箸蔵寺(6)神仏習合の姿で残るのは何故。錦の御旗と仁和寺
こんにちは。

箸蔵寺のおんまさん。

本殿にかかるこちらを書いたのは、純仁(じゅんにん)法親王。
還俗して、小松宮彰仁親王。

そだね。
【小松宮彰仁親王ってだぁれ?】
(略歴/wikipediaより引用)
安政5年(1858)仁孝天皇の猶子となり親王宣下を受け「嘉彰親王」。仁和寺へ入寺得度し「純仁」と号し。
仁和寺第三十世の門跡(住職)に就任。
慶応3年(1867)王政復古。復飾を命ぜられ「仁和寺宮嘉彰親王」。
明治維新にあっては、議定、軍事総裁。
戊辰戦争では、奥羽征討総督として官軍を指揮。
明治3年(1870) 宮号を東伏見宮に改め
明治7年(1874) 佐賀の乱では「征討総督」、
明治10年(1877)西南戦争では「旅団長」として出征し乱を鎮定。
明治14年(1881)維新以来の功労を顕彰され、家格を世襲親王家に改められ、
明治15年(1882)宮号を仁和寺の寺域の旧名小松郷に因んで小松宮に改称、「彰仁(あきひと)」と改名。

そう、えらいひとなのね。

(画像/wikipediaより)錦の御旗の、明治新政府のな。
【仁和寺がどうかした?】
仁和寺は、真言宗御室派総本山。
開基、宇多天皇(出家後の宇多法皇が住したことから「御室御所」)。
皇子や皇族が歴代の門跡(住職)を務めたお寺で、「門跡寺院」の筆頭として仏教各宗を統括。
応仁の乱で伽藍が全焼するも、江戸時代に再建。ふっかーつ。
そして。
仁和寺最後の皇族出身の門跡が、伏見宮純仁法親王(小松宮彰仁親王)。

そう、えらいひと。
【仁和寺と箸蔵寺】

箸蔵寺は、真言宗御室派。
総本山は、仁和寺。

箸蔵寺の本尊は、金毘羅大権現。
同じ金毘羅大権現を本尊とするお寺に、「こんぴらさん」の名で有名なかつての松尾寺があります。
箸蔵寺はそのご縁で近世に「こんぴらさんの奥の院」とも称されます。
が。
その松尾寺。
明治の神仏分離により「金比羅宮」なる神社に強引に分離(というより、乗っ取り?)されます。

やかましっ。
なぜ箸蔵寺はそのまま残ったのか。
これについて、箸蔵寺の見解です。
「つまり、新政府側であり、なおかつ天皇ゆかりの方が御室派のトップであったことが、箸蔵寺が神仏分離を免れた大きな理由です。戊辰戦争にかかった莫大な費用の多くは、親王が御室派の寺院から調達したと言われています。箸蔵寺も何らかの形で戊辰戦争に関わっているのかもしれません。現在箸蔵寺には、親王自筆の『金毘羅大権現』の神号がお軸として残っています。」
(「こんぴら奥の院箸蔵寺/公式HPより引用)
http://www.hashikura.or.jp/
無論、真言宗御室派のお寺でも、例えば宮島の多喜山水精寺大聖院では、神仏分離までは十二坊の末寺を有し、嚴島神社の別当職として祭祀を司ってきた宮島の総本坊であったものが神仏分離により分けられていますから、全てが神仏分離を免れたわけではありません。
徳島で神仏分離が行われなかったわけでもありません。
ごくごくたまたま、残ることが出来ただけなのかもしれません。

しかし、こうして箸蔵寺が神仏習合の姿を今も残してくれているのは、事実。

鐘楼に狛犬がいたっていいじゃんね。
何で鳥居がお寺に!?とか、おまいりは二拍手すんのか!?神か仏か!?とか、あたふたあたふたすることがいかに「明治」というものに毒されているのか、ちょいと考えてみるのも面白いと思います。

ふぁいとっ。
※こんぴらさんの神仏分離については、大先輩の「しばやんの日々」様が詳しくてわかりやすいです。
「明治初期までは寺院だった『こんぴらさん』」
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/?no=69
「『こんぴら』信仰と金刀比羅宮の絵馬堂」
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-70.html
「数奇な運命をたどって岡山県西大寺に残された『こんぴらさん』の仏像」
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-71.html
しばやん様、いつもありがとうございます。
いつも応援いただきありがとうございます。不思議だったんですよー。何でこんぴらさんは神社にされたのに箸蔵寺はそのままなのか。徳島藩を調べても神仏わけわけしてるし。とても大雑把かもしれませんが、箸蔵寺の見解は、あー、そういう視点もあるのねーっと興味深いです。今回調べて実感したのは、「変化」は記録に残るけど、変化がないってのは案外記録に残らんものだなーってことでした。



