唱歌「青葉の笛」と能「敦盛」。高野山奥の院の敦盛五輪塔

平維盛は一ノ谷の合戦前後に屋島辺りから脱け出し、高野山の滝口入道を訊ねました。
一ノ谷合戦では、多くの平家の公達が討死しています。
唱歌「青葉の笛」(大和田建樹作詞、作曲・田村虎蔵)をご存じですか?
一の谷の 軍(いくさ)破れ 討たれし平家の 公達あわれ 暁寒き 須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛
更くる夜半に 門(かど)を敲き わが師に託せし 言の葉あわれ 今わの際まで 持ちし箙に 残れるは「花や今宵」の歌
二番は、平忠度。

「更くる夜半に 門(かど)を敲き わが師に託せし 言の葉あわれ」
都落ちの直前、歌の師・藤原俊成に自らの和歌を託します。

決意を胸に秘め戦に臨んだものの、一ノ谷にて岡部六弥太忠澄により討死。

「今わの際まで 持ちし箙に 残れるは『花や今宵』の歌」

「行き暮れて木の下影を宿とせば 花や今宵の主ならまし」
一番は、だぁれー?
「青葉の笛」といえば?
はい、平敦盛ですね。
謡曲「敦盛」では、都落ちから敦盛の討死までの描写があります。
「然るに平家。世を取って二十余年。
まことに一昔の。過ぐるは夢の中なれや。」

「籠鳥(ろうちょう)の雲を恋ひ。帰雁(きがん)列(つら)を乱るなる。
空定めなき旅衣。日も重なりて年月の。
立ち帰る春の頃。この一ノ谷に籠りて。しばしはここに須磨の浦。」

「シテ『後ろの山風吹き落ちて』
野も冴え返る海際に。船の夜となく昼となき。
千鳥の声も我が袖も。波に萎(しお)るる磯枕。
海士の苫屋(とまや)に共寝して。須磨人にのみ磯馴松の。
立つるや夕煙 柴と云ふもの折り敷きて。
思ひを須磨の山里の。かかる所に住まひして。
須磨人になり果つる一門の果てぞ悲しき。」

やがて合戦が始まり一門の武将が相次いで討死する中、敦盛は、沖へ逃げる平家一門の船に乗り遅れ、馬で追いかけます。

一ノ谷合戦の有り様を敦盛は舞います。「キリ」の部分です。
「シテ『せん方波に駒を控へ。呆れ果てたる。有様なり。かかりける處に。』
後ろより。熊谷の次郎直実。のがさじと。追っかけたり敦盛も。
馬引き返し。波の打物抜いて。
二打三打(ふたうちみうち)は打つぞと見えしが馬の上にて。
引っ組んで。波打ち際に。落ち重なって。」
平家一門の船に向かって馬を泳がせていた敦盛を、熊谷次郎直実が追いかけます。
仕方なく敦盛は応戦。

馬上で組み合うも、波打ち際に落馬。熊谷次郎直実に組み伏せられた敦盛。

恐らくこんな感じが、

能の表現は、こう。
出家した熊谷次郎直実(蓮生法師)が敦盛の菩提を弔っている目の前に、現れた敦盛の幽霊が、能「敦盛」の主役(シテ)。
よって、敦盛の幽霊は憎き敵の熊谷次郎直実に向かって牙を剥きます。
「終いに(ついに)。討たれて失せし身の。
因果は廻り逢ひたり敵はこれぞと討たんとするに。」

「仇をば恩にて。法事の念仏して弔はるれば。
終には共に。生まるべき同じ蓮(はちす)の蓮生法師。
敵にてはなかりけり跡弔ひて。賜び給へ跡弔ひて賜び給へ。」
仇の熊谷次郎直実を討とうと迫りますが、あ、そうだ、今は僕の為に念仏を唱えてくれてるんだった…と気づき、跡を弔って下さいなと言い残して姿を消します。
能「敦盛」、おしまい。

高野山奥の院で、ぽけーっとしている維盛ですが。
数年後。この奥の院に、供養塔が建てられます。
維盛の?・・・ではありません。

左が敦盛、右が直実。
これは、敦盛を討った後に出家した熊谷次郎直実が、敦盛の菩提を弔うために建てた五輪塔。
・・・何も隣同士にせんでも。嫌、じゃない?敦盛、嫌じゃない?
敦盛の首を取った直実。
彼には敦盛と同じ程の年齢の息子の小次郎直家がいました。
奇しくもこの日の未明。
敵の矢に傷ついた直家の「父よ、この矢を抜いてたべ」との願いを耳にしながらも、敵中の事だ、と、直家の傷の手当てをする暇なく敵陣深く突入したのでした。
その時の親心の切なさを思い起こし、暫し躊躇したものの、心を鬼にして首を掻き斬ったのです。
直実。世の無常を感じ、出家。
当時日本一の上人と尊崇されていた吉水の法然上人の弟子となり「法力房蓮生」の名を与えられ、専心念仏の行者となりました。
そして、敦盛の7回忌に当たる1190/建久元年。
敦盛の追福の法要を思い立ち、法然上人の指示により高野山に登り、父祖の菩提寺であった熊谷寺(当時は智識院)に寄寓。

敦盛の位牌および石塔を建立し、懇ろに敦盛の菩提を祈ったのでした。
・・・さて。肝心の維盛。
朝になって東禅院の智覚上人という聖をお呼びして、かねてよりの望み通り、出家しま~~~。

せん。
出家した姿になる前に、今の姿を一目、家族に見せたいと駄々をこねております。
この子、ほんとに大丈夫かしら。

いけいけ、滝口入道!
すみません。つづく。
参考文献
観世流大成版『敦盛』(訂正著作/24世観世左近、檜書店発行)
いつも応援いただきありがとうございます。高野山奥の院で、必死に探した敦盛と直実の五輪塔。やっと、日の目を見ました。しかしなぜ隣同士なんでしょうねぇ。敦盛、お気の毒です。高野山は源平問わず繋がりがありますが、高野山霊宝館では、清盛の血を混ぜて描いたと伝わる「清盛の血曼荼羅」も展示されています。でっかいですよー。



ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
- 関連記事
-
-
平維盛、神になる。色川神社と神社合祀
-
飛鳥神社と平維盛「太刀落としました」。太地町
-
清水氏館跡。平維盛子孫と色川郷
-
熊野の山々と伝承に囲まれた色川の集落
-
わんこと維盛
-
平維盛、青海波を舞う。野迫川村の資料館にて。
-
『平家物語』桜梅中将維盛の出家。変わらぬ姿を今一度
-
唱歌「青葉の笛」と能「敦盛」。高野山奥の院の敦盛五輪塔
-
平家に居場所なし。維盛の苦悩と高野山で男前二人旅
-
世俗の姿は男前。滝口入道と桜梅の中将。『平家物語』in高野山
-
立花宗茂帰依の高野山大円院に滝口入道と横笛の悲恋物語。
-
さらば愛しき者達。『平家物語』維盛都落。実盛との縁。
-
老武者の矜持と執心。能「実盛」
-
「故郷へは錦を着て帰る」実盛のお洒落決意
-
平家物語「実盛最期」。老体に鞭打ち、一騎残る
-