」として残り伝えられることとなりました。
演能はお上のものとなってしまったものの、謡本は歴史の教科書、手習いのお手本、謡は旦那衆の教養科目や趣味として、庶民の間にも浸透していきました。

(高野山奥の院。豊臣家墓所)
長くなりましたが、このように猿楽の歴史は、秀吉前と秀吉後とで大きく変換したのです。
おしまい。
参考文献
『能楽談叢』(横井春野著/サイレン社/昭和11)
国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257024
『能楽全史』(横井春野著/檜書店/昭和5)
『能に憑かれた権力者―秀吉能楽愛好記』(天野文雄著/講談社)
いつも応援いただきありがとうございます。
真田丸の舞台シーンから始まった猿楽のお話、長々とおつきあいいただきありがとうございました。装束、舞台、また演能時間など様々な変化があった秀吉前後の時代。そのなかで一番大きな影響を受けたのがこの扶持米の支給による猿楽座の武家化と四座以外の淘汰。秀吉はただ猿楽に耽溺したのではなく、政策面においても多大な遺産を猿楽に残したのでした。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
興福寺等に属し、祭礼に奉仕した大和猿楽四座。
外山座 →宝生座
坂戸座 →金剛座
円満井座→金春座
結崎座 →観世座
これに元和年間に金剛座から分かれた喜多流を加えた「四座一流」が現在の能楽シテ方五流。

金春安照に師事した秀吉の贔屓は、金春座。
金春流は、豊臣政権公認の流儀として各地の武将たちが追随。
秀吉が能に没頭したのは晩年の10年程ですが、猿楽の歴史においてこの時期は、まさに、革命期。
①外国との貿易による「新しい織物」の登場→装束の変化
②常設の能舞台の設置
③猿楽4座への扶持米支給
③猿楽4座への扶持米支給
秀吉は、大和猿楽四座(観世・宝生・金春・金剛)の役者達に給与(配当のお米)を与え、保護。

秀吉朱印状『観世座支配之事』(観世文庫所蔵)
能役者の給与(配当米)は金春座以外、各大名が分担して出費。
これは観世座の分で、家康が500石分負担するなど決められています。
秀吉ご贔屓の金春座は秀吉に直接保護され、領地も与えられています。
その領地は江戸時代も存続。

金春札(法政大学能楽研究所所蔵)
領内で有効なお札「金春札」が発行されていました。

このように能役者の生活は公的に保護されるようになった点が、秀吉前との大きな違い。
その反面、金春・観世・金剛・宝生の大和猿楽四座は、それまでの自由な身分から武家に従属する形に。
【江戸時代の保護政策】
猿楽四座への保護政策は家康の江戸幕府にも受け継がれます。
このおかげで能は今日まで続くことができたともいえます。
家康もはじめは金春大夫安照をご贔屓。
見るのは好きでしたが、秀吉ほど猿楽にのめりこむことはなく。
家康は金春座ではなく、観世座を用います。
秀忠は金剛座から喜多流を独立させる程の喜多贔屓。
続く家光も、喜多好き。
これに倣って各大名は喜多流を重んじるようになり、発祥は新しくとも全国に一気に広まります。

舞台正面
また、能が幕府の公式行事で演じられる「式楽」として定着したのは、三代・家光、四代・家綱の時代。
(※各座の大夫は、家康の時代に江戸へ移されています。)

猿楽座大夫の身分は、武士。
幕府や大名より俸禄を与えられて生活は安定。
しかし、老中や若年寄といった官僚制度の下で、能役者は上演演目が管理され、政治的な影響を強く受けるようになってしまいました。

秀吉前には大和猿楽以外にも丹波猿楽や山城猿楽も活動していました。
が、秀吉と江戸幕府の大和猿楽への保護政策により、大和猿楽以外の猿楽は解体・吸収され。
《大和猿楽四座以外のその後》

例えば、丹波猿楽「梅若」座。

菩提寺である曹源寺。

(高野山奥の院。明智光秀墓所)
梅若家の家久(もしくは広長)は、丹波攻略によりこの地域を手中に治めていた明智光秀方に付いて山崎の合戦を戦い、戦傷がもとで他界。
光秀に付いた梅若家は、一時没落。
梅若九郎右衛門氏盛(隠居後に玄祥。梅若家40世)が細川幽斎の推挙によって徳川家康に仕え、世木庄の上稗生(現在の日吉町生畑上稗生)に百石を賜り、梅若中興の祖となりました。

「丹波猿楽梅若家屋敷跡」の旧墓所。
日吉の領主となった梅若家は、日吉を本拠に丹波猿楽の梅若座を構えます。
後に観世流に合流して「観世流梅若家」となり、名手を輩出しています。
◎まとめ◎

幕府の中に武家として組み込まれたことで、自由な創造は制限されますが反面、既存の曲目は成熟化。
また。
大和四座の中に組み込まれなかった地域密着で地域色の強いものは、各地に残る「神事能」として残り伝えられることとなりました。
演能はお上のものとなってしまったものの、謡本は歴史の教科書、手習いのお手本、謡は旦那衆の教養科目や趣味として、庶民の間にも浸透していきました。

(高野山奥の院。豊臣家墓所)
長くなりましたが、このように猿楽の歴史は、秀吉前と秀吉後とで大きく変換したのです。
おしまい。
参考文献
『能楽談叢』(横井春野著/サイレン社/昭和11)
国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257024
『能楽全史』(横井春野著/檜書店/昭和5)
『能に憑かれた権力者―秀吉能楽愛好記』(天野文雄著/講談社)
いつも応援いただきありがとうございます。
真田丸の舞台シーンから始まった猿楽のお話、長々とおつきあいいただきありがとうございました。装束、舞台、また演能時間など様々な変化があった秀吉前後の時代。そのなかで一番大きな影響を受けたのがこの扶持米の支給による猿楽座の武家化と四座以外の淘汰。秀吉はただ猿楽に耽溺したのではなく、政策面においても多大な遺産を猿楽に残したのでした。



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