平維盛、青海波を舞う。野迫川村の資料館にて。
後白河法皇50歳の祝賀(1176年/安元2年3月4日)で、烏帽子に桜の枝、梅の枝を挿して「青海波」を舞う平維盛。
花も恥じらう18歳。ぴかぴか。
わずか4年後。1180年。富士川の合戦。
その3年後。1183年。北陸方面、倶利伽羅峠の戦い。
よもや連戦連敗の平家軍の総大将になろうとは。
家族大好きな維盛は、やる気もなく。屋島からこっそり抜け出して
滝口入道を訪ねた高野山。
未練たらたらでしたが結局、
出家。
「平家物語」の維盛はこれから熊野へ向かい、補陀落へと旅立つのですが。
奈良県野迫川村の平(たいら)地区。
維盛は、熊野・吉野の山中を流浪の末、ここ野迫川村でその生涯を終えたと伝えられています。
維盛塚のあるこんもりした丘。
てっぺんには、維盛塚。
「平維盛歴史の丘」として整備され、資料館もありました。
今日は、そこで見た、青春真っ只中の維盛。
院の前で「青海波」を舞う場面の再現のようです。
これもりたん、じゅうはっちゃい。
踏んではいけません。
「青海波」の舞といえば、光源氏と頭中将の相舞の場面が印象的ですね。
どうやらこの曲と装束は、美しい若者をさらに美しく見せる魔法の力を持っているようです。
雲行きが怪しい維盛。でも、美しい、のだ。ふふふ、ふふ。
しっかりしろ、維盛!
「平家物語」では烏帽子に桜と梅の枝を差し、と記述があります。
これは、鳥兜(とりかぶと)。
舞楽の装束で用いる、頭に被る装飾品の一種。
野草のトリカブトではない。
鳳凰の頭部を真似たものと言われますが、鶏のトサカみたいですよね。こけー。
能の装束では、この鳥兜を付けるときは「楽人」を表します。
維盛、頑張れってば。
ものすごく充実した野迫川村の資料館の展示なのでした。うふふ。
いつも応援いただきありがとうございます。維盛はその容姿と悲しい生涯の為か、あちこちに「実はここで生きていた!」伝承が残ります。そのひとつが野迫川村。気絶しそうな蒸し暑さでしたが、維盛のためなら我慢がまん。しかし、実は、カメラを防水にしてよかったと思うほど汗が流れておりますの。
ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
- 関連記事
-
- 色川神社の色川はうろ色のうろ川。熊野鉱脈と妙法鉱山
- 色川神社。熊野の自然信仰と狛犬さん
- 平維盛、神になる。色川神社と神社合祀
- 飛鳥神社と平維盛「太刀落としました」。太地町
- 清水氏館跡。平維盛子孫と色川郷
- 熊野の山々と伝承に囲まれた色川の集落
- わんこと維盛
- 平維盛、青海波を舞う。野迫川村の資料館にて。
- 『平家物語』桜梅中将維盛の出家。変わらぬ姿を今一度
- 唱歌「青葉の笛」と能「敦盛」。高野山奥の院の敦盛五輪塔
- 平家に居場所なし。維盛の苦悩と高野山で男前二人旅
- 世俗の姿は男前。滝口入道と桜梅の中将。『平家物語』in高野山
- 立花宗茂帰依の高野山大円院に滝口入道と横笛の悲恋物語。
- さらば愛しき者達。『平家物語』維盛都落。実盛との縁。
- 老武者の矜持と執心。能「実盛」