いつもありがとうございます。

箸蔵寺のおんまさん。

本殿にかかるこちらを書いたのは、純仁(じゅんにん)法親王。
還俗して、小松宮彰仁親王。

そだね。
【小松宮彰仁親王ってだぁれ?】
(略歴/wikipediaより引用)
安政5年(1858)仁孝天皇の猶子となり親王宣下を受け「嘉彰親王」。仁和寺へ入寺得度し「純仁」と号し。
仁和寺第三十世の門跡(住職)に就任。
慶応3年(1867)王政復古。復飾を命ぜられ「仁和寺宮嘉彰親王」。
明治維新にあっては、議定、軍事総裁。
戊辰戦争では、奥羽征討総督として官軍を指揮。
明治3年(1870) 宮号を東伏見宮に改め
明治7年(1874) 佐賀の乱では「征討総督」、
明治10年(1877)西南戦争では「旅団長」として出征し乱を鎮定。
明治14年(1881)維新以来の功労を顕彰され、家格を世襲親王家に改められ、
明治15年(1882)宮号を仁和寺の寺域の旧名小松郷に因んで小松宮に改称、「彰仁(あきひと)」と改名。

そう、えらいひとなのね。

(画像/wikipediaより)錦の御旗の、明治新政府のな。
【仁和寺がどうかした?】
仁和寺は、真言宗御室派総本山。
開基、宇多天皇(出家後の宇多法皇が住したことから「御室御所」)。
皇子や皇族が歴代の門跡(住職)を務めたお寺で、「門跡寺院」の筆頭として仏教各宗を統括。
応仁の乱で伽藍が全焼するも、江戸時代に再建。ふっかーつ。
そして。
仁和寺最後の皇族出身の門跡が、伏見宮純仁法親王(小松宮彰仁親王)。

そう、えらいひと。
【仁和寺と箸蔵寺】

箸蔵寺は、真言宗御室派。
総本山は、仁和寺。

箸蔵寺の本尊は、金毘羅大権現。
同じ金毘羅大権現を本尊とするお寺に、「こんぴらさん」の名で有名なかつての松尾寺があります。
箸蔵寺はそのご縁で近世に「こんぴらさんの奥の院」とも称されます。
が。
その松尾寺。
明治の神仏分離により「金比羅宮」なる神社に強引に分離(というより、乗っ取り?)されます。

やかましっ。
なぜ箸蔵寺はそのまま残ったのか。
これについて、箸蔵寺の見解です。
「つまり、新政府側であり、なおかつ天皇ゆかりの方が御室派のトップであったことが、箸蔵寺が神仏分離を免れた大きな理由です。戊辰戦争にかかった莫大な費用の多くは、親王が御室派の寺院から調達したと言われています。箸蔵寺も何らかの形で戊辰戦争に関わっているのかもしれません。現在箸蔵寺には、親王自筆の『金毘羅大権現』の神号がお軸として残っています。」
(「こんぴら奥の院箸蔵寺/公式HPより引用)
http://www.hashikura.or.jp/
無論、真言宗御室派のお寺でも、例えば宮島の多喜山水精寺大聖院では、神仏分離までは十二坊の末寺を有し、嚴島神社の別当職として祭祀を司ってきた宮島の総本坊であったものが神仏分離により分けられていますから、全てが神仏分離を免れたわけではありません。
徳島で神仏分離が行われなかったわけでもありません。
ごくごくたまたま、残ることが出来ただけなのかもしれません。

しかし、こうして箸蔵寺が神仏習合の姿を今も残してくれているのは、事実。

鐘楼に狛犬がいたっていいじゃんね。
何で鳥居がお寺に!?とか、おまいりは二拍手すんのか!?神か仏か!?とか、あたふたあたふたすることがいかに「明治」というものに毒されているのか、ちょいと考えてみるのも面白いと思います。

ふぁいとっ。
※こんぴらさんの神仏分離については、大先輩の「しばやんの日々」様が詳しくてわかりやすいです。
「明治初期までは寺院だった『こんぴらさん』」
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/?no=69
「『こんぴら』信仰と金刀比羅宮の絵馬堂」
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-70.html
「数奇な運命をたどって岡山県西大寺に残された『こんぴらさん』の仏像」
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-71.html
しばやん様、いつもありがとうございます。
いつも応援いただきありがとうございます。不思議だったんですよー。何でこんぴらさんは神社にされたのに箸蔵寺はそのままなのか。徳島藩を調べても神仏わけわけしてるし。とても大雑把かもしれませんが、箸蔵寺の見解は、あー、そういう視点もあるのねーっと興味深いです。今回調べて実感したのは、「変化」は記録に残るけど、変化がないってのは案外記録に残らんものだなーってことでした。



いつもありがとうございます。
